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その時、突然スマホが鳴って、神藤は慌ててヘッドホンを外す。
交友関係も殆どなくなった彼の携帯が鳴ることは年に一度あるかないかの事件だ。
『川村 達也』
パネルに現れた名前を、神藤は思わず二度見した。
達也は高校の時のサッカー部だった時からの付き合いで、一緒にディスコでバイトしていたこともある数少ない旧友の一人だった。
ディスコで知り合った陽子とは共通の友人でもある。
同じ氷河期世代なのに、川村は卒業後、公務員になって今はそこそこの役職まで上がっている。
会う度に出世魚のように肩書が変わっていて、派遣される度に解雇されて職歴が増えていく神藤とは、大分違う人生を送っている。
結婚する前はよく一緒に飲み歩いていたが、お互い結婚してからはどちらともなく疎遠になって、最後にあったのは何年前だろうといった感じだった。
「・・・恭介か? 久し振りだな。元気にしてるか?」
落ち着いた低い声がスマホから響いていた。
よく知ってる旧友の筈なのに、久し振りに聞いたその声はいかにも部長といった感じの大人の声で、着信に名前が表示されなかったら市役所からの市県民税の催促コールかと思っただろう。
「達也か。久し振りだな。俺は元気・・・って訳でもねえけど、まあ生きてるよ。どうした?」
本音を言えば、元気な筈はない。
前の派遣先で喧嘩してクビになってから3カ月失業保険で生活して、昨日からようやく新しい現場に出勤したばかりなのだ。
実家に戻った陽子との結婚生活もあと一年の執行猶予だ。
22歳で公務員になってから一度も仕事辞めた事ない達也には、別の国の話に聞こえるだろう。
電話の向こうで達也がクックッ・・・と低く笑う声がした。
渋いその声は任侠映画のドンみたいでかっこいいのだが、達也ってこんなヤツだったっけ?と、神藤はスマホを見つめて首を傾げた。
人間、仕事で偉くなるとキャラも変わるらしい。
「お前は相変わらずだな、恭介。仕事は順調なのか? 陽子ちゃんは元気か?」
「仕事は昨日から再開でまだ二日目だ。今までは失業保険生活だよ。陽子は・・・元気だけど、俺達の仲は最悪だ。来年には離婚成立の予定だしな。お前は順調そうで良いよな」
「順調って訳でもないけど、定年退職まであと10年だからな。まあ、何とかやり過ごしてるよ」
・・・定年退職って、なんだ、それは!?
俺なんか定年という概念がないどころか、年金足りなくって一生働く羽目になりそうなのに!
神藤はイラッとして思わず出そうになった台詞を必死で呑み込んだ。
余裕があるくせに大変ぶってるところが腹が立つけど、これは完全なるやっかみなので男らしく黙っておく。
「で? 急に電話してきたのは何なんだよ? 何かあったのか?」
「いや・・・実は、親友のお前に頼みたい事があって電話したんだ・・・」
常に優秀だった達也が改まってお願いとは珍しい。
言い難そうに電話の向こうでモジモジしているのも気になるが、腐れ縁のこの友人のお願いならば聞かない訳にはいかないだろう。
「俺とお前の付き合いじゃないか。何でも言ってみろよ。金なら貸せないけど」
「ハハハ・・・お前に金を無心する程落ちぶれてないから安心しろ。じゃあ、俺の願いを聞いてくれるんだな?」
「俺が聞きたいのはお願いの内容だ・・・てか、冒頭で軽くディスっただろ?」
「ディスったつもりはないが、先にお前が金なら無いって言ったんじゃないか」
「無いとは言ってない! 貸せないって言ったんだ!」
「どっちでも同じだろう。俺は金には困ってないから安心しろ」
「うるせえ!それこそどうでもいいわ! あーもー! 何なんだよ、お前のお願いって!?」
自分で堀った墓穴で勝手に大きくして自爆した神藤は苛々して喚いた。
電話の向こうで達也は暫く沈黙した後、低い声で呟くように語り出す。
「なあ、恭介。覚えているか? 俺達の学生時代ってさ、金はなかったけど、学園祭でコピーバンドやったり、ディスコで踊って女の子ナンパしたり、楽しかったよな」
「ああ? 何の話だよ?」
「あの時の俺達って輝いてただろう? 若い頃って怖いものなしだったよなあ。朝まで酒飲んで、タバコ吸って、語り合っただろう?」
「別に酒もタバコもやりたきゃやればいいじゃねえか・・・てか、マジで何の話だよ?」
達也は意を決したように、大きく息を吐いた。
「実はな、俺と一緒に青春の思い出の『オンリーユー』を演奏して欲しいんだ」
「・・・なんて?」
「『オンリーユー』だよ。一緒に演奏したじゃないか、高校の学祭でコピーバンドで出場して・・・」
「俺が分かんないのは、どういう状況で50歳になったお前とコピーバンドやんなきゃなんないのかって事なんだが」
突拍子もない事を言っているのに、口調は終始真面目で渋い声なのが笑える。
今はそれ以前の問題だ。
電話の向こうで達也はフッとかっこよく笑って渋くキメた。
「実は職場の健康診断で再検査の判定が出てたんだ。どうやら大腸がんの疑いがあるらしい」
「えっ!? マジかよ!」
「仕事ばっかりで不摂生な生活を続けて来たツケが回ってきたんだな。手術の前に、青春時代を一緒に過ごしたお前ともう一度、何かを一緒にやってみたいんだ。若い時の怖いもの知らずだった俺を取り戻したいんだよ」
「そのなにかが『オンリーユー』ってこと?」
要するに、ヤンチャだった頃を思い出して、手術前に自信つけときたいってことか?
確かに高校時代の俺達はバカ丸出しだったが、バカ故に無敵だったよな・・・。
達也は力強く言った。
「そうだ。俺にとっての青春の象徴がお前と一緒に演奏した『オンリーユー』なんだ。あの若かった時代を思い出してから手術を受けたいんだよ」
「ああ、そういうことね・・・」
分かるような分からないような理屈だったが、友人ががんの手術を前に気弱になってる事は間違いない。
こんな事で勇気が出るなら、喜んで協力したいと神藤は素直に思った。
「いいぜ、付き合ってやるよ。でも、具体的にはどうすんだよ? 俺がギターボーカルにしても、お前がドラムだろ? ベースやってた谷口は連絡取れるのか?」
「谷口は最近、長崎県に転勤になって戻って来れないらしい。代わりは俺の部下に頼むから大丈夫だ。披露するのには絶好の舞台を用意する。お前はとにかく、昔を思い出して練習しておいてくれればいいから」
「なんかよく分かんないけど、適当に練習はしておくわ。それより体調気をつけろよ」
達也は渋い声で「ありがとう」と言うと、電話を切った。