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花泥棒に恋をする  作者: 柏木椎菜


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一話

 夕食を食べ終えて、僕はいつものようにまったりしようと松葉杖をつきながら階段を上がって二階へ行く。殺風景な部屋の壁際に並ぶ本棚へ近付き、そこから読みかけの本を取り出して小脇に挟む。離れようと視線を動かした時、床に置かれた絵筆や真っ白なキャンバスが目に入って、思わず足が止まった。

「……何か、描きたいけどな……」

 気持ちが口からこぼれた。僕の唯一の趣味は絵を描くことだ。幼い頃から暇があればクレヨンで絵を描いてて、床や壁にまで描いて母さんによく怒られもした。十代になって絵の腕が自分でもわかるほど上がって、ますます熱中した。密かに画家になることを夢見たが、現実はそうもいかない。だから趣味の範囲に収めてるけど、最近は出かけることが少なくなったせいか、描いてみたいっていう題材に巡り合えない。そこいらの物や景色を適当に描いたって何も楽しくないし、何より心が弾まない。絵には自分の心が反映されるものだ。それで描き上げたところで、きっとつまらない出来にしかならないだろう。だから、これだ! っていう題材が見つかるまでは筆を握ることはない。でもやっぱり、長く絵を描けないと手や指先がそれを求めてるのがわかる。早くいい題材に出会えるといいが。

 その空いた時間を埋めるのが読書だ。正直、絵を描くより面白くはない。本当にただ暇を潰すために読んでるだけだ。ここにある本は母さんが生前に揃えたもので、歴史だったり文化史だったり図鑑だったりと、僕とは無縁の小難しい本ばっかりだ。ちなみに母さんは植物学者をしてて、その関係の本が多くを占めてる。絵が好きな僕にとって、どの本も大して興味はない。だけど試しに読んでみると、意外に勉強になりそうなこともあって、まあ暇潰しにはちょうどいい感じにはなってる。

 カーテンが半分引かれた窓際に行き、その側に置かれた一人掛けのソファーに腰を下ろす。松葉杖を肘掛けに立てかけ、膝の上で本を開く。そこに今夜も窓から差し込む優しい月明かりが降り注いでくれる。月がこうして見える日はランプは灯さずに月明かりを頼りに読書をする。たまに夜空や夜景を眺めては静かで落ち着く暗闇に身をゆだね、眠くなるまで時間を過ごす――それが最近の夜の日課だ。今夜もそれに従って、僕は本を読み始める。

 読書を始めて一時間ほど経っただろうか。植物の毒から薬を作り出したという偉人の話を読み終えて、僕は一息入れようと窓の外を眺めた。月の位置は大分移動して、月明かりは本の上部しか照らしてない。でもまだ眠くないし、ランプに火をつけるか――そう思って腰を浮かせた時、視界の隅で何かが動いた気がして僕は動きを止めた。

「ん……気のせいか?」

 窓の外、暗闇が覆う家の前を僕は目を凝らして見下ろす。そこは玄関に面した庭で、庭と道の間には低い木の柵が立てられてる。その向こう側で何かが動いたように見えたんだけど……野良犬か何かか? しばらく警戒の目で見てたが、何も変化はなく、やっぱり気のせいかと気を緩めた瞬間だった。

 外の道から庭へ入るための戸が、ゆっくり開き始めた。それを見て僕は息を呑む。月明かりの下にたたずむ木々の葉はわずかも揺れてない。つまり風で勝手に開いたわけじゃない。誰かが、開けた――僕は瞬きも忘れて開いた戸を凝視した。

 道から庭へ、茶色い塊がゆっくり入って来た。時折止まっては辺りをうかがうように頭を左右へ動かしてる。暗くてもそれが犬なんかじゃないのはわかる。茶のフードとローブを身にまとい、かがんだ姿勢で見つからないように移動する――明らかに人だ。そうわかって僕は焦った。この辺りは治安はいいほうだと思ってたのに、まさか強盗が現れるなんて。家に入られたら、こんな足の僕じゃ撃退もできない。逃げるにしてもここは二階だ。飛び降りて逃げるには少し高い。だが今一階へ下りたら強盗と鉢合わせしかねないし――そう迷ってる間に、ローブの人影は庭の中ほどまで入り込んで来る。いざとなったら怪我を覚悟で窓から飛び降りるか。それまではここに隠れて、強盗に見つからないよう祈ってよう。

 窓の端からわずかに顔を出し、固唾を呑んで見下ろす。身を低くした人影は徐々に玄関へと近付いて来る。鍵はかけてあるはずだ。道具でも使ってこじ開けるつもりなんだろうか。修理代がかかるし、やめてほしいな……なんて思ってたら、人影の動きが止まった。僕は首をかしげる。まだ扉に到達してないけど、どうしたんだ? よく見ればフードを被った頭の向きが玄関じゃなく右のほうを向いてる。……もしかして正面からじゃなく、横の窓から入る気なんだろうか。

