第六百六十八話『自分を知るのは』
エルダーフェンリルは、特大の魔力を伴って現れる。その前触れを検知する技術というものを過去の転生者が作り上げていることもあって、ギルドは正確な出現予測を立てることができるのだそうだ。『まあ、それも二度目の出現限定なのだがな』とフィクサさんは苦笑いを浮かべていたが、正直それでも十分すぎる技術の結晶だ。
「……これは、明らかにやばい雰囲気を纏っているね。……一歩間違ったら死ぬって、僕の本能が言ってるような気がする」
「おお、勘が鋭いじゃねえか。……ご想像の通り、下手なことをすれば無事の保証なんてどこにもないぜ?」
青白く区切られた狼の領域を前にして、ヴァルさんはゼラに対して語目を瞑りながらそう言って見せる。……すごく冗談めかしてはいるが、エルダーフェンリルの脅威を一番知ってるのはミズネとこの人なんだよな……。
「ああ、前は私が限界を超えてもうやっと足止めをすることしかできなかった。……だが、今回は違う。なんといってもたくさんの仲間がいるからな」
後ろを振り返りつつ、ミズネはぐっとこぶしを握る。俺が見てもあの時のミズネは限界をぶっちぎっていたし、その反動も十分に大きなものだった。あの時と同じ事を――なんてことは、できるなら言いたくないところだ。
ミズネに続いて俺も後ろを見れば、そこには続々と冒険者が集まっている。青白い領域を見てわずかなどよめきこそ上がっていたが、事前に説明しておいたのが効いたのかそれほど慌てている様子はなさそうだった。
「……そういや、こっからはどうするんすか? 皆が入れる状態になったら動くでも今から動くでも、どっちでも悪い柵じゃないとは思いますけど」
続々と足を止める後列の面々を見つめながら、ムルジさんが俺に問いかけてくる。それに関しては正直なやんだのだが、ここに来るまでに何とか答えは出せていた。
「……もう少ししたら、皆さんに動いてもらうつもりです。自分ができると思う役割を果たしに行くように、って」
「なるほど、そこの細かな判断は委ねるのか。……ちなみに、その根拠は?」
「そっちの方が手っ取り早いからだな。……それと、俺も今参加してくれてる冒険者全員の実力を把握できるわけじゃないし」
それができれば当然いいのだろうが、それをする時間も余裕もありはしなかったというところが正直なところだ。……それに、自分のことを一番分かってるのは自分だってよく言うしな。
「どんな魔物なら楽に相手できるのか、自分のやり方は何と戦うのが一番いいのか。それを一番知ってるのは皆自身だろうし、それがちゃんと結果を出せるのを俺は知ってる」
ムルジさんの方を見ながら、俺はミズネに向けてそう答える。……俺の脳裏には、自分の力量じゃ」敵わないと早々に露払いへと回ったムルジさんの姿が浮かんでいた。
あの判断は結果的にとても大きかったし、ムルジさんが先陣を切ってくれたからこそ俺たちも心置きなく露払いに専念できたからな……。ああいう判断の大きさを身に染みて体験しているからこそ、俺は皆の判断がもたらすいい影響を信じたいのだ。
「ま、流石にやばいって思ったら俺が声をかけるけどさ。……それまでは、皆の意思を信じてみたいなって思うわけだ」
「ああ、了解した。……それなら、もうそろそろ?」
「おう、突っ込む準備をしててくれていいぜ。……俺が、後ろの人にも届くように号令をかけるから」
腰に下げた剣に手をかけたミズネに頷きを返して、俺はくるりと反転する。……そこには、不安とか野心とか、いろんな感情を浮かべた冒険者たちがずらりと並んでいた。
こうやって足並みをそろえてはいるが、その内に秘めた思惑はみんな違うのだろう。ロアを助けたいって思いから勇気を振り絞る人もいれば、そんな事情は二の次でただ報酬や名誉を求める人だって決して少なくない。……だけど、ここまでチームとしてやってきたんだ。……それなら、この先だってきっと大丈夫だろう。
たとえ目的や理想が違ったって、人を束ねることはできる。……それが、ロアに見せたい景色なんだから。
「……皆さん、ここからが本番です。俺たちがここまで来たのは、全てこの領域の中を制圧するため。……その一点だけ忘れてくれなければ、俺としては何をしてくれても構いません」
俺たちの後ろに並ぶ冒険者たちに向け、俺はゆっくりと大きな声で宣言する。『やりたいようにやってくれ』と、ここに来てくれた皆の背中を押す。……それがどこまで意味のあることになってくれるかは、ふたを開けてみなければ分からないけれど。
「……皆さんの理想は、この領域の先にあります。……さあ、行くぞ‼」
くるりと背を向けて、俺はあえて口調を崩して皆に呼びかける。……それを合図として、俺たちを含めた先団は青白い領域の中に突っ込んでいって――
「「「「「おおおおおおおーーーーッ‼」」」」」
まるで地鳴りのような雄たけびが、靄の中に突入した俺たちの後ろから聞こえてくる。……とてつもなく騒がしい侵入者の登場に、奥で何かがうごめくような気配が応えた。
さあ、ついに正面衝突です! 王都編を通じて積み上げてきたいろいろなものを駆使してヒロトは勝利をつかむことができるのか、そしてゼラとロアの関係の行方は果たして! 王都編、そしてヒロトたちの物語はクライマックスに突入します!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!