五話
ランプに火を灯して、一階の、食卓にしてる机に僕達は向かい合って座った。
「さて……何から聞こうか……」
暖かな色の明かりに照らされた彼女の表情は、さっきよりも緊張の色が滲んでる。
「別に憲兵みたいに取り調べるわけじゃないんだ。そんなに緊張しなくていいから」
「ええ……でも、人間のあなたとこんなふうに話すのは、初めてで……」
「君も人間と話すのは初めてなの? 実は僕もエルフと話すの、今日が初めてなんだ。同じだね……」
これに彼女は愛想笑いを浮かべる。……うーん、もう少し緊張をほぐしたい。
「……そう言えば、まだ名前も聞いてなかったね。僕はファルク・エイステンっていうんだ。君は?」
「私は、トーラ……トーラ・シェラン」
「トーラさんだね」
「トーラでいいわ。あなたに迷惑かけたのに、丁寧に呼ばれる資格なんてないわ」
「そう……じゃあ僕のこともファルクでいいよ。偉そうにするつもりはないから」
ちらりとトーラの目が僕を見る。
「私なんかに、気を遣わないで」
「そんなつもりはないんだけど、ただ、怖がったり不安になってほしくないなと思ってさ」
「それはもう大丈夫。あなたは怖くない、寛大な人間だってわかったから……」
そう言って微笑んで見てくる彼女に、僕の心は小さく跳ねた。……駄目だ。いちいち見惚れそうになる。
「ん? どうかしたの? 気分でも悪く――」
「違うよ、何でもない……じ、じゃあ、話を聞かせてもらってもいいかな」
ええ、と頷いたトーラに、僕はまずこの疑問をぶつけた。
「何度も花を盗んだのは一体なぜなんだ? しかもアイリムだけを狙って……その目的を教えてほしい」
トーラは伏し目がちに答える。
「花を盗んだ目的は、香水作りの材料にするためで、それにはアイリムの花が必要だったの」
それは予想になかったな……。
「香水作り……確かにアイリムは香りの強い花だから、香水には向いてる材料かもね。それだけのために、盗みを重ねてたっていうの?」
「な、何も自分で使うために盗んでたわけじゃないわ。どうしても香水を作らなきゃいけなくて……」
「誰かに頼まれたとか?」
「誰かというか、そういう、慣習で……」
「慣習……?」
うつむいて、何だか言いづらそうにしながらトーラは言った。
「私達エルフは、婚姻の約束をして夫婦になる前に、お互いに手作りの香水を贈ることが古くからの決まりとしてあるの。だから香水はそのために作る必要があって……」
僕の頭は瞬間、真っ白になって停止した。……え? それってつまり――
「……君には、婚約者が、いるの?」
トーラはごく小さく頷く。
「親同士が決めた許嫁がね……だから、香水は絶対に作らないといけないの。でないと相手に迷惑をかけちゃうから……」
へえ、と相槌を打ちながらも、僕は心の中でひどく落胆してた。勝手に一目惚れして、勝手に好きになったのは僕だ。完全に自業自得の感情だけど……当たり前だよね。こんな綺麗な女性に恋人がいないわけがないんだ。恋心を抱いた自分が馬鹿だったんだろう。はあ……短くも幸せな時間だったな……。
「……あの、ファルク? やっぱり気分でも悪いの? 少し中断したほうが――」
「え? ……ああ、ご、ごめん。何かぼーっとしてた。平気だから続けよう……それで、何だっけ」
「許嫁のために、香水を作らなきゃいけなくて、花を盗んだのはそういう目的だったの」
早過ぎる失恋はひとまず忘れて、今は話に集中しないと――僕は停止してた頭を再起動させて質問した。
「……それはわかったけど、花なら他にもたくさんあるだろう? それこそ君達の住む地域にも咲いてるはずだ。山に行けば数も種類も豊富にある。それなのに何でわざわざ僕の家の花を盗む必要があったんだ?」
「花を探してる時に、そこの庭に置かれたアイリムの鉢植えが目に留まったの。……この婚姻の香水作りには一つ決まりがあって、花嫁が作る香水は必ずアイリムの花を使うことが決められてるの。だから他の花じゃなく、アイリムだけを盗み続けてた」
