21 疑惑
メーゼ・ティフォーネ。
グラキス王国の前にこの地を収めていたエルブレフ王国時代に東洋から流入した堕胎薬で、その飲みやすさと手軽さから主に遊郭などで重宝されていた。
しかし、その気軽さを懸念したグラキス王国初代国王――オルテンシアの曾祖父にあたる――は、健康被害を危惧し、それを禁止薬物に指定した。
以後は、表立っての流通はなくなった。それでもやはり、必要とされる場所では密かに売買されていたらしい。
(わたくしは……堕胎薬を飲まされていた!?)
かつてのオルテンシアは、国王の一の妃として誰より深い寵愛を受けていた。
二年以上そのような地位にありながら、懐妊の兆候が一度も訪れなかったのは――まさか。
(もともと、月の印が重くて乱れるほうだったから、わからなかったけれど……)
毎日ナランが盛るこの薬によって仕組まれていたのだとしたら、とんでもない事実だった。
「おい、どうした」
すっかり血の気が引いて青ざめる姿を見て、ソールはさすがに変だと思ったらしい。
「自分の意志で飲んでいたのではないのか?」
「だから、違うとさっきから……。中身をお兄さまに調べてもらいたくて、手紙に託したのよ」
「……」
ソールの鋭い観察のまなざしがオルテンシアを貫く。
彼は最初から突っかかってくるような嫌な男だが、少数民族の出自で地方出身者というハンデを乗り越え中央政府で王に仕える優秀な家臣でもあった。だから、俯瞰して見て先ほどと意見を変えたらしい。
その瞳からオルテンシアへの侮蔑の色が消える。
「なるほど。ではお前にそれを飲ませていた者の名を言え。禁止薬物というだけではなく、国王の子を育むはずの後宮にこれはあってはならないものだ」
(ここでナランの名を告げたら、彼女が逮捕される……?)
オルテンシアが彼女にこの茶を飲まされていたのは過去のことだ。現時点ではまだナランは違法薬物を所持していただけに過ぎない。
(それに、下剤だと認識していたわ。どこまで本当かわからないけれど)
あれこれ考えているうち、ソールが一歩踏み出してきた。長身の彼の影になると、威圧感で押しつぶされそうになる。
「言えないということは、かばいたい相手か。まさか情夫……とか?」
「そ、そんなわけないでしょうっ! わたくしは正真正銘乙女よ!!」
さすがに隠し切れないと判断する。オルテンシアは慎重に告げた。
「言うわ。ただ、誤解しないでちょうだい。わたくしがそれを知らずに飲まされていたというのは、ずいぶん昔で今回のこととはまったく関係ないわ」
「ほう」
「香りを覚えていたものを、偶然ナラン=ソンブラが持っていたから……気になってこっそりと持ち出したのよ」
「ナラン=ソンブラ、ソンブラ家の娘か。妃候補だな」
すぐにでも捕縛せんとばかり背を向けかけるソールを、オルテンシアは声を張ってとどめた。
「彼女はまだ誰かに飲ませたりしていないわ! 出入りの商人から手に入れたばかりで、詳しい薬効も知らないみたいだった」
「そんなもの知るか」
「待ちなさい。ナランのもとへ行くならわたくしも同行するわ」
「なぜ」
眉間の皺を深くして振り返るソールに、こちらも必死に言いつのる。
「もちろん気になるからよ。危険な薬をあの子がどうするつもりだったのか、わたくしだって知りたいわ」
少し考えて、ソールはうなずく。
「まあ、いいだろう、お前は当事者でもある。それに、お前の疑いが晴れたわけではない。証拠隠滅をして逃げられても困るから、俺と共に行動しろ」
「それでいいわ。ナランの部屋は南西の角部屋よ」
案内するわ、と先に立ち、廊下を進んだ。
ソールは後からついてくる。
「やだ、男性よ、あれ……」
「どうして後宮にいるの?」
廊下のあちこちにいた妃候補たちの視線が突き刺さった。ソールは背が高く立派な体軀をしている上、見目も少し我々とは異なる。さらに輪をかけて見栄えもよいため、どうしても目立ってしまうのだった。
あちこちの部屋から女の子たちが顔を出し、興味津々のまなざしを送ってきた。
(困ったわ、一緒にいるわたくしまで目立ってしまうわ)
なんとか彼女らの視線を避けたい。それに、このままナランの部屋へ踏み込めば、彼女にまで妙な噂が立ってしまうかもしれない。
背後を振り返れば、ソールもまた苦虫を嚙み潰したような表情をしている。女嫌いの彼もまた女性たちの注目を嫌悪していた。
利害の一致を感じ、オルテンシアはわざと仰々しく問いかける。
「陛下の近臣のソール=ヴェント、国王陛下のお目にかなう子はここにいそうかしら?」
そして、意味ありげなまなざしで周囲を見回す。
「……」
聡明な彼は、オルテンシアの言外の意図を正確に汲んだ。きびきびと答える。
「まさか。ここには野次馬根性丸出しの下品な女しかないようだ」
効果は――抜群。
女性たちは皆、亀のごとく首を引っ込め部屋の戸を固く閉ざす。
……おかげで、その後は好奇の目にさらされずに目的地に着けたのだった。




