ギリ格上チャレンジ
異世界に来て二週間が経った。 結論から言おう。 焚き火を一瞬で消せるようになったところで生活は劇的には向上しなかった。
「火消し? なんだそりゃ。火事でも起きたら呼んでやるよ。まあ、水魔法使いの方が確実だけどな」
冒険者ギルドの強面受付係にそう鼻で笑われて終了だ。 考えてみれば当たり前である。この世界において冒険者の価値は強さであり「剣」か「魔法」の二択だ。 火を消す能力なんてキャンプの片付けが楽になる程度の家事スキルでしかない。
「結局地道に稼ぐしかない、か」
俺はため息をつきながらギルド併設の武器屋の軒先を眺めていた。 薬草採取と薪拾いの日々で小銭は少し貯まった。銅貨にして15枚ほど。日本円で言えば1,500円くらいか。 このなけなしの全財産を握りしめ、俺は武器屋のオヤジに声をかけた。
「あの…、この予算で買える武器はありますか?」
「ああん? 銅貨15枚だぁ? おめぇ、そんなはした金じゃ棍棒一本買えねぇぞ」
禿頭の店主は呆れたように手を振る。 だが、今の俺には「武器」が必要だった。森の奥へ行けば、より高く売れる薬草や肉になる獲物がいる。だがそこにはモンスターが出る。 丸腰のままではいつまで経っても万年採取生活、フリーター以下の生活水準から抜け出せない。ここは自分の戦力向上のために投資をするタイミングだと確信している。
「……なんでもいいんです。刃物なら」
「チッ。しょうがねぇな。ほら、そこの樽に入ってるガラクタなら10枚でいいぞ」
店主が顎でしゃくった先には、「スクラップ」と書かれた木箱があった。 中を覗くと、柄が折れた槍や、ひしゃげた盾、そして赤茶色に錆びついたナイフが無造作に放り込まれている。 俺はその中から、一本の短剣を手に取った。 刃渡り20センチほど。かつては軍用だったのかしっかりした造りだが、今は全体が赤錆に覆われ刃こぼれも酷い。しかし銅製の武器ばかりの中で唯一これは鋼鉄製だった。しかし、そのせいで錆は酷いもので、これでは肉を切るどころかパンすら切れないだろう。
「それでいいのか? 鋼鉄だが研いでも使い物にならんぞ」
「構いません。これ、ください」
俺は銅貨を支払い、その「鉄くず」を手に入れた。 店主の哀れむような視線を背中に感じながら俺は足早に街を出た。
***
その日の夜。 いつもの野営地(馬小屋が満員で追い出されたので、森の入り口だ)で、俺は買ってきたナイフと睨めっこをしていた。
「さて、実験といこうか」
手元には、川で汲んできた水を入れた木桶。 その中に錆びついたナイフを沈める。 茶色く濁った鉄の塊は、もはや月の光さえ反射しない。
俺は水の中に両手を突っ込み、ナイフに向けて掌をかざした。 イメージするのは眼鏡屋の店先にあるアレだ。
「……【音響量子】、周波数40kHz、出力調整」
俺の掌から人間には聞こえない領域の超音波が放出される。 キィィィン……という幻聴に近い耳鳴りと共に、桶の水面が細かく波打ち始めた。
――キャビテーション(空洞現象)。 水中で強力な超音波を発生させると、圧力差によって微細な真空の気泡が無数に生まれる。その気泡が弾ける瞬間に生じる衝撃波で対象物の表面に付着した汚れや錆を、物理的に剥ぎ取る、 いわゆる、「超音波洗浄機」の原理である。
シュワシュワシュワ……。 すぐに水が黒く濁り始めた。 ナイフの表面から分厚い赤錆が霧のように剥がれ落ちていく。 こびりついた油汚れも、手垢も、こすることなく分解され、どんどん水中に溶け出していく。
「おー……。予想以上だな」
数分後。振動を止めナイフを取り出す。 そこには先程までのスクラップが嘘のような、鈍い銀色の輝きがあった。 もちろん、刃こぼれが直るわけではない。研磨されたわけでもない。 だが、表面の腐食が完全に取り除かれたことで、鋼鉄本来の地肌が露出している。 指で弾くと、キンッ、と硬質な音が森に響いた。