「だとしても、僕の庭から盗む必要がある? アイリムは数は少ないけど、希少というほどの花じゃない。よく探せばすぐに見つかる花だ。盗むほどの価値はないと思うけど」
「いいえ、今はこんなことをしないと簡単には手に入らなくて……四ヶ月ほど前に、ヤーゲンの森で火事があったの。この町の人間は知ってる?」
火事と聞いて、僕は少し前の記憶を探って引っ張り出す。
「……ああ、そんなことがあったね。山にある森だろう? ここからだと距離はあるけど、遠目に赤く燃えてるのが見えてた。確かあの日は風が強い大荒れの天気だったよね」
「ええ。それに加えて雷雲もあって、火事の原因はその雷が落ちたことだったの。火は風を受けて恐ろしい速さで森を焼いていったわ」
「エルフ達の家は大丈夫だったのか?」
「幸い風向きが逆だったから被害はなかったわ。でも森が全部燃えてしまったら生活に大きな影響が出てしまうから、皆で魔法を使って延焼を食い止めたの」
「そうか。エルフは皆、魔法が使えるんだったね。人間にもごく一部で使える人はいるけど、そういう危機的状況の時は本当に頼りになる」
「でもやっぱり、自然の力には敵わないわ。火は森の半分以上を灰にしてしまった。あの後に雨が降ってくれなかったら、森を完全に失ってたかもしれない」
「怪我人とかは? 皆、大丈夫だったの?」
「誰も怪我なく、無事だったわ」
「それはよかった。命を落とさずに済んだのは不幸中の幸いだったね」
「そうだと思う。だけど失ったものは多いわ。果実に薬草に草花……ヤーゲンの森は私達にとって自然の恵みの宝庫なの。食料も薬も日用品も、大半は森から調達してたから、今はあちこちで品物不足が起こり始めてるわ。香水作りで使うアイリムの花も、その一つよ」
この話で、僕はようやく合点がいった。
「火事で焼けて……手に入らなくなったからここに来たわけか」
「焼け残った場所も探したけど、火の熱を受けたのか、どれも枯れてしまってて……仕方なく人間の住む地域まで足を伸ばして探しに行ったの。でも私達の地域と植生が少し違うみたいで、なかなか見つからなくて……」
「アイリムは山奥にある花らしいからね。こっちは平野ばっかりだから」
これにトーラが不思議そうに見てくる。
「あなたは、花に詳しいの?」
「いや、そんなんじゃなくて、母さんの受け売りだよ。植物学者をしててね。昔そう言ってたのを憶えてただけで……庭の花も、あれ、母さんが生前に集めたものなんだ」
「お母様のものだったの? 知らなかったとは言え、私、そんな大事なものを盗んで……」
うろたえるトーラに僕はすかさず言った。
「そんな重く考えないでいいから。花は他にもあるし、僕はそこまで興味があるわけじゃないんだ。欲しい人がいるならあげてもいいって思ってるぐらいで。もしも君が直接そう言って来たら、僕は花をあげてたと思うよ」
驚いた丸い目が見てくる。
「ほ、本当に?」
「ああ。ちょっと勇気を出してくれれば、盗む必要なんてなかったのに」
後悔の念を表すように、トーラは深くうなだれた。
「申し訳ないことをしてしまって……何度謝っても謝り切れないわ」
謝るという言葉で、僕は思い出して聞いた。
「……そう言えば、謝罪の手紙を置いて行ったけど、あれは僕を油断させるための嘘だったの?」
パッと顔を上げたトーラは、慌てた口調で言う。
「ち、違うわ! あれは、本当に謝るつもりで書いたの」
「だけど翌日に君はまた盗みにやって来た。手紙の内容と行動がまるで逆だ」
「事情があって……」
「どんな事情が?」
迷いを見せながらも、トーラは小さな声で話す。
