2章 宝稀の冒険は月曜日よりはじまる
月曜日の朝。
目覚まし時計が鳴るよりも数分早く起床した宝稀は、目を擦り擦り洗面台へ向かい、歯磨きをしたあと温水で顔を洗った。
朝は苦手だ。あくびが止まらない。洗う前に一回、洗ったあとに一回と、止めどなく溢れてきてしまう、それがあくびだ。そんなときの顔は大抵しょぼしょぼとしていて、目も涙でぐしょぐしょだし、到底髪を整える気になんてなれない。
顔を拭いたタオルで涙を拭い、また大あくび。化粧水を付けてまたあくび。
あくび、あくび、あくびの連発だ。あくびをするたび、口の中から魂が湯気のように出てきそうなイメージを思い浮かべてしまう。
そのたびに、出ちゃダメ。と口を押さえるのだが、果たして意味があるのだろうか。そもそも魂が出てくるわけがないと思いつつも、ついつい口を押さえてしまうのだった。
髪を整える前にパジャマから制服に着替えた。着替えると、不思議と眠気が遠ざかるのがわかるので、面倒な作業の前には必ず着替えることにしている。
着替えたあと、再び洗面台で髪を梳かす。
母譲りの蜂蜜色の髪は胸の下まで伸びて、そろそろ腰の辺りまで届きそうだ。
珍しい髪色ということもあり否応なしに目立ってしまい、黒く染めてしまいたい気持ちはあるものの、学院の規則で脱色と着色は禁じられているため仕方なくそのままにしている。
いっそショートヘアにすることも考えたのだが、ヘアスタイルも浮かばないので結局小学生の頃から変わらないままだ。
宝稀は基本自分の容姿を変えることに興味がなかった。
目立つことも本位ではなく、平々凡々が一番だと思っているのだが、父の存在や良家の女性のみが通える学院など、明らかに自身のモットーにかけ離れてしまっている。
それに加えてこの容姿だ。
母譲りの蜂蜜色の長い髪は絹糸のように艶やかでいて、恐ろしく癖がない。
当然寝癖などあるはずもなく、うねりの一つもあればいいものを、見事なまでにストレート。更に適度なコシと張りがあり、髪を結わえるのは丁度いい。
毎朝感心するほどの艶やかな髪は数度解かせば一層輝きを増して、微かに眠気が残る目には少々眩しいほどだ。
風に靡くと髪の一本一本がキラキラと閃光を放つようで、我が髪ながらあまりの神々しさに少々焦る。そういうわけで外出の際は必ず一つ結わえることにしている。
今日は両サイドをそれぞれゴムで結わえて、細いリボンを巻いて縛った。
月曜日は体育の授業がなく、多少下ろしていても靡くことはあまりないからだ。宝稀にとって月曜日は『髪を下ろしてもオーケーデー』になっていた。
これで準備オーケー。と、思った直後に日焼け止めを塗るのを忘れていたことを思い出した。
母譲りなのは髪だけではなく容貌も同じで、容貌に限らず体型も見事の母を模写したかのように良く似ていると宝稀は思う。
慎重は百五十九センチと平均身長なのはまずまずとして、特に何をしているわけでもなく気をつけているわけでもないのに締まるところが締まり、出ているところが出ているし、そればかりか実に形が良い。
自画自賛というより、我ながら引くレベルなのだから他人事のように感心する域だ。
容貌も容貌で、悪意を微塵も感じさせない澄んだ瞳は大きく。睫毛の一本一本までが瑞々しい光沢を付けている。
瞳の色は髪と同じく蜂蜜色をしているのに、そのうえ更に黄金の光沢が見え、まるで琥珀のようだ。
名工が情熱を持って造形したような形の良い小鼻に目鼻立ち。唇はどんなに寒くても桜色を付けて、口を開けば嫌味すら鳥の囀りのように聞こえてしまう。
ここまで来ると自画自賛も甚だしいの極みなのだが、そうでなない。何度も言うが、ドン引きなのだ。
最早、作り込みが強すぎだろう――と。
強すぎどころか、つよつよすぎて、自身でも呆れてしまうレベルになっている。
そこへきて、名前だ。
天樹全能院宝稀――なんて、最強呪文のようではないか。
今日も朝から自分自身への突っ込みが追いつかないが、ノックが聞こえて思考が止まった。
『おはようございます。お嬢様。朝食をお持ちしました』
メイドの声にドアを開けると、ワゴンを運んできた。
「ありがとう。あとは自分でするわ」
「はい。出発は八時半です。お車は玄関の前に」
「ええ。わかってる」
毎日毎日同じ会話をして、終わると宝稀はドアを閉めて鍵を掛けた。
トレイに置かれたクローシュを開けると、卵のサンドイッチと小鉢のサラダ、そして苺ジャムを掛けたヨーグルトがあった。なぜか春から同じメニューが続いていて、一度も変化がない。
「美味しいのだけど、以前は少しずつメニューを変えてくれていた気がするのよね……」
やはり不要と判断された者に対しては、メイドの対応も最低限ということなのだろうか。
「そうね……頂けるだけ有り難いのだわ。感謝して頂きましょう」
はあ……と、今日一つ目の溜め息を零し、ワゴンをデスクの側まで運んでいった。
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