4 変身
じゃきん! と心地よいハサミの音が化粧室に響く。
七色のつやを宿したスカイブルーの髪が、房になって舞いながら床へ落ちた。
(切ったわ! やった……)
いたずらが成功したような妙な快感が背中を駆け上る。
このスカイブルーの髪は、顔を合わせた誰もが真っ先に褒めてくる美しさをほこる。くっきりとしたオルテンシアの目鼻立ちをさらに引き立てることでも、自慢ができるところだった。
(陛下もこの髪がお好きだったわ)
だからこそ、断つ!
再び髪へハサミを入れる。耳のすぐそばの房がなくなると、一気に頭が軽くなった。
(案外、悪くないかも)
ずっと伸ばし続けてきた自慢の髪を切っているというのに、感傷的になるどころか心が高揚した。
(切るたびに、新しいわたくしになっていくみたいで)
悪女である部分が切り離されていくような――。
爽快感に包まれながら、とうとう肩の長さに切りそろえた。
(うーん、見事にガタガタ)
切れ味がいいといっても、しょせん持ち運び用の裁縫バサミである。そこは仕方がない。
(でも、ちょうどいいわ。わたくしが目指す見た目は、美女の正反対なのだから)
髪をざんばらに切っただけでは足りない。
なにかないかと化粧ポーチをあさると、小瓶を見つけた。
中身はオルテンシア特製の紫草の染料だ。
貴族令嬢の趣味の一環として、オルテンシアは屋敷で染料づくりをしたことがある。その中で、誰にも出せない絶妙に美しい紫色の染料をつくったため、気に入ってこうして持ち歩いていたのだった。
(これよ。使えるわ)
希少で材料も高価な染料だが、今使わずにいつ使う。
蓋を開けるなり、惜しげもなく脳天へぶちまけた。
そのままわしゃわしゃと揉み込めば――スカイブルーの華やかな髪は、濃い紫色に上書きされてまだらに黒ずんだ見苦しい色と変わった。
鏡の中にはぐしゃぐしゃな頭をした女性がいる。顔の印象は髪型ひとつでだいぶ変わるものだ。
先刻までの絶世の美女は、幾分輝きを失っていた。
(とはいっても……まだ完璧ではないわね)
いくら変な髪型をしていても、顔のパーツの美しさは隠せない。
パフで化粧をぬぐってみるが、すっぴんになってもオルテンシアの健康的な素肌はどこまでも白く、ぷるんと張りがあって透明感にあふれている。
(こうなったら)
白粉と紅とまゆ墨を手の甲でぐりぐりと混ぜて陰気な色を作った。
それを肌に乗せると……ようやく、別人ができあがった。
絶世の美女とは程遠い、陰気な顔色をした冴えない女性がそこにいる。
「これよ、わたくしが求めていたのは」
出来栄えに大満足して、大いにうなずく。
オルテンシアが化粧室を出ると、廊下の向こうが騒がしい。ついに国王が広間へやってきたらしい。
慌てて後方の扉から広間へ戻るのとほぼ同時、前方の扉が開いて前触れの家臣がやってきた。物々しく口上を述べる。
「国王オーキデ陛下のおなりである」
とたん、賑やかだった会場がしんと静まり返った。
誰もが緊張の糸を張りつめ、前方の扉へ注目する。
少女たちは、初めてまみえる将来の夫に期待を膨らませているのだった。
(陛下か……)
グラキス王国第三代国王、オーキデ=アクア。
偉大なる建国者の曾祖父と、長きの繁栄を築いた二代目国王の祖父を持ち、短命ながらも太子時代に優れた才覚を現した父親の血を引く、希代の若者……なのだが。
「……」
大きく開かれた前方の扉から、彼は現れた。
中肉中背の体軀に、金糸銀糸をふんだんに使って刺繍を施した目の覚めるような青地のジャケットをまとい、肩より少し長い青空のような色をした髪をハープアップに結い、頭上には小さな王冠をのせている。
彼はゆったりとした足取りで中央までやってくると、正面を向いてまっすぐに立った。
「――……」
集められた妃候補たちは、なんともいえない微妙な表情で国王を見つめている。
(見た目は悪くないんだけれど……なんというか)
オルテンシアも同様に、冷めたまなざしでかつての夫を眺めていた。
(うだつの上がらなそうなこの感じ、相変わらずだわ)
かつての自分は第一印象でこう思った。
『御しやすそうな王様ですこと』と。