「……手紙に書いたことは、私の本心よ。信じてもらえないかもしれないけど、何度も花を盗んで、自分でも罪悪感を覚えてたの。こんなことはやっぱり良くないって。だからあなたに謝罪の手紙を書いて、もう盗むのはやめるつもりだった。でも……許嫁に、香水作りが全然進んでないことを知られて、早く花を集めろと急かされてしまって……私がちゃんと作ってるって納得させるために、証拠になる新しいアイリムが必要だったの。だから手紙とは逆のことをしなくちゃいけなくなって……あなたを、裏切ることになってしまった」
トーラは肩を落としてシュンとする。
「その許嫁は、火事のせいで花が採れないことを知ってるんだろう? 花婿も香水を作って贈るんだから、作業が進まないのはお互い様じゃないのか?」
「花婿の香水には別の花を使うの。火事の影響を受けなかった花だから、彼のほうは順調に進んでて……遅れてるのは私のほうだけなの」
「でも事情を知ってるなら、急かすなんてことはできないはずだ」
「予定までに作れるか、彼は心配してるのよ。慣習に則った婚姻にしたいみたいで……そういうことにきっちりした人だから」
苦笑いを浮かべたトーラは、疲れたように溜息を吐く――ただ結婚するだけなのに、慣習だ何だと疲れることが多そうだ。人間もそうだけど、それはエルフも変わらないらしい。でも一応、彼女の盗みの理由は判明した。花を盗ったのは香水作りのためで、火事のせいで仕方なく盗んで調達してたわけだ。僕に一言相談するべきだったけど、まあ話したこともない人間相手じゃためらうのも理解はできる。悪質な犯罪でもないし、謝罪と反省の態度もある。これなら警備兵に引き渡す必要はないだろう――そう結論を出して、僕は椅子から立ち上がった。
「……どこへ行くの?」
「ちょっと待ってて」
松葉杖をついて歩き、玄関から庭に出た僕は、アイリムの鉢に咲く花を全部摘み取って再び家の中へ戻った。
「……ファルク、それは……」
握ったアイリムの花を丸い目で見つめてくるトーラに、僕はそのまま差し出した。
「はい、どうぞ」
「私に、くれるの?」
「だって必要なんだろう? それなら使って」
「だけど……」
「事情はわかったから、君のしたことは許すよ。だからこれは君へのただの協力だ」
困惑してるのか、じっと花を見つめて黙るトーラに僕は聞く。
「この数じゃ足りない?」
「足りないなんて、そんな……」
「香水作りにどれだけ使うかわからないけど、ここにある分だけでも持って行って。……だけど、今になって疑問なんだけど、どうして花を全部盗まずに、一輪ずつ盗ったんだ? 一度に多く盗めば手間も危険も少なくなるのに。やっぱりバレないようにしたかったとか?」
「それもあるけど……き、綺麗に咲いてた花だから、ごっそりなくなってたらきっと、育ててるあなたを悲しませてしまうと思って……盗んでおいて、言う言葉じゃないけど……」
目を泳がせながらうつむくトーラに僕は笑いかける。
「花がなくなることより、盗むっていう行動そのものが僕は悲しいけどね。君にはそれに気付いてほしかったけど。でももうそんな真似はしない、だろ?」
聞いた僕にトーラは力強く頷く。
「もちろん。こんなこと、二度とする気はないわ」
「うん。それならいい。じゃあどうぞ」
アイリムの花をもう一度差し出すけど、トーラの手は動かない。
「あなたを困らせたのに、花を貰うなんて図々しいこと……」
「そんなことないよ。君は謝ってくれて、僕は許したんだ。問題はそれで解決した。それと花をあげることは関係ないから」
戸惑い、まだ躊躇するトーラに、僕はいたずらっぽく言った。
「せっかく摘んだのに、このまま枯れさせるなんて可哀想だ。この花の運命は君次第だよ?」
どうする? と目で問うと、トーラは困り顔を浮かべながらも、ゆっくり椅子から立ち上がり、アイリムの花に手を伸ばした。そのまま素直に受け取るかと思ったけど、細く白い手は直前で引っ込んでしまった。
「やっぱり、貰えない。悪いことをした私が、あなたの優しさに甘えてタダで貰うなんて、自分の気持ち的にも許せないわ……」
「僕が許すって言ってるんだから、そんなことは――」
