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突然、会社の玄関の自動ドアが大きく開き、今度は30代くらいの男性が駆け込んできた。
少し小太り、よく言えばがっちりとした体格のその男は、ふうふう言いながら二人の前まで来ると肩で大きく息をする。
彼がジャケット代わりに着ている作業着に『人材派遣・スタッフサービス』のロゴが見えて、この人が神藤さんの派遣会社の担当者なのだと分った。
「いやー、すんません!送迎に時間掛かっちゃって。神藤さん、待ちましたか?」
「いや、私も今来たところです」
「今度の現場はこの会社の製造部で自動車部品の加工と運搬業務ですけど、経験あるんですよね?」
「一応、なんでもできます。色んな仕事してるんで」
「ありがたいなあ、そういう人! 神藤さん、めっちゃスペック高いじゃないですか!」
神藤さんは困ったように苦笑しながら、「クビになる回数が多いだけですよ」と小さな声で言ったのを杏梨は聞き逃さなかった。
どうやら今からこの会社の製造部に配属されるらしい。
杏梨は仕事の話のお邪魔にならないようにそっとフェイドアウトする。
「……じゃ、あたしはこれで。本当にありがとうございました」
「ああ、お気になさらず。会社のどこかで会えたら宜しくお願いします」
神藤さんは慇懃に頭を下げると、担当者と仕事の話に戻った。
◇◇◇
「三浦さん、新しい派遣の人来たから、タイムカードの用意よろしくね。あ、あと、ロッカーの鍵と社員証の名札も用意して。安全靴は派遣の方で用意するらしいから大丈夫、と」
経理部の中の新人担当の亜優先輩は、手際よく仕事を割り振ってくれる。
短大を卒業してから入社した杏梨は、まだ社会人生活は2年目で、ようやく自力でやりくりできるようになったところだ。
まだ不安があるのは自他共に認めるところなので、亜優先輩がいちいち指図してくれるのは寧ろありがたい。
『神藤恭介・派遣・スタッフサービス』と印字されたタイムカードを眺めて、ドラマみたいだった今朝の出来事を思い出す。
実を言えば、杏梨の業務は給料計算と派遣社員の入社・退社の手続きなので、彼とはすぐに再会する筈だった。
「先輩、この派遣の人って、歳はいくつくらいなんですか?」
「あ、履歴書あるよ。見る?」
亜優先輩はさらりと言って、A4の紙に印刷された派遣社員用のフォーマットを渡してくれた。
フォーマットの右上には、眼鏡を掛けていない神藤さんの顔写真が貼ってある。
端正な顔立ちだけど写真だと皺の陰影が濃く見えて、実物よりも老けて見えるのが残念だ。
「昭和47年生まれ……今、50歳かあ」
「その歳で派遣社員って大変だよね。まさに氷河期世代じゃん」
「氷河期……」
「バブル崩壊した時にちょうど卒業することになった可哀想な世代なんでしょ? 就職先がなくて正社員になれなかった人達がいまでも派遣で働いてるんだって。若者だってコロナ世代は就職先減っちゃって大変だったから、いつの時代も不運な人はいるよね」
あたしが今23歳で、神藤さんが50歳なら27年の年の差か。
お父さんがいたとしたら、本当にこのくらいの歳だろうな。
半分白い髪はロマンスグレーと言えない事もないし、中年太りしていないだけ若く見えるし……。
総合的に見て、27歳という年齢差を差し引いても神藤さんの方が男前だという結論に到達した。
勿論、比較の対象は現役彼氏である敬太なのだが。
「それより、今度の日曜日大丈夫よね?」
亜優先輩が周りを見ながらこっそり耳打ちする。
「あ、先輩の結婚式ですよね。勿論、大丈夫です。楽しみにしてますよ」
杏梨はニッコリ笑って親指を立てる。
亜優先輩は同じ経理部で人事課の男性と長い間社内恋愛していて、今週の日曜日にとうとう結婚することになっていた。
社内恋愛ということで、正社員はほぼ全員参加の予定になっていた。
おめでたい席に招待されるのは嬉しいけど、敬太もそこにいるのかと思うと気が重い。
だが、まずは今、お昼休みに神藤さんにタイムカードを渡しに行くというイベントがある。
少しウキウキした気持ちになって、杏梨は必要書類をクリアファイルに纏めた。