「これなら……いけるかもしれない」
俺は綺麗になったナイフを握りしめる。 洗浄に使ったこの「振動」。 今度はこれを汚れ落としではなく「切断」に応用したらどうなるか。
現代の工業技術には「超音波カッター」というものが存在する。 刃先に毎秒数万回の微細振動を与えることで、摩擦抵抗を極限まで減らし、対象をバターのように切断する技術だ。 プラスチックだろうが基盤だろうが豆腐のように切れる。
錆びを落としただけの刃の潰れたナイフ。 だが、俺の【超音波カッター音響量子】で振動を与えればそれは名刀すら凌駕する「高周波ブレード」になるはずだ。
俺は期待と少しの恐怖を抱きながら、ナイフを鞘代わりの布に包んだ。 明日の狩りが楽しみだ。
***
翌朝。 俺は森の少し奥、「浅い階層」と呼ばれるエリアに足を踏み入れていた。 狙いはいつもの角ウサギではない。 低ランク冒険者にとっての「壁」とされるモンスター、【ブルボア】だ。
硬い剛毛と皮膚を持つ猪である。 生半可な剣では刃が立たず、弾き返されて突進を食らう。新米冒険者の死亡原因の上位を占める厄介な獲物だ。
「ブモオォォッ!」
探し始めること数時間、狩りは獲物を見つけるまで4~5日かかることもざらにある。なぜならモンスターは襲ってくるが獲物は逃げる。しかし弱者の雰囲気を纏う俺はブルボアから見れば雑魚同然、警戒するに値しないと判断されたようであっさりと遭遇できた。
縄張りを荒らした俺を威嚇する雄たけびを上げながら茂みが激しく揺れ、その巨体が飛び出してきた。 体長は2メートル近い。鼻息と共に地面を蹴り、黒光りする巨体が戦車のような勢いで突っ込んでくる。 速い。 だが、俺の意識は冷静だった。警備員時代、不審者対応の訓練は受けているし、何より「死」を一度経験しているせいか、それともスキルに自信があるのか妙に腹が据わっている。
俺は逃げずにナイフを構えた。 腰を落とし、切っ先を猪の眉間に向ける。 そして、トリガーを引くように能力を発動させた。
「……フォノンドライブ」
ヴィィィィィン!! 俺の掌からナイフへ高密度の振動が伝播する。 ナイフ自体が共振し、高い駆動音を上げ始めた。刃先が高速でブレて視界の中で二重三重に見える。 持っている手の骨が痺れるほどの振動。 これで斬れなきゃ嘘だろ。
次の瞬間、ブルボアが目の前に迫る。 牙が俺の腹を食い破る寸前、俺は半歩だけ横に避け、すれ違いざまにナイフを振るう。 摩擦抵抗は――なかった。
――サクッ スパー…
ブルボアの突進に刃を当てただけだが、まるで空気を切ったような軽さ。 だが、確かな手応えと共に猪は背後へと駆け抜けていた。
「ブ……?」
ブルボアは数歩進んで、急に動きを止めた。 何が起きたか分かっていない様子で、ゆっくりと首を傾げる。 次の瞬間。
ズルリ。
重力に従うように、猪のパックリ開いた脇腹から中身が色々滑り落ちた。 遅れて噴き出す鮮血。 断面は鏡のように滑らかで、硬い皮膚も、太い筋肉も、頸椎や背骨など全てが等しく「切断」されていた。
「……マジかよ」
俺は血糊ひとつ付いていないナイフを見つめた。 高速振動する刃は、血液が付着する暇さえ与えず弾き飛ばしていたのだ。
とんでもなく恐ろしい切れ味。 安物の鉄くずが振動ひとつでエクスカリバーに化けた。
「ふう……」
振動を止めるとナイフは再び刃こぼれした鉄片に戻った。 俺は倒れた巨大な猪を見下ろす。 これ一頭で銅貨30枚どころか、銀貨数枚にはなるだろう。
「これでやっと、まともな飯が食えるな」
俺はナイフを布に包み、少しだけ重くなった足取りで街へ帰ることにした。 魔法がなんだ。 俺には「科学」がある。
ただの警備員だった俺がこの異世界で生きていくための「武器」を、本当の意味で手に入れた瞬間だった。




