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紅葉の亡霊

作者: 卯月 絢華

某談社に送ろうと思ったけど力尽きたので供養します……。

 最近、物騒な事件が多いと思う。それはこの芦屋という兵庫県の中でも最強に治安が良い街に住んでいても実感している。

 芦屋から一歩外に出る――例えば、神戸や西宮に出ただけでも常にパトカーは赤灯を回しながら止まっている。それだけ、事件はどこでも起きているのだ。

 私は探偵なんかじゃないので、別に兵庫県警のパトカーを見たところで事件に首を突っ込むなんて真似はしないし、ましてや探偵ごっこをやるつもりはない。ただ、私は普通に「ミステリ作家」として生きているだけの人間なのだ。

 ミステリ作家としての私――ペンネームは「卯月絢華(うづきあやか)」といい、アイデアさえ閃けばいつでも小説を書いて出版社に原稿を送っている。

 ロケハンが面倒という理由で小説の舞台はほとんどが神戸か大阪であり、たまに京都を舞台にして小説を書くこともあるが――やはり土地勘が無いので描写が甘い。それは自分でも自覚している。

 そういう訳で、結局神戸や大阪を舞台にした小説を書くことが多い。別にそれで困っていないし、私という才能を見出した溝淡社(こうたんしゃ)も笑って事実を受け入れている。才能を見出したのが溝淡社ということで、デビューのきっかけは言うまでもなく溝淡社でも変人が集まる新人賞を受賞したことだった。

 私は別に「関関同立(かんかんどうりつ)」と呼ばれる関西でも屈指の名門大学を卒業していなければ、その下に位置する「産近甲龍(さんきんこうりゅう)」を卒業している訳でもない。いわば学歴としては凡人に当たる。でも、「どっかの妖怪オタクが好き」という理由だけでその新人賞にチャレンジして、何度も辛い現実を見てきた。それでも、私はその新人賞を諦めなかった。

 結果として、私は――その新人賞を獲ってプロの小説家としてデビューした。ちょうど前の勤務先から「5年目はない」と言われて首を切られたところだったので、私としては(わら)にでも縋る思いだった。

 でも、小説家になったところで本が売れなければ意味がない。実際、私の小説は――売れていないのだ。

 そもそも、ミステリというジャンル自体がありきたりというか頭打ちであり、だいたいのトリックは出尽くしていた状態だった。そんな中でミステリ作家として生きていくのは難しい。

 だったら、「自分の持っている知識を活かしてトリックに活かせばいいじゃないか」と思ったけれども、私が持っている知識は――得意な科目だった化学の知識と、どっかの妖怪オタクの受け売りで得た知識しかない。どうせ、溝淡社から出したところで「どっかの妖怪オタクのパクリ」と陰口を叩かれるだけである。

 そういう訳で、私は――スランプ状態だった。ダイナブックの前に座っても、文字が浮かばない。文字が浮かばないから、小説が書けない。そういう悪循環の下でスランプに陥ってから半年ぐらいが経過しようとしていた。

 あまりにも小説が書けないから、思い切って筆を折ろうと思ったこともあったが、今更筆を折ったところで再就職――というか、就活は難しい。やはり、私は小説家である以上自分の責務を全うするしかないのだ。

 そんな私に出来ること。――無理矢理でもいいから、小説のアイデアを練ることだろうか。そう思った私は、カワサキグリーンのバイクに跨って神戸へと向かっていた。別に神戸に向かったところでアテなんかないし、現実逃避しかできないのは分かっていた。だからこそ、アテのない短距離の旅なのだろう。

 やがて、バイクは三宮に着いた。

 いくらなんでも、三宮じゃ近すぎるので――もう少し遠くに行きたい。そう思った私は半ば廃墟と化したショッピングモールへと行き先を定めた。

 そもそも、ハーバーランドに映画館が併設された巨大なショッピングモールがあるのに、少し西にある和田岬――サッカースタジアムの近く――にショッピングモールを作ったところで客なんて入る訳がない。私はそのショッピングモールがグランドオープンしたフェーズでそう思っていた。

 結局、アクセスの悪さもあって、見込んでいた客の大半はハーバーランドのショッピングモールに取られてしまい、和田岬にあるショッピングモールは常に閑古鳥が鳴いているというか、死の匂いが漂っていた。仮にこのショッピングモールが潰れたとしたら、巨大な廃墟として神戸市民の笑いものにされてしまうのだろうか? そんなことを考えても仕方ないのだけれど、やはり考えざるを得ない。

 相変わらず、和田岬のショッピングモールは閑古鳥が鳴いている。今日は日曜日だけど、人の気配はほとんどなかった。これが未知の疫病――新型コロナウイルス――が流行っていた時期ならまだしも、今は新型コロナなんて言わなくなった。それでも、人が少ないことに変わりはない。まあ、人が少ないというなりにもメリットはあって、書店でゆっくりと本を物色することが出来るのだ。

 私は、書店で色々な本を物色していったが、結局のところ――大した成果は得られなかった。というか、自分の本がこうやってノベルスコーナーに山積みにされているという光景が滑稽(こっけい)である。それだけ、売れていないのだろう。

 書店を後にした私は、適当なファストフード店で食事を取った。――私しか客がいないので、なんだか申し訳ないかもしれない。一応、自分が「卯月絢華」だとバレないようにサングラスはかけているが、多分バイトの兄ちゃんにはバレている。

 ハンバーガーセットを食べ終わって、どうしようかと考えた結果――私はショッピングモールを後にした。どうせ、こんなところにいてもネタは浮かばない。

 *

 芦屋に戻ってきた。――自分は何しに神戸に行ったのか分からない。それなら、まだ西宮のほうがマシだったか。そう思いつつ、私はアパートの鍵を開けた。

 私の部屋は資料という名の本で溢れていて、なんなら本棚からも溢れている。母親曰く「アンタはモノが多すぎる」との指摘を受けているが、改善する気は1ミリもない。というか、改善のしようがない。

 そんな本だらけの部屋を見ながら、私はダイナブックの電源を入れた。――何か書こうか。そう思った私は、適当に小説の原稿を書き始めたが、そんな簡単に書けるはずがない。

 結局、私は――ダイナブックの画面を見ながら頭を抱えた。やはり、自分は小説家として失格なんだろうか。

 仕方がないので、私はテキストエディタのバツボタンをクリックした。

 何も書いていないので、「保存しますか?」というメッセージすら出ない。それから、適当に動画サイトで科学に関する講義の動画を見始めた。小説に関するヒントになれば良いけど、どうせ知っていることばかりだろう。今更、どうにもならないことは分かっていた。

 *

 しかし、講義の内容がつまらないと感じたので――私は途中で動画を停止させた。それなら、まだサブスクで音楽を聴いていたほうがマシだ。

 とはいえ、結局のところサブスクで聴く音楽は昔の曲が多い。それは自分が「古いタイプ」の人間だからそうなってしまうのか。少なくとも、「ニュータイプ」ではない。

 私自身は32年という年月を生きているので、そんなに若い人間ではない。むしろ、これから老いていくばかりである。それでも、こうやって溝淡社に拾われて小説家として活動しているから大したモノである。――もっとも、この半年間は原稿を書く気にもなれなかったのだけれど。

 じゃあ、原稿を書いていない間は何をしていたのかと言うと、正直言って――何もしていない。要するに、鬱病を患っていたのだ。鬱病を患った結果、自傷行為(リストカット)や向精神薬の過剰摂取(オーバードーズ)、酷いモノになると駅のプラットホームへの飛び込み未遂なんてモノもあった。ちなみに、飛び込み未遂に関して言えば、すんでのところで緊急停止ボタンを押されて一命を取り留めてしまった。というか、搬送先の病院でこっぴどく叱られてしまった。当然だろうか。毎日を「死にたい」と思いながら生きている以上、私はいつ死んでもおかしくないし、うっかり自らの手で命を絶つ可能性もある。

 命を絶つ前に誰かに相談すれば良いという意見もあるけど、残念ながら私は友達と呼べる友達がほとんどいない。常に孤独だし、自分でも群れを嫌う性質だと自覚しているから――一匹狼で十分だと思っている。

 それでも、出版社との打ち合わせは行わないといけない。今の時代、パソコンさえあればビデオチャットでなんとかなるのだけれど――やはり自分から「何かを発する」という行為が苦手である。だから、何をやっても上手くいかないのだろう。

 そして、どうやら――ダイナブックに入ってきたメールによると、明日、溝淡社の担当者が打ち合わせの予定を入れてきたようだ。多分、半年以上連絡を寄越してこない私のことを心配しているのか。――仕方ないな。

 ヤレヤレと思いつつ、私は手帳に「13時 ミーティング」と汚い字で殴り書いた。どうせ私しか読まない手帳だから、汚い文字でも構わない。

 予定を入れてしまった以上、明日は動けないな。そう思った私は、今日のうちにできることをやっておこうと思った。――特にやることなんてないんだけど、一応掃除と洗濯ぐらいはやっておかないと。

 アパートの近くのコインランドリーに洗濯物を放り込んで、その待ち時間で部屋の掃除をする。私の住むアパートは、典型的なワンルームタイプなので、部屋の掃除と言ってもしれている。ただ、お世辞にもきれいな部屋とは言い切れないので、適当に掃除機をかけてハウスダストを吸い込んだ。――ああ、ロボット掃除機が欲しい。

 掃除が終わったところでスマホを見るとコインランドリーの取り込み時間だったので、さっさと洗濯物を回収することにした。当然、この時間帯で私以外に利用者がいる訳じゃないから、別に女性用下着の一つや二つぐらい洗濯しても構わないと思っていた。

 しかし、こういう時に限って――男性という先客がいた。これはマズい。

 私は女性用下着が見えないようにコインランドリーから洗濯物を回収して、カゴの中に入れた。当然、男性は洗いたての女性用下着なんか気にしていなかった。どうせなら洗濯物を畳んでからコインランドリーを後にしたかったが、この状況じゃ畳むに畳めない。

 カゴを抱えながらアパートに戻って、私は改めて洗濯物を畳んで収納ボックスの中に入れた。これで一安心。

 洗濯と掃除を終えたことで、私のやるべきことはなくなった。――いや、やはり小説の原稿を書くべきだろうか。私はダイナブックの前で悩んでいた。

 ――いっそ、昔の友人に悩みをぶちまけてみるべきだろうか? そう思った私は、スマホを片手にイチかバチかで友人にメッセージを送信した。

 ――あの、私だけど、覚えてない?

 ――ほら。中学校で一緒だった廣田彩香(ひろたあやか)

 ――もし、このメッセージを読んでたら……いや、なんでもない。

 ――とにかく、久々に声というか、顔が見たくなったから送っただけ。気にしないで。

 とりあえずこれでいいか。どうせ私のことなんか覚えて……スマホが短く鳴った。私は、改めてメッセージアプリを開く。――やはり、友人からのメッセージで間違いなかった。

 ――えっ? ヒロロン? ホンモノ?

 ――それはともかく、よくアタシのことなんか覚えてたわね。

 ――間違いなく、アタシは東田沙織(ひがしださおり)よ。

 ――それにしても、アタシに連絡してくるなんて、どういう風の吹き回しかしら?

 ――気になるから、詳しく教えてちょうだい。

 そう言われたからには、素直に言うしかない。

 ――実は、私……こう見えて、小説家なのよね。

 ――ペンネームは「卯月絢華」っていうんだけど。

 ――でも、やっぱりスランプ状態になると何も書けなくなってしまってね。

 ――それで、沙織ちゃんに悩みをぶちまけようと思ったってわけ。

 既読はすぐに付いた。――早いな。

 ――あっ、「卯月絢華」の小説なら……読んだことあるかも? アタシも結構ミステリとか読むからさ。

 ――っていうか、アタシがヒロロンにどっかの妖怪オタクのこと教えたんだっけ?