 でもその予想も違うみたいだった。人影はゆっくり方向転換すると、向いてた右へ移動し始める。そのまま家の側面には行かず、敷地の境界に立つ木の柵のほうへ近付いて行く。……家に、入らない? 諦めたわけじゃないよね。まだ何にもしてないし。でも他人の家の敷地に入ったからには何かたくらんではいるはずだ。あいつが移動した先にあるのは、花が植わってる大小の鉢植えがあるだけだと思うけど……。

 想像と違う動きをする人影を見続けてると、鉢植えがあると思われる場所にしゃがみ込み、何かやってる様子だった。ここからだと背中側しか見えず、手元は見えない。……何だ? 庭に盗みたくなるような金目の物なんか置いてないけどな。あいつは何をしてるんだろう。

 すると人影はおもむろに立ち上がり、入って来た時とは違い小走りで庭を駆け、道へ出て行く。そしてそのまま暗い景色に紛れて消え去ってしまった。僕は呆然としてその姿を見送った。まさか戻って来ないだろうなという警戒感からしばらく待ってみたが、ローブの人影は現れることはなかった。とりあえず、危険は去ったようだった。

 それにしても、あいつは鉢植えのところで一体何をしてたのか――気になった僕は松葉杖をつきながら一階へ下りて、玄関から庭へ出た。ひんやりした心地いい空気を感じつつ、早速鉢植えのほうへ近付いてみる。

「ひい、ふう、みい……数は減ってなさそうだ」

 庭の片隅に整然と置かれた鉢植えは全部で二十ほどある。そのすべてに植物が植わっており、中には花を咲かせているものもある。毎日水やりをして記憶してしまった景色だから、その中に紛れたちょっとした違和感に僕はすぐ気付いた。

「……あれ?」

 鉢植えを一つ一つ確かめてると、いくつも花をつけてる鉢に目が留まる。それはアイリムと呼ばれる五弁の白い小さな花で、近付くだけで強い香りを感じる可憐な花だ。野生では密集して咲いてることが多いらしく、ここでもそんなふうに植えてあるんだけど、そんな花の中に不自然な隙間ができてた。手を差し込んでよく見てみると、細い茎の途中から折って摘み取られたような跡がある。これは、まさか――

「花を、盗んで行ったのか……?」

 僕は何度も記憶を確かめて、今朝はこんな状態じゃなかったことを確信すると、やっぱり被害を受けたんだという実感を湧かせた。幸い強盗じゃなく、金品も盗まれてはないけど、泥棒には違いない。ただ盗んで行ったのは花一輪。被害は微少だ。怒るべきなんだろうけど、これじゃどうも怒る気が起きない。鉢ごと持って行かれればもう少しそんな気にもなるかもしれないが、小さな花一輪だけじゃな……。

「まあ……今日はもう、寝よう」

 自分の気持ちをどこへどう持って行けばいいかわからなくて、それを考えるほど面倒になった僕は手っ取り早く寝ることにした。目の前に泥棒が現れたことは気分悪いけど、被害はほとんどないようなものだ。こんな気分は早く寝て消してしまおう――気持ちのいい朝を迎えるために、僕は犯行現場を後にした。

 それから二、三日は泥棒のことを気にしてたが、何せ被害は花一輪だ。一週間も過ぎればすっかり怖さも警戒感も薄れ、そんなことがあったことさえ忘れかけ始めてた。そうして毎日、気持ちのいい朝を迎えてたんだけど、盗みに成功した泥棒っていうのは、やっぱりそれに味を占めて繰り返すものなんだろうか。

 この夜も僕は夕食を終えてから、二階へ上がっていつも通り読書をしながらまったりしようとしてた。窓際のソファーに腰を下ろし、今夜も月明かりを頼りに文字を追う。でも今日はあんまり本の内容に没入することができず、集中力の切れた僕は窓の外へ目をやった。綺麗な星空に半月が煌々と浮かんでる。その眩しさから視線をそらし、地上を見下ろす。薄闇に覆われた庭の緑……そう言えばこの間、花泥棒が来たな――なんて頭の隅で思い出してた時だった。

 視界に動くものが見えて、僕の意識は一気にそれに引き付けられた。心臓の鼓動がわずかに速くなる。いや……まさか……。

 動く影は木の柵の向こう側を移動する。しばらくウロウロしてから戸の前で止まると、ゆっくり押し開けた。そして身を低くして庭に入り込んで来る――僕は愕然とした。あの夜とほぼ同じ光景を目の当たりにしてる。動く影はもちろん動物なんかじゃない。茶のフードとローブを着た人間そのもの。同じ格好からして、あの時の泥棒と同一の可能性が高い。だとしたら、今回も花を盗んで行くんだろうか。それとも、前回は小手調べだっただけで、本格的に家の中まで侵入して来るつもりだろうか。僕は窓枠に身を隠しながら、息を殺して泥棒の動きを見張った。

