49 天災
ケットシーのウニャは、その夜帰ってこなかった。
オルテンシアは夜中に何度か起きて、窓の外へ呼びかける。返事がない上、妙な乾いた風が吹き込んできて部屋に砂を運んだ。
早朝に寝るのを諦めて起きたとき、部屋中の床が砂浜のようにざりざりしていて吃驚した。
「なにこれ、砂だらけ」
踏み出した足がずるりと滑って、転びかける。
(お掃除係を呼んでなんとかしてもらわないと)
誰かを呼ぼうと廊下へ出ると、そこもまたざらついて茶色い床が続いていた。
「なんてこと」
見上げた空も、黄色に染まるほど砂が舞っている。
常であれば雨季の近いこの時期は、雨が降ったりやんだりする天気が多いのに。異常気象だ。
(おまけに、昨日は地震まであったし……)
空気がやけに乾燥していて、肌がひりつくし、髪は広がってぱさぱさする。心なし、片頭痛もする。
なんとも過ごしにくい一日の始まりだった。
(しかも、ウニャは帰ってこない)
悪天候も相まって、不安がどんどんと募っていく。
(どこ行っちゃったの?)
リーリエを見張るといって出かけていき、そのままだ。そして彼女は、これまでの聖女の仮面をかなぐり捨てた本性丸出しの挑発的な態度でオルテンシアたちの前へ現れた。
(まさか)
彼女に捕らわれたとか、害されたとか、恐ろしい予感に襲われる。
(……待って、落ち着いて。ウニャの姿は、わたくし以外には見えないはずよ)
今すぐ飛び出していきたい衝動を必死に抑える。
(でも、でも!)
やはり、どうしたって居ても立っても居られない。
ふとひらめいて、人差し指を宙へ向けた。
「えいっ」
虹は――生まれなかった。
もう一度試してみても、結果は同じ。
(虹乙女の力が使えない)
つまり、ウニャになんらかの異変があったのに違いない。
(やっぱり迷っている場合じゃないわ。キャメリアだって幻獣のことを知っていた。リーリエもそうなのかも)
キャメリアが前王朝の末裔で火の幻獣を従えているとするのなら、リーリエは何者なのだろう。
思い立って、部屋にあった歴史書を紐解いてみる。
(エルブレフ王国の前の王朝……アダ王国。ここは、わたくしのひいおじいさまに王権を禅譲したエルブレフ王国と違って、完全に王族の血統が耐えて、政権移動したのね。王朝の期間は……267年)
ウニャの話では、幻獣の加護は250年ずつで交代するという。アダ王国は加護が切れて自然と消滅したといった雰囲気だ。
(その前は――ヴェイルト王国。あら、少し短い)
三代前の王朝ヴェイルト王国は、建国から153年目に滅んでいる。そこからアダ王国の建国まで約100年間、様々な地方の豪族が権力を競い合う空前の戦国時代が挟まっていた。
(このあたりに、なにか問題があったとか……?)
そこへ、けたたましい足音が近づいてきた。
「火事です! 火事です! 皆さまお逃げくださいっ」
張り裂けんばかりのメイドの呼び声と、妃候補たちの悲鳴が重なる。
「火事!? どこが?」
オルテンシアは思わず知らせにきたメイドに食ってかかる。彼女は焦りながら言った。
「キッチンが燃えています。念のため外へお逃げください」
キッチンは、後宮の中央辺りにある。ここまではかなりの距離があった。そのせいで煙すら見えない。
だが、後宮内は大パニックとなっていた。
(リーリエのところへ乗り込むどころではないわ)
ひとまず、着の身着のまま外へ出る。次々と後宮からこぼれ出てくる女の子たちの中にリーリエがいないか探してみたが、見つけられなかった。
「怖いわ」
「どうなってしまうの……」
逃げてきた妃候補の中には、うろたえ、泣き出す子もいる。
オルテンシアは、なるべく落ち着いた声でそれをなだめた。
「大丈夫よ、すぐに消し止められるわ。後宮はそんな柔な造りではないもの」
しかし――、一刻、二刻と時が経っても、なかなか消火の知らせが来ない。
(今、どんな感じなの?)
待つだけで不安を煽られる少女たちは、一様に疲れを顔に浮かべていた。
空模様は相変わらず黄色で閉ざされており、砂まじりの重い空気は体力も削ってくる。オルテンシアは思い立ち、皆をロータス・ガーデンへ移動させることにした。
「ひとまず東の離宮で待機しましょう。あそこには大きな池があるし、少し休めるわ」
勝手ではあるが、非常事態だ。許されるだろう。
場所を知っているメイドに先導してもらい、オルテンシアは後方で戸惑う少女たちの尻を押す。
ようやく最後の女の子の背中を送り出して、ほっと一息をついた。
(わたくしも少し休みましょう……)
そう思ったときだった。
「これはどういう状況だ?」
突然の低い声が降りかかってきたのだった。




