第六百四十九話『屋敷の前で』
「……でっ、けえ……」
「ええ、この街のギルドはそれほどまでに重要な立ち位置を務めていますから。こういったお方が豪奢な建物を所有していないと、王都自体の品位も低く見られかねませんからね」
――これから始まる大仕事の前にあれやこれやとやり取りをしていると、三十分なんて時間は移動しながらでもあっという間に過ぎて行ってしまうもので。緊張する暇もなく俺は面会場所の前に立ち、その豪華な建物を見上げていた。
俺の貧相な語彙力では説明するのが難しいが、目の前に立っている洋館をそのまま日本に移築しても見劣りすることは絶対にないということだけは断言できる。いやらしくない気品を感じさせる白ベースの外装に、その大きな横幅に比例するかのように巨大な扉を構えたその建築は場所によっては日本でも『豪邸』と町中の人から噂されるレベルだろう。お嬢様が通うような私立学校の校舎と言ってもぎりぎり通せてしまいそうだ。
「……ここに住んでるの、バルトライ家の人とお手伝いさんだけなんですよね……スケールがでかいというか、なんというか」
「今ヒロト様が感じている通り、豪勢な家の使い方をしているのは間違いないでしょうね。それぞれいろいろと仕事がある以上、そのためのスペースなんかも個別に用意していそうではありますが。……ほら、あちらの方なんかもご来客のようですしね」
唐突にクレンさんが指さした方向を見やると、そこにはメイドらしき人と言葉を交わす大きな荷物を持った人物がいる。そのまま二言三言と交わすと、メイドさんが先導する形でその人は家の側面の方へと消えていった。こんな豪華な見た目をした屋敷がしっかりとした奥行きまで持っているんだから、バルトライ家の財力は相当なものなのだろう。
「……俺たちは、あの人みたいにいかなくていいんですか?」
「ええ、門のところで待っていれば迎えをよこすと言ってくださいましたから。ご老体故余裕を持ったスケジュールにはしてあるようですが、それでも多忙なのかもしれませんね」
ずれ込みや前倒しがあるのかもしれません、とクレンさんは腕を組みながら答える。まあ確かに、中高の三者面談とかだって時間がずれ込んだりすることは往々にしてあるんだもんな。ここにいる人たちが話し合うのは個人の進路どころの規模じゃない話だろうし、もつれこんで話が長引くことだって普通にあるのかもしれない。
「そんなところにロアっていう個人の話をしに行くの、なんだか急に気が引けてきたな……」
「大丈夫ですよ、それを知ったうえで受けてくださいましたから。話を振ったところで『期待外れだ』などと言われる心配は無用です」
門の前で委縮する俺に、クレンさんが小さく笑いながらそう返す。何をいまさらって感じではあるが、少しばかり緊張が追いついてきた俺にその笑みは優しく染み渡った。……というか、その事情を聴いたうえで話を通してくれたのか……。
「それに、ヒロト様のやろうとしていることは決して小さなことではありませんから。そこはちゃんと胸を張って、堂々とプレゼンしてきてください。……私が話した限りでは、あのお方は真摯な思いをむげにする方ではありません」
俺の肩に手を当てつつ、クレンさんはフィクサ・バルトライのことをそう評する。聞こえてくる話だけでも相当人格者ってのは分かるのだが、それはあくまでギルドマスターとしての評価と言っていいだろう。……多分俺は、それとまた別に『ロアの祖父』としてのフィクサ・バルトライと向き合わないような気がしてならなくて。
「……いいや、ここで日和ってる場合じゃねえな」
頬をぱちんと叩いて、俺はとめどなく目を出し始めた不安を強引に押しとどめる。こういうのはどれだけ想像したとしてもはっきりした答えは出ないし、結局出たとこ勝負でぶつかっていく以外の選択肢なんてあるはずもないのだ。……伝えたいことを誤解が内容に伝えることの方が、優先順位ははるかに高い。
頭の中で思い描いていた話の組み立てをもう一度思い返して、誤解を生む部分がないかをもう一度確認する。言葉が足りないのも、多すぎるのも話し合いとしては不適格だ。できる限り簡潔に、しかし御幣を生まないように頭の中で推敲を繰り返す作業は、やればやるほどキリがなさそうで――
「……すみません、ご主人様への来客ということでよろしいでしょうか」
延々と脳内の原稿用紙を手直しし続けていた俺の思考を、正面から聞こえてきた静かな女性の声が引き戻した。……ふと視線を前にやれば、二十代から三十台に差し掛かるころといったくらいの女性が俺たちの前に立っている。白と黒を基調とした服装を見るあたり、この屋敷のお手伝いさんだろうか。
「はい、フィクサ様からここで待っているようにとお話をいただいております。貴女がそのお迎え、ということでよろしいですか?」
「その認識で間違いございません。ご主人様――フィクサ・バルトライは、すでに応接室でお待ちです」
クレンさんの返事に腰を折りながら答え、お手伝いさんは俺の方にもちらりと視線を向ける。すると、きびきびとした動きで屋敷の方に体を向けて――
「……ご主人様は、今日の面談をとても楽しみにしておられました。……よい時間になることを、願っております」
――抑揚の少ない、しかし決して無感情ではない言葉を告げて、すたすたとお手伝いさんは歩き出す。その後ろ姿が小さくならないように、俺たちは早足でその後ろ姿を追いかけた。
ということで、次回からバルトライ家の中へと踏み込んでいくことになります! 果たしてヒロトは有益な時間を過ごせるのか、ぜひご期待いただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!