「駄目よ。私には反省が必要なのに、欲しい物を貰うことなんてできない……その花は花瓶に入れて飾ってあげて」
「じゃあ花集めはどうするんだ?」
「どうにかするわ。森の隅まで探しに行けば、案外見つかるかもしれないし……」
トーラはそう言って苦笑いを浮かべる。エルフっていうのは義理堅いんだろうか。それとも彼女がそうなだけなのか……。摘んでしまった花を部屋の飾りにして枯らすよりは、やっぱり香水の材料として活用してもらいたいけど、こう頑なじゃ受け取ってもらえそうにないな。一体どうすれば貰ってくれるだろうか――彼女の言動を思い返しながら、僕はふと思い付いたことを言ってみた。
「……君は、タダで貰うなんてって言ったけど、それじゃあ、花と何かで取り引きするっていうのはどう?」
「取り引き……?」
「僕はこの花を君にあげるから、君も僕に何かくれるなり与えるんだ。それならこっちにも利益があって、君だけ得する状況にはならなくなる」
少し考える素振りを見せてからトーラは口を開いた。
「……あなたにも得があるなら、いいとは思うけど……でも、私は何をあげたらいいの? あなたが喜ぶ物を持ってるとも限らないし……」
「まあ、そうだけど……何だろうな……」
頭であれこれ考えてみるが、今は特段欲しい物なんてない。食料も衣類も雑貨も間に合ってるし、手伝ってほしいこともないよな。掃除、洗濯、部屋の片付けは大丈夫。庭の芝の手入れも、こまめにやってるから必要ない。ほとんど一人で済ませてるから、手伝ってもらうことは何もない――いや、あった。あるじゃないか。たった一つ、彼女に頼めることが。彼女だからこそ頼みたいことが!
「……一つ、思い付いたんだけどさ、聞いてもらっていい?」
「私にどうにかできるものならいいけど……何?」
小首をかしげるトーラを見つめて、僕は言った。
「絵の、モデルになってくれないかな?」
しばしその意味を理解する間があってから、トーラは虚を衝かれたような表情を浮かべた。
「……欲しい物とかじゃなくて、モデル?」
「ああ。僕は絵を描くんだけど、最近はいい題材が見つからなくてずっと描けてなくて……だけど君なら打って付けだと思うんだ。人物画は久しぶりだし、何よりエルフを描くなんて初めてのことだ。君がモデルになってくれれば、飽きずに集中して描ける気がして……どうかな」
これにトーラはどぎまぎしながら言う。
「私なんか、絵に描くほどの題材じゃ……」
「それは僕が決めることだよ。綺麗な君ならきっと――」
「綺麗? 私が……?」
彼女は戸惑い驚く声を上げた――しまった。つい心の声が出てしまった。
「そ、その、一般的に見ても、君は綺麗だと思うんだ。だから、モデルにはぴったりだと……」
「そんなふうに言われたの、初めてだわ……」
照れてるのか、うつむいたトーラは手を握り合わせてモジモジしてる。
「……でも、嬉しい」
恥じらいながらも浮かべた可愛らしい微笑に、僕の心はあっさり射ぬかれた。まずい。心臓の鼓動が鳴りやまない。
「き、君を綺麗に描くし、その自信もある。だから、モデルになってくれないかな……?」
その顔色をうかがってると、トーラはしばらく迷い悩んでるようだったけど、答えを決めたのか、僕の目を見ると控え目に言った。
「……じゃあ、一度だけなら、引き受けるわ」
「ほ、本当に、いいの?」
「ええ……でも、私にも予定があるから、すぐにってわけにはいかないけど」
「もちろん! それは君に合わせるよ。都合のいい日でいいから。いつなら来られそう?」
「そうね、時間が作れそうなのは――」
僕達は日時を決めて、再び会う約束を交わした。そしてトーラはアイリムの花を受け取って、笑顔を浮かべながら帰って行った。その姿を僕は見えなくなっても見送り続ける――はあ、何だか全身がフワフワした感覚だ。彼女をモデルに、まさか絵を描けるだなんて……その興奮で今夜は寝られないかもしれない。