 ――それはともかく、小説のことで悩んでるのね。

 ――アタシから言えることは限られてるけどさ、思ったことを小説として書いていけば売れると思うけど? まあ、そんなに悩まなくても……。

 東田沙織からのメッセージを読んでいると、自然と目に涙が浮かんでいた。――やはり、思ったことを書いていけばいいのか。そう思った私は、素直な気持ちで原稿を書いていくことにした。

 *

 しかし、東田沙織という友人からアドバイスをもらったところで原稿が書けるとは限らない。書いていた小説の原稿用紙は10枚でストップしてしまった。これ以上、書けるのだろうか……。

 そう思ってスマホの時計を見ると、時刻は午後10時を少し過ぎようとしていた。――すっかり、時間を食ってしまったな。いい加減寝ないと。

 とりあえずシャワーを浴びて、髪を乾かし、そして――白湯(さゆ)で睡眠剤を流し込んだ。こうしないと眠れないのだ。

 ベッドに入って、しばらくスマホを触っていたけど、気がついたときには意識を失っていた。当然、どんな夢を見たかは覚えていない。

 翌日。私はスマホのアラームで意識を覚醒させた。――午前6時30分か。

 いつも通りコーヒーを沸かして、いつも通りパンを焼いて、いつも通りそれを食べる。それがここ数年の朝のルーティンとなっている。

 私はテレビを持っていないので、情報収集はもっぱらスマホとダイナブックに任せっきりである。別にそれで不便を感じている訳じゃないし、テレビなんかなくたって人間は生きていける。

 相変わらず、ニュースは大小様々な事件で溢れている。日本は「平和ボケしてる」なんて言うけど、貧富の差が激しくなった昨今は金目当ての殺人事件が頻繁に起きているような気がする。それだけ、今の世の中は窮屈なんだろうか。

 実際、私も「窮屈だ」と感じている方だけど、だからって犯罪に手を染めたりはしない。ちゃんと法の下にあるレールの上を正しく歩いていくしかない。ましてや、殺人なんてもってのほかだ。

 そんなことを思いながら、私は小説の原稿を書きつつ溝淡社とのミーティングを待つことにした。午後1時――13時まで、少し時間があるな。まあ、そのうち時間は来るだろう。

 *

 原稿を書いているうちに、ミーティングの時間が近づいていた。一応、ビデオチャットを介して行うという(てい)を取らせてもらったので、カメラを準備してチャットルームへと入室した。――私以外、まだ誰もいない。時刻は午後12時50分だから、そろそろ誰か来ていてもおかしくないんだけど。

 しばらく待っていると、入室を知らせる通知音が鳴った。――ああ、見慣れた顔がそこにある。私の担当者は話す。

「卯月先生、久しぶりです。――僕です、溝淡社文芸第三出版部の野田恵介(のだけいすけ)です。最近、先生から原稿が上がってこなかったので心配していました」

「そうですか。――お察しの通り、原稿は真っ白というか、ほとんど書けていません。一応、形になるように書いていますが……やはり、どうしても先行作品に似てしまう。早い話が『どっかの妖怪オタクのパクリ』になってしまうんです」

「どっかの妖怪オタクのパクリですか。――確かに、卯月先生は、どっかの妖怪オタクに憧れてその新人賞の門を叩いた。それは僕も知っています。それで、結果的に彼のような怪奇小説を専門として書いていると。でも、妖怪小説というジャンルは彼の専売特許ですからね……。心中お察し申し上げますよ」

「こんな私に、小説家として生きる道はあるんでしょうか? 正直言って、今の自分が分からなくなってしまいます」

 私はそう言ったけど、野田恵介は――笑った顔を見せている。そして、私に対してねぎらいの言葉を投げかけた。

「大丈夫ですよ。なんとかなりますって」

 なんとかなるのか。――そう言われると、やっぱり書かざるを得ない。

 野田恵介という理解者のお陰で、どん底の淵にいた私のメンタルは少しだけ復調した。――書いてやろうじゃないか。

 *

 それから、しばらく野田恵介と話をしていた。話の内容は、仕事の話からプライベートな話、ちょっとした恋愛相談まで多岐に渡っていた。というか、恋愛相談を出版社の担当者に持ちかけるなんて、我ながらどうかしている。

「――それじゃあ、これで失礼します。原稿、がんばってくださいね?」

 そう言って、野田恵介は私の画面上から消えた。ビデオチャットの画面には「ご利用ありがとうございました」という無機質なメッセージだけが残されていた。

 そのメッセージを確認したところで、私はビデオチャットのバツボタンをクリックした。

 そして、テキストエディタを起動したうえで、早速――小説の原稿を書き始めた。何もやらないよりは、何かやったほうがマシだろう。

 一応、小説のあらすじとしては――「売れない小説家が取材先で妖怪の仕業としか思えない怪奇現象に巻き込まれて、それを持ち前の頭脳で解決する」といった感じである。

 事件解決に際して古本屋兼陰陽師や残念なイケメンの名探偵が絡んでいないだけでも、どっかの妖怪オタクとの差別化は図っているつもりだが――やっぱり、どうしても構成が似てしまう。故に、私は頭を抱えていた。

 頭を抱えつつ、適当に鳥山石燕(とりやませきえん)の『画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』(文庫版)をめくった結果、題材とすべき妖怪は――これか。

 この妖怪は、まだどっかの妖怪オタクもネタにしていなかったはずである。――そこには「紅葉狩」という女の絵があった。

 紅葉狩という妖怪は、その名の通り「紅葉狩りの際に現れた鬼女」の姿をしていた。

 鳥山石燕の説明文曰く「余五(よご)将軍(しょうぐん)惟茂(これもち)、紅葉がりの時山中にて鬼女にあひし事、謡曲(ようきょく)にも見へて皆人のしるところなれば、ここに(ぜい)せず」と書かれていた。

 そういえば、とあるゲームにおいて紅葉という鬼女は「()()()()()()()()()()()()()()()姿()」で描かれていたか。もはや鬼ですらない。

 そんなことを思い出しつつ、私は「紅葉狩」という妖怪を題材にした小説を書こうと思っていたのだけれど……スマホが鳴っている。

 着信の主は、東田沙織だった。――わざわざ、通話アプリで連絡してくるなんてどういうことなんだろうか?

 仕方がないので、私は通話ボタンを押した。

「――もしもし? 沙織ちゃん? メッセージじゃなくて電話を寄越してくるなんて、一体どういうことなの?」

「実は、ヒロロンに頼みたいことがあって……。例えばの話だけど、ヒロロンってさ、『鬼女伝説』とか信じるタイプ?」

 あまりにも突発的な話なので、私は――思わず困惑した。

「急に言われても、それがどうしたのよ?」

 私の困惑を察したのか、東田沙織は事情を詳しく説明してくれた。

「確かに、ヒロロンが言う通り――急に言われても困惑するわね。まあ、要するに『鬼女の祟り』としか思えない殺人事件が発生したのよ。事件現場は京都北部にある大きな屋敷でさ、アタシはオカルト系のインフルエンサーとしてその事件を追ってたって訳。えーっと、屋敷の主は『桂蘭丸(かつららんまる)』という小説家で、彼自体は大阪に住んでるんだけど、執筆拠点というか、別荘として京都に邸宅を買って、邸宅に対して『紅葉館(もみじかん)』って名付けたのよ。――悪い話じゃないとは思うけど」

 桂蘭丸か。――名前は聞いたことあるな。確か、新進気鋭のミステリ作家で、溝淡社の文芸第三出版部でも「新世代のスター」として期待されていたか。別荘買えるぐらい稼いでいるって、私よりもよっぽど売れているじゃないか。

 若干、桂蘭丸という存在に嫉妬しつつも、私は東田沙織の要求を――受け入れることにした。

「いいわよ? それで、場所は京都北部のどの辺なのよ?」

「舞鶴から少し山の方に入ったところだったかな? 後で詳しい地図はスマホに転送するから」

「分かったわ。――バイクでそちらに向かわせてもらう」

「ホントに!? 助かるわ。――アタシも、今から向かおうと思ってたところよ。アタシは大阪に住んでるから、『紅葉館』に向かうまで少し時間がかかるかもしれないわ」

「私も芦屋住みだから、少し時間は要するわね」

 私がそう言ったところで、東田沙織は――思わず声を漏らした。

「マジ!? ヒロロンって、芦屋に住んでんの!? 羨ましいわね……」

「いや、芦屋と言っても……別に、高級住宅街に住んでる訳じゃなくて、阪急の駅の近くの古びたアパートなんだけど」

「――そうなの。ちなみにアタシは大阪市の南部、つまり長居に住んでるわね。なんなら、マンションのベランダからゴラッソ大阪のホームゲームが普通に観戦できるわよ?」

「なるほど。――それはそれで羨ましいよ。まあ、私は昔から川崎フロンアーレのサポーターなんだけど。地元のビクトリア神戸ですらないわ」

「コホン。――ともかく、アタシは明日『紅葉館』に向かうから、ヒロロンも来てくれるかしら?」

 質問に対する答えは――言うまでもない。というか、このネタが分かる人間は少なくなっている。

「要するに、『いいとも!』って言えばいいんでしょ? かつてのお昼の国民的番組じゃないけどさ」

「じゃあ、そういうことで。あとはヨロシク」

 そう言って、東田沙織は終話ボタンを押したらしい。――ツーツー音だけがスマホ越しに鳴り響いている。

 それにしても、東田沙織という人物は――自由人である。確かに、彼女は自由奔放な性格であり、なんというか――こんな私に対しても優しく接してくれていた。彼女曰く「ヒロロンは頭が良いからそんな自分のことを卑下しなくてもいい」とフォローしてくれていたが、私はそれをやんわりと拒絶していた。とはいえ、好きなアーティストは互いに同じだったし、どっかの妖怪オタクという存在を私に教えてくれた張本人は東田沙織なので、その点に関して言えばやはり感謝している。――まあ、中学校を卒業してから疎遠にはなっていたのだけれど。

 しかし、小説に行き詰まった挙げ句ヤケクソで彼女に対して連絡を取った結果――事態は思わぬ方向へと舵を切った。それが良いかどうかは分からないけど、少なくとも今の私にとっては良い方向に進んでくれることを祈るしかない。

 そんなことを考えながら、私はサブスクでhitomiの曲を適当に垂れ流していた。――ああ、この曲は東田沙織と友人になったきっかけの曲だったか。再生画面には『IS IT YOU?』という曲名が表示されていた。

 *

 翌日。私はバイクに跨って京都縦貫自動道を北に進んでいた。――目的地は舞鶴って言ってたな。

 東田沙織からスマホに転送された地図を頼りに、私は「紅葉館」の方へと向かう。舞鶴と言っても、ほとんど山の中なので――海は見えない。

 やがて、森の中に巨大な建造物が見えてきた。これこそが――「紅葉館」なのか。

 私は、その巨大な館に気圧(けお)されつつも――バイクを停めた。東田沙織はまだ来ていない。こんな場所でスマホを使おうにも、圏外だからどうしようもない。ここは、大人しく彼女を待つべきか。

 数分待って、黄色いアウディが私の目の前を横切った。ナンバープレートには「大阪」と刻印されている。――東田沙織の車で間違いない。

 黄色いアウディが停車したことを確認して、私はドアから出てきた彼女と話した。

「――沙織ちゃんで間違いないよね?」

「間違いないわ。アタシは紛れもなく東田沙織よ?」

 白いトレンチコートに、切りそろえられた長い黒髪。それは間違いなく東田沙織という人物だった。

 彼女は、私の姿を見ながら話を続けた。

「相変わらず、中学校の頃から変わってないわね?」

 現在の私の姿は――黒いショートボブに、黒いライダースジャケットを袖に通している。お世辞にも乳房は平均的な女性のソレよりも平らなので、言ってしまえば「まな板」である。故に、子供の頃は「ボクちゃん」という風に男の子に間違えられることもあった。今でも、こういう出で立ちなので、男性に間違えられることはあるのだが、明らかに子供の頃よりは女性だと認知されるようになった。ただ、声の温度は女性にしては低い方だと思う。

 そんなくだらないことを考えつつ、東田沙織は話す。

「――とりあえず、詳しいことはこの館の中で話すわ。ちなみに、桂蘭丸自身は殺害されてないわよ?」

「それはそうでしょうね。――じゃあ、中に入らせてもらうわ」

 そう言って、私と東田沙織は館の中へと入った。

 館を案内してくれたのは、やはり桂蘭丸本人だった。なんというか、桂蘭丸という男性自身は好青年といった感じであり、溝淡社が一目置いているのもなんとなく分かるような気がした。

 応接間に通されたところで、彼は話す。

「一応、事件解決のために東田さんだけ呼んだつもりだったんですけど……まさか、卯月先生まで来てくれるなんて思ってもいませんでした。僕、こう見えて卯月先生のファンなんですよ」

