23 商人
昼下がり――空の高いところをうろこ雲がびっしりと覆っている。
(あれから三日……)
ソールからの知らせはない。
(当然か。律儀にどうなったか報告してくれるような関係ではないしね)
ふう、とため息をつくと、隣にぼわっと白いもふもふが現れる。
ケットシーのウニャだった。さすが幻獣、いつも神出鬼没だ。
「ミュゲ・ガーデンのほうが騒がしいにゃ」
「そこって……」
身震いを覚えて、両腕で身体を抱きしめる。
ミュゲ・ガーデンは後宮の北西の庭のことで、鈴蘭が咲き乱れる園の外れに隔離の宮が立てられている。そしてそこは、罪を犯した妃やメイドなどが幽閉される場所なのだった。
(反乱軍に囚われたわたくしも、処刑までそこに……)
となれば、例の商人が捕まったのだろう。
わざわざ後宮の一角に連れてきたのは、おそらくこれから接触のあった妃候補と面会させたりして関係者を洗い出していくために違いない。
「オルテンシアは見に行くにゃ?」
「……ううん、やめておくわ」
ソールからはおとなしくしているよう言いつけられているし、行ったところで門前払いされるのがおちだ。
「それにしても、改めて考えてみると不思議だわ」
『なにが不思議だにゃ?』
「商人はなぜナランに堕胎薬という薬効を隠して渡したのかしら。意味がないわよね。それとも、商人も本当の効能を知らなかったとか?」
ウニャは尻尾を左右に大きく振りながら答えてくれる。
『んー……なんか臭うにゃあ』
後宮は国王の子を授かるための組織だ。堕胎薬など最も存在してはならないものである。だから、そんなものを持ち込むとは相当な覚悟が必要だ。
単に誤って流入してしまっただけならいいのだが……、きっと違う。それならば普通の商品として扱うはずだ。
ナランは商人から『特別に』と譲り受けたのだ。ナランを狙って渡してきている。そこに意味がないはずがない。
「ナランなら権勢の強い妃候補に飲ませてくれると期待して渡したのかしら?」
『嫉妬心が強そうな人に見えたのかもしれないにゃね』
「そうかもしれない。でも……なおさら商人の狙いがわからないわ。ナラン次第で誰が堕胎薬を盛られるかわからないもの」
『それはある程度の交友関係から予測できるにゃ。お茶を一緒に飲む相手じゃなきゃ無理だにゃ』
「たしかに……仲良くないとお茶なんて飲ませられないわよね」
現状ではナランが勧める茶を飲んでくれる相手は、取り巻きの令嬢たちくらいだろう。
(まあ、詳しいことはそのうちわかってくるでしょう)
窓から吹き込むそよ風に目を閉じる。どこかで咲いているらしい藤の香がほんのりと鼻孔をくすぐった。
そのうちわかる――と後回しにしたのを、翌日後悔するはめになる。
『おかしいにゃ。やっぱり騒がしさが尋常ではないにゃ。見に行くにゃ』
ウニャに急かされて、オルテンシアは廊下に出る。夜のうちに雨が降ったのか、空気が重く、しっとりと肌に張りついてくる。
(ミュゲ・ガーデンは北西の庭)
南東の角に位置するオルテンシアの部屋からは、対角線上の最も遠い場所だ。
(後宮内を突っ切っていくより、庭づてに北回りで人目を避けていきましょう)
日陰の路地裏のごとき灰色の空のもと、いつもは道端でも生き生きと首を揺らすクローバーが、今日は陰鬱に頭をしなだれていた。
朝に昼に様々な鳴き声を楽しませてくれる小鳥たちの声も聞こえない。代わりに真っ黒な烏が頭上をかすめるように飛んでいき、遠くで不気味にぎゃあぎゃあと鳴いた。
(見えてきた)
鈴蘭が咲き乱れる園の入り口には、警戒中だとばかりの武装の男性が二人並んで立っていた。そして、その奥の建物のほうではウニャの言う通り、なにか事件が起きたらしく騒がしい。
「誰だ」
誰何の声に、オルテンシアはキッと顔を上げる。
「オルテンシア=アクアよ。ソール=ヴェントはここにいるかしら」
普段は目立つ行為は避けているが、ここは実家の権勢を使うところだ。堂々と名乗って押しとおる。
「オルテンシア=アクアさま……、アクア家のご令嬢……?」
「そうよ。早く通してちょうだい」
「お待ちください。部外者は通さぬよう言いつかっております」
「わたくしは部外者ではないわ。当事者よ」
押し問答していれば、奥から長身の人影が現れる。
「なんだ、なにを揉めている」
「ソール=ヴェント!」
なんと、ご本人の登場だ。これで事情が聞けると瞳を輝かせるオルテンシアに、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「なぜ来た」
「だって当事者だもの」
オルテンシアが茶葉を提供したのがきっかけで商人は捕まったのだ。ほら、無関係ではない。
しかし、ソールの翡翠色の瞳には険が加わった。
「なんだと。お前が殺したとでも言うつもりか」
(殺した……!?)
ぎょっとして目を剥くオルテンシアを見て、ソールは失言を悟ったふうに目を逸らしたのだった。




