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花泥棒に恋をする  作者: 柏木椎菜


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3/10

三話

 お茶の入ったコップを片手に、僕はソファーに座って窓から庭を見下ろす。夜空からのほのかな光を受けて、芝や鉢植えの植物達が控え目に輝いてる。でもそこにうごめく影は見当たらない。そんな景色に僕は胸の中で溜息を吐く。

 あの日から彼女はここに現れてない。花を盗んだ後は毎回数日間は開けてたけど、今回は二週間も経ってる。さすがに顔を見られてまずいと思ってやめたんだろうか。諦めてくれたなら、それはいいことだって少し前の自分なら喜んだけど……今はそう思えない自分がいてしまってる。心は正直に、彼女が来ることを待ってしまってる……。

 泥棒に惚れるなんて、自分でもどうかしてると思う。盗んだのが花とは言え、それは犯罪行為で、彼女は犯罪者と呼べる存在なんだ。そんな相手に被害者の僕が恋心を抱くなんて、普通なら考えられない。でも普通じゃない心が生まれてしまったんだ。人生で初めての一目惚れ――こんなに気持ちを動かされた女性はいない。しかも一度見ただけで。花を盗んだ犯人だとわかってるのに、それでも心は求めてしまう。もう一度会いたいと……。

 好きになるべきじゃない相手だけど、心は抑えられない――二つの気持ちが、もう長いこと僕の中でせめぎ合ってる。だから読書どころじゃなくなってしまった。この気持ちに決着をつけないと何にも手に付かない状態だ。お茶を飲んで落ち着いて、どうにか冷静な頭で答えを出そうと思うけど、僕は心底彼女に惚れてしまったらしい。気持ちを消そうと思うほど、それに反発するように想いが強くなってしまう。一日中会えることばかりを夢想してしまう。一目惚れは病気じゃないけど、こんな自分を俯瞰から見れば、ほとんど病気と変わらない気もする。かなり重症なのかも――そう自覚するべきだろうか。

 気持ちが一向にまとまらないまま、無意味でつまらない夜を何日も終えたある晩だった。

 この日も月明かりを浴びながらお茶を飲んで、暗い庭を眺めてた。どうか現れてほしい、いや、静かなままでいいという相反する自分の心の声に振り回されて、答えに迷い続けてた時だった。

「……!」

 それを見つけた瞬間、僕の心臓は勢いよく跳ねた。木の柵の向こうから、フードとローブをまとった人影が近付いて来る――僕は思わず立ち上がった。コップを置き、ソファーにつかまりながら窓際に行き、半分引かれたカーテンに身を隠して様子をうかがう。まさか、本当にまた現れるなんて……!

 目だけをのぞかせて彼女の動きを見る。ほとぼりが冷めたと、また花を盗みに来たんだろうか。だとしたらなかなか度胸のある女性だ。あれだけはっきり顔を見られておきながら、捕まらない自信を持ってるのか。小憎らしいとも思うけど、今の僕は半分喜びも混じってしまう。これが惚れた弱みか。

 柵の戸にたどり着いた彼女は、開ける前にキョロキョロと辺りを見回す。と、その視線が家の二階にも向けられて、僕は慌てて顔を引っ込めた。危ない危ない。見つかるところだった……いや、別に見つかってもいいのか? 前回お互いの顔は見てるわけだし。でも今見つかれば間違いなく彼女は逃げるだろう。今回も花を盗みに来たのかどうか、それを確認するにはもう少し様子を見る必要がある。

 そろりと再び目をのぞかせると、彼女は戸を開けて入って来てた。だがその頭は未だにキョロキョロ動き、足取りも前よりゆっくりしてる。やけに慎重に進んでる。まあ、僕に追われそうになったんだから、警戒するのも当然か。だけどそうまでして来る理由を問いただしてみたいもんだ。こんな危険を冒して、どうして何度も花を盗むのか……。

 忍び足で進む彼女は、やっぱりアイリムの鉢の前で止まると、しゃがんで何やら手を動かし始める――今日も盗むようだ。予想通りではあるけど、何だかがっかりしてしまう。どうにか心を入れ替えてくれないものか。あの美しい顔を見ただけに、その気持ちも強くなる。

 今回も声をかけようかどうか考えてたところで、彼女の動きに変化があった。しゃがんで間もなく、すぐに立ち上がった彼女は、辺りを見ながらさっさと庭を駆け出て、道の先へ消え去ってしまった。もう花を盗ったのか? それにしては手早過ぎるように感じるけど……。

 違和感を覚えた僕は一階へ下り、庭へ出てみる。そしてアイリムの鉢に近付いた。

「何だ、これ……」

 花の様子を見ようとして、その手前に置かれた四角い紙に気付いて、僕はそれを手に取った。薄茶色の封筒……手紙か? 裏も表も、何も書かれてないけど、ここに置いて行ったってことは僕宛てだと思っていいんだよね。封のされてない封筒を開けて、とりあえず僕は中の便箋を取り出した。それを広げると、細く流れるような文字が数行に渡って書かれてる。これ、彼女が書いたんだろうか。品があって綺麗な文字だな……なんて印象を受けつつ、僕は目を通した。


『あなた様のお庭に入り込み、大事に育てられた花を勝手に摘んでいたのは私です。この行為が非常識で、罪に当たることは重々理解しており、心からお詫びいたします。そして私を追って、あなた様を転ばせてしまったことも合わせて謝らせてください。怪我がなかったかどうか、今はそれを心配しております。今後はこのような愚かな行為は二度と行わないと約束いたします。ご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。最後に、手紙での謝罪という非礼をどうかお許しください』