 後輩にそう言われたら――謙遜するしかない。私は謙遜した。

「いえ、とんでもありません。私はただの売れない小説家ですよ? それに、私よりも桂先生のほうが売れているじゃないですか」

「それはそうですね。――でも、僕は卯月先生に憧れて溝淡社文芸第三出版部の門を叩きましたからね。何も悪いことばかりじゃないと思いますよ?」

「そうですか。――分かりました」

 それから、桂蘭丸は話を本題に持っていった。

「えっと、『鬼女の祟り』の話ですよね。最近、この館の周りで『明らかに人間の手による犯行ではない遺体』が相次いで見つかっているんです。最初の被害者は『佐川真樹(さがわまじゅ)』という女性で、遺体はズタズタにされた状態で森の中に放置されていました。2人目の被害者は『黒根大和(くろねやまと)』という男性で、彼は溝淡社における僕の担当者だったんです。でも、原稿の送付を依頼したその日に――無惨な姿で斬殺されていました」

 私は、被害者の名前を見て――余計なことを考えていた。

「佐川に大和……いや、なんでもありません。ちなみに、ネット通販の運送業者は下請けの宅配会社が請け負っているみたいですね」

 余計なことに対して、東田沙織も思うことがあったらしい。

「確かに、ヒロロン……じゃなくて、卯月先生が言う通り、『佐川』に『大和』って言えば、運送会社が真っ先に浮かびますよ。犯人は名前だけで判断して2人を殺害したとか? でも、それって事件としてはありきたりですよね?」

 どうやら、桂蘭丸自身もほぼ同じことを思っていたようだ。

「僕もそう思いますよ。――だって、普通の人間にとって『佐川』と『大和』って言えば、そっちの方面を思い浮かべるじゃないですか」

 あまりにも話が平行線を辿るので、私は頭を抱えた。

「うーん……。でも、『運送会社の名前』以外に共通点があるのでしょうか? 私はそうとは思わないんですが」

 私がそう言ったので、東田沙織が反応した。

「そうとは思わない? ――ああ、なるほど。確かに、偶然にしては出来すぎてるわね?」

「偶然ねぇ……。『偶然が必然になる』なんて言葉もあるぐらいだし、そこは冷静に考えるしかないと思いますけど……」

 その後も、私と東田沙織は桂蘭丸と話をしていたが、これと言った手がかりを得ることはできなかった。

 一通り話を終えたところで、私と東田沙織は客室に通された。――まるで一流ホテルのようだ。

 桂蘭丸が、客室を案内してくれた。

「――客室はこちらです。念の為に、東田さんと卯月先生には相部屋を使ってもらおうと思っています」

 東田沙織の答えは、当然のモノだった。

「そのほうが、アタシも安心できるわ。まあ、ヒロロンが『鬼女』であるとは考えてないけど」

「私を犯人だと疑ってたの? そんな訳ないじゃん。そもそも、この事件を持ち出してきたのは沙織ちゃんの方じゃないの」

「えへへ。――まあ、ヒロロンとゆっくり話もしたかったし、ちょうど良いわ」

「ということだそうです。――桂さん、後のことは私と東田さんに任せてください。この事件は、ちゃんと解決させますから」

 私がそう言うと、桂蘭丸は――ニッコリとした顔で喜んだ。

「ありがとうございます! よろしくお願いしますね」

「こちらこそ。――溝淡社の同僚として、この事件を解決しないといけないような気がしただけですから」

「そうですよね。――それじゃあ、僕は小説の執筆があるのでこれで失礼します」

 そう言って、桂蘭丸は踵を返した。――客室には、私と東田沙織だけが残された。

 念の為にダイナブックは持ってきていたので、私は、とりあえず――ここまでの経緯をまとめた。

 前提として、「佐川真樹」と「黒根大和」という2人の男女が殺害されていて、それらは「鬼女の祟り」による犯行ではないかと推測されている。それはこの館が「紅葉館」という別称で呼ばれているからであり、桂蘭丸は一連の事件を「鬼女紅葉」の伝説に見立てただけの話である。

 だからこそ、私は改めて『画図百鬼夜行』の「紅葉狩」のページを見る。「紅葉狩」と描かれたページには、紅葉の木の下に、美しい女性の姿が描かれているけど、その女性の正体は鬼であり――つまり、「鬼女」ということである。

 仮に、この事件が鬼女の仕業だとしたら、やはり桂蘭丸は容疑者から外れるのだろうか? ちなみに、私は東田沙織が事件の犯人だとは1ミリも思っていない。――というか、大事な友人が事件の犯人だったら、それこそ裏切られた気分になってしまう。つくづく思うけど、友達は大切にしないといけない。

 そんなことを思いつつ、私は東田沙織と話した。

「――ねえ、沙織ちゃんはこの事件についてどう思ってるの?」

「うーん……。アタシとしてはやっぱり『桂蘭丸による自作自演』を疑ってるわよ? でも、アタシはどこかで彼にアリバイというか、不在証明があると思ってる。それは紛れもない事実よ」

「そっか。――分かった」

 *

 話をしているうちに、桂蘭丸が私たちを呼んだ。――どうやら、夕飯の支度ができたらしい。

 食堂には、桂蘭丸の他に3人の来客があった。

 3人は、それぞれ自己紹介をしていく。

「えーっと、私は西濃瑞希(にしのみずき)と言います」

 西濃瑞希と名乗った女性は、どうやらジャーナリストとして「鬼女伝説」を追っているらしい。彼女の見た目は、華奢な体で首からカメラをぶら下げていた。

 次に、恰幅の良い男性が自己紹介をする。

「私は福山将臣(ふくやままさおみ)と言います。一応、職業は『妖怪オタク』とでも言ってやって下さい。――真面目に話すと、立志館大学で民俗学の研究をやっている教授ですね」

 最後に、チャラそうな男性が自己紹介をした。

「俺は本木雄星(もときゆうせい)だ。職業は――動画配信者だ。ここら辺で『鬼女』の目撃情報が寄せられたから、わざわざ東京から来てやっただけの話だ」

 自ら「動画配信者」と名乗っているだけあって、本木雄星はなんか性格が悪そうだと感じた。同じインフルエンサーである東田沙織とは大違いだ。というか、普通のサスペンスなら「真っ先に死ぬだろう」と思った。

 それぞれの自己紹介が終わったところで、私たちは夕食に口をつけた。舞鶴という土地柄なのか、その日の食事は魚を主食としたムニエルが出された。――多分、連子鯛のムニエルだったと思う。

 桂蘭丸曰く「メイドとコックは僕が雇った人間で、事件には関与していない」と言っていたので、多分――事件の犯人がいるとしたら、この3人の誰かなのだろうか? 私はそう思った。

 連子鯛のムニエルを食べつつ、本木雄星は話をする。

「俺、こう見えて動画配信サイトで『1億回再生』の記念品をもらったことがあるんだぜ? 確か、金色の盾と副賞として100万円をもらったかな。俺はオカルト動画の配信をメインにやっていて、いつか『紅葉館』は取材してみたいと思っていたんだ。だから、俺としては今回の取材は悲願だったんだぜ?」

 私は、その話を――軽く聞き流していた。そして、鼻で笑った。

「ふーん。――すごいわね」

「いや、リアクションが薄いな!? 今どき、テレビよりも動画配信サイトの時代なのに」

「それはそうだけど……動画配信サイトの情報が正しいとは限らない。それは分かってる?」

 私の話に対して、東田沙織も同調した。

「ヒロロンの言う通りよ? 確かに、今はテレビよりも、表現の規制が緩い動画配信サイトの方が人気になりつつあるのは事実だけど、間違った情報まで拡散されてしまう危険性を(はら)んでるのが動画サイトのデメリットよ? それはアタシが良く知ってるわ」

「そ、そうっすか……サーセン」

 改めて思うけど、私は――本木雄星の態度の悪さが気になった。なんというか、「人を見下したような態度」が癪に障る。それは、西濃瑞希も思っていたらしい。

「――あの、失礼を承知で言いますけど、本木さんの態度はもう少し改めた方が良いと思います。いくら動画配信サイトのインフルエンサーと言っても、節度を持ったほうが良いかと……」

 私たちの話に、福山将臣も割って入った。

「まあまあ、私の教え子たちにもそういう『動画配信者』と呼ばれる人間はいますけど、確かに本木君よりは態度が良いと思います。――やっぱり、そういう趣味を生業にしているからには、態度を改めた方が良いと思いますよ?」

 流石に、立志館大学の教授に言われると本木雄星も折れるかと思ったが――逆に、舌打ちをしていた。

「――チッ」

 私は、その様子を見て――食べていたムニエルの味が不味くなった。とはいえ、味付けが悪いわけじゃなくて、ギスギスした雰囲気がそうさせているだけなので、特に調理方法に問題がある訳ではなかったのだけれど。

 *

 ギスギスした雰囲気を残しつつ、食事会はお開きになった。

 当然、真っ先に部屋に戻ったのは本木雄星だった。彼は食後のコーヒーとフルーツの盛り合わせをキャンセルしたうえで自分の部屋に戻ってしまった。

 仕方がないので、残された私たちでコーヒーとフルーツの盛り合わせを頂くことにした。

 盛り合わせの内訳は――ブドウとマスカットとパイナップル、そしてリンゴが皿に盛られていた。フルーツの盛り合わせを食べつつ、私は東田沙織と話す。

「それにしても、本木雄星とかいう動画配信者は本当に態度が悪いよね。――私、食べていたムニエルが不味くなっちゃったよ」

「そうね。いくらインフルエンサーと言っても、態度は考えないとダメね。それはアタシが身を持って知ってるわよ?」

 それはそうか。――私は、彼女の言葉に納得した。

 フルーツの盛り合わせを食べ終わり、コーヒーも飲み終わったので、私と東田沙織は客室へと向かった。そして、タオルと石鹸セットを持って浴室へと向かった。こういう時、裸の付き合いというのは――意外と重要かもしれない。

 浴槽に入りながら、私は東田沙織と話をする。

「それで、どうして沙織ちゃんはインフルエンサーなんかになったの?」

「うーん、気まぐれかしら? アタシ、元々心斎橋のアパレルショップで働いてたんだけど、やっぱり『自分のやるべき仕事はコレじゃない』って思ってね、数年前に職場を辞めたの。今どき、スマホとパソコンさえあれば誰でもインフルエンサーになれるからさ、アタシは――どっかの妖怪オタクの小説に感化されてオカルト系のインフルエンサーになったってわけ。まあ、チャンネル登録者数は雀の涙程度だけどさ」

「雀の涙? どれぐらいなの?」

「大体1000人ぐらい?」

 それは雀の涙とは言わないじゃないか。私はそう思った。

「雀の涙どころか――ダチョウの涙ぐらいあるじゃん」

「アハハ、そういう比喩(ひゆ)をしてくれるのはヒロロンぐらいよ? 正直言って、インフルエンサーやってるだけでも赤字なんだから。企業からサンプル品をもらって宣伝するならまだしも、アタシがやってることって、ただのオカルトに関する考察なんだから」

「――そっか。まあ、気が向いたら私も沙織ちゃんのチャンネルを登録してあげるけど」

 そして、東田沙織は――私の腕の傷痕を見て、話題を変えた。

「――ヒロロン、もしかして自傷行為の常習者なの? 酷い傷痕だわね」

「いや、これは……飼ってる猫ちゃんが……」

「言い逃れをしても無駄よ。ヒロロンが傷つきやすい性格だってのいうはアタシが一番知ってるつもりだけど、そこまで精神的に追い詰められてるなんて思ってもいなかったわ。――まあ、詳しい話は客室で行いましょ? こんなところで話しても、気まずいだろうし」

「なんか、ごめん……」

 そう言って、私と東田沙織は浴室を後にした。

 *

 客室に戻ったところで、東田沙織は改めて私に話す。

「なるほどねぇ……。大学で就活していた頃から自傷行為や向精神薬の過剰摂取を頻繁に行うようになって、駅のプラットホームに飛び込もうと思ったこともあったと。その度に警察や病院に怒られて、『こころの相談ホットライン』のチラシをもらっていたと。――どうして、もっと早くアタシに言ってくれなかったのよ?」

「私の醜い姿を見て、沙織ちゃんが悲しむと思ったから……」

「そんなことはないわ。アタシだって、立志館大学に通ってた頃は毎日が辛かった。こう見えて、理工学部だったからね。――もっと楽な学部を専攻すれば良かったって後悔してるわよ? ところで、ヒロロンって大学はどこだったの?」

