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第六百三十五話『理想を描くその顔は』

「実はな、この喫茶店には大人の時間――すなわちバータイムがある。その時ならロアも近づかないだろうから、安心して会議場やら集会所やらとして使うことができるぜ。……まあ、貸し切りの看板は掲げなくちゃいけないけどな?」


「ありがとうございます。……その日一日の営業を潰してしまうことに関しては、ごめんなさい」


 マスターが笑いながら告げた言葉に、俺は改めて頭を下げる。普段バータイムでどれだけの稼ぎが出るのかはわからないが、俺の都合がマスターの収入を奪ってしまうことだけは事実だからな。


 そう思うとまた一つ身が引き締まるし、これからも気が抜けないと思う。きっと、一つ一つ交渉を進めていくたびにその緊張感は増していくのだろう。俺だけの私欲で始まった計画が、少しずつみんなの思いを背負って重いものへとなっていくのだから。


 まだここは第一歩、今からが本当の歩き出しだ。……それを後押ししてくれたマスターの判断には、どれだけ感謝してもまだ足りそうになかった。


 さて、次はどこに行こうか。ロアのことを想ってくれている人はこの街にたくさんいるはずだし、そういう人たちが多くいるところを探せたなら――いや、先に集会場のことをミズネたちにも通達しておくべきか……?


「……硬い顔してんな、ヒロト?」


「お、おわあっ⁉」


 次の目的地を考えていた俺の頬が、何者かの湿った手によってぐいーっと引き延ばされる。といっても痛みはなく、また誰がやったかも声の主からして明らかだ。……そう思って前を見上げれば、そこには想像通り、いやそれ以上に子供のような笑みを浮かべたマスターが俺の頬に手を伸ばしていた。


「……いきなり何してるんですか……?」


「おいおい、そんな怖い顔で見んなって。俺はただ、大人としてお前に精いっぱいのアドバイスをしようとしてやっただけだぜ?」


 俺から、そしてその隣に立つゼラからのじっとりとした視線に、いつの間にか手を離していたマスターは肩を竦める。その仕草は妙に絵になっていて、急にマスターが年上としての風格を取り戻したかのように思えた。


「アドバイス……ですか?」


 その雰囲気に妙な説得力を感じた俺は、思わずオウム返しでそう問いかける。それに満足げにうなずくと、マスターは指を一本立てた。


「ああ、オイラからの貴重なアドバイスだ。……といっても、ヒロトみたいなしっかりした奴にオイラができるアドバイスは一つしかないんだけどな?」


 苦笑いを浮かべながら、マスターは俺の問いを肯定する。そして、唯一立っていた人差し指を折りたたんで――


「……お前が理想を叶えたいなら、できる限りたくさん笑ってろ。……それを苦しいと思ってたら、きっとロアに伝えたいことは何も伝わらないぜ?」


「……っ」


 真剣な、しかし優しい口調でそう伝えられて、俺は思わず息を吞む。……気が付けば、俺の手が自分の頬へと伸びていた。


 ……確かに、頬が強張っている。次は何ができるか、失敗しないためにはどう動けばいいのか。背負った思いを無駄にしないために、俺は何ができるのか――始めた者の責任を果たすためだけに、思考が回っていた。


「理想ってのはな、お前が笑顔で達成できるものでなくちゃならねえ。それがロアに伝えたいメッセージを込めてるならなおさら。誰かの力を借りることを苦しく思っちゃいけねえ。……お前が始めた計画であることには間違いなくても、それに乗ることを選んだのはオイラの意思なんだぜ?」


「マスターの、意思――」


 半ば呆然とした頭で、俺はその言葉を反芻する。それに理解が追いついたころ、隣でゼラも首を縦に振った。


「……もちろん、僕も自分の意思で君の計画に乗ることを選んだよ。……ちゃらんぽらんな人だと思ってたけど、意外といい事言うみたいで驚きました」


「オイラだって一応は大人だからな。伝えなきゃいけないことは伝えるし、間違ってると思ったことがあったらどうにかして俺なりの答えを示してやる。それくらいは当然だろ」


 ゼラからの称賛に、照れる様子もなくマスターはそう答える。……そして、程なくしてマスターは俺の方を向き直った。


「……ま、説教じみたことを言うつもりはねえよ。お前はお前の分だけ思いを抱えて理想に挑めばいい。そうすれば、同じくらいの思いを背負ったオイラ達みたいな人間が自然に集まってくるかもしれないからよ。使命感が強いのは結構だが、だからと言って他人の分の責任まで勝手に背負わされた気になっちゃいけねえってこったな」


 だから笑って行けよ――なんて言って、マスターは俺の肩をポンと叩く。その言葉が身に染みて、とっさに頭を下げたくなって、でもそれはマスターの教えに反しているような気がして。


「……はい。ありがとう、ございます」


 ――お辞儀の代わりに笑顔を浮かべて、俺はあらためて感謝の言葉を述べる。それにマスターが笑顔でうなずいてくれたから、俺はこの選択が間違っていなかったのだと思えた。

 マスターという肩書しか未だに出ていないマスターですが、気が付けばロアにとってもヒロトにとってもとても大きな立ち位置にちゃっかりついていました。彼の本名が明かされる機会があるのかないのかは、また一つ今後のお楽しみということでお願いします!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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