18 悪戯
「飲むと、お腹が緩くなるんですって」
「……え?」
ナランの告げてきた内容の軽さに、オルテンシアは拍子抜けしてしまった。
(毒とかではなかった?)
たしかに過去でオルテンシアは毎日飲まされていても死ななかった。そして……思い返せば、もとの体調的なこともあるが、お腹が結構緩かったかもしれない……。
(へ、へえ……、わたくしに嫌がらせしていたってわけ。いい度胸しているじゃない)
常に傍に控え、ごまをすり、一番の味方のふりをしながら、陰では馬鹿にしていたのか。
うすら寒い気分と、腹の底がふつふつするような怒りを覚えるものの、同時に思う。
(全然気づかなかったわたくしもどうかしているわ)
ナランのことを『根は素直なお嬢様』と評価する一方で、自分こそ周囲が見えていなかったと実感する。
生まれつき高貴な身分のオルテンシアは、かしずかれるのが普通だった。いつも誰からもちやほやされていた。
だから、気にも留めなかったのだ。
彼女らが裏でどれだけ自分を憎らしく思っていたか。
(少し、賢くなったわ。二度目の人生で、わたくしはいろいろ学んでいる)
肩を大きく上下させて息をつく。
そうして、なんとか心を落ち着け、頬に笑顔を貼り付けた。
「うふふ、それっておもしろーい。飲まされた子のしょんぼりする顔が見ものね。でも……こんな珍しいお茶、どうやったら手に入るの? やはり名門ソンブラ家ならではの伝手?」
「いいえ、このあいだ後宮の庭に通されてきた行商人から『あなたさまだけにお見せする素敵な玩具があります』と言ってこっそりと紹介されたのですわ。たくさん高価なものを購入したから、ここで一番権勢が強いと思われたかしら?」
「きっとそうでしょうね。さすがナランだわ」
褒めながら、オルテンシアは少し引っ掛かっていた。
(通りすがりの商人が、ナランだけに見せた……?)
この茶が彼女の実家から持ち出した品であれば、単なる下剤入りの悪戯用の茶だったとして片づけられた。しかし、正体の見えない人物からの流用となると、なんともいえない気持ち悪さが漂う。
(成分を調べてみたい)
だが、簡単に譲ってくれるとは思えない。それと、調べるのは秘密裏に行いたい。
(盗むしかなさそうね)
せっかく悪女を卒業して聖女を目指していたのに、盗みだなんて。
しかし、背に腹は代えられない。
(なにか別のことで気を引いて……そうだわ)
オルテンシアは、開け放たれた扉の向こうへ人差し指を向ける。小声で「えいっ」と念じた。
夕焼け空には、『虹乙女』の生んだ大きな虹がうっすらと架かる。
「見て! ナラン、空がとても綺麗よ」
唐突ではあるが、声を高くして誘導すると、彼女は案外あっさりと引っ掛かる。茶筒をテーブルに置いて、戸口の向こうへ身を乗り出した。
「どれ? ……まあ、虹が出ているの? 通り雨でも降ったのかしら」
(今のうちに)
減ったと気づかれないくらいの少量を、ドレスの袖口へ入れる。
そして、素知らぬふりで外を眺めるナランの横に並んだ。
「また面白いことを見つけたら、ぜひお話していただきたいわ。わたくし、すっかりあなたのお話の魅力に取りつかれてしまったみたい」
「大袈裟ですわ、オルテンシアさまったら」
「今日は楽しかったわ。また遊びにくるわね」
手に入れた茶葉がこぼれないよう袖口を押さえ、軽く会釈した。
ゆっくりと廊下を進み、途中で左へ曲がる。そこから、小走りで部屋へ戻った。
『にゃっ、オルテンシア、どうしたにゃ?』
飛び込んだ部屋には、ケットシーのウニャがでんと座っていた。
「どうしたもこうしたもないわ。怪しい茶葉をナランから奪ってきたのよ」
テーブルの上へざらっとこぼす。
華やかな花の香りがふわっと広がった。
『茶葉……』
ヒゲをひくひくさせながらウニャが顔を寄せる。
「やめたほうがいいわ。匂いで効果があるかわからないけれど、下剤らしいから」
『下剤をお茶に混ぜたにゃ? 嫌なことするにゃ』
「そうね。だから……ちょっとモフらせて」
白いふかふかの毛に顔を埋めて深呼吸をする。
(お日様の匂い。もふもふ……心地がいい)
……少し、気分が落ち着いてきた。まだ頑張れる。
ようやく顔を上げたオルテンシアは、テーブルの上の茶葉を集め、便箋に包んだ。
「どうするにゃ?」
「お兄さまに預けて、成分の調査をしてもらうわ」
今日は王城に伺候しているだろうか。
メイドを呼び、兄がもし城に来ているのならば面会したい旨を伝えてもらう。
――しばらくして、オルテンシアの部屋の扉が叩かれた。
きっと先ほどのメイドが帰ってきてどうだったか伝えてくれるのだと思い、返事と共に扉を開ける。
だが――そこにいたのは。
黒ずくめの服、深緑色の短髪に浅黒い肌をした男が、翡翠色の瞳を剣呑に光らせている。
「え……! ソール=ヴェント!? なぜ、ここに……」
過去世でオルテンシアを「悪女」と罵り続けた天敵が、なぜか腕組をして立っていたのだった。