「当初は立志館大学か同命社大学に進路を定めてたけど、『今の実力じゃ中退せざるを得ない』って言われちゃって、結局――『関関同立』や『産近甲龍』よりもかなり格が落ちる武庫之荘大学だったの。まあ、尼崎の大学だったからアパート選びには困らなかったけど」

「武庫大かぁ……アタシは悪くないと思うけど?」

「そう言ってくれるだけ、ありがたいと思う」

 まあ、結果として――私は武庫之荘大学時代にメンタルをやられて、就活でも碌な成果が出せなかった。ただ、それだけの話である。

 そもそも、私は最初から芦屋に住んでいた訳じゃないし、東田沙織も最初から長居に住んでいた訳じゃない。――子供の頃は、兵庫県の北部に位置する「豊岡」という田舎町に住んでいた。昔の豊岡は、それなりに田舎町として繁栄していたんだけど、ちょうど高校に進学したフェーズで、急激に衰退していった。豊岡という田舎町が衰退した要因は、人口減少や住民の高齢化もあるんだろうけど、間接的にリーマン・ショックから端を発する不景気も影響しているんだと思う。

 かくいう自分も、大学に進学したフェーズで「二度とこんな田舎町に戻ってやるもんか」と思い、神戸市内での就職を目標としていた。しかし、東日本大震災や政権交代による経済の混乱もあって、碌な就職先が見つからなかった。神戸が本社のカーナビ製造会社からお祈りメールを受け取ったことを契機として、受け取ったお祈りメールの数は約30社にも及んだ。

 お祈りメールを受け取る過程で私の心は徐々に壊れていき、気づいた時には自傷行為や向精神薬の過剰摂取に手を染めるようになり、就活の締切ギリギリでようやく就職できたブラック企業も5年で退職。次の職場として選んだWebデザイン会社も5年で首を切られた。そういうタイミングで、私は――溝淡社に拾われた。運が良かったといえばそれまでだが、そこで私はようやく「廣田彩香」ではなく「卯月絢華」として第2の人生を送るようになった。

 そういう事情を説明したところで、東田沙織は――納得してくれた。

「大変だったのね。――でも、お陰様で小説家として生きているんだから、人生捨てたもんじゃないと思うわ」

「なるほど。――でも、私……」

 言葉に詰まりつつ、私は東田沙織にある話をしようと思っていた。その時だった。

 ――ドン!

 鈍い音が、聞こえた。

 私は思わず東田沙織に「音の正体」を尋ねた。

「今の音、何だと思う?」

 当然だけど、彼女の答えは――曖昧なモノだった。

「急に言われても、分かんないわよ。でも、何かが落ちる音だったことは確かね」

 音がした方向は――本木雄星の客室か。私は妙に心臓の鼓動が早くなった。

 胸騒ぎがする中で、私は東田沙織に話す。

「これ、マズいんじゃないの? とりあえず、本木さんの部屋に行ってみた方が良いと思う」

「そうね。――行くだけ行ってみましょう」

 *

 本木雄星の客室は、私と東田沙織の客室から2つ隣に位置していた。どうやら、ドアに鍵はかかっていなかったらしい。

 私は、ドアノブを回す。――案外、すぐにドアは開いた。

 当たり前だけど、客室には誰もいない。そして、窓が全開になっている。こういう時、見るべき場所は、言うまでもなく――窓の下である。

 私は、窓の前に駆け寄って、下を見た。


「――本木さん、死んでるみたい」


 私の一言で、東田沙織も窓の前に駆け寄って、下の方を見た。当然だけど、彼女は口を覆っている。

「何なのよ、コレ……」

 地面には、確かに――()()()()()()()()()()()()が落ちていた。

 *

 当たり前の話だけど、スマホが圏外という状況で警察を呼ぶことは困難である。

 私と東田沙織は、本木雄星だったモノが落ちていた場所で考え事をしていた。

「コレ、どうするのよ?」

「うーん、警察を呼ぼうにも――スマホが繋がらなければ意味が無いと思う」

「確かに、それはヒロロンの言う通りね。――そうだ、『紅葉館の電話を借りる』という手はどうかしら?」

「それが一番無難かもね。――電話、借りさせてもらおう」

 そう言って、私は桂蘭丸に「電話を貸してほしい」という旨の言葉を伝えることにした。

 桂蘭丸の執筆部屋は、館の2階にあった。

 執筆部屋では、相変わらずパソコンのキーボードの音が聞こえる。――作業中なのか。

「桂さん、あの――」

「卯月先生、一体どうされたんでしょうか?」

「実は、本木雄星さんが何者かに殺害されてしまって……。それで、警察に電話するために電話を借りようと思ってこちらへと来たんです」

「なるほど。――一応、スマホが繋がらない分、電話回線は敷いていますから、ご自由に使ってもらって構わないです」

「ありがとうございます。――それじゃあ、警察に連絡します」

 とりあえず、こういうときは――110番か。私は「1」「1」「0」と番号を押した。電話はすぐに繋がった。

「はい。京都府警です。――事故でしょうか? 事件でしょうか?」

「事件です。現場は舞鶴の山中です」

「舞鶴の山中(さんちゅう)ですか。――だいたい、どの辺りでしょうか?」

「えーっと……『紅葉館』という場所です」

「紅葉館ですか。――ああ、はい。分かりました。こちらから刑事を派遣しますので、少し時間をいただけないでしょうか?」

「分かりました。――ありがとうございます」

 京都府警の本部から刑事が来ると言っても、京都市内から舞鶴まではかなり距離がある。最悪、刑事が来るのは明日の朝まで待たないといけない可能性もある。

 スマホの時計を見ると、現在時刻は午後10時を少し過ぎた頃合いだった。――なんとか、日付が変わる前に来てくれたら良いんだけど。そんなことを思いつつ、私は桂蘭丸と話をしていた。

「――卯月先生、電話、終わったみたいですね」

「はい。終わりました。京都府警の刑事さんがこちらに来るみたいです」

「なるほど。――いくら縦貫道を使ったとしても、今日中に来てくれるかどうかは微妙ですね」

「私もそう思います。できるだけ早く来てくれたら良いんですけど……。ところで、桂さんは『何かが落ちる鈍い音』を聞いていましたか?」

「ああ、そう言えば――『ドン』という音が聞こえたのは覚えています。でも、それが本木さんの遺体だとは思ってもいませんでしたが……」

 となると、この時点で桂蘭丸が本木雄星を殺害したという線は消えるか。

「つまり、桂さんは本木さんを殺害していないと」

「もしかして、僕のことを疑っていました? いやいや、とんでもない。僕が人を殺す訳がないじゃないですか」

「でしょうね。――何か、ごめんなさい」

「良いんですよ。こういう時、真っ先に疑われる人物は――館の主、ここで言えば僕のような人物ですからね」

 やはり、ここは「桂蘭丸が犯人である」という可能性を捨てたほうが良さそうだ。私はそう思いつつ、桂蘭丸の執筆部屋から踵を返した。そして、東田沙織が待機していた客室へと戻った。

 部屋に戻るなり、彼女は話す。

「――上手くいったみたいね?」

「うん。上手くいった。とりあえず京都府警の刑事さんがこちらに来てくれるみたい」

「それは良かったわ。――でも、今日中に来てくれるのかしら?」

「それは私も思ってる。でも、ここは京都府警を信じようよ」

「そうね。――ここは、ヒロロンの言う通りだと思うわ」

 それから、東田沙織は、カバンからリンゴ柄のパソコンを取り出した。――持ってきていたのか。

「ここ、WiFiは使えるみたいよ? ヒロロンも、接続したら?」

「じゃあ、私もWiFiを接続させてもらおうかしら」

 ルーターのパスワードを入力したところで、圏外状態だったスマホは――インターネットだけ使えるようになった。ついでに持ってきたダイナブックにもWiFiを繋いだ。――これで一安心。

 WiFiを繋いだところで、私は東田沙織に話した。

「まあ、桂さんの部屋を見てたら『多分WiFiぐらいは使えるだろう』って思ってたけど、ホントに使えたのね」

 彼女の返事は、当然のモノだった。

「うん。――スマホの通話機能が使えなくても、WiFiさえ使えれば――なんとかなるモノよ?」

 ダイナブックを見ると、大量のメールが溜まっていた。メールのほとんどはいわゆる「スパムメール」だったが、「重要」ラベルが貼られていたメールが1通だけあった。

 メールの送り主は――やはり、溝淡社の野田恵介だった。私は、彼から送られてきたメールを読んだ。

 ――卯月先生、原稿の方はどうでしょうか?

 ――ビデオチャットでの様子を見ていると、調子が良さそうだと思いました。

 ――脱稿でき次第、そちらに原稿ファイルを送ってもらえると幸いです。

 ――それでは。

 彼が言う通り、今の私は――少しだけ調子が良い。それは東田沙織という存在と行動を共にしているからなのか。それとも、ただ単に――「紅葉館の殺人」というベタな展開がそこで繰り広げられているからなのか。いずれにせよ、原稿に対するモチベーションが上がっていることは事実である。

 そんなことを思いながら、私は――野田恵介から送られてきたメールに対して返信した。

 ――野田さん、わざわざメールを送ってくれてありがとうございます。

 ――私、こう見えて現在舞鶴で取材中です。

 ――今回の取材旅行は、今後の執筆活動において有意義なモノになると思っています。

 ――原稿の方は順調に書き進めておりますので、少しお待ちいただければ幸いです。

 ――それでは、失礼します。

 これでいいか。現在時刻を考えても、野田恵介がメールを読んでくれるのは明日以降だろう。

 でも、やっぱり――本木雄星の遺体が気になって仕方がない。「紅葉館」自体は3階建てであり、私の考えだと、本木雄星が突き落とされたのは恐らく3階からだろう。

 居ても立っても居られなくなったので、私はスマホを片手に紅葉館の3階へと上がった。桂蘭丸の執筆部屋が2階にあるということは、館の3階は――ほとんど使われていないのか。

 当然だけど、3階は照明が灯っていなかった。ほとんど真っ暗な状態だったので、私はスマホのライトを照らす。

 3階は最上階ということもあって、そんなに広い訳ではない。なんというか、私が住んでいるアパートの1室ぐらいの面積しかなかったような気がする。

 どうやら、3階は展望台として使われていたらしく、窓からは若狭湾と海上自衛隊の基地が見える。――ということは、館がある場所は舞鶴の少し外れの方なのか。私はそう思った。

 窓には鍵が施錠してあって、特段「本木雄星が突き落とされた」という形跡は見当たらなかった。やはり、考えすぎだったのか。

 *

 2階の客室に戻ると、東田沙織が煙草を吸っていた。――そういうキャラだったのか。煙草を吸うために、窓も開いている。

 煙草を吸いつつ、東田沙織は話す。

「――にしても、厄介だわね。その様子だと、結局本木雄星が突き落とされたのは2階からで間違いなかったと。そう言いたいんでしょ?」

「どうして分かったのよ」

「そんなこと、サルでも分かるわよ。本木雄星の客室は窓が全開で、犯人は最初から『本木雄星を突き落とすつもり』で彼の部屋に来たのよ。そして、背中から――ドンッってね」

 東田沙織の考えは――正しいと思う。

「つまり、犯人は本木雄星の部屋に忍び込んで、背中を押して彼を突き落としたと。でも、『本木雄星の客室の窓が開いていた』という事実はどうやって説明するの?」

「ああ、流石のアタシでもそこは分からない。アタシは、こうやって煙草を吸うために窓を全開にしてるけど、本木雄星がヘビースモーカーという証拠はどこにもない。それは事実よ」

 となると、本木雄星がいた客室の窓が全開だった理由は――謎のままか。私は、頭を抱えながらため息を吐いた。

 *

 スマホを見ると、時刻は午前0時になろうとしていた。――やはり、刑事さんは来ない。今日のところは、もう寝たほうが良いのか。そう思った私は、なんとなくベッドに入った。

