第七百四話『望んだ『天才』の姿』
「ええと、えと、えと……今、なんと?」
空転する思考がいつまでたってもまともな結論をはじき出してくれなくて、私は思わずゼラに聞き返してしまう。ちゃんと聞いていたはずなのに、何一つとしてその内容が意味を伴ってくれなかった。
「僕は、ゼラ・フィリッツアはロア・バルトライのことが好きだって言ったんだよ。……友人だけじゃなくて、異性としてみても。さらに付け加えるなら、かなり前からずっとね」
「え……ええええええっ⁉」
耳まで赤くなりながらもかみ砕いて丁寧に説明してくれたゼラのおかげで、私はようやくゼラが伝えてくれたメッセージを読み取ることに成功する。……したのだが、その言葉の意味を認識した瞬間にわつぃの頬が火をつけられたかのように熱くなった。
好き……とは、きっと私の知っている好きと同じものだろう。その延長線上には私の父様と母様のような関係があり、いずれはそこに至るような。……そんな感情を向けられているだなんて、私は想像もしていなかったから。……そんな感情を向けられるほどの人物じゃないと、いつからかそう思っていたから――
「……私、ずっとあなたにすげなくしてましたよ? ……それなのに、私がいいんですか?」
「でも本気で僕を遠ざけるようなことはしなかった。それが君の優しさだし、僕は君に会いに行くことをやめなかった。ほかでもない君がいいんだよ、僕にとってはね」
せわしなく手をぶんぶんと振りながら発した私の問いかけに、ゼラは一切よどみない口調でそう答える。淡々としながらもまっすぐに飛び込んでくる好意に充てられて、私は思わずのけぞらずにはいられなかった。
確かに――確かに、私が勝手に自分で思っていたより王都の人たちは私を責めていなかった。みんな私のことを受け入れてくれたし、ヒロトさんの言葉もあったとはいえ私が指揮することに一つの異論も出ることはなかった。……だけど、ここまで求められているのは想定外だ。
私だって、そういうことに対して知識が全くないわけではない。ゼラが冗談でもそういうことを言わない人だってのも何となくわかるし、向けられる好意が間違いなく私に向けられたものであることはもう受け入れざるを得ない。……だがそのうえで、私はどうしたらいいのだろう?
誰かを好きとか嫌いとか、そんなことを考えて居る余裕もないほどに少し前の私は追い込まれていた。バルトライ家の人間として相応しく在らねばと自分を追いこんで、他者の評価を怖がって自分の殻の中に閉じこもって。……それが変わりだしたのは、ヒロトさんたちがこの街に来てくれてからのことだ。少しは皆さんのことを好きになりたいと思えて、閉じこもって今から変わりたいと思えて、それでやっと今の私がいる。
なのに、ゼラはそうなる前から私のことをずっと好きでいてくれたらしい。……それに対して、私は何を返せばいいのだろう。……なんて答えれば、いいのだろう。
「ずっと好きだったけど、僕は君の隣に並ぶのにふさわしくないと思ってた。……生まれとか境遇とか、周囲からの評価とか……。君と僕の間には、とにかく違いがありすぎたでしょ?」
まだはっきりとしない思考を鈍く回している私をよそに、ゼラはゆっくりと話し続ける。……ゼラがそんな風に思ってたことも、私は少しも知らなかった。
というか、違いがあるというのなら私だってそうだ。ゼラに敵う所なんて少しもなくて、何から何までゼラの方がすごくて。……それなのに、ゼラは自分が相応しくないなんて言う。……私の何が、ゼラにそれほど強い印象を刻んだのだろう。
「……だけどさ、それでも君には笑っていてほしかった。前を向いててほしかった。……だから、それだけ出来たら僕は君のもとから離れるつもりだったんだよ。……本当の意味で隣に並ぶには、僕に足りないものが多すぎるからさ」
疑問が一つも解決しないままで、知らなかったことばかりがゼラから語られていく。そのどれもが分からなくて、思考を混乱させるものでしかなくて。……だけどその中でも、一つだけ明確になっている感情があった。
「……できるなら、離れるのはやめてくれれば嬉しいです」
胸の奥でズクリと痛む何かを感じながら、私はゼラにはっきりと返す。なんでかはうまく言葉にできなくても、今こうやって穏やかに笑うゼラがいなくなるのは嫌だった。……それだけは、ちゃんと意志として示せる。
ゼラの背中をずっと追いかけて、ゼラみたいになりたくてここまで来たからなのか、それともこんな私にずっと寄り添ってきてくれたからなのか、それとも私がまだ名前を付けられていない感情が理由なのか、私には何も分からない。……けれど、ゼラはゆっくりと首を縦に振ってくれた。
「ああ、もちろん今の僕にそのつもりはないよ。……ヒロトにそそのかされて、僕も引くに引けなくなっちゃったからさ」
ぐっとこぶしを握りこんで、ゼラは困ったように笑う。……でもすぐに真剣な表情に戻って、ゼラは私に手を差し出してきた。
「君が望んでくれるなら、この先どんな障害が立ちはだかってもその全部を払いのけて僕は君の隣にい続ける。身分さも人望の差も、全部全部僕がひねりつぶしてやる。……それが、君の望んだ『天才』の在り方だと信じてね」
「……っ‼」
片目を瞑りながらそう言い切ったゼラを見て、私はあの時の声が届いていたことを知る。……そして、胸の奥にじんわりと熱がともされるような感覚が起こる。……それになんて名前を付けるのか、今の私には分からない。
――分からない、けど。
「……だから、お願いだ。……こんな僕だけど、君の一番近くにいさせてくれないかな?」
まっすぐに私の方を見つめて、ゼラは私に再度そう問いかける。それっきり言葉はなくて、後は私が選ぶだけだ。……だから、私は私の思うように話せばいい。
少しずつ冷静になり始めた頭はそう理解しているのに、まだ心臓はうるさく響いてやまない。それを強引に落ち着けて、大きく息を吸って、ゼラの瞳を見つめ返す。……そして、やけに乾いている気がするような唇をゆっくりと動かした。
「――私、は」
ゼラの告白にロアは何と答えたのか気になるところですが、ここで視点はいったんヒロトたちのもとへと戻っていきます! とはいえそこをなあなあで終わらせる気は少しもございませんのでどうかご安心を! 大きな山を越えた後の穏やかな時間、ぜひお楽しみ下さい!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!