第六百二話『マスターのギャップ』
「……あなたが、このお店を作ったの?」
「そうだぜ? 誰かから継いだってわけでもなく、俺が自分で、ゼロからこの店を立てた。あんまり騒がれるような店じゃないけど、コイツみたいな常連客に支えられて何とか軌道に乗ってるって寸法だ」
オイラもなかなかやるだろ?――と。
未だ信じられない様子のネリンの問いかけに、しかしマスターはあっさりと首を縦に振る。その自己評価のように確かににぎわいこそないが、それゆえの落ち着いた雰囲気は王都の中でも異質なものだと言って良かった。
けど、一番異質なのはそんな店のマスターがこの人ってことなのかもしれないな……ロアは普通に受け応えてるあたり、ここの常連さんからしたらもうすっかり慣れたものなんだろうけどさ。……それにしたって、ギャップがとんでもなさ過ぎるだろう。
「ま、いつでも流行店になる準備はできてるけどな! お前もそれに協力してくれていいんだぜ?」
「別に協力してもいいですが、その場合私はここに来なくなると思いますよ。……というか、他の常連の人たちも。ここが他のカフェと同じようにただ賑やかなだけの店になるのだとしたら、少なくとも私は迷うことなく次の店を探します」
「おおう、辛辣な意見だな……だけどそうだよな、こうしてお前が誰か人を連れてくること自体が珍しいしよ」
ロアの言葉にたじろぎながらも、しかし笑みを浮かべてマスターはロアと会話を続ける。その対応の仕方は、他の人より少し厳しめになるゼラへの接し方ともまた微妙に違っているような気がした。
「……ま、逆を言えばこのカフェがこうであってくれる限り私はここの常連ですよ。落ち着いていられるこの雰囲気、好きですし」
「そうか、そいつは嬉しい意見だな。……それじゃ、王都一のカフェになるって目標はもう少し先延ばしにしとくとするか」
「ええ、ぜひそうしてください。そっちの方が、常連の皆さんも喜んでくれますよ。無理に変わろうとする必要なんてないんです。……マスターが、こうやって常連の皆とやり取りする毎日に満足していられればね」
まなじりを下げながら、ロアは優しい口調でそんな風に告げる。達観的なその言葉を聞いていると、どっちの方が年上なのか分からなくなってくるのだから不思議だった。
「……そうだな。生活にも困ってねえし、オイラはこの生活に満足してるのかもしれねえや。……そういや済まねえ、何を注文するかはもう決まってるか?」
ここに来た目的を忘れてたわ、とマスターはあっけらかんとした表情で訪ねてくる。それに対してロアは首を縦に振ると、メニューのとあるページを開いた。
「それじゃ、今日のランチメニューをお願いします。他の三人にも同じものを」
「了解! 今から張り切って作るから少し待っててくれよな!」
いつの間にか取り出していた手帳に注文を書き込み、マスターは軽い足取りでカウンターの方へと戻っていく。その後ろ姿が厨房に消えたのを確認した後、ロアははにかんだような笑みを浮かべた。
「……驚いたでしょう? この店に一番似合わない雰囲気をした人が、この店を作り上げた張本人なんですよ」
「そうだな……。正直、もう少しで驚きの声を上げるところだった」
無理してああいうふうにふるまってるような感じでもなかったし、多分マスターは素の性格でああなのだろう。そんな人がこの落ち着いたいかにも玄人好みのカフェを作り上げるなんて、正直信じられないとしか言いようがなかった。
「あたしはほとんど上げてたようなものよ……。あの質問、いっそ失礼なんじゃないかって今なら思えるんだから」
「マスターからしたら慣れた質問だとは思いますけどね。そのギャップに慣れられない人は自発的にこの店を遠ざけるだけですし、結果的にこの店を玄人好みにしている要因の一つかと」
少し焦った様子を見せるネリンにそう微笑みかけながら、ロアはカウンターの方を見やる。その視線には、何か特別なものが宿っているような気がして。
「……マスターは、全力で王都の一番を取るために今のカフェを作ろうとしたらしいんですよ。だから素材とかレイアウトにもこだわって、自分の理想のカフェを作り上げて。……結果として、玄人好みの人を選ぶカフェになってしまったんですけど」
手元に置かれたお手拭きに触れながら、ロアは微笑みながらこのカフェの経緯をそう説明する。俺が想像していたよりも、このカフェが出来るまでにはいろんなことがあったようだ。
「……だけど、マスターは現状に満足してる。上を目指すのはもちろんとしても、それはそれとして自分が作り上げたこの環境に誇りを持っている。……それは、とてもいいことだと思いまして」
「……だから、余計に気に入った?」
「そうですね。……ここにいると、自分の在り方を落ち着いて見つめ直せるような気がして」
厨房の方を見つめながら、ロアはアリシアの質問にしみじみとそう答える。……その視線の先からは、マスターのものと思しき鼻歌が、肉の焼ける音に交じって微かに聞こえてきていた。
この店がロアの考え方に影響を与えたのか、それとも変わりゆくロアとこの店の在り方がたまたま一致していたのか。細かいところはまだまだ分かりませんが、少しチャラ目なマスターが経営するこの店がロアにとって大切なところなのは確かです。そこを訪れた四人が何を思うのか、次回以降をご注目していただければと思います!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!