 ベッドに入ったところで、煙草を吸い終わった東田沙織が話しかけてくる。

「もう寝るの? ――まあ、刑事さんが来ない以上、寝たほうが無難ね」

「うん。寝させてもらう」

 相部屋ということもあって、ベッドは対になるように2つ並んでいた。どうせなら東田沙織の手を繋いで寝たかったけど、もうそんな歳じゃない。

 布団はふかふかだった。――普段、安物のベッドで寝ている私からしてみれば雲泥の差である。

 私が寝たことを察したのか、東田沙織もベッドに入って――眠った。

 当然、寝ている時に意識はない。――でも、寝言がうるさかったらそれはそれで東田沙織に対して申し訳ないと思っている。

 *

 翌朝。――スマホのアラームで意識を覚醒させて、窓から地面を覗き込むと、京都府警のパトカーが停まっていた。刑事さんが来てくれたのか。

 まだ寝ている東田沙織を横目に、私は応接間の方へと向かった。

 応接間には、スーツを着た2人の男性がソファに座っていた。

「――それで、本木雄星さんが何者かに突き落とされて殺害されたということは事実なんでしょうか?」

「はい。――ああ、そこに事件の目撃者がいます。卯月先生、中に入ってください」

 どうやら、桂蘭丸は私のことを指しているようだ。――私は、応接間の中へと入った。

 そして、改めて京都府警の面々が自己紹介をする。

「私は京都府警捜査一課の警部、和泉定夫(いずみさだお)と申します。私の隣にいるのが――部下の堀川国充(ほりかわくにみつ)と言います」

 和泉定夫と名乗った警部は、一見怖そうに見えて根は優しいのだろうと思った。そして、堀川国充という刑事は――多分、私と同世代なのか。気が合いそうだと感じた。

 堀川国充は話す。

「僕、本木さんが殺害された現場を調べていましたが、遺体が落ちていた場所には大量の血痕が残されていました。恐らく、突き落とされた時に頭を強く打ったのでしょう」

 ということは、やはり――本木雄星は、部屋の窓から突き落とされたのか。私はそう思った。

「被疑者は西濃瑞希という女性と福山将臣という2人で間違いないと思いますが、念の為に館の関係者にも話を聞こうと思っています。桂さんはどうお思いでしょうか?」

「――仕方ないですね。ウチの館の関係者にも、今回の事件について詳しく伝えておこうと思います」

 そう言って、桂蘭丸は――メイドとコックを応接間の中へと入れた。

 まず、コックが話す。

「えーっと、私は大八木勉(おおやぎつとむ)と言います。長年『紅葉館』でコックとして働いています。当然、この館の持ち主が桂さんになる前からコックをやっていますが……」

 大八木勉の自己紹介に対して、堀川国充が質問をぶつけた。

「桂さんの前の持ち主って、誰だったんでしょうか?」

 そういえば、私もそこが気になっていたんだった。――一体、桂蘭丸の前は誰がこの館に住んでいたのだろうか?

 刑事からの質問だからなのか、桂蘭丸の口は若干重かったが――それでも、素直に答えていった。

「実は、僕がこの館を買う前は――女性が住んでいたらしいです。名前までは覚えていませんが、どうやら彼女は――この館で生涯を全うしたそうです」

「この館で生涯を全うした――つまり、もうこの世にはいないと」

「そうですね。――詳しいことは、そこのメイドに聞いて下さい」

 そう言って、桂蘭丸はメイドの自己紹介に繋げた。

「私は、日辻香(ひつじかおる)と言います。この館でメイドとして従事して――もう30年ぐらい経ちます」

 日辻香と名乗ったメイドは――話を続けた。

「そこの小説家――桂蘭丸さんがこの館に引っ越してくる前は、女性が館の主でした。名前は確か『魚貫紅葉(おにきもみじ)』という名前だったような気がします。彼女はこの館を大層気に入っていて、生涯を共にしたと言います。でも、今から4年前に――彼女は突然この世を去りました。死因は自殺でした」

 そうだったのか。――いわゆる「事故物件」を、桂蘭丸は購入したのか。

 そう思いつつ、私は日辻香に対して「魚貫紅葉が命を絶ってしまった理由」を聞いた。

「どうして、魚貫さんは命を絶ってしまったのでしょうか? 私、そこが気になります」

 私の質問に対して、日辻香は――申し訳無さそうに答えた。

「実は、魚貫さんは長年精神を病んでいて、常に『自殺願望』を身にまとった状態でした。そして、彼女の中で何かが壊れたのか――ふとした瞬間に3階から飛び降りてしまったんです」

 だから、3階は使われていない状態だったのか。――私は妙に納得した。

「それで、魚貫さんがこの世を去ってから桂さんが館を購入するまで、どれぐらいの年月を要したんでしょうか?」

「意外と早かったです。――魚貫さんが亡くなって2年ぐらい経ってから、桂さんが『館を買う』と言い出したんです。当然、私も大八木さんも喜びましたよ? 『館の新しい主が生まれた』と。まあ、桂さんがこの館を利用する主な目的は『別荘』だったんですけど」

「つまり、桂さんがこちらにいないときは――大八木さんと日辻さんが館の面倒を見ていると」

「その通りですね。――私にしろ、大八木さんにしろ、言ってしまえば『地元の人間』ですから」

 地元の人間。――つまり、舞鶴に籍を置いているということか。そうなると、大八木勉も日辻香も容疑者候補であることに変わりはないか。

 2人の「館の関係者」の話が終わったところで、桂蘭丸は話す。

「――僕、とんでもない物件を買ってしまったってことになるんですかね?」

 フォローをしてくれたのは、日辻香の方だった。

「そんなことはないですよ? 館には主がいないと意味がないですし」

「ですよね。――何か、すみません……」

 そこで、話は区切りがついた。――一旦客室に戻るか。

 *

 客室に戻ると、東田沙織がスマホを触りながら煙草を吸っていた。――恐らく、目覚めの一本だろうか。

 私に気づいたのか、東田沙織は話す。

「――あら、起きてたのね。そして、どこに行ってたのよ?」

 私は、彼女の質問に答えていった。

「私なら、応接間に行ってたけど……それがどうしたの?」

「――なるほど。その様子だと、刑事さんが来てくれたのね。分かったわ」

「そうそう。たまたま応接間に行ったら、刑事さんが来ていて――桂さんの事情聴取に付き合ってたって訳」

「まあ、これで事件解決に一歩前進かしら? できるだけ私も協力してあげるけどさ」

「――それがね、なんか事態がややこしいことになっちゃって……」

「ややこしいこと? それ、詳しく教えてちょうだい」

「少し長いけど、いい?」

「良いわよ? 付き合ってあげるから」

 そういう訳で、私は東田沙織に対して事の顛末を説明した。

 *

 私の長い話を終えて、東田沙織は――少し悲しい顔をしていた。

「――そうだったのね……。魚貫紅葉って女性がかつての館の持ち主で、桂蘭丸はそれを買ったってことね。そして、魚貫紅葉はすでにこの世にいないと……。彼女がどういう事情で自ら命を絶ったのかはさておき、この館は『事故物件』って認識で良いのね」

「その通りよ。――桂蘭丸には申し訳ないけど、現実を受け入れていくしかないってこと」

 そう言いながら、私はスマホの時計を見た。時刻は午前10時か。――西濃瑞希と福山将臣も起きている頃合いだろうか。

 そんなことを思っていると、桂蘭丸が客室へと入ってきた。

「――卯月先生、東田さん、朝食の支度ができました」

 どうやら、朝食に呼ばれたらしい。

 多少の時間のズレは、事情聴取によるモノだろうから見逃していたが――よく考えたらお腹が空いていたな。

 私と東田沙織は、食堂へと向かった。

 *

 食堂には、すでにこの世にいない本木雄星以外の全員が揃っていた。テーブルには、フレンチトーストとコーヒーが置いてある。

 フレンチトーストを食べながら、西濃瑞希は話す。

「そういえば、確かに――私も、客室で『ドンッ』っていう音を聞きましたね。まさかそれが本木さんだとは思ってもいませんでしたが」

 西濃瑞希の話に食いついたのか、福山将臣も話に乗った。

「私も、あの時『何か鈍い音』がしたのを覚えています。でも、生憎私は入浴中でしたから、外に出る訳にはいかなかったんですよ」

 2人とも、事件発生時にはアリバイ――不在証明があったのか。となると、やはり犯人は魚貫紅葉の亡霊なのか。それじゃあ、ホントに「鬼女紅葉の祟り」じゃないか。私はそう思った。

 その後も、話はその大半が「事件に関するモノ」だったのだが、大した証拠は得られなかった。

 フレンチトーストを食べ終え、コーヒーを飲みながら、私は考え事をする。2人が犯人じゃないということは、やはり――犯人は大八木勉か日辻香か。もしかしたら桂蘭丸が犯人という可能性も考えられる。いや、考えすぎだろうか?

 普通なら、来客者は朝食を食べ終わったタイミングで客室に戻るのだが、私たち――あの時、本木雄星の殺害を間接的に目撃していた人間――は、京都府警から事情聴取を受けることになった。

 私は、事情聴取を待ちながら――スマホを触る。いくら圏外といえども、WiFiが使えるなら問題はない。

 しかし、スマホを触っているうちに、WiFiの電波は弱くなっていき――ついには繋がらなくなった。ああ、困ったな。これじゃあ、どうにもならないじゃないか。

 仕方がないので、私は事情聴取の待機場所を抜け出して、桂蘭丸の部屋へと向かった。そこにルーターの親機があると思ったからだ。

 桂蘭丸の部屋は――大量の本棚とデスクがあり、デスクの上にはパソコンが置いてあって、複数のモニタが繋がっていた。――いや、それじゃない。見るべき場所はルーターの親機だ。

 私は、ルーターの親機を見つけたけど、よく見たら――電源コードもLANケーブルもナイフのようなモノで切られている。――一体、誰が何のために?

 *

「ということで、WiFiは使えなくなったわ。――別に、私が悪い訳じゃないし」

 私が「完全にインターネットを封じられた」と東田沙織に説明すると、彼女は納得してくれた。

「でしょうね。犯人は、最初から『救助手段という救助手段』をすべて断ったうえで、アタシたちを『紅葉館』という密室の中に閉じ込めるつもりだったんでしょう」

「つまり、私たちは――『呼ばれるべくしてこの館に呼ばれた』って言いたいの?」

「今だから言えるけど、そうなんじゃない? 少なくとも、アタシがその手の小説を書いてたらそうするでしょうね」

「まあ、私でもそうすると思う。――それで、私の事情聴取はまだってことでいいの?」

「うん。――福山教授の事情聴取が結構長引いてるみたいでさ。アタシ、待ちぼうけをくらってもう30分ぐらい経つかもしれないわ」

「そっか。――ここは、我慢して待つしかないわね」

 それから、私は自分の事情聴取を待っていた。

 多分、自分の番が来たのは――東田沙織と話をしてから30分ぐらい経った後だったと思う。

 ソファに座ったところで、堀川国充は話す。

「まず、お名前を教えて下さい」

「えっと……私は廣田彩香と言います。職業は小説家で、『卯月絢華』というペンネームで執筆活動行っております」

「そうですか。――早速ですが、昨晩、本木雄星が殺害された時に、廣田さんは何をしていましたか?」

「あの時、私は東田沙織と話をしていました。東田さんは古い友人で、再会したのが16年ぶりでしたからね。色々と話が弾みましたよ」

「なるほど。――つまり、廣田さんには不在証明があったという認識で間違いないと」

「そうですね。――でも、確かに『鈍い音』はこの耳で聞いていました。それは事実です」

「分かりました。――次に……」

 *

 その後も事情聴取は続いたが、聞かれる質問は大したモノじゃなかった。――なんか、疲れたな。

 事情聴取を終えたところで、私は――テーブルに置いてあったインスタントコーヒーを飲むことにした。

 インスタントコーヒーを飲みつつ、東田沙織が話す。

「その様子だと、刑事さんから色々聞かれたみたいね」

「その通りよ。――疲れたわ」

「でも、自分の潔白を証明できただけでも良かったと思うけど? ――そろそろ、私の事情聴取かしら? まあ、大した証拠は提示できないけど」

「そうね。――がんばって」

 私がそう言うと、東田沙織は――意外な表情を見せた。

「ヒロロン、ちょっと変わった? 前のヒロロンなら、恥ずかしがってそんなこと言ってくれなかったけど……」

 私は――なんとなく謙遜した。

「そ、そんなことないわよ!? 私はただ、沙織ちゃんが心配で声をかけただけよ?」

「――そう。だったらいいけど」

 そう言って、東田沙織は事情聴取へと向かった。

 *

 コーヒーを飲みながら、私は色々なことを考える。

 なぜ、本木雄星は殺害される必要があったのか?

 なぜ、犯人はWiFiルーターごと電話線を切ったのか?

