第七十三話『その先のあなたへ』
『……俺が最初にこの世界に来て感じたのは、『勿体ない』という感情だった』
無言でページをめくった先で目に飛び込んできたのは、そんな一文だった。
『突然だが、俺は二次元が好きだった。それこそカレスのような、異世界の存在に憧れていた。……だからこそ、勿体なく感じたのだ。たくさんの種族がいるのに、それぞれがそっぽを向きあうことで共存しているこの世界の形が』
「……なあ、ミズネ。確か過去の英雄は、多くの種族をまとめ上げたんだったよな」
「……そうだと聞いている。戦争をするでもなく、友好を結ぶでもなく、ただ無関心を貫きあっていた種族を一人の力で束ねたと、そう聞いている」
俺の確認に、ミズネがそう答える。……英雄の動機は、存外個人的なところからの様だった。まあ、世界のためにとかいうご立派な考えを掲げられてもしり込みしてしまうから、これはこれでいいと思うのだが。
『エルフとドワーフが競い合いながら技術を極めていく様を見てみたかった、最初の動機はそれだけだ。それなのに、思えばずいぶん、大それたことをしたものだと思う。神から授かった無限の魔力も、思えば誰かと戦うために使ったことなど数えるほどしかないかもしれない』
俺が図鑑を授かったように、彼は神から魔力を得たらしい。この遺跡の動力も、きっと彼の力が大きくかかわっているのだろう。
『日本にいたころからは考えられないくらい、俺は努力した。俺が見たい景色は次々と大きくなって、それが手に届くところに俺たちはいた。……事実、きっとたどり着けるだろう』
「……ああ、本当に、たどり着いたんだよ、あなたは」
たった一つの理想から始まった物語は、今も語られる伝説になった。……この世界に先に降り立ったものとして、俺はそれに最大限の尊敬を向けたいと思う。
無意識に口からそうこぼしながら、俺はページをめくって……
『……もっとも、たどり着くのは俺が死んだ後の話だろうが』
「……ッ‼」
見開きに殴り書かれた一文に、俺は息を呑んだ。
『壮大な目標を持って生きるには、人間はあまりに短命すぎる。治療魔法も、人間の寿命には対応できない。……これならば魔術をゼロから『創り出す』能力が欲しかったと、今は切実に思っている』
今になって気が付いた。……これは、英雄が老齢になってからつづったものなのだ。いわば自伝というべきもので、きっと英雄のすべてが詰まった手記なのだ。
遺跡の壁にあった文字が震えていたのも、今なら別の捉え方をすることができる。……あの遺跡が未完成で終わった理由も、なんとなく察しがついてしまった。
『それぞれの種族たちは、少しずつだが向き合い始めている。ぎこちないけれど、異種族の国同士が向き合って笑いあうことができている。当然だ。だって、俺はたくさんの種族と出会い、そして笑いあうことができたのだから』
文字は少し震えながらも、その書き言葉は力強い。それはきっと、彼の根底にある揺るがない信念の表れなのだろうと、そう思う。
『時間切れで終わるのは、もちろん悔しい。この場所だって、最低限の整備とシステムの構築しかできていない。まだテナントも埋まっていなければ、ここに住む種族のことだって決めきれてはいないのだ。……だから、俺は託すことに決めた』
「託す……?」
その表現に疑問を抱きながら、俺は次のページをめくる。あの遺跡は、誰も手入れをしなかったからこそ風化してしまったわけだが――
『この日記を読んでいるーーいや、読めている君は、きっと日本出身だろう。君に質問と、頼みごとがある』
「……………頼み、事……?」
見事に俺の素性を言い当てられたことに対して驚愕しながら、俺はまたページをめくる。
『神……ノエルはこれからも転生者を送るつもりだと言っていた。これはすべて日本語で書かれているから、君の正体を見抜くのはそう難しくない。……だから、怖がらないで質問に答えてほしい』
「……はい」
思わず、背筋を伸ばしてそうつぶやく。もうこの世にいない人間なのに、なぜかまっすぐ対面して会話しているような、そんな錯覚に俺は襲われていた。
『君がいつのカレスにいるか、俺には分からない。数年後か?数十年後か?……それとも、数百年後か?……それはどうあれ、多種族の共存は……俺が見たかった景色は、ちゃんと君のいる世界にも届いているだろうか』
「……届いてますよ、確実に」
形は当時と違うかもしれないが、この世界はいろんな種族が笑いあえる世界になっている。争いの話も聞かなければ、差別が飛び交うこともない。……この世界は、明るい世界だ。きっと、それは名前も知らない彼のおかげなのだろう。
『俺の努力が、未来の君への贈り物として届いていることを願っている。……そして、身勝手だが、一つだけ頼みごとをさせてほしい』
「……是非、聞かせてください」
そう返事して、俺はまたページをめくる。そこに書かれていたのは、たった一文。だけど、その一文に彼の一生のすべてが詰まっていた。
『……生まれなおしたこの世界を、どうか楽しんでくれ』
俺はそのページの文章を噛みしめるように見つめてから、またページをめくる。
『この世界は素晴らしい。魅力にあふれている。……そして、俺はその魅力を少しでも引き出す手伝いができたと思っている。……ここからは、君の番だ』
「俺の、番」
『この世界での一生を、余すことなく楽しみ尽くしてほしい。それが、もう死んでいるであろう俺への一番の手向けになる。……俺のやってきたことは無駄じゃないんだと、そう証明し続けてくれ』
切実な、願いだった。抽象的だけど、それがきっと彼のすべてだった。
『これをここまで読んでくれた君がどんな人物なのか、俺には分からない。だから、これは老骨からの最期のワガママだ。……俺の先を生きる君に向けての、ワガママな贈り物だ。迷惑だと思ったならば、破り捨ててくれて構わない』
まるで予防線を引くかのように、ページの隅にはそう書き足されている。それがなぜか無性におかしくて、つい笑みがこぼれた。
「……ワガママなんかじゃ、ないですよ」
――あなたの願い、しかと聞き届けました。
俺は内心でそう言って、ノートを胸に抱きよせた。キザったらしいかもしれないけれど、その仕草が天国にいる彼に届けばいいと、そう願って。
――この場所を見つけられてよかったと、心からそう思えた。
過去を生きた英雄の物語も、時期は分かりませんがこの作品のスピンオフとしていずれ連載していきたいと考えていきます。気長な話にはなってしまうと思いますので、のんびり待っていただけると幸いです。おそらくあと五話以内には遺跡探索にも決着がつくと思いますので、この先どう言う展開になっていくのか楽しみにお待ちいただければと思います!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!