16 一の妃
やがて、窓から差し込む陽に赤い色が混じりはじめた。
ナランが食事の時間を口にしたことで、お開きの雰囲気になる。
「とても楽しかったですわ」
「また、お話しさせてくださいませね」
女の子たちは、一人また一人と笑顔で去っていく。
オルテンシアは彼女から渡されたストールを返したくて、退出を最後まで待った。みんなの前で返品したら、彼女の面目を潰してしまうからだ。今後の関係に角が立つ。
「あら、オルテンシアさま。まだなにか?」
「先ほどは素敵なアドバイスをありがとう。参考にさせてもらうけれど、これはお返しするわ」
「遠慮しなくてよろしいのよ」
「遠慮ではないの。わたくしよりもあなたのほうがずっと似合うと思うから、いただけないわ」
機嫌を損ねないよう言葉を選ぶ。
ナランは納得してくれたのか、ぞんざいに手を出してきた。丁寧に畳んでお返しすれば、彼女はそれをテーブルに放った。
(この態度。さっきの女の子たちとも違う。よほどわたくしを馬鹿にしているの?)
正直かちんとはくる。いくらこの中で一番見目が悪かろうが、オルテンシアはアクア家の令嬢だ。馬鹿にしていいはずがない。
(でも……、わたくしこそ、そういう身分を鼻にかけた振る舞いや考え方を直していかなくてはいけないのだわ)
心も生まれ変わると決めた以上、かつてのような居丈高な態度は慎もう。それに、ここでナランを反論したところで建設的ではない。不満は心にとどめておくのが賢明だ。
「ところで……、オルテンシアさまは後宮の情勢をどうご覧になっていらっしゃる?」
ふいに、ナランが尋ねてくる。
「情勢?」
「ええ。先ほど集まっていた子たちの中に、有望そうな子はいたかしら? たとえば、一の妃に選ばれるような」
彼女は瞳をいっそう輝かせてこちらをじっと見つめてくる。
(これまさか、『あなたが一番よ』と言ってほしい感じ?)
格下認定したオルテンシアの意見など気にする必要はないのに。わざわざ訊いてくるとは、内心では自信があまりないのかもしれない。
彼女の機嫌を取るつもりはないので、素直に思うところを述べてみる。
「最有力は、キャメリア=フエゴだと思うわ」
「キャメリア=フエゴ……」
歯ぎしりの音が聞こえてきそうなくらい、ナランは歯を食いしばる。
「あの派手な女ね。姓がフエゴというだけでエルブレフ王国の末裔だとか名乗っているらしいじゃない」
「名乗ってはいないと思うけれど……。周りが噂しているだけでしょう」
「同じよ。自分で噂を流したに決まっているわ。陛下との謁見時にも一番目立っていたし、時々陛下に呼ばれて食事を共にしているとかいないとか。庶民のくせに生意気だわ」
一年後の後宮内の序列を決める際、出自も考慮はされる。だがしかし、一番は国王の気持ちなので庶民が一の妃になっても不思議ではない。
実際、後宮内の貴族と庶民の娘の人数の割合は半々なのだった。
「あの子、血みたいな色の髪をしていたわね。あんな子が一の妃なんかになったら、不吉だわ」
ナランはオレンジ色の髪をさわりながら毒づく。彼女は自分の髪色が赤でも黄色でもない中間色なのをあまり気に入っていないらしいのだった。かつてのオルテンシアが美しいスカイブルーの髪をしていたのを、いつも羨ましがっていたものだ。
キャメリアの鮮やかな髪色にますます劣等感を刺激されたのか、ナランは親指の爪を嚙む。
(……これは、単なる嫉妬というより根深いかもしれないわ)
オルテンシアははっとする。
(まさか、ナランも一の妃を狙っているの?)
女の子たちからちやほやされて有頂天になっているだけかと思えば、そういうことか。
こちらは臆することがないため、ずばり尋ねてみる。
「ナランは一番になりたいの?」
「さ、さあ……、それは陛下のお心次第ですわ。でも、周りがどうしてもと言うのであれば、一の妃を引き受けるのくらい、やぶさかではありませんのよ」
さすがに大言は避けたようだが、願望がダダ洩れである。
(まあ……後宮入りしたからには頂点を目指したい気持ちはわかるけれど)
過去の自分こそがナランと同じ考えだったわけで、彼女を責める気にはなれなかった。
ナランが一の妃になるのを応援するつもりはないが、なんとなく放っておけずに助言をしてしまう。
「あなたの場合は高貴な家柄を最大限に利用して、陛下の周囲に取り入るのが一番効率がいいでしょうね」
ナランはびっくりした様子で目を見開く。
「そう、たしかに……そうですわ。陛下のご意向は考慮されますが、最終的に妃の序列を決めるのは周囲の者ですものね」
そして、意味ありげなまなざしを送ってくる。
「ですが、それでいけばオルテンシアさま、あなたこそ先ほどのような手段を最も駆使できるのではございません?」
「わたくしはやらないわ。興味がないの」
その言葉を待っていたとばかり、彼女は前のめりに食いついてくる。
「では、わたくしの協力者になりませんこと?」
「協力者? つまり、あなたを一の妃に推すサポートをしろと?」
「もちろん、ただでとは申しません。見返りはそれなりに考えてございましてよ」
ナランは思わせぶりな口調で言うと、つんと顎を突き上げた。