 なぜ、館の元々の持ち主だった魚貫紅葉は自らの手で命を絶ってしまったのか?

 色々考えるにせよ、疑問は尽きない。

 やがて、インスタントコーヒーを飲み終わったところで――次の一杯に手を出そうと思った。

 しかし、仮にこの電気ポットに毒が仕込んであったとしたら――私の命はない。そう思うと、コーヒーを飲む気は失せてしまった。

 私は、厨房に向かい、夕食の献立を考えていた大八木勉に断ったうえで――「冷蔵庫に飲み物はないか」と聞いた。すると、「ペットボトルのお茶なら用意できる」と言ってくれたので、私はコップ一杯のお茶を頂くことにした。

 お茶を飲みながら、大八木勉は話す。

「それにしても、君は興味深い人間だな」

「興味深い? ――私のどこが?」

「いや、廣田君はミステリ作家と聞いていたからね。もしかしたら――探偵になってくれるんじゃないかと思って」

 私が――探偵? そんな大袈裟な。

「いや、私にそんな権限はないんですが……」

「アハハ。――冗談だ、冗談」

 ――冗談だったら、最初から言わないでよ。

 そんなことを思いつつ、大八木勉は話を続けた。

「でも、君を見ていると――紅葉さんのことを思い出すんだ。紅葉さんは、君によく似ていたからね」

「私が――紅葉さんに似ていた? それって、どういうことなんでしょうか?」

 私の疑問に、大八木勉は答えていった。

「魚貫紅葉という人物は、元々ミステリ作家だったんだよ。もちろん、元々舞鶴に住んでいた訳じゃなくて、かつては――芦屋に住んでいたんだ」

「芦屋って、私が今住んでいる場所ですよね? ――ここまで、偶然って重なるモノなんでしょうか?」

「それはどうでしょうか? 正直言って、私には分かりませんよ」

 そして、大八木勉は――話を続けた。

「どういう事情があって芦屋から舞鶴に引っ越したかは教えてくれなかったけど、自ら命を絶つ少し前に、私にあることを伝えたんだ」

「あること?」

「実は――『私、もしかしたらこの世に生きるべき人間じゃない』とだけ伝えてきてね。私はそのメッセージの意味を考えてみたけど、全くもって分からなかった。でも、今なら分かるんだ」

「今なら分かるって、何が?」

「――紅葉さんは、恐らく『鬼の血を引く女性』だったんだと」

 ――えっ? それって、マジで言ってんの? 私は首を傾げた。

「鬼って――この世にいないですよね?」

 でも、大八木勉は私の疑問に対して――真面目に答えていった。

「いや、いるんだよ。この館がある場所は大江山からそんなに離れていないですからね」

 大江山。――京都北部に位置する山で、確か、鬼の首領である酒呑童子(しゅてんどうじ)が棲んでいたという伝説が残っていたか。当然だけど、『画図百鬼夜行』にも酒呑童子の記載がある。

 酒呑童子は京の都で悪事を働き、金品をせしめて血肉を喰らっていたという悪しき鬼であり、都の住民から恐れられていた。酒呑童子による悪事がエスカレートしていった結果、源頼光(みなもとのよりみつ)率いる源四天王が大江山に踏み入り、毒入りの酒を飲ませて退治したという伝説はよく知られている。

 でも、鬼女紅葉は――京都ではなく長野の伝承である。いくら「鬼が棲む山」という共通点があったとしても、話として出来すぎなのではないか? 私はそう思った。

 それから、私は大八木勉から色々な話を聞いていたが――結果として「紅葉さんと君は見た目が似ている」という結論に達した。というか、曰く「瓜二つだ」とのことである。

 私と魚貫紅葉さんは似ている。――だから、コックである大八木勉は私の姿を見てなにか思う部分でもあったのだろうか? 色々と疑問を抱えつつも、私は食堂へと戻っていった。

 *

 食堂では、東田沙織がコーヒーを飲んでいた。テーブルには、茶菓子――クッキー――が置かれている。

 せっかくなので、私もクッキーを頂くことにした。――美味しい。

 クッキーを食べながら、私は東田沙織に「大八木勉が話していたこと」を伝えた。

「――なるほどねぇ……。魚貫さんは色んな事情があって芦屋から舞鶴に引っ越して、そして、ふとした瞬間に自らの手で命を絶ったと。こうやって説明されると、魚貫さんが少し不憫ね」

「やっぱり、沙織ちゃんもそう思うよね。――私ですらそう思ったぐらいだし」

「それにしては、話が出来すぎだと思うけど。元々アタシがヒロロンをこの館に誘ったとはいえ、あまりにも話が出来すぎているわ。とはいえ、魚貫さんの遺言が――事件の手がかりになることは確かね」

「それはそうかもしれない。――もしかしたら、佐川真樹や黒根大和が殺害された事件にも繋がってきたりして」

「ああ、なるほど。そもそもの発端はその事件だもんね。――刑事さんは知ってるのかしら?」

「うーん、それはどうだろう?」

 そんな事を話していると、堀川国充がこちらにやってきた。

「お取り込み中のところすみません。――今、『佐川真樹と黒根大和』について話していませんでしたか?」

「確かに、話していましたけど……それがどうしたんでしょうか?」

「実は、佐川真樹が殺害された事件に関して――遺体にこんなモノが付着していたんです」

 そう言って、彼は私たちにタブレットを見せてきた。

 タブレットの画面に映っていたのは――「佐川真樹だったモノ」と、紅葉の葉っぱだった。紅葉の葉っぱは、赤く染まっていた。でも、私はある違和感を覚えていた。

「今って――12月ですよね?」

「ええ、はい。12月なら、紅葉はとっくに散っていますが……。そして、本木雄星の遺体にもこんなモノがありました」

 堀川国充は、タブレットの画面に本木雄星の遺体を映し出した。――ああ、やっぱり。

 事件が起きた時には周りが暗すぎて全く気づかなかったけれども、遺体には――献花のように、紅葉の葉っぱが添えられていた。それも、複数枚である。

 その様子を見て、私が言えることと言えば――アレしかない。

「やっぱり、この事件は――鬼の祟りなんでしょうか?」

 堀川国充の答えは、言うまでもなかった。

「だと思います。どう考えても、人間の手による犯行だとは思えません」

「――でも、鬼は『この世のモノ』なんかじゃない。『あの世のモノ』です。私は、どっかの妖怪オタクの小説を読んでそういうことに気づきましたからね」

 私がそう言うと、東田沙織は――笑った。

「アハハっ。――確かに、この事件は普通の人間が見たら『超常現象』にしか見えないでしょうね。でも、アタシはそれを看破するのが仕事だからさ、アンタたちに協力してあげてもいいけど? ああ、もちろんヒロロンにも付き合ってもらうからさ」

 東田沙織に言われたからには、仕方がないな。私はそう思いつつ、彼女の言葉にそっと頷いた。

「そうね。――まずは、どこから調べていこうかしら?」

「うーん、アタシに言われてもなぁ……。――そうだ、とりあえず怪しいのは西濃瑞希だわね」

「確かに、彼女はジャーナリストの目線であの事件を追ってるんだものね。――話、聞いてみる?」

「聞いてみましょう。――ここにはいないわね。となると、やっぱり客室かしら?」

「そうね。どう考えても客室でしょうね」

 そう言って、私と東田沙織、そして堀川国充は西濃瑞希がいる客室へと向かった。

 *

 西濃瑞希がいる客室は、私と東田沙織の客室がある反対側の部屋だった。客室が相部屋じゃなくて1人なのは、何か理由があるのだろうか?

 そんなことを思いつつ、彼女の部屋に入ろうと思ったが――鍵が開かない。もしかしたら、立て込んでいるのだろうか?

 ここはひとまず引き下がって――そっとしておくべきか。そう思った私は、一旦部屋の前から踵を返して、食堂へと戻った。

 でも、やっぱりこの状況下で西濃瑞希が部屋に閉じこもっているのはおかしい。――ならば、最終手段を使うべきか。

 私は、桂蘭丸と話した。

「桂さん、西濃さんってどうされているんでしょうか?」

「瑞希さんなら、確か――『眠い』と言って、自分の客室に戻っていきましたが……」

「ああ、そうですか。――いや、なんでもないです。ただ、なんとなく彼女のことが気になっただけですから」

 自分の客席で休んでいるんだったら、やはりそっとしておくのが賢明だろうか。そう思った私は、一旦彼女のことを忘れることにした。

 *

 流石に、夕食の時間になったら西濃瑞希もやってくるだろう。私はそう思っていたが――彼女がやってくる気配はない。

 テーブルには、西濃瑞希の分の夕食――ステーキとスープ、それにサラダ――が置かれている。

 ここは、私が西濃瑞希を呼んだ方がいいか。念の為に、マスターキーも持っていっておこう。

「私、西濃さんを呼んできます。――桂さん、客室のマスターキーは持っていませんか?」

「ああ、マスターキーですか。――もちろん、持っています。本当は使いたくないんですけど、西濃さんのことが心配ですからね」

 そう言って、桂蘭丸は私に鍵束を渡してきた。

「えっと、西濃さんの部屋は――この鍵ですね。多分、鍵穴に差し込んだらすぐに解錠できるはずです」

「分かりました。――じゃあ、私、行ってきますね」

 そう言って、私は客室のある場所へと向かい、西濃瑞希がいる客室のドアをノックした。

「――西濃さん、いらっしゃいますか? 夕食の支度ができたので呼びに来たんですが……」

 しかし、当然のように部屋からの反応はない。ならば、最終手段しかない。

 私は、マスターキーの鍵束から客室の鍵を取り出し、それを鍵穴に差した。

 鍵はガチャリと開いて――ドアノブはゆっくりと回った。

 部屋の中を見渡してみても、特におかしな様子は見受けられない。やはり、心配しすぎたか。

 ベッドでは、西濃瑞希が寝ている。――いや、これは寝ているんじゃない。死んでいるんだ。

 私が彼女の客室で見たモノ。それは――胸にナイフを突き刺されて絶命した「かつて西濃瑞希だったモノ」だった。彼女は目を見開いて、口を開けた状態で絶命していた。

 ――床に何か落ちている。それが何なのかは、今更言うまでもない。

 ギザギザに切り揃えられた葉っぱ。それは――12月という雪の降る時期にしてはやけに赤いモノだった。つまり、紅葉の葉っぱである。

 *

 事件現場を目の当たりにしてしまったことによって、私の精神は憔悴していた。

 食堂に戻って、私は――一言だけ発した。

「――死んでた」

 周りがザワザワする中、東田沙織だけは――私のことを信頼していた。

「まあ、そういうことだろうと思ってた。で、これからどうすんのよ?」

 答えは、言うまでもなかった。

「――私が、この館に棲む鬼を退治する」

 ちょっとカッコつけて言っちゃったけど、事実は事実だし――まあ、いいか。

 *

 ――とは言ってみたものの、西濃瑞希が殺されてしまった理由は不明である。

 刑事さんは、客室で現場検証をしている。流石に現場検証を邪魔するのは申し訳ないので、ここは報告を待つしかないか。

 現場検証を待っている間、私は東田沙織とこれまでの経緯を振り返ることにした。

「えーっと、最初に殺害されたのが佐川真樹。次に殺害されたのが黒根大和。アタシたちが目撃した事件が――本木雄星が殺害された事件と西濃瑞希が殺害された事件。それは間違いないわね?」

「その通りよ。もっとも、瑞希さんが殺害された事件の第一発見者は私なんだけど」

「でも、犯人は何の目的があって西濃瑞希を殺害したのかしら? 分からないわ」

「うーん、そこが謎なのよね。それに、殺害現場に残されてた紅葉の葉っぱも気になる。葉っぱって、12月にしては――やけに赤かった」

「そうね。12月の頭なら辛うじて紅葉は残ってるかもしれないけど、今は12月も中旬よ? そんなきれいな状態で葉っぱが残ってるとは思えないわ」

 確かに、スマホを見ると――日付は12月17日と表示されていた。私がこの館に来たのが月曜日だから、今日は火曜日か。そうやって考えると、2日間で2人も殺されている計算になるのか。このままだと、1週間も経たないうちに館に集められた人間は全員殺されてしまう計算になる。それを防ぐのが刑事の仕事なのだが――事件解決の手がかりは少ない。辛うじてそこにある手がかりといえば、やはり「紅葉の葉っぱ」だろうか。これまで見つかった遺体には、当たり前のように紅葉の葉っぱが添えられていた。

