第七十六話『一歩目は思い出とともに』
「……ここが、ミズネの家……」
「ああ。と言っても借り家だがな」
……こじんまりとした部屋を見つめて、ネリンが息を一つつく。それにこたえるミズネは、どことなく恥ずかしそうな苦笑を浮かべていた。
遺跡調査で時間を使っていたが、そもそも俺たちがここに来たのはミズネの荷物を回収して借り家を引き払うため。遺跡のことも一段落したため、今こうしてミズネの部屋を訪れているといった寸法だ。
引き払うことを伝えに行ったときに大家のおばちゃんの長話につかまりかけたり、その姿が古い知り合いに見つかって色々ややこしいことになりかけたりしたのだが、その話はとりあえず置いといて。
「……魔道書がこんなに……専門外の魔術の本もあるのね」
「知識があるに越したことはないからな。入門編からそろえてあるから、きっとネリンたちの役にも立つはずだ」
一冊一冊本をアイテムボックスにしまいながら、ミズネはそう答える。部屋のほとんどが本棚で埋まっているこの部屋は、どことなく日本の図書館を思い起こさせた。
「うわ、こんなに古いのまで……これって実はすごいコレクションなんじゃないの?」
ボロボロの魔道書を手に取って、ネリンが深々とため息を一つ。差し出されたそれを受け取ると、ミズネは懐かしそうな表情を見せた。
「……ああ、これは里を出る時に餞別として渡されたものだな。エルフの魔術理論が詰まっていて、魔導士を志す冒険者によく貸し与えていたものだ」
「……それ、人間にも理解できるやつなの?」
「基礎理論から書かれているからもちろん人間にも勉強できるさ。なんなら今度ネリンに教えよう」
「いいの⁉楽しみ!」
唐突に結ばれた魔術講座の約束に、ネリンは喜びの声を上げる。あとで俺も頼もうと内心誓いながら、俺は小物類の整理を続けていく。
「……しっかし、食器類少ないんだな……」
「外食で済ませることも多かったからな。……一人だと、中々作る気も起きないんだ」
「そんなもんなのかね……」
ミズネの返しに、俺はふっと息をつく。一人暮らしの学生とかはインスタントやら冷食で済ませる人も多いと聞くが、まさかカレスでもそうだとは思わなかった。
「ま、料理はあたしに任せなさいな。これでもレパートリー豊富なのよ?」
そんな料理事情を聴いていると、ネリンが誇らしげに胸を張る。そういやコイツ、宿屋の娘だったな……最近は少しづつそれを忘れつつあるが。
「やっぱり実家で料理の手伝いとかしてたのか?」
「そうね。そのおかげで、あらかた一通りの調理はお手の物よ」
ママにはまだまだかなわないけどね、とネリンは肩を竦める。そんなネリンを、ミズネが羨望の目で見つめていた。
「……今度、料理のことを教わってもいいか……?」
「ええ、もちろん!一緒にいろんなお料理作りましょ!」
ミズネから頼まれたことがうれしかったのか、ネリンは大きく頷いて約束を取り付ける。はた目から見るとほほえましい光景だが、実年齢九十歳オーバーが十代半ばの少女に料理を学ぼうとしている姿はよく考えるとわりとシュールだった。
ちなみに俺の料理の腕はそこそこだ。レパートリーはさしてないが、それでもレシピを読めば一通りそれ通りに作ることはできる。料理図鑑なんてものも日本にはあったからな。
……まぁ、図鑑を読んだことと手先の不器用さは関係がないのが悲しいところではあるが。
「しかし、こうして片付けているといろんなことが思い出されるな……つい手を止めてしまいそうになる」
「片付けしてるとあるあるよねえ……物に関わる思い出って割と深いし」
手当たり次第にアイテムボックスへと放り込みながら、ミズネとネリンがしみじみと言葉を交わしている。なんだろう、日本のあるあるって実は異世界でも割とあるのかもしれない。
「そう言うのはどこでもそうだよ。俺の故郷でだってそうだった」
「ヒロトの故郷でも……?」
「へえ……やっぱりみんなそうなるのね」
「めんどくさがりが理由を付けて止まってるだけの場合もあるけどな……意外なもの見つけて、驚いてなつかしさに浸るのはよくあることだろ」
「そうだな……関わりを少なくして淡々と生きてきたつもりでも、思い出は確かにあった」
俺の言葉をかみしめるように、ミズネはふっと目を瞑る。きっと、この街の人たちを思い返しているのだろう。その口元は、嬉しそうに緩んでいた。
「……やっぱり、ここを離れるのは少し寂しい?」
「……まあな。思い入れはあるし、寂しい気持ちもなくはない。テレポートで帰ってこれるとはいえ、そう何度も戻るわけにはいかないだろうからな」
少し恥ずかしそうに苦笑して、ミズネはそう言った。
「寂しいって思えるのはいい事だろ。……この街に、それだけ思い出があるってことだからな」
「そうね。月に一回くらいは、こっちに観光しつつ依頼を受けるのもいいかも」
魔道具の補充もしたいしね、とネリンは軽く舌を出して笑ってみせる。それがミズネに気を使わせないための補足だとは、二人とも気が付いていた。
「二人とも……ありがとう。おかげで引き払うのも早く終わりそうだ」
しかしあえてその気遣いに触れることはなく、ミズネは感謝を告げる。すべてのものが収納された部屋は、いやに広く見えた。
「これで準備は完了ね。……ミズネ、もう出発できそう?」
「ああ、いつでも行けるさ。ただでさえ予想以上の長居をしてしまっているからな」
まだ少し気遣った様子の質問に、ミズネは大丈夫だと即答する。それを見て、ネリンも安心したかのようにふっと笑った。
「それじゃあ行きましょ。……あたしたちの、新しい生活にね!」
「ああ。……楽しみだよ、二人との生活が」
「そうだな。俺も、新生活に期待してるよ」
部屋の外をびしっと指さして、ネリンは無邪気に笑う。それにつられて、俺たちも笑みを浮かべた。先頭に立つミズネの足取りに、ギルドを出る時のような名残惜しさはなかった。むしろ弾むようなその足取りが、俺たちの総意を表している。
――これから始まる新生活が、楽しみで仕方ないのだと。
ということで、次回から舞台をカガネに戻して物語は展開されていきます!ついに新生活への一歩目を踏み出したヒロトたちに何が待っているのか、期待してお待ちいただければと思います!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!