 読み終えて、僕は謝罪文を眺める。これが本心なのか、それとも上辺だけなのかは判断できないけど、でも僕は本心からの謝罪だと受け止めたい。でなきゃわざわざこんな面倒なことはしないだろう。捕まる危険もありながら手紙を置きに来たんだ。そこには反省の気持ちがあったんだと思う。まあ、それなら直に謝ったほうがいいとは思うけど、それはさすがに怖かったのかもしれない。花を盗んだのは出来心……きっとそうだったんだ。転んだ僕のことを心配してくれるような女性だ。根は善人に違いない。信じてもいいだろう。二度と盗まないと約束もしてるし――

「……そうか。もう二度と、現れないのか」

 書かれた文字を見つめて、僕はそれを反すうする。もう彼女に会うことも、見ることもない。これでお別れ……向こうは泥棒なわけだし、こっちのが幸せなことなんだけど、こうして反省する気持ちを見せてくれたなら、僕は許すし、それを伝えたい。でもそれももう無理なんだな……。

 便箋を封筒にしまい、僕は家へ戻った。これからは夜の庭を気にせずに読書ができそうだ。そんな安心感もあったけど、それを上回る残念感が強い。名前も出身も住所も知らない相手……町で捜し回ってもいいけど、それは彼女の迷惑になるだろう。このことで警備兵に突き出されると勘違いして雲隠れさせてしまうかもしれない。それなら動かず、そっとしておくべきだろう。本当、我ながら特殊な女性に一目惚れしたもんだ。

 だが、こんな僕の気持ちを一変させることが起きた。

 手紙を読んだ翌日の夜――二階のソファーで僕は本を読んでた。少しの寂しさを感じつつも、静かで何も起きない時間を過ごすつもりだった。そう、僕の中の予定じゃ何も起きないはずだった。このまま夜が更けて、眠くなって、読書を終えるつもりだった。でも一時目を休ませて何気なく窓の外を眺めてたら、僕はいるはずのない影を見つけてしまった。

「……はあ?」

 驚きやら怒りやら呆れやら、とにかくいろいろな感情が混ざった声が漏れた。手紙を置いてたった一日後……一日だぞ? まさかこんなに早く再会し、こんなに早く裏切られるとは想像すらしてなかった。窓の端から見下ろした暗い庭には、フードにローブ姿の人影が身を低くして並ぶ鉢植えに近付いてる。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。惚れた女性とは言え、手紙での言葉とはあまりに真逆過ぎる行動。さすがにこれは許したくても許せない。僕でも大目に見るのは無理だ。一体あの手紙は何だったんだ? どうしてこんな真似を……いや、別人、なのか? ここからじゃ顔は見えないし、まだ彼女なのかは確定できない。そうだ。まずはそれを確認するべきだろう。

 窓際に立って背中を向けてる人影を見下ろす。鉢の前にしゃがんでゴソゴソ手を動かしてる――昨晩みたいにすぐ立ち去る様子はない。花を盗ってるのか。僕は窓を開け、大きな声をかけた。

「おい、君は手紙を――」

 書いた本人なのか? と聞こうとしたけど、それを言い終える前に向こうは顔を振り向かせると、慌てて立ち上がって、そして後ずさりしながら言った。

「……ゆ、許してください!」

 怯えたか細い女性の声が僕の耳に届いた。この距離じゃ顔ははっきり見えないけど、月明かりに光る白い肌は確認できた。それと手に握られたアイリムの花も。僕がもう一度口を開こうとした瞬間、女性は踵を返して庭から逃げ出して行った。呼び止める間もなく姿はあっという間に暗闇へ消えた。……この逃げ足の速さ、こう何度も見せられると逆に感心してくるな。

 でも胸にはすぐに落胆の気持ちが広がった。どうか別人であれという期待は、彼女の声と言葉を聞いた瞬間に呆気なく打ち砕かれた。初めて聞いた声……弦楽器の音色のように高く、心地いい声だった。こんな状況じゃなきゃもっと喜べたのに、自分で言った約束を破り、また花を盗まれた今じゃ悲しくなってくる。罪を自覚してるのは明らかなんだ。それなのになぜ繰り返すのか……僕にはどうあっても答えを出せない疑問だ。聞こうにも向こうはすぐ逃げてしまう。話を聞かない限り、この答えはわからずじまいだろう。

 窓を閉めて、僕は一階へ下りて庭へ出た。そしてアイリムの鉢を見ると、花を一輪盗られたせいで新たな隙間ができてるのを確認する。それを見つめながら僕は考える。この鉢植えごと移動させて隠してしまえば、きっと花はもう盗まれないだろう。でもそれじゃ本当の解決にはならない気がする。僕が望むのは花を盗られないことじゃない。彼女がもう盗みを重ねないことなんだ。それには彼女が盗み続ける理由を知る必要がある。なぜアイリムの花なのか、なぜ僕の庭からなのか、なぜ繰り返すのか……そんな疑問を問いたださないといけないだろう。

「……やってみるしかないか」

 僕は心の中で決める。こんな足で上手くやれるか自信はないけど、でも彼女から理由を聞くにはそうするしかないだろう。次、庭に現れた時、彼女を捕まえるんだ。絶対に。

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