 仮に、この紅葉の葉っぱが「鬼女紅葉」の見立てだとしたら、やはり犯人は女性なのか。

 しかし、西濃瑞希が殺害されてしまった以上、女性の容疑者は日辻香しかいない。いくらなんでも、館のメイドである彼女がすべての元凶だとは考えにくい。――いや、ここは実際に彼女の話を聞いてみるべきだろうか。

 *

 私は、食堂で日辻香と話をすることにした。

「えーっと、あなたは例の小説家さんですよね? 『卯月絢華』というペンネームで活動していて、本名は廣田彩香だとか」

「はい、その通りです」

「それはそうと、私にどういう用件があって話を聞こうと思ったのでしょうか?」

 質問されたからには――正直に答えないと。

「実は……私、前の館の主である魚貫紅葉さんのことが気になっていて」

 日辻香は、魚貫紅葉のことについて詳しく教えてくれた。

「ああ、紅葉さんですか。――彼女は、とてもいい人でしたよ? 今から約30年前、この地に『紅葉館』を建てて、小説の執筆に行き詰まった時によくこの館に来ていました。最初は芦屋と舞鶴を行き来していましたが、10年前に拠点を芦屋から舞鶴に移して執筆活動を行うようになりました。とはいえ、彼女はすでにベストセラーを多数輩出していましたからね、多分お金には困っていなかったのでしょう。でも、4年前に『私はこの世に生きるべき人間ではない』というメッセージを残して自らの手で命を絶ちました。享年は60歳でした。当たり前の話ですけど、葬儀は関係者のみで執り行われて――私も、従事していたメイドとして出席しました」

「――そうでしたか。それは悲しかったでしょうね」

「そりゃ、もちろん悲しかったですよ。何せ、私は1人の女性として紅葉さんの相談によく乗っていましたからね。――そうだ、彼女はこんなモノを遺していました。一応、創作ノートだと思いますが……」

 そう言って、日辻香は古びた手帳を私に手渡した。――死人の手帳を覗くのは申し訳ないと思いつつ、私は手帳をパラパラとめくった。

 手帳をパラパラとめくるうちに、私は、ある日付を境に記載が途切れていることに気づいた。どうやら、4年前の8月31日に――何かがあったようだ。

 *

 私は、その日に残されていた手書きのメッセージを読むことにした。

 ――私は、鬼の血を引いているかもしれない。

 ――故に、この世に生きるべきモノではない。

 ――体が壊れていく。

 ――心が壊れていく。

 ――ああ、人の血肉に食らいつきたい。

 ――いや、そんなことは許されない。

 ――私がやるべきこと。

 ――それは……自分で自分を殺すことだ。

 ――こんな私で、ごめんなさいね。

 メッセージは、そこで終わっていた。

 *

 メッセージの読み終わりを察したのか、日辻香は話す。

「――日記というか、手帳にはこういう旨のメッセージが残されていました。正直言って、私にはメッセージの旨が分かりません」

「私から言えることといえば――紅葉さんは何らかの理由で精神を病んでいたとか? その結果、自らの手で命を絶ってしまったと」

 私がそう言うと、日辻香は頷きつつも納得した。そして、ある証言を話してくれた。

「なるほど。――確かに、命を絶つ少し前に、紅葉さんは突然『胸が痛い』と言い出しました。私は医者を呼んで彼女を診てもらいましたが、心臓に疾患を抱えていた訳ではなかったようです。それでも、やっぱり紅葉さんの『胸が痛い』という叫び声は日に日に大きくなって……最終的には命を絶ってしまいました」

「――悲しい話ですね……」

 胸が痛い。――もしかしたら、魚貫紅葉が感じていた痛覚は「幻覚としての痛覚」という可能性もあるのか。仮に、魚貫紅葉という人物がそういう精神的な疾患を抱えていて、突然それが発露したとしたら――最終的に待っているモノは「死」である。

 しかし、どういう理由があって彼女の心の中で症状が発露したのかは分からない。というか、私は精神科医じゃないから、そんなことなんて分かるはずがない。

 とりあえず、私は彼女が遺した日記のメッセージをスマホのカメラで撮影して、保存した。それが何かの証拠になると思ったからだ。

 *

 日辻香と話を終えたところで、私は――東田沙織に魚貫紅葉が遺したメッセージを見せた。

「――なるほど。紅葉さん、辛い思いをしてたのね……。私がこういう心の病を患ってたとしたら、とっくの昔にこの世にいないわよ」

「それで、紅葉さんが死んだ理由――分かるの?」

「うーん……分からないわね。――そういえば、彼女の著書、読んだ?」

 言われてみれば――読んでいないかもしれない。

 私は、東田沙織が持っていた本に着目した。

「これ、彼女が執筆した『鬼女伝説事件』っていう小説なんだけど――多分、ヒロロンも気に入ると思う」

「そう? ――読ませてもらうわ」

 そう言って、東田沙織は私に『鬼女伝説事件』を手渡してきた。本自体は溝淡社ノベルスとして発刊されていたモノであり、分厚さは――どっかの妖怪オタクが書くノベルスの半分ぐらいだったと思う。

 *

 ページ数はだいたい380ページぐらいだっただろうか。文章も読みやすく、案外すぐに読み終わった。

 あらすじとしては――「ある村で『鬼の血を引く人間』によるものと思われる連続猟奇殺人事件が発生して、探偵がそれを解決していく」というモノだった。多分、探偵のモデルは日本における探偵小説の始祖と言っても過言じゃない小説家、江戸川乱歩が生み出した偉大な探偵・明智小五郎だと思う。それでもって、探偵の見解だと「犯人は精神に異常を患っていた女性」であり、最終的に罪を認めた彼女は――自らの手で命を絶った。そういう描写で物語は終わっている。

 ――あれ? これって……デジャヴ? まるで「魚貫紅葉」という人物をトレースしたような犯人じゃないか。偶然だとしても、出来すぎている。

 私の考えに気付いたのか、東田沙織が話す。

「デジャヴねぇ……。確かに、『鬼女伝説事件』と今回の事件――似通った部分が多いわね。まるで、小説をなぞってるみたい」

 彼女が言う通り、『鬼女伝説事件』における遺体は、すべて「赤い紅葉の葉っぱ」が遺体の横に添えられていた。――つまり、この事件は『鬼女伝説事件』の結末を知る人間による犯行なのか。そうなると、やはり――犯人は「魚貫紅葉をよく知る人物」なんだろうか。

 しかし、日辻香から話を聞く限り――彼女が殺人を犯したとは思えない。館の関係者と考えると大八木勉も怪しいが、彼も――恐らくシロだ。

 ああ、事件はますます混迷を極めている。一体、誰がこんなことをしたんだ?

 頭を抱える私は――なんとなく、本木雄星が殺害された時のことを思い出す。

 確か、本木雄星が殺害された時、私は東田沙織と話していたな。自分が心の中に抱えていた辛い思いを彼女に吐き出して、話を締めようと思ったら――本木雄星だったモノが落ちてきた。あの時、彼の客室は窓が全開になっていたが、彼は背中から突き落とされたとは限らない。もしかしたら、犯人はあらかじめ本木雄星という存在を殺害したうえで――窓から突き落とした可能性も考えられる。

 しかし、それだと「遺体に添えられていた赤い紅葉の葉っぱ」はどうやって説明すればいいんだろうか? いくら化学が得意だと言っても、私にそこまで考えは……ちょっと待った。もしかしたら、「アレ」を使えば葉っぱを添えた上で遺体を突き落とすことができるかもしれない。――これで、疑問は1つ解けた。

 そうなると、残りの遺体もそういう手段で紅葉の葉っぱを添えたのか。――なんだ、そういうことだったのか。どうして、もう少し早くそういうことに気付かなかったんだ。気付いていれば、西濃瑞希という存在は無駄死にせずに済んだのに。

 そのことを踏まえたうえで、私は東田沙織に話す。

「沙織ちゃん、私――犯人の目的が分かったかもしれない」

「ホントに? 説明して」

「分かった。――犯人は、多分、佐川真樹を殺害したフェーズで今回の連続殺人事件を閃いたのよ」

「佐川真樹を殺害したフェーズってことは――犯人は、連続殺人事件にするつもりじゃなかったってこと!?」

「ほぼ正解かもしれない。犯人は、佐川真樹だけを殺害して――事件を終わらせるつもりだった。でも、『鬼女伝説事件』を読んだことによって……」

 私が言いかけていたことを、東田沙織は話す。

「連続殺人事件を閃いたってこと?」

 答えは、言うまでもない。

「その通りよ。――そして、そういう手口で殺人を犯せるのは……あの人しかいない」

「そうね。――ヒロロン、もしかして名探偵なんじゃないの?」

 東田沙織はそう言うけど、私は――やんわりと謙遜した。

「いや、私はそんな器の人間じゃない。それに、私が探偵なんて、他のミステリ作家の先輩方に対して申し訳ないと思う」

「そうよね。――なんか、ゴメン。言い過ぎたかな?」

「別に、良いのよ? 私は沙織ちゃんのことを信じてるし」

「そっか。――じゃあ、あとはヒロロンに任せたわよ?」

 そういう訳で、私は、探偵として一連の事件に対して終止符(ピリオド)を打つべく――事件の容疑者たちを食堂に集めることにした。

 *

 食堂には、私と東田沙織、桂蘭丸、京都府警の刑事さんたち、そして――紅葉館の関係者2人と福山将臣が揃っている。

 私は、この容疑者たちの罪を告発して――白日の元に晒すだけの話である。

 真っ先に言葉を発したのは、メイドの日辻香だった、

「――こんなことやっても、事件の犯人は分からないのでは?」

 当然だけど、私は彼女の反論に真っ向から向き合っていく。

「そうは言いますけど、まだあなたが犯人だと断定された訳じゃありません。でも、この状況下で殺人を犯せるのは――あなた達の誰かであることに変わりはありません」

 それはそうだろう。――私は事件の犯人が分かった状態でみんなを呼び出して、こうやって探偵まがいのことをやっている。でも、それが本当に正しいとは限らない。

 だからこそ、私は――この呪われた館にまつわる事件を一刻も早く解決して、呪いを解いてやらないと。そういうことを踏まえたうえで、私は話す。

「さて、そろそろ話の本題に入らなければいけませんね。――前提として、この事件は殺人鬼によって4人の被害者が出ています。佐川真樹さん、黒根大和さん、本木雄星さん、そして……西濃瑞希さん。4人に共通して言えることは、『遺体に紅葉の葉っぱが添えられていたこと』であり、葉っぱはこの時期――12月にしては、やけに赤いモノでした。けれども、それらは本物の葉っぱではなく、模造品です。だって、この紅葉の葉っぱはすでに散り散りになっていますからね」

 私の意見に賛同したのは、大八木勉だった。

「確かに、今は12月。この館の近辺には複数の紅葉の木が植えられていますが、葉っぱはすでに散っていますね。――まさか、私を疑っているのでしょうか? とんでもない」

 仕方がないので、私は――大八木勉の疑惑を晴らした。

「大丈夫です。大八木さんは犯人じゃありません。私が目撃した事件の話になってしまいますが、本木雄星さんが殺害された時――あなたは朝食の仕込みをしていた。それは事実ですね?」

「はい、そうですが……。確かに、私は本木さんが殺害された時に翌日の献立を考えていました。でも、それがどうしたのでしょうか?」

「あなたの不在証明を示しているんです」

「ああ、なるほど。――こういう時、事件の犯人って大概が館のコックというか、料理長ですからね。私が疑われても仕方ありません」

 そして、次に――日辻香の話をした。

「一方、あの時――館のメイドである日辻さんにも不在証明がありました。大八木さんが翌日の仕込みをしている間、あなたは食堂の清掃をしていましたからね」

 彼女は、私の証言に――相槌を打った。

「はい、本当です。廣田さんの言う通り、私は事件発生時に食堂の清掃をしていました。食べ終わったお皿を洗いつつ、大八木さんと共に明日の献立を考えていく。――当然、本木さんが殺害されたことによって1人分のフードロスが発生してしまいましたが」

