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宝稀は歩き続けた。
ただただ歩き続けた。
見慣れぬ街並みに心を弾ませ、美しく敷き詰められた煉瓦道をなぞりながら、ひたすらひたすら歩き続けた。
歩き続けて、あるときふと気が付いた。
「……家はどこなの?」
――宝稀は散々歩いて歩いて、漸く自分が家までの道を知らないことに気が付いて静かに愕然とした。
普段は送迎車に乗るばかりで外の景色など気にもしていなかったような気がする。海があるとか、山が見えるとか、その程度の漠然とした記憶はあるのだが、どこで曲がってどれくらいの距離があるのかすべてが曖昧だし、ましてやはっきりとわかる目印も思い出せない。それならばせめて学院への帰り道はどうか。
咄嗟に振り返ると、学院は遙か遠くにある山の向こうにあり、白い校舎の屋根が僅かに鼻先を覗かせている。戻るにしてもその距離はあまりにもあるように感じられて、ブーツで傷む足にはとても気怠い。
防波堤の向こうに見える海は、穏やかな波の遙か遠くで夕日が沈み掛かっていた。
ぽっと、外灯が白い光りを灯した。
辺りを見回すと、仕事帰りの男性や買い物帰りの女性、子供の手を引く母親や杖を突く年寄りが家路に帰る、そんな雰囲気を見せている。
商店街の賑わいは活気があるもののどこか物寂しく、夜のはじまりを教えている。
どうやら宝稀は見知らぬ土地で夜を迎えようとしていた。いつもなら今頃は自室で夕食を食べている時刻だ。そのせいかしきりに空腹を感じて、腹がきゅうきゅうと鳴っている。
煩い腹を撫でると、どこからか醤油の焦げる香りがして、空腹は一層つらいものになったが、困ったことに宝稀は金銭を持っていなかった。
空腹を癒やす手段がなく、更に家に連絡を取る方法もない。そもそも自宅の電話番号を知らないし、更に言えば住所も知らない。
恐ろしいことに帰る手段が何一つないのだ。そうして自分を癒やす術すらもない。
「すごいわ。……私、危機管理能力が最低レベルじゃない。今まで何一つ危機感を覚えなかった自分に感動すらあるわ。疑問すら抱いたことがないだなんて、どこまで平和に暮らしてたの」
人が行き交う商店街の道のど真ん中で足を止めて、宝稀は己の脳天気さに呆れてゆるゆるとかぶりを振った。
暢気な話だが、散々歩いて足は痛いし、酷い空腹だ。なにより先程からずっと気になっているのは、通りすがりの人たちが怪訝そうに宝稀を見ている。
中にはすれ違いざま顔を覗き込むような、いかにも怪しげ感じの人物がいたり、露骨に指を差してひそひそ話をしている者もいて、気丈に振る舞おうとしても心の隅にうっすら恐怖を抱いてしまう。
「……やはりサミットさんの言っていたことは本当のようね」
白蘭女学院は選ばれた女子生徒のみが入れる特別な学校だ。両親が外界から隔絶して、美しい蘭を育てる温室のような学院なのだから、そんな生徒が夜の商店街を一人で歩いていたら悪目立ちもするだろう。
しかし困ったことに宝稀は助けを請う術がなかった。
仮にここで自分が迷子であることと、無一文であることを訴えた場合、善良な市民が助けてくれるだろうか?
「……」
なんだか急に心細くなり、宝稀はよろよろと公園に入った。
猫の額ほどの公園はブランコが二つ設置され、白い外灯に照らされている。その一つに腰を掛けると、どっと疲労感が押し寄せてきて、大きな溜め息が唇から漏れていた。
「……私は無知ね。世間知らずであることすら今まで気が付かなくて、どうにもならない状況になって初めて無力さを知ったわ。……どうにもならないのに」
膝の上に鞄を置いて、ぎゅっと抱き締める。
深く俯くと、心細さに涙が出てしまいそうだが、自身が選んだことだと言い聞かせて宝稀はぐっと耐えた。
「与えられるものだけを素直に受け止めてきた人生ね。……自主性がないのだわ。だから不出来なのだわ」
呟くと、目尻に涙が染みて、宝稀は慌てて指先で拭った。そうしてまた溜め息を一つ零すと、急に目頭が痛くなって、涙の気配がする。
泣くのはいやなのに、体は悲しみに満ちているのだろうか。
「ああ、どうしましょう」
込み上げてくる感情に蝕まれそうになり、脅えながらぎゅっと目蓋を閉じて零すと、じゃり、と砂利を踏みしめる微かな足音がした。
「ねえ。もしかして、迷子なの?」
「――え?」
少女の声に宝稀が咄嗟に頭を起こすと、柵の向こうで紺地のブレサーを来たボブヘアの女の子が心配そうにこちらを見ながら立っていた。
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