 頭を左右に向けて、相変わらず警戒しながら進んでた泥棒だが、その進路が玄関じゃなく右のほうへそれると、並んで置かれてる鉢植えの前へ向かう――また、花? この泥棒はどれだけ花が好きなのか。

 鉢植えの前でしゃがんだ泥棒は、僕に背を向けて何やらやると、素早く立ち上がり、庭を駆け出てそのまま逃げ去って行った。……金や宝石というものを知らないんだろうか。まあ、この家にそんなものはないけども。とりあえず、欲のない泥棒でこっちは助かるが。

 一応被害状況を確認しておこうと、僕は一階へ下り、庭へ出た。鉢を一つずつ見て行き、異変はないかと見て行くと……見つけた。思わず眉をひそめてしまった。

「同じ花を、盗んだのか……?」

 異変は前回盗まれた花と同じ鉢にあった。小さな白い花アイリム。それが群生するイメージで植えられた中に、ぽっかりと穴が開いたように隙間ができてる。しかも前より大きくなってる気がする。手を突っ込んで確認してみれば、前回摘み取られた花の隣の茎が途中で折られて消えてる。だから隙間も大きくなったようだ。端から盗らず、内側から盗れば気付かれないとでも思ったんだろうか。

 僕はそれを見下ろして考える。この泥棒は何が目的なんだろう。素直に考えてアイリムの花が欲しいだけなら、山へ行けば今の時期、探せば採れるはずだ。数は多くないかもしれないけど、希少と言うほど珍しい花じゃない。さらに言えば、罪を犯してまで盗るような花でもない。そんなものを、どうして盗んでまで欲しがるのか、僕には謎だ。あるいは、単なる花好きなだけだろうか。歩いてたら庭先に綺麗な花を見つけて、部屋に飾りたいから盗りに来たとか? いやでも、それなら鉢植えごと盗んで行きそうな気もするな。日を開けて一輪ずつ盗るなんて気の長いことをしてたら、そのうち花は枯れてしまう。花好きなら元気なうちに盗りたいだろう。うーん、どれもしっくりこない目的だな……いや、目的は花じゃないのか? もしかして嫌がらせ? 育ててる花を盗って僕をがっかりさせようとしてるとか? だとしたら随分地味な嫌がらせだ。気付くかどうかの、あまりに小さい行為。それなら鉢植えを叩き割ったほうが僕への衝撃は大きいだろう。でもそもそも、僕には怒りや恨みを買う相手に心当たりがない。ここは町の中心地から離れてるから近所付き合いもしてないし、人と会ったのも数日前、日用品なんかの買い出しで行った先の店主だけだ。もちろん喧嘩とか険悪な空気になった覚えもない。嫌がらせ目的も、何か違う気がするな……。

「やっぱり、花が欲しくて盗ってるのか……」

 僕は咲き並ぶ花を見ながら、そう結論付けるしかなかった。泥棒の気持ちや考えがまだ理解できない。本当に盗んでまで手に入れるような花じゃないんだけどな。言ってくれれば譲ってあげてもいいぐらいだ。花を含めたここの植物達は僕が好きで育ててるわけじゃなく、母さんが生前集めたもので、亡くなってから処分するのも枯れさせるのも申し訳ない気がして、ただ何となく毎日水をあげてるだけのことだ。だから個人的に思い入れがあるわけじゃない。母さんの形見とも言えるけど、そういうものは家にたくさん残ってるし、僕は植物に興味があるほうでもない。それなら欲しい人にあげたほうが花も幸せに思うだろう。花をいただけませんかって頼みに来てくれれば、僕は喜んであげるつもりだ。でも、ローブの人物は盗むという方法で花を手に入れてしまった。一度犯した罪は取り消せない。こっちの被害は軽くても、犯罪行為を見過ごすことはできない。

 どうにかやめさせることはできないだろうか。取っ捕まえて面と向かって注意するのが一番いいんだろうけど、松葉杖が不可欠な僕じゃ簡単に逃げられてしまう。向こうが暴力的なやつなら返り討ちにも遭いかねない。接触するのは難しそうだ。かと言って町の警備兵に言っても、花を盗まれた程度じゃ真剣に聞いてくれないだろうな。何か注意する方法はないものか――僕は庭を後にして家へ入ると、ベッドの中でそれを考えることにした。

 そして翌朝、一つ思い付いた方法を実行するために、僕は動いた。

「……よし、できた」

 机に向かい、紙の切れ端に書き込んだ文字を確認して、僕はそれを片手に庭へ出る。向かったのは花が盗まれたアイリムの鉢の前。そこに膝を付き、手にした紙の切れ端を土に立つように差した。これなら書いた文字もはっきり見える。僕が書いたのは『盗むな』の一言。シンプルで泥棒にもすぐ伝わる言葉だ。これでやめてくれたらこっちは安心できるけど、さて、あいつはこれを見て自分の良心を優先するのか……しばらく待つとしよう。

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