表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

3 中年派遣社員事情


 

 翌日、出社すると経理部のドアの前の廊下で敬太が待っていた。

 こちらに近寄って来るのを無視してドアを開けようとしたところを、手首を掴まれる。

 線は細いけどさすがに男だ。

 意外と力が強くて、握られた杏梨の手首が白くなっていく。


「ちょっと、やめてよ!ここ会社なんだけど!」

「昨日は悪かったよ。でも、あんな帰り方することないだろ? 僕の立場なくなっちゃったじゃん」


 K-POPアイドルみたいな綺麗な顔が苛ついて歪んでいる。

 謝りに来たのかと思えば、この期に及んで文句を言いに来たんだ。

 呆れるのを通り越して、腹が立ってきた。


「まさか、それ言いたくてここで待ってたの? さっさと自分の職場に帰ったら?」

「杏梨だって僕が謝りに来るの待ってたんだろ? せっかくこっちが下手に出てるんだから今のうちに仲直りしておいた方が良くない?」

「はあ!? なんであたしが仲直りしたい前提なわけ? ばっかじゃないの!?」


 そう言い放った途端に、彼の顔が変わった。

 細い切れ長の目が吊り上がり、白い顔がさっと赤くなる。


「……なんだよ、人がせっかく歩み寄ってやってるってのに」


 手首を握る力が急に強くなって、杏梨はドアを開けようとノブに手を掛けた。

 この時間なら経理部には誰かがいる筈だ。

 それをさせまいと、敬太は杏梨の手を掴んだまま廊下に引き摺りだそうとした。


「や、やめてよ!」


 怖くなって思わず声が出た時、敬太の後ろから別の人影が突然現れた。

 杏梨の手首を掴んだ敬太の腕を後ろから捻り上げると、容易く羽交い絞めにした。


「え、ちょっと、いてっ!いたたた!!」


 いきなり背後から腕関節を取られて羽交い絞めにされた敬太は、状況が呑み込めないまま悲鳴を上げる。

 ようやく自由になった杏梨は痕が残った手首を庇いながら後退った。


「なんだか知らないけど、朝っぱらから会社でみっともないですよ。女の子が嫌がることはしない方がいいと思いますけど」


 敬太を羽交い絞めにしているのは、ネイビーの工業用作業着を上下で纏った男性だった。

 白髪が混じった長めの前髪をオールバックにして、黒いフレームの眼鏡を掛けている。

 歳のころは親と同世代くらいに見えるが、背が高くて姿勢が良い。

 体の大きさは敬太と同じくらいなのに、威圧感が全然違う。

 いきなり背後から拘束された敬太はパニックになって、ジタバタしながら喚いた。


「はあ!? 別に嫌がることなんかしてないですよ。てか、あなた関係ないですよね!?」

「関係ありますよ。私は経理部に用があって来たんですが、ここで君達が痴話喧嘩してたら入れないでしょう?」


 半分白い髪の男性は敬太の腕を尚も捻り上げながら穏やかに答えた。

 完全にキレた敬太は腕を外そうと反撃を試みる。


「うるさいな!放せよ、オッサン!あんたこそ、その作業着は製造部の派遣だろ!? ここで問題起こしたら契約終了前に首が飛ぶぞ!」

「……そんな事分かってますよ。 でも、見てられなくてねえ、男のクズは」

「はあ!? オッサンが、いい加減にしろよ!」

「そちらこそ……分かんねえかな? ただ、俺は場所を弁えろって言ってんだよ、このクズが!」


 そう言うなり、敬太はドン!と突き飛ばされ、廊下に転がり込むように倒れた。

 さっきまで穏やかなジェントルマンの口調だったおじ様がいきなり元ヤンに変貌して、杏梨は耳を疑う。

 白い顔を青くして、敬太はなんとか起き上がると脱兎の如く駆け出してフロアから消えた。

 後には、茫然としている杏梨とおじ様がポツンと残された。


「……ああ、またやってしまった。ここもクビか」


 ポツンと一言、おじ様は呟いて両手で顔を覆う。

 杏梨は思わず駆け寄って、彼の手を取った。


「そんな事絶対にさせません! 最初にあたしにパワハラしてきたのは敬太の方なんです! あいつが何か言い出したら、あたしもあいつの事訴えますから!助けて下さってありがとうございました!」

「いや、お礼言われるようなことは何も……。でも、そうして頂けると本当に助かります。実は今日が初日で、ここもクビになったら派遣会社の担当さんにまた怒られちゃいますから」


 目尻に皺を寄せて、彼は嬉しそうに表情を崩した。

 

……お父さんみたい。


 年齢的にも杏梨の父と同じくらいの年代だろう。

 だが、母子家庭で育った杏梨にとって、『お父さん』はあくまで幻想の中のキャラだった。

 

 きっとあたしにお父さんがいたら、こんな穏やかで素敵なおじ様だったに違いない……!

 

 勝手な妄想に耽っていると、おじ様が決まり悪そうに手をそっと放した。


「あ、すいません。初出勤の会社の中でこんな若い綺麗なお嬢さんと手を繋いでるのを見られたら、私、またクビになっちゃいますので……」

「あ!ご、ごめんなさい!」

「あ、いや、嬉しいんですよ。でもちょっとここはマズイかなと」


 苦笑しながら、おじ様は両手を振った。

 その手は硬くて節くれだっているけど、指が長くて温かかった。


「お嬢さんは経理部の方なんですか?」

「あ、はい。助けて頂いてありがとうございます! あたし、三浦杏梨みうらあんりと言います。経理部2年目です」

杏梨あんりちゃんですか。今時の可愛い名前ですね。私は製造部の派遣社員なのであまり会う事もないと思いますが、神藤恭介です。どこかで会ったら宜しくお願いします」


 おじ様改め、神藤は穏やかに笑った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