17 茶葉
オルテンシアは、グラキス王国の滅亡を回避する使命がある。
幻獣ケットシーに頼まれたからでもあり、自分が平穏に暮らしたいからでもある。
だからこそ、影響されやすい凡庸な国王がまともな治世を引いてくれるよう、彼の一の妃選びに介入したいと思っている。
そんなところへ、ナランから自分を一の妃に推してほしいと頼まれてしまった。
(正直……キャメリア妃かリーリエ妃かレオーネ妃の中から出ると思っていたから、ナランは論外だったわ)
改めて彼女を俯瞰して見る。
身分は申し分なく高い。容姿は平均的だが、悪くない。いつだって綺羅を飾っているため見栄えはいいし、国王好みの派手な化粧を施せば、いい線まで行けるきもする。
(でも……性格は微妙だわ)
今のところ、ちやほやされたいだけに見える。
小物感が強いナランは、かつてのオルテンシアほどの悪女にはならないだろう。しかし、権力を手にすれば人が変わったように「もっともっと」と欲を深めるかもしれない。
現に、かつての兄ラヴァンドのように。
(遠回しに、一の妃を狙わないように仕向けたほうがいいかしら)
オルテンシアはそっけなさを装い、興味がないふりをする。
「わたくしなんてきっと力になれないわ。かえって迷惑をかけたらいけないし」
しかし、ナランは食い下がってくる。
「迷惑なんて気になさらず。それに、難しくなんかありませんわ。こちらには奥の手があるので」
「奥の手?」
言い方が引っ掛かる。興味なさげったオルテンシアが聞き返したので、やる気になったと勘違いしたナランは唇に弧を描く。
「ふふ、お待ちになって。見せてさしあげますわ」
嬉々として、彼女は引き出しからなにかを持ってきた。円柱型の陶器に入った――茶葉のようだ。
もったいをつけながら、ゆっくりと蓋が開かれる。中には、想像通り茶葉らしく、飴色の花の蕾が混じっている特徴的なものだった。
しかし……見た目よりも衝撃的だったのは、その香りだった。
「……っ!!」
オルテンシアは思わず鼻を押さえる。ナランはきょとんとした。
「あら、香りがお嫌い? とても華やかでエキゾチックなお花茶ですのに」
(好きとか嫌いじゃないわ!)
動揺のあまり、オルテンシアは平常心を装えなかった。
(だってこの香りは――かつてわたくしが毎日飲まされていたもの)
過去……一の妃として後宮勢力の中心にいたオルテンシアに、このナランは取り巻きとして日々傍に控えていた。
休憩中や隙間時間、食後といったふとした瞬間、彼女は善意でオルテンシアに茶を淹れてくれた。それが……まさにこの香りをしていたのだ。華やかでかつ珍しい香りは、オルテンシアの自己顕示欲をうまく刺激する素敵なものだった。味は爽やかで、それなのに芳醇な深みがあり、食後のフルーツのような充足感が得られた。彼女が淹れてくれるこの茶を、気に入ってさえいた。
(一日一度は必ず……。二度飲んだことだってある)
驚愕と戦慄の狭間で、彼女を見つめる。
「これは……いったい、なんの、お茶なの」
肩で息をしながら切れ切れに問いかける。
(身体に悪いものだったの? 毒……とか?)
いや、さすがにそれはない。オルテンシアの死因は処刑である。
「そんなにお嫌い?」
ナランは肩をすくめて蓋を閉ざす。オルテンシアは気が急くやら苛立ちが募るやらで、常より声を荒らげて再び問うた。
「なんのお茶なのかって聞いているのよ!」
「ど、どうされたのです? 単なる異国の花茶ですわ……、東の方の後宮で流行っているんですって」
「『奥の手』と言ったわよね? 普通のお茶ではないのでしょう?」
「……」
こちらの勢いに、ナランは黙ってしまった。ようやくオルテンシアは我に返る。
(これではだめよ。もっと賢く立ち回らないと)
ばくばくする心臓を必死になだめる。深呼吸をしてから、これまでと口調を切り替えて話す。
「ナランは……とても、聡明で素敵な女性だから……、その『奥の手』を使ってなにをするつもりなのか、わたくしなんかには見当もつかないわ」
彼女はおだてられるのが好きで、調子に乗りやすい。根は素直なお嬢様なのだ。だから、こちらが下手に出なければ。
「きっと、とても素晴らしい考えがあるのでしょうね。ああ、気になって今夜はきっと眠れないわ」
「ま。うふふ、オルテンシアさまったら、そこまで気になさるの?」
その気になったナランは、密やかな声で「教えてあげてもよろしくてよ?」と囁く。
オルテンシアは、とびきり目を見開いて、喜んでみせた。
「わあ、ぜひ」
ナランは満足げに鼻を鳴らす。そしてさらに声をひそめて告げてきた。
「これは敵対する相手に嫌がらせで飲ませるお茶よ。効果のほどは――」