1 断頭台
その日、グラキス王国の民衆広場では、オルテンシア=アクアの処刑が行われた。
「押すな、押すな!」
傾国の悪女を一目見ようと、群衆は断頭台へ押し寄せる。それを、反乱軍の兵士たちが槍を横に構えて必死に押し戻していた。
「綺麗なスカイブルーの髪をちょうだい!」
「俺は虹色に輝く爪がほしい」
「ドレスの切れ端でもいいわ」
人々の目は血走っている。たった今、大熱狂の中で斬首された悪女の身体の一部を切り取ろうと必死だった。
オルテンシア=アクアはグラキス王国の若き王をたぶらかし、贅沢三昧な暮らしをして国を傾けた希代の悪女である。
しかし同時に、誰より気高く傲慢で最上級の美貌をほこった女性でもあった。
人々は、心は悪女ながら見た目は聖女のようであった彼女へ、深い怒りを覚えながらも強い憧憬を抱いていた。
「絹の手ざわりだっていう肌をさわらせてよ」
「その目をくりぬいて、うちの祭壇に飾りたい」
「離れろ! 散れ! 散るんだ!」
一向に収まらない騒ぎへ、馬に乗った兵士たちがやってきた。群がる老若男女へ容赦なく鞭を振るい始める。
三日間降り続いた秋霖でぬかるんだ土が跳ね上がる。頭と胴体と切り離されて転がるオルテンシアの遺体は、茶色く醜いまだら模様に染められていった――。
『嘘よ……』
死んで霊魂となったオルテンシアは、断頭台に立ちつくしていた。眼下には、自分の無残な身体がある。
さらに、生首の転がるすぐ横のさらし台には、すでに断頭された別の首が載っている。それは――オルテンシアの兄にして、グラキス王国の宰相を務めていたラヴァンド=アクアのものだ。
『……お兄さま』
彼は花鳥風月を愛で、美しいものをひたすら愛していた。それが、いつのころからか豹変してしまったのだ。
妹が王の寵姫となるや、その権力を笠に着て国で一番の権力を持つ宰相へと上り詰めた。私利私欲に走り、以前から王に仕えていた忠臣を遠ざけ、佞臣ばかりで周囲を固めた。王をお飾りにして、享楽に溺れさせた。ラヴァンドはそのあいだ自由に政治を動かし、国を滅茶苦茶にしてしまった。
反乱軍からもグラキス王国の民からも恨まれ、グラキス王国始まって以来の大悪党だと、ラヴァンド=アクアの名は歴史に刻まれた。
そのため兄は、国の惨状を見かねて蜂起した反乱軍によって一番初めに処刑された。この民衆広場で大衆の目にさらされ、多くの罵りの中で斬首されたのだ。
死んでもなお、こうやって風雨にさらされて、憎しみの象徴となっている。
かつては夜空のきらめきを宿したように艶やかな藍色の髪をしていたのに、今やそれは黒ずんで散らばり、カラスにつつかれて肉片となった小さな輪郭を寂しく包んでいる。
『わたくしの首もここに並べられる?』
ラヴァンドの次は妹の悪女だとばかり、本日オルテンシアの処刑が執行された。
兄妹揃って罪人の遺体は、昼間は人々から唾を吐きかけられ、夜は鳥獣の餌食となるのだろうか。それとも、詰めかける群衆の波にあちこちを切り取られて跡形もなくなるのか。
『なんて……屈辱的なの』
自分はグラキス王国初代国王のひ孫にして、現王のまたいとこ。生まれながらの高貴なる姫君だった。敬われこそすれ、悪の象徴として大衆の見せしめにされるなどとんでもない。
『嫌よ、こんなの。耐えられない』
もしもやり直せるのなら……絶対に同じ人生は歩みたくない。
『生まれ変わりがあるのなら、次は堅実で質素で賢く立ち回れる人になるわ』
美貌なんていらない。贅沢なんていらない。
平和で穏やかな暮らしをしたい――!
強く念じた瞬間、暗雲立ち込める空が一層暗くなった。
雨脚が強くなり、冷たい突風が吹く。
刹那、天を閃光が切り裂いた。轟音が鳴り、金の矛のごとき稲妻が処刑台を貫く。下方から噴水のごとく火が燃えあがった。
「落ちたわっ」
「火事だ!」
「下がれ、炎に巻きこまれるぞ」
前へ詰めかけていた群衆は、波が引くように一気に広場から出ていった。何人か転んで押しつぶされた者もいたようで、泥の中でドジョウのように蠢いている。
もともと寄せ集めの反乱軍は、火事の混乱で指揮系統が麻痺したようだ。兵士は負傷者を助けることもせず、消火活動もままならず、なすすべもなく右往左往している。
雷が生んだ炎は風に煽られ、唸りをあげた。オルテンシアの亡骸ごと断頭台を赤く包み、軋んだ音を立てては白い木の葉のごとき灰を噴き出す。
半刻もしないうち処刑台は燃え落ちた。黒い屑となった塊へ、空からは涙の雨が降り注ぐ。
傾国の悪女オルテンシア=アクアの遺体は、こうしてこの世から跡形もなく消え去った……。
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