「故に、日辻さんも――事件には関与していない。それは事実です」

「そうですよね。私が見ず知らずの人間を殺害するなんてあり得ません」

 これで、残る犯人は――東田沙織と福山将臣の2人である。

 ――東田沙織が事件の犯人だとは信じたくないけど、念の為に説明しなければ。

「ここで、話を私の友人――東田沙織に変えましょう。そもそもの話、今回私がこの館に来るきっかけを作ってくれたのは彼女でした。彼女は元々オカルト系のインフルエンサーであり、ネット上で噂になっているコトやモノについて首を突っ込んでいくのが彼女の仕事と言っても過言じゃありません」

「そうですね。――卯月先生、そこまでかしこまらなくてもいいじゃない」

 私は――咳払いをしながら話す。

「そうは言うけど、他人に沙織ちゃんを説明するためならきちんとしないと。――コホン。それはともかく、本木雄星が殺害された時、私と東田さんは『ドンッ』という鈍い音を浴室で聞いていました。最初は地震か何かだと思いましたが、スマホの緊急地震速報は鳴っていない。だから、この音は――『何かが落ちた音』だと推測しました」

 そこで、福山将臣が反応を示した。

「あの時――私は浴室でお湯に浸かっていました。そして、当然『何かが落ちた鈍い音』もこの耳で聞いています。だから、私は本木さんの殺害に関して何も関わっていません。――廣田君、私を疑っているのでしょうか?」

「いや、まだ話は続きがあります。この館の浴室は、男性用と女性用に分かれています。私と東田さんは女性ですから、当然女性用の浴室に入りました。ここで質問です。福山さん、あなたは――何のために浴室へと向かったのでしょうか?」

「いや、それは……当然、体の汚れを落とすためですが……」

「そうですか。――福山さん、もしかして、あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のでは?」

 私の証言に、食堂は――騒然とする。そして、福山将臣は反論した。

「私が殺人を犯した!? どこにエビデンスがあるんだ! 説明してみなさい!」

 多分、彼にそう言われるだろうと思っていた私は――論破した。

「福山さん、あなたは――あ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のでは?」

 論破された以上、福山将臣は――黙り込むしかない。

「くっ……」

 東田沙織も話す。

「卯月先生の受け売りで申し訳ないけど、福山さんは、最初から本木さんを殺害するつもりだった。そして、持っていたナイフで彼の心臓を突き刺して――命を奪った。私はそう考えてるわ」

 これ以上、逃げ場はない。――さて、福山将臣という犯人はこれからどうする? そんなことを思いつつ、私は話す。

「これはいち推理作家の推理でしかないんだけど、福山さん――あなた、もしかして魚貫紅葉さんと婚約していたのでは?」

 私の一言がトドメになったのか、福山将臣はすべてを話した。

「――その通りだ。私は、かつて静養で舞鶴に訪れた時、ある儚げな女性に恋をした。彼女は『魚貫紅葉』と名乗って、私をこの紅葉館へと誘った。しかし、彼女はある秘密を持っていた。彼女は、生まれつき『日光に当たることができない病気』を抱えていた。故に、紅葉館も薄暗い場所にあり、ほとんど日光が入らないように工夫が施されていた。私はそれを受け入れ、魚貫紅葉という女性を愛したが……」

 その後のことは、言うまでもない。

 堀川国充は話す。

「――精神に支障をきたして、彼女は自らの手で命を絶ってこの世から去った」

「その通りです。彼女は、『自分が日光に当たれない』ということにコンプレックスを感じていました。日辻さんに見せてもらった彼女の手帳には、『自分は鬼の血を引いているかもしれない』とメッセージを遺して絶命したが、その実態は――『日光に当たるとアレルギー症状を引き起こす病気』でした。アレルギー自体は別に珍しいモノではなく、薬品や食物によって引き起こされます。しかし、彼女が日光アレルギーを患った原因は、『魚貫家自体が古くから伝わるとある密教の家系だったから』です」

 私の話に食いつくのは、言うまでもなく東田沙織である。

「――卯月先生、あの……それって、本当なの?」

 咳払いをしたうえで、私は話す。

「コホン。沙織ちゃん、本当よ? だって、この館自体が――元々、そういう儀式を行うために落成されたモノだからね」

 福山将臣は――焦っている。

「なんだなんだ! そんなに焦らして! 早く説明してくれ!」

 ――そろそろ良いだろう。私は話した。

「紅葉館は、本来『真言立川流(たちかわりゅう)』の宗教施設として建造されていて、館として建造されていた訳じゃありませんでした」

 私が話した事実に、全員が唖然とした。堀川国充は、驚愕した表情をしながら話す。

「――し、真言立川流!? 廣田さん、それって本当に言っているんですか!?」

「本当です。そもそも、真言立川流自体は男女間の性交渉を教義に取り入れていたが故に邪教として扱われていて、自然と淘汰(とうた)されたと言われています。しかし、世の中は好事家(こうずか)が多いもので、真言立川流の教義をベースとした新興宗教は現在でも少なからず活動を続けています。どうやら、魚貫紅葉の両親も――その1人だったようですね」

 そこまで言ったところで、堀川国充は納得した。

「なるほど。――つまり、紅葉さんの両親はそういう新興宗教の教祖だったと」

「その通りです。これは私の考えでしか無いんですけど、紅葉さんは反魂香(はんごんこう)に含まれていた成分が原因で日光アレルギーを患ったんじゃないかと思っています」

「反魂香……。なんか、聞いたことあります。確か、死者を蘇らせる力を持ったお香だとかなんとか」

 反魂香の説明は――東田沙織がしてくれた。

「そうよ。反魂香は『魂を返す』ってことで死者を蘇らせるって言われてるわ。故に『返す魂の香』とも書くのよ。――それで、一説に反魂香は『白檀(びゃくだん)の香りがする』って言われてるんだけど……その香りに拒絶反応を示す人もいるって訳。そして、運悪く紅葉さんは白檀の香りを浴び続けたことによって――日光アレルギーを患った」

「――そういうことです。いずれにせよ、紅葉さんがそういう運命の元で生きていたことは確かです。でも、紅葉さんの両親はとうの昔に亡くなってしまった。多分、両親は儀式の過程で『こんなことをやっても無駄だ』と気付いて自らの手で命を絶ったのでしょう」

 どうやら、私の考えは――大方合っていたらしい。福山将臣は話す。

「廣田君、あなたが話していたことはほとんど真実に近いモノです。でも、少しだけ違います。紅葉さんの両親は自分の手で命を絶った訳ではありません」

 じゃあ、魚貫紅葉の両親はどうやって命を絶ったんだ? 私は疑問に思った。

「自らの手で命を絶っていない? ――そうなると、あまり言いたくないけど……紅葉さんの両親は、紅葉さんが惨殺したとか?」

 私がそう言うと、福山将臣は――俯いた。

「――いや、()()()()()。紅葉さんを愛するが故に、両親の存在が邪魔だったんだ」

 東田沙織は、口を覆っている。

「酷い! そんな理由で両親を殺害するなんて、どうかしているわ!」

「そこの若い子――東田君だったかな? 確かに、私は酷いことをしてしまった。それは今でも後悔しているよ。でも、両親を殺した事によって紅葉さんは自由を手に入れて――私と肉体関係を結んだ。これは直接彼女から聞いた話だが、紅葉さんは、どうやら()()()()()()()()()()()()らしい」

 実の父親が娘を犯す。――ああ、そういうことか。私は、なんだかやりきれない気持ちになってしまった。

「なるほど。紅葉さんの父親は――真言立川流の教義を信じるあまり、愛娘に対して性的な虐待を加えてしまったんですね。それは……私から見ても、立派な犯罪だと思います」

 東田沙織も、頷く。

「私だって、そう思うわ。――でも、そういう理由だけで両親を殺害するのは間違ってると思う」

 もう――良いだろう。私は話す。

「それで、福山さん――自分の罪を認めますか?」

 どうやら、彼は罪を認めるつもりらしい。

「もちろんです。刑事さん、私の腕に手錠をお願いします」

 堀川国充が、福山将臣の腕に手錠をかけた。そして、話を本木雄星の殺害事件へ戻した。

「――そういえば、どうして福山さんは本木さんを殺害したんでしょうか?」

 刑事さんが質問したからなのか、彼は――あっさりと口を割った。

「彼に見られたんですよ、この館の見られてはいけない部分を」

「見られてはいけない部分? 一体、どういうことでしょうか?」

「本木君は、この館を探索する過程で――地下であるモノを見つけた。しかし、それは私にとって都合が悪いモノでしかなかった。だから、口封じとして彼を殺害した上で、屋根に遺体を放置した。そして、時間が経つと落下するように仕向けたんだ。その頃の私は浴室にいたから、トリックとしてはかなり完璧なモノだと確信していた。――来客者の中に、本物の推理作家がいたのが運の尽きだったが」

 本物の推理作家。――私のことだろうか?

 そんなことを考えつつ、佐川真樹と黒根大和を殺害した理由も聞くことにした。

「佐川真樹と黒根大和もあなたが殺害したとして、どうしてあの2人まで巻き込む必要があったんでしょうか?」

「答えは簡単だよ。佐川君と黒根君は、僕の教え子で、『京都のある幽霊屋敷を調査したい』と言っていたんだよ。まさかそれが紅葉館とは知らずに」

 館の秘密を知られたくなかったから――福山将臣は2人を殺害したのか。私はそう思った。

 そして、福山将臣は話を続けた。

「まあ、『幽霊屋敷の正体が元宗教施設だった』ってオチは――本末転倒ですからね。2人には安らかに死んでもらいましたよ」

「私も館の秘密を知ってしまった人間の1人だけど、殺さなくてもいいんですか?」

 私がそう言うと、彼は――黙り込んだ。

「――――」

 こんな結末、あまりにも悲しすぎる。私はそう思った。けれども、福山将臣という男性が犯した罪は重い。だからこそ、彼には罪を償ってもらいたいと思っている。


 ――じゃないと、魚貫紅葉という恋人があまりにも不憫だ。

 *

 あの胸糞悪い事件から数日後。

 私は――相変わらず、野田恵介と話をしていた。

「なるほど。つまり、卯月先生は『紅葉館』という館で事件に巻き込まれて……犯人を見抜いたと」

「そうですね。――私、事件解決にあたって、たいしたことはしていないんですけど」

「でも、事件の詳細を聞けば聞くほど奇妙じゃないですか。下手な館モノの小説よりも面白いと思いますよ?」

「館モノ……。そんなことを言われてしまうと、なんだか偉大な先輩たちに対して申し訳ないです」

「ハハハ、卯月先生は相変わらず謙虚な人間ですね。でも、僕は卯月先生のそういうところが好きですけどね」

「そう言ってもらえるとありがたいです」

 それから、話は原稿の方へとシフトチェンジした。

「ところで、この原稿――やっぱり、例の事件がモチーフですか?」

 野田恵介が読んでいる原稿。それは、紛れもなく――私が目の当たりにした紅葉館の惨劇をモチーフとしている。

「私は意識して書いたつもりじゃないんですけど、野田くんが言うんだったらそうなんでしょうね。まあ、出すか出さないかは出版社の自由だと思いますけど」

「そうですね。――この原稿は、一旦保留という形で保管しておきます」

「分かりました。――それでは、私はこれで失礼します」

 そう言って、私はビデオチャットの退席ボタンを押した。相変わらず、「ご利用ありがとうございました」という画面が無機質である。

 結局のところ、私は今回の事件で精神的に摩耗して、完全に疲れ切ってしまった。

 これからどうすれば良いのだろうかと考えても、多分――碌な結果にならない。

 ふと、私はスマホの画面を見る。――東田沙織からメッセージが来ていた。

 ――ヤッホー、ヒロロン。

 ――こうやってメッセージを送るのは、あの事件以来かしら?

 ――そう言えば、今度……ヒロロンっていうか、卯月先生の新作小説が出るって話よね?

 ――アタシ、楽しみに待ってるから。

 メッセージはそこで終わっていた。――余程期待されているのか。ちなみに、彼女が言う「新作小説」とは、紅葉館での事件とは無関係のモノである。

 とはいえ、その小説が売れる保証はどこにもない。――どうせ、売れないのだろう。

 それでも、私はこうやってダイナブックのキーボードをカタカタとさせながら小説を執筆している。――いつかは売れるかもしれないと思っているからだ。じゃないと、やっていけない。


 それからしばらくして、私の新作小説が発刊された。オーソドックスな推理小説だから、そんなに売れないと思っていたが――思ったよりも売れている。どういう理由で売れたかはわからないけど、多分、神様の気まぐれなのだろう。


 そして、私は――次回作の原稿を書き始めた。(了)

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