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「折角です。今日は歩いて帰ることにします。世間を知るためにも良い機会ですわ」

「それは宜しくありませんわっ」

 サミットさんが驚きに目を見開いて、前のめりで訴えてきた。

「白蘭女学院の生徒は特別なのです。この制服ですぐに白蘭の生徒だと気が付かれてしまうことでしょう。もしそんなことになったら悪者に誘拐されるかもしれませんよ⁉ いえ、誘拐ならまだ良いほうです。もっと、もっと……その、表現しがたいお下品な誘惑やもっともっと恐ろしいこともされてしまうかもしれませんっ」

 お下品と言うとき、少しサミットさんは頬を赤らめて口をもごつかせた。

「ですので、どうか、わたくしの車に乗ってくださいまし! 宝稀さんを危険な目に遭わせるわけにはまいりませんわ。もし最悪な事態にでもなってしまったら、わたくしはおじさまにどのような言い訳をすればいいかっ、それに全校生徒を敵に回してしまいますわっ」

「サ……吉祥寺さん」

 その熱心な言葉に心が傾き掛けていたが、その実宝稀を心配してくれるのではなく、彼女はトラブルに巻き込まれてしまった自分保身のために慌てふためいているのだと気が付いてしまい、す…と気持ちが冷めてしまった。

「ありがとう。でもお気持ちだけ受け取っておきますわ。生憎今の私は冒険したい気分なのです。親の庇護の元、暢気にしているばかりでは人生勿体ないですものね」

 半ば強がりだが、口にしてみると微かな爽快さと高揚を覚えた。

「けれど危険すぎますわっ」

「冒険に危険はつきものです」

 自分はもしかしてほんの少しだけ冒険がしたかったのではないか。

 あの、娘を食材と見る親の視界からほんの少しだけ出て見たくなったのではないか。

「……っ」

 そう思ったら、俄然歩いて帰りたくなった。

 命の期限はあと九日だ。いや、既に八日と半日を切っている。そんな短い時間くらい、やんちゃをしてもいいのではないだろうか。宝稀は強く思った。

 これを不良と呼ぶならば、きっとそうなのだろう。

 けれど宝稀は既に両親から「不要」とされている。落第点を頂いているのだ。きっと許される。

「そう、ヒロシさんのように」

「え? ヒロシさん……?」

 サミットさんが小首を傾げた。

「いえ、なんでもないの。では、ごきげんよう。サ…吉祥寺さん」

「あっ、待ってくださいっ、宝稀さんっ」

 呼び止めるサミットさんの声を無視して、宝稀は車の行ったほうへと歩きだす。

 白蘭女学院では徒歩で通学する生徒は一人もいない。

 学院の生徒数は各学級四クラスのみで、クラスの生徒数も二十人と少なめだ。

 その全員が車での登下校をするため、学級単位で下校時間が少しずつずらされている。それでも駐車場には入りきらない車が列を成していて、学院前の長い揺る坂は高級車の渋滞が起き、白蘭学院の名物の一つになっていた。

 渋滞を横目に宝稀は坂を下り続ける。

 車窓からの運転手たちの視線が痛いが、それはそれで愉しい。

 今の宝稀は自由だ。食材にされる恐怖から解放され、部屋に引き籠もることもない。

 大きく息を吸えば冬の凍てつく空気が肺を隅々まで冷やし、はーっと大きく吐き出せば、白い息とともに鬱々とした感情が躰から出ていく。

 胸がすっと冷えると、気持ちが引き締まった。急に足が軽やかになり、寒さなど一瞬で忘れてしまった。

「すごいっ。なんだ。自由はすぐそこにあるのね!」

 平々凡々は望むところだが、鬱々として淡々とした日常は御免だ。

 平々凡々にだって幸せは必ずあるし、喜びはもっともっとあるはずだ。宝稀の目指すところはそこなのに、どうやら大いに脱線していたようだ。それに気が付いたのは、たった今。

 いつもと違う日常を味わうことで、自分の中の違和感に気が付いてしまった。

「今ならクソババアもちゃんと言えるかもしれないわね。――クソババア!」

 胸の昂りを押さえられないまま声を大きくすると、スーツの男性がすれ違いざまにびくりと肩を弾ませて足を止めた。

「あっ」

 おもわず目が合ってしまい、宝稀は口元を押さえてそそと小走りになった。

「人前で大声を出すのは慣れないわね……」

 昨日は廊下に漏れないように枕に顔を埋めて練習していたが、やはり平常時に大声を出すのは難しいし恥ずかしい。変に裏返ったりしていなかっただろうか。

「でも愉しい! これからは徒歩で通学しようかしら」

 今にも歌いだしそうな弾む感情をほんの少し我慢しながら、宝稀はだらだらと続く長い坂をまっすぐに歩き続けていった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。


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