5 今どき女子突撃事情
待ちに待った昼休みになった。
経理部と営業部がある表側のオフィスの裏側に、製造部の職場である工場が建っている。
派遣社員の神藤はそこに配属されている筈だった。
入社の書類が入ったクリアファイルを抱き締めて工場内に入ると、オイルと鉄粉の混じった独特な匂いが鼻を刺激する。
既に休憩に入った作業員達はスマホを見たり、自前の弁当を食べたりと各自で寛いでいる。
スマホを眺めていた顔見知りの派遣のおじさんに杏梨は声を掛けた。
「あのー、今日から派遣で来てる神藤さんって人、いませんか?」
「ああ、新入りなら、午後から納品に行けって言われてたよ。駐車場にいるんじゃない?」
駐車場の方を顎でしゃくって、興味なさそうにおじさんはそう言うと再びスマホに視線を落とした。
営業部ご用達の社用車と製造部ご用達トラックやバンが常時駐車されている広い駐車場を、杏梨は歩き回って車両の中を探す。
一番奥に駐車されていた白いバンの中で、運転席のシートを倒して昼寝している神藤を見つけた。
その窓をコツコツ叩いて「すみません!」と声を掛けると、びっくりした顔で彼は飛び上がる。
「ああ、朝のお嬢さんですね。えーと、ここに私を探しに来たということは、やっぱり朝の一件のせいで私は解雇になったんでしょうか?」
乱れた髪を掻き上げながら車のドアを開けると、神藤はあたふたとそう言った。
眼鏡を外した顔は朝よりも若く見える。
杏梨はクリアファイルを渡しながら、笑って答えた。
「違いますよ。あたしは経理部の給料担当なので神藤さんの入社の書類持ってきたんです。それに、訴える訳ないですよ。あいつが先に手を出したんだから」
「あ、ああ、そうでしたか。いや、良かったです。初日でクビなんて笑えませんからね」
ほっとしたように神藤は目尻を下げて笑った。
「あの、入社の書類の説明があるので、あたしも車に入っていいですか?」
「ああ、はい。勿論」
助手席のドアを開けて貰って、杏梨は彼の隣に座った。
年代物のバンは作業員達のタバコの匂いが染み込み、お世辞にも綺麗な空間とは言い難く、しかも、いまだにシフトレバーとクラッチがついている骨董品的車両だ。
「すごーい!神藤さん、この車、運転できるんですか?」
「え? そりゃ、できますよ。普通車両だから特別な免許要らないですよ?」
「このバンね、敬太……営業部は乗れない人多いんですよ。若い人多いから、皆オートマチック限定なんだって」
「あ、なるほど」
神藤はやられたというように頭を掻いた。
「私達の時代はまだマニュアルで免許取るのが普通だったんですよ。オートマティック限定免許っていうのができたばっかりだったし、あの頃は皆スポーツカー乗りたがりましたからね。今の若い人はオートマ限定が主流だから乗れない人多いでしょうが、これも時代ですね」
「じゃあ、神藤さんも若い頃はスポーツカー乗ってたんですか?」
「まあ、かっこいい車でないと女の子とデートできない時代だったんで」
女の子とデートする為にかっこいい車に乗らなければならない……。
その発想がもう可笑しかった。
敬太はまず外に出たがらないし、女の子の為にコーヒーさえ奢りたくないし、その為に車を所有するなんて愚の骨頂だと笑うだろう。
自宅でスマホ見ているのが至福の時間である彼には、そもそも車なんて必要ない。
いや、出費が増えるくらいなら、女の子だって必要ないのかもしれない。
「どんな車だったんですか?」
「スカイライン。私、走り屋だったんで、改造して埠頭に行ったり、その後女の子送ってあげたりしてね」
「へえ……走り屋さん?」
初めて聞いた言葉に杏梨は戸惑った。
埠頭に何をしに行くのだろう?
「……いや、何でもないです。今の若い女の子にはもう分かんないですよね」
神藤は苦笑しながら、髪を掻き上げた。