9 遊戯室
「ごきげんよう」
「よろしくお願いいたしますわ」
「今度遊びにいらしてね」
後宮の廊下のあちこちで、妃候補たちが挨拶を交わし合っている。
(驚いたわ……)
オルテンシアは、新鮮な気分でそれを眺めていた。
(みんな、こうやって関係を築いていたのね)
後宮一の権勢をほこるオルテンシアには、黙っていても女の子たちが向こうから挨拶に来たものだった。わざわざ自分が足を運んで彼女らと交流を深める必要は一切なかったのだ。
遊戯室に到着すると、すでに部屋にはいくつかの人だかりができていた。
一番大きな団体へ目を向ける。
中央にいるのは――赤髪のキャメリア=フエゴだ。
(やはり、誰の目から見ても彼女が筆頭なのね)
オルテンシアは人から話しかけにくい陰気なオーラをまといつつ、こっそりとその輪へ近づいてみる。
「あはは、それは痛快ね」
さっそく、キャメリアの健康的な美声が響き渡る。
「そうでございましょう?」
「本当、面白いですわねぇ」
周囲の少女たちはキャメリアに合わせて相好を崩し、相槌を打っている。
傍から見ると、気に入られようと必死なのがわかる。
(早くも女同士の駆け引きが始まっているのね)
女性たちは友人づくり、派閥づくりに一生懸命で、地味で陰気なオルテンシアには気づかない。
「あー、おかしい。ねえみんな、このあとわたしの部屋へいらっしゃいよ。もっとお話しましょう?」
「よろしいんですの?」
「もちろんよ。南側中央の広いお部屋をもらったの。全員が集まっても悠々と過ごせるわ」
「そこってもしかして、一番よいお部屋ではございませんの?」
「さすがキャメリアさまですわ」
(ふうん、なるほど。キャメリア妃は南側中央の部屋、と)
オルテンシアは後宮の地図を頭に思い浮かべ、該当箇所へ印をつけておく。
後宮は王城の北側の離れに位置している。
すなわち、南側には国王の居室や政務室が入っている本城があるわけで、後宮南側中央というのは、国王の居室から最も近い部屋ということになる。
かつての後宮では、該当部屋は国王が後宮で過ごすときの休憩室として使われていた。それが今回、キャメリアにあてがわれたのだった。
(つまり、彼女が現時点での寵姫候補筆頭というわけね)
女の子たちが彼女に群がるのも当然なのだった。
次なる集団へ近づいてみる。
中央にいたのは、白い聖女リーリエ=ティエラだった。
「ここはとても美しいところですわね。ご覧くださいまし、お庭の桜が満開です」
優しくはかなげな声がふんわりと聞こえる。
「素敵ですこと」
「リーリエさまのお部屋は北側中央のお庭付きでございましょう? 桜の木はありませんの?」
「わたくしのお部屋からは菜の花畑が見えますの。とても綺麗でしてよ。皆さまもどうぞ遊びにいらして」
「ぜひ」
(なるほど、リーリエ妃の部屋は北側中央、と)
ちょうどキャメリアの部屋とは対極となる位置だ。
基本的に、後宮のつくりはキャメリアとリーリエがあてがわれた南北の中央部屋と、四つの角部屋が庭付きの大きい間取りとなっている。
オルテンシアは南東の角部屋、ナランは前回の通りなら実家のソンブラ家があらかじめ押さえた南西の角部屋だ。
残る北東、北西の角部屋の持ち主を探そうとうろついていれば、また別の集団に行き当たる。
「ええー、北西のお庭付きの角部屋ですか?」
足を止めれば、黄色の髪のレオーネ=ルーチェが中心のグループだった。
レオーネは慌てたように両手を振って謙遜する。
「なにかの間違いかもしれないわ。あとでもう一度これでいいのか確認するつもりよ。庶民のわたしがあんないいお部屋、もったいないもの」
相変わらず、腰が低い。
(敵を作らない外交を見習わないとね)
国王の一の妃だが、やはりかつての二番手三番手四番手であったキャメリア、レオーネ、リーリエの三人から選ばれるのが普通だろう。
(賢くて、清廉潔白で、無欲で、それでいて、気弱な陛下をぐいぐいと引っ張ってくれる強さのある子がいいわ)
顎に手を当て思案する。
(キャメリア妃は我が強い。リーリエ妃は少しやわで頼りがない。そうすると、レオーネ妃が無難かしら)
これという女の子がいたら、近づいて交流し、国王好みの化粧術や振る舞いを伝授するつもりだ。かつての寵姫が自ら指導するのだ。きっと国王はその子を気に入るに違いない。
(でも、今の段階で安易に一人に絞るべきではないわね……)
事は慎重に進めるべきだ。
(そうそう、あとは、権勢の強そうな残りの角部屋の持ち主を確認しておかなくちゃね)
オルテンシアはそう決めると、遊戯室を後にした。




