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38 リーリエ=ティエラ

 オルテンシアは肌をしっとりと冷やす小糠雨に、わざとしばらく打たれた。


 額に張りついた前髪から含んだ水滴がこぼれるくらいのところで引き上げて、庭に面したリーリエ=ティエラの部屋へ向かう。


「ごめんなさい、少しいいかしら?」


 扉を強めに叩きながら中へ声をかける。物音がして、内側からゆっくりと扉が開かれた。


「はい……」


 戸惑った細い声。

 繊細な白い髪に色素の薄い大きな瞳、可憐な顔立ちをした小柄な美少女がそこに立っていた。


「オルテンシア=アクアよ。突然の雨で困っているの。拭くものを貸してくださる?」


 半開きの戸の隙間へ、半ば強引に肩を滑り込ませて言った。

 リーリエはぎょっとして瞳を見開き、後ずさる。同じだけオルテンシアは身体を進め、勝手に入室させてもらった。


 部屋の中には、様々な花の香りが充満していた。そこかしこに花でも飾ってあるのかと周囲へ目を走らせるが、花瓶のたぐいは一つも見つからない。代わりにテーブルの上に盆があって、乾燥させて赤茶色になった花びらが山盛りになっていた。


「急でごめんなさいね。庭の散策をしていたら雨に降られてしまって」


 突撃訪問に茫然としていたリーリエだったが、全身にまんべんなく水分を含ませたオルテンシアの立ち姿に我に返ったようだ。


「たいへん。びしょ濡れですわ。どうぞこちらで温まってくださいな。今、タオルをお持ちいたします」


 さすが聖女。追い出したりせず気づかってくれる。


「あとは、ええと……、メイドさんを呼んでお湯を沸かしてきてもらいますね」

「いいえ、そこまでは。すぐにお暇するから」


 人が増えては面倒くさいため、さらりと断る。

 借りたタオルを頭にかぶせてゆっくりと水滴を拭いながら、自然になるよう心掛けつつ会話を切り出した。


「いい香りがするわね。あれはなあに?」


 テーブルの上へ視線を投げかける。


「後宮のお庭に咲いたお花を集めて、乾燥させたものですの。小さなポーチに詰めて、サシェにするのですわ」


 よく見れば、テーブルには素朴な木製の裁縫箱と端切れの布も一緒に置かれていた。布は一枚や二枚ではない。かなり量が多い。


「自分で作るの?」

「はい」

「ずいぶん材料がたくさんあるけれど、一人で?」

「ときどき近くのお部屋の女の子たちも来て作っていかれますのよ。あの、もしご興味がございましたら、ご一緒されませんか? ええと、すみません、もう一度お名前を伺っても?」

「オルテンシア=アクアよ」


 どうやら彼女はオルテンシアを知らないようだ。名乗っても、ほんわかとした態度を変えず邪気のない笑顔を見せてくる。


「申し遅れました。わたくしはリーリエ=ティエラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「よろしくね。でも、サシェ作りは遠慮させてもらうわ。間に合っているから」

「あら、違いますわ。ご自分用ではないんですの」


 彼女は意味ありげにうふふと笑う。花も恥じらう可憐な笑みに、オルテンシアは毒気を抜かれる。


「これらはすべて孤児院の子供たちに寄付しますの。都にもいくつか施設があるのを知りまして、なにかお力になれればと」


 故郷で慈善事業に励んでいたとおり、場所が変わっても使命は変わらないとばかり輝く瞳で訴えかけてくる。


「素晴らしい心がけね。きっともらった子供たちは喜ぶわ」

「あ……と、すみません。誤解を招く言い方でした。子供たちへの贈り物というわけではなく、これは子供たちが自ら売って、生活の糧としてもらうための物資ですわ」


 生活の糧。

 意外にも現実的な考えに、舌を巻く。


「そうなの? 浅慮だったわ。あなた、よく考えているのね」

「いいえ、恵まれた立場にいる者として当然の振る舞いですわ」


 これぞ、ノブレスオブリージュ。

 ともすれば奢れる者の発言にも取れるが、彼女の場合柔らかな容姿と話し方と鈴を転がすような声も相まって、ひどく優しく聞こえる。


(聖女と呼ばれるだけある)


 やはり彼女を疑うのは間違いではないか、と無気力感に襲われる。

 長居しても、得るものはなさそうだ。疲れてきたのもあるし、そろそろ辞去しよう。


「タオル、助かったわ。突然来たのにご親切にありがとう。このお礼は改めてさせていただくわね」

「いいえ、お気になさらず。タオルもこちらでお預かりしますわ」


 リーリエが手を差し出してくる。


(あら?)


 身体の華奢な彼女にしては、その手は平べったく大きく見えた。

 労働とは無縁な貴族令嬢らしく、もっと小さくて丸くてふくふくした餅のような手を想像していたのに、意外に感じる。


(まあ、そういうこともあるわよね)


 あまり気に留めず、扉を開ける。本当に偶然にも、一瞬やんだ雨の切れ間に淡い虹がふわっとかかった。


「虹だわ」


 思わず声を上ずらせる。自然の虹が生まれるところをたまたま見るなんて、新鮮な気分にさせられた。

 室内では、リーリエがにっこりと笑んで見送ってくれる。


「雨がやんでよかったですね。では、お気をつけて」


 深々と頭を下げてから、内側から扉が閉ざされた。

 こちらの心まで洗われるような美しいほほ笑みを最後まで浮かべていたが――、とある違和感が胸を突いた。


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『後宮恋恋』

『愛され天女はもと社畜』

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『聖女のわたくしと婚約破棄して妹と結婚する? かまいませんが、国の命運が尽きませんか?』

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