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ようやく手に入れたキャラメルマキアートと紙ストローを持って、敬太の待っている窓際の席につく。
彼はゆったりした一人用のソファに足を組んでくつろいでいた。
手にはスマホが握られていて、杏梨が席についても顔も上げようとしない。
「ねえ、何見てるの?」
「別に。インスタチェックしてるだけ」
スマホから視線を逸らす事もなく、面倒臭そうに返事だけはする。
ワイヤレスイヤホンが常に彼の両耳を塞いでいて、声が聞こえているのかも疑問だ。
「……どうでもいいけどさ。敬太って女にコーヒー奢ってくれない派だよね?」
「は? なんで? 杏梨だって働いてるじゃん。男女同権でしょ?」
目だけ視線を上げて、敬太はすぐに反論してきた。
メディアのご意見番タレントの影響を受け過ぎて、屁理屈で論破するのがかっこいいと思っている彼は、人の言った事が気に入らないとすぐに揚げ足を取って、言い負かしてはマウントを取りたがる。
「奢って欲しい訳じゃないよ。最近、ネットで『男は女に奢るべきか』って話がよく出てたからさ。話のネタに言ってみただけ」
「そう? なら、僕は奢らない派だな。だって、女性の権利を認めろって世界中のフェミニストが声を上げてるこの時代に、コーヒーくらいは男気を見せておごるべきとか、意味分かんなくない? 女性だって所得があるなら、社会的弱者の男には奢ってあげて然るべきなんだよ。大体、イクメンとか本来女性の仕事である育児や家事も男にさせようって国家単位で動いてる時代に、奢ってもらう時だけ臨機応変に女を出してくるのって君はどう思う?」
うーわ、めんどくさー……
飲みにくい紙ストローでキャラメルマキアートを吸い込みながら、杏梨はもう後悔し始めた。
ボキャブラリーの少ない人間を論破するのが、彼が男のプライドを保つ唯一の手段なのだ。
「もういいよ。せっかく久し振りに外でたんだから、これ飲み終わったらどっか行こうよ。あたし、付き合って欲しいところがあるんだ」
こんなつまらない話でヒートアップして、彼の機嫌が悪くなったら最悪だ。
杏梨は気を取り直すように、テンションを上げて話を切り替える。
整えられた細い眉を片方だけ上げて、圭太は「はあ?」とあからさまに嫌な顔をした。
「これからどっか行くなら、最初からそこに行けば良かったんじゃない? なんでここで待ち合わせたの? 効率悪くない? てか、僕が抹茶フラペチーノ飲んだ意味なくね?」
「ここでコーヒー飲むつもりなんかなかったのに、一人で勝手に入って買っちゃったのはそっちじゃない」
「はあ? 僕のせいってこと? 杏梨がここに来いって言ったんでしょ?」
はあーっと白々しい溜息を大仰について、敬太はソファに仰け反って天を仰ぐ。
ここまでくると嫌味もいっそ清々しい。
もう相手をするのが面倒臭くなってきた。
「だから、それは待ち合わせの為だったんだけど。あたしはコーヒー飲みに来たわけじゃないんだから」
「まあ、どうでもいいよ。で、どこ行きたいの?」
「……本屋さん。新刊がそろそろ出てる筈なんだ」
「はあ? 書籍を本屋で買うの?」
圭太は大袈裟なほど驚愕の表情で、未知の生物を見たような顔で杏梨を見た。
「今時、本を本屋で買う人いるんだ!? ネットで予約しておけば、発売日と同時に自宅に郵送されるのに、どうして発売日かも分からない日に本屋に探しに行くのか理解不能なんだけど」
「なかったらなかったでいいのよ。でも、他にも読みたい本が見つかるかもしれないじゃない。それはそれで楽しいでしょ?」
「それって本来は必要のない本を買っちゃうって事ですよね。それって、時間とお金が無駄じゃないのかな?」
畳み込むように反論してくる彼のドヤ顔を見て、杏梨は本格的にうんざりしてきた。
彼の言う事はいちいち正論なのだろうが、それを良しとするのかどうかは彼が決める事ではない。
「分かりました! もういいよ。本屋さんにはあたし一人で行くから。こんなところまで呼び出して、抹茶フラペチーノ買う羽目になっちゃってごめんね!」
まだ半分残っているキャラメルマキアートをテーブルの上に残して、杏梨は立ち上がった。
本気で怒った雰囲気に怖気づいたのか、敬太は慌てて一緒に立ち上がる。
「ちょっと、本気で怒ることないじゃん。軽い冗談だって、分かんないかなあ」
「分かんないわよ。冗談だったらもっと面白い事言ったら? 屁理屈ばっかり言ってヒロユキに影響され過ぎじゃないの? ばっかみたい!」
白い細面の顔に困惑が浮かんだ。
自分はマウント取りたがるくせに、反撃されるのには滅法弱い。
敬太に限らず、この手の理屈屋は面と向かってやり返されるのに慣れていないのだ。
ネットの掲示板で散々悪口書いて荒らしてる人って、実際会ったらこんなもんなんだろう。
「今日はもう帰るわ。つまんないとこに呼び出してごめんね!もう誘わないから!」
杏梨は踵を返して、さっさとスタバを後にした。