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 神藤のTANTOが自宅に到着した頃、外はすっかり暗くなっていた。

 小さな川沿いに建つ木造二階建ての建売住宅の駐車場に車を停めて、途中のスーパーで買って来た総菜が入ったレジ袋を引っ張り出す。

 ローンの返済がまだ残っているこの一戸建てが神藤の住まいだった。


 誰もいない真っ暗な部屋の電気をつけて、まずは汚れた作業着を脱ぎ捨てる。

 シャワーを浴びてから、冷蔵庫からビールを一本出して一気に飲み干した。

 これも本当は節約したいところなのだが、どうしてもシャワーの後のビールは止められない。

 ゴミが溜まってきたキッチンをなるべく見ないようにしながら、ダイニングテーブルに腰掛け、先程の総菜を摘まみ始めた。

 

 妻の陽子と別居してからもう3年経った。

 息子の翼が他県の国立大学に進学して下宿生活を始めたのを機に、陽子は別居を提案してきたのだ。

 

「本当は離婚したいくらいなんだけど、翼が卒業して社会人になるまでは現状維持した方がいいと思うの。でも、あなたと二人きりの生活はもう無理だから、まずは別居から始めましょう」


 陽子は悪びれもせずに提案、というより宣言してきた。

 

「別に離婚でもいいよ、俺は。翼だってもう子供じゃないんだし、無理して婚姻関係続ける意味が逆に分かんないんだけど?」

「……家のローンがあるでしょ。共同名義の。翼が卒業する時に終わらせて、晴れて身軽になって別れたいの。私は実家に帰るからあなたはここで生活すればいいわ」

「ああ、そう」


 もうどうでも良くなって、神藤は適当に相槌を打って、陽子の提案を承諾したのだった。

 こうして始めた別居も早や三年。

 あと一年で翼は卒業し、自宅のローンも返済終了し、俺は晴れて一人になる………。

 

 神藤は虚しくなって大きな溜息をついた。

 

 全くどこで間違ったのか、俺の人生。

 考えて見りゃ、この不運な時代に好きで生まれた訳でもないし、バブルが崩壊したのも俺達のせいじゃないし。

 非があるとすれば、ぬるま湯のような好景気が生まれた時から続いていたから、人生に危機感を持って何かに努力するって事を怠ってきたことか………。


 まだ景気が良かった時代に女子大を卒業した陽子は大手電力会社に入社し、今では役職に就いている。

 妊娠、出産と退職せずに乗り越えてこれたのは、派遣先で解雇になってばかりの神藤が主夫となって家庭を支えてきたからなのだが、陽子はそうは思っていない。

 男たる者、一家の大黒柱として女より稼いでくるのは当たり前だという固定観念を持っていた陽子とその実家一族郎党は、神藤が派遣先で解雇される度に家まで押しかけて非難を浴びせた。

 反論もできなかったのは、神藤自身もそういった固定観念はあって、高所得の陽子に対して引け目を感じていたからだ。



 簡単な夕飯を終わらせ、自分の部屋に引き籠る。

 翼が使っていた子供部屋を自分が使うようになってから、壁には若かった時に好きだった映画やアーティストのポスターを張りまくり、愛用のエレキギターとアコギをぶら下げた。

 世間じゃこれを『子供部屋おじさん』と呼ぶらしいが、子供で上等だ。

 年齢だけ50歳になってしまったが、不良文化とバンドブームの中で過ごした精神は永遠のティーンネージャーのつもりだった。


 ヘッドホンを装着して、エレキギターを抱えるとまずはお決まりのフレーズをつま弾く。

 高校時代に死ぬほど崇拝していた伝説のバンドの名曲だ。

 偶然にも、そのバンドのボーカルと同じ名前だった神藤は、彼をリスペクトするあまり、いつも同じ髪型をしてきた。

 高校の卒アルが白菜みたいに盛った頭なのも、彼の影響だ。

 50歳になった今、半分白くなった髪を無理矢理オールバックにして、「おでこ後退したんじゃない?」なんてバカにされながらもこの髪型を貫いているのは、常に彼と同じようにありたいからだった。



「マリオネットインザミラ~」と鼻歌を歌いながら有名フレーズを弾いているうちに、今日一緒に車の中で昼休憩を過ごした若い女の子の事を思い出した。

 

……経理部に入って2年ってことはワンチャン、息子の翼とタメ歳か。

 若いっていいよな。

 杏梨ちゃん、だっけ?


 子供のようなあどけなさの残る彼女の顔を思い出して、神藤は苦笑した。

 サラサラストレートを肩までのボブにして、公務員みたいな経理部の社服を着た彼女は、子供が大人の服を着たみたいなアンバランスで可愛らしかった。


 何の因果か、初日に彼女を助ける事になってしまって、恐らくはそのせいで自分に好意を持ってくれている……。

 そうでなければ派遣社員のこんなオッサンのところに弁当持って来る筈がない。

 神藤は調子に乗って期待しないように、自分を戒めた。



 でも、あの子は俺のことすごーい!って言ってくれたんだよな。

 マニュアルの車が運転できるだけで……。

 転職ばっかりして役立たずだと罵られている俺が、「この車運転できるんですか、すごーい!」って……。


 職種が変わればマニュアルの車を運転できる男なんてザラにいるし、缶コーヒー買ってくれる男だって普通にいる。

 幸か不幸か、まだ若くて世間を知らなさすぎるので、彼氏と違うことができるだけで「すごーい!」と感嘆してしまうのだろう。

 そういう純情なところもまた可愛いんだけど……。

 

 年甲斐もなく胸がざわついて、ビール一本しか飲んでないのにほろ酔い気分になった。


 と、その時、滅多に鳴らない神藤のスマホから着信音が響いた。

 


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