19 天敵
兄との面会を望んだはずなのに、なぜ国王の臣下である女嫌いのソール=ヴェントがやってきたのか。
驚愕に言葉を失ってしまう。
高身長な彼は、たいそう不機嫌そうな面持ちでオルテンシアを見下ろしてきた。低く太い声で言う。
「いかにも俺はソール=ヴェントだ。見ての通りは男だが、宦官と同様に後宮へ入れる許可を得ているので安心しろ」
どうやら彼はオルテンシアが驚いているのは男性が後宮にいることだ勘違いしたらしく、弁解してくる。
(そういえば、ソールは生まれつき男性機能に不備があるとか、そんな噂を聞いたことがあったわ)
表立って深く聞くような話ではないので確認したことはないが、宦官でもないのに自由に後宮内への立ち入りが許されている時点で、そういうことなのだろう。
「ここには陛下の命で、ラヴァンド=アクアの代理として来た。妹のオルテンシア=アクアは部屋の中か?」
「え、陛下の命? お兄さまの代理?」
「待て、お兄さまだと?」
思わず聞き返したオルテンシアに、ソールは片眉を吊り上げる。
一秒後、驚愕の声を上げた。
「お前がオルテンシア? まさか、あのとき廊下にいた女なのか!?」
(あ……、初日の謁見式のとき)
三年前からタイムスリップしてきたばかりのオルテンシアは、国王の目を引かないようにと慌てて陰気な化粧を施しにいった。
その直前、ありのままの美女なオルテンシアの姿をソールには見られていたのだった。
(しまったわ。取り繕うべき?)
言い訳を探して口をつぐむが、ソールのほうが先に納得したような声を出した。
「……ふ、よく化けたものだ。やはり女は信用できない」
「っ! なんですって」
「まあ、お前の見目などどうでもいい。さっさと要件を済まそう。ラヴァンドにはなんの用だ? 伝えてやるからすぐに言え」
「なぜあなたに言わなきゃいけないのよ」
つい言い返せば、ソールは呆れた表情になる。
「陛下の命だと言ったのが聞こえなかったか? ラヴァンドは今陛下の御前で虹の絵を描く指南をしている。だから俺が代わりに派遣されてきたのだ」
(虹……)
そういえば先日会ったとき、虹乙女の力で兄に虹を見せ、絵を描くよう仕向けたのを思い出す。
「兄が虹の絵を描いていると言ったの!?」
「だからそうだと言っている。なんでも、この頃虹ばかりを描くことに熱中しているというから、試しに目前で描いて見せるよう陛下がおっしゃったのだ。するとその出来が想像以上に素晴らしく、たいへんお気に召された陛下はご自身へ描き方を教えるようにと命じられた」
(そうか、お兄さま……虹の絵を)
なにか熱中できるものを見つけてほしかった。
虹乙女の力でそれが実現できたのなら――よかった。
じんとする胸に手を当てる。しかし、感動を打ち砕く、いらついたソールの声が降ってきた。
「そういうわけで、ラヴァンドは手が離せないので俺が代わりに命じられてきた。兄を呼び出したのは何の用だ。手短に言え」
現実に引き戻されて、オルテンシアはげんなりする。
(お兄さまを呼んだのは、ナランの茶葉を調べてほしかったからだけれど)
ちらりと室内を振り返る。テーブルの上に、便箋を四角に折りたたんだ中に入れてあるそれを見て、首をひねった。
(どうしましょう)
信用のおけない他人に託していいものか。
だが、オルテンシアの視線を追って室内へ目をやったソールが、大きくうなずいた。
「あの手紙を渡したいのだな、承知した」
一時の時間も惜しいとばかり、こちらの返答を待たず部屋へ踏み込んでくる。
「えっ、あ、それは……!」
あっという間に彼の手中に収まってしまい、冷汗がにじむ。
「なんだ。なにか問題があるのか? ん……? でこぼこしているな。中に何が入っている」
「なぜあなたに告げなくてはいけないの? 干渉しないでちょうだい」
下手に動揺を見せたらいけない。意識して静かな声で告げる。
しかし、有能なソールはこちらの態度に違和感を抱いたようだ。不機嫌そうだった顔をさらにゆがめ、じとりと睨んでくる。
(負けないわよ)
オルテンシアも口を一文字に引き結び、無言で対抗する。
ややあって、ソールはかすれた声を出した。
「そうだな、わかった。渡しておく」
――これが、新たな事件の幕開けとなるとは……そのとき夢にも思っていなかった。