7 まぼろし
オーキデ王との謁見は滞りなく進行し、やがて最後の娘の挨拶が終わった。
「陛下のご退室である」
物々しい挨拶と共に、国王が去る。
このあと、女性たちは部屋をあてがわれる。家臣たちによる初見でだいたいの妃としての順列をつけられ、見込みがありそうな娘から呼ばれて、広くて住み心地のいい部屋へ案内されるのだった。
(でも、わたくしは例外)
オルテンシアには、すでに親が根回しした特別室が用意されている。大貴族の娘であるナランも同様だ。
「オルテンシア=アクア、こちらへ」
やはり最初に名前を呼ばれてしまう。
(みなさま、ごめんあそばせ――って、違う! だめよこんな態度では)
顎をつんと上げて退出しようとしていた自分を慌てていさめる。
(ここは申し訳なさそうに……慎ましく)
すれ違う女性たちに会釈をしながら、腰を低くして退出する。
オルテンシアが目指すのは、『見た目は悪女、中身は聖女』なのだから。
案内されたのは、後宮の南東の角で広い庭付きの一人部屋だ。
(前と同じ……)
南向きの窓からは、ほのかに赤みを帯びた夕方の光が差し込み、磨き上げられた床に円を五つくりぬいた花形の模様を描いている。東側は自由に庭を行き来できる戸があり、繊細なレースのカーテンがかかる。
部屋の壁際にはタンスと揃いのドレッサーが据えられ、お気に入りの宝石箱や花瓶が屋敷から運び込まれていた。
また、厚地のカーテンで仕切られた続き部屋の向こうには、寝心地の良い寝台も見える。
三年間過ごした自室と寸分たがわぬ光景に、思わずほっとした。
(さすがに気疲れしたわ)
自然と足は寝室へ向かう。
半開きのカーテンを開けた瞬間、寝台に大きな白い猫がでんと座っているのを見つけた。
「え!」
驚きに、目をしばたたく。
しかし、次にまぶたを開いたときには、猫の姿は消えていた――。
「まぼろし?」
よほど疲れていたのだろうか。
オルテンシアはごしごしと目を擦る。やはり猫の姿など、そこにはなかった。
(そうよね、猫なんて飼っていた覚えはないし……)
しかも、一瞬見たような気がした白猫は、寝台の半分を占めるくらいの大きさをしていた。猫の形状をしていたが、大きすぎる。
(あれでは、まるで幻獣ケットシーだわ)
ケットシーは猫の王とされる想像上の生き物だ。グラキス王国ではそれを国旗のモチーフに据えており、国の繁栄を守る幻獣として信仰されている。
「幻獣のまぼろしを見るなんて、幸先がいい証かもしれないわね」
そうなってほしいという願望を込めて言葉にする。
「……少しだけ、休憩」
真新しい寝具にごろりと横になってみる。
あっという間に睡魔がやってくるかと思ったが、意外にも目は冴えていた。心が興奮したままらしい。
(これからどうしましょうか)
部屋に引きこもって静かにしていれば、何事もなく年月が流れていくのだろうか。
(きっとわたくしの代わりにキャメリア妃かレオーネ妃が一の妃になるのよね)
赤髪のキャメリアと、黄色髪のレオーネの顔を交互に思い浮かべる。
『おほほほ! ざまあ見なさい、わたしの勝ちよ! さあ、この一の妃キャメリアさまに跪きなさい』
勝ち誇ったキャメリアの声まで頭に響く。
(待って、だめよ)
オルテンシアはがばりと起き上がった。
キャメリアは、オルテンシアとはベクトルが違うが勝ち気で自信満々な美女であり、共通点も多い。
(ひょっとして、第二の傾国の美女誕生ということにならない……?)
国王の寵愛を笠に着て贅沢三昧をする妃のせいで国は傾き、反乱軍に王城が攻め込まれる――同じ歴史の繰り返しとなったら。
悪女として名を残すのはオルテンシアではないかもしれないが、だからといってよしというわけにはいかない。
国が滅んでしまっては、元も子もないのだった。
(わたくしの望みは、平和に静かにおばあちゃんになるまで暮らすことなのよ!)
誰が一の妃になるのかは、最重要事項だった。
(特に、陛下は周囲の影響を受けやすい人だから……)
良妻賢母の鏡のような人物が一の妃となってくれなくては。
「やっぱり、ぼんやりしている場合ではなさそうね」
余計なお世話と言われようがなんだろうが、国王の妃選びには干渉せざるを得ないようだった。