第五百六十三話『正しさから目を背けずに』
――暴論だった。俺が思っていたよりも数倍暴論だった。前を向く方法を探している俺のことをからかっているのかと、そう聞きたくなるくらいに。
だけど、俺の方を見つめるクレンさんの瞳は真剣そのものだ。それが分かっているからこそ、俺のその問いは喉の奥へと引っ込んでいく。……こんな真剣なクレンさんの表情は、見たことがなかった。
「……『そっちは前じゃない』って、誰かに言われるかもしれませんよ?」
だから、俺の口から飛び出してきたのはそんな質問だ。誰かが俺の進む道を疎んで、あるいは善意から間違いだっていうことは間違いなくこれからもある事だ。……それはちょうど、ミズネと俺が一緒に居ること自体を否定したあの冒険者のように。
「ええ、そうでしょうね。……ですが、それをどうして気にする必要があるのです?」
そんな俺の問いに対して、あっけらかんとした調子でクレンさんはそう答える。それはまるで、今の俺の悩みをまるで知らないかのような調子だった。
誰かにそうやって進む道を否定されることが怖いから、自分の進む道が間違いであることが怖いから、俺は今こうやってうずくまってるってのに。……動きたくても動けない自分に嫌気がさしてるのに、どうしてそんなにあっけらかんとその言葉を言えてしまうんだ。
「……俺には、気にするしか選択肢がありませんよ」
「そんなことはありません。ヒロト様には、ヒロト様の目指す方向へと進んでいく権利がある。……初めてのクエストの時、あなたがお嬢を助けに行ったみたいに。……それで助けられたお嬢が、危機に陥ったヒロト様を助けるために戦いへと舞い戻って行ったみたいに」
「……っ」
俺の眼をのぞき込んで優しい声で放たれたその言葉に、俺は思わず口ごもる。その様子を見て、クレンさんは得意げに笑った。
「あの時、自分の身の安全を守るならばお嬢は一目散に逃げるべきでした。ですが、そんな事を考えもせずにお嬢はヒロト様を助けに行った。……その行動が間違いとは、ヒロト様も言わないでしょう?」
「そう、ですね。逃げてほしいとは思ってたけど、隣に立ってくれることは嬉しかった。……アイツがもしあのまま逃げてたら、俺は今頃どうなってたことか」
最悪の場合転生一日目で鳥の餌になって終わる可能性すらあったところを助けてくれたのは、間違いなくネリンなのだ。……助けられてすぐに舞い戻って来るなんて、中々常識的な判断だとは言いきれないのだけど。
「でしょう? 正しさがどこにあるかなんて、物事が終わってみなければ分からないのですよ。……こういうやり方をすれば、詭弁だと言われるかもしれませんが」
ですがそれが私にとっての真理ですよ、とクレンさんは自信満々に言いきる。……その姿は、やけに眩しく映った。
「……仮にはじめが間違っていたんだとしても、終わってみなけりゃ正解なんて分からない、ってことですか」
「その通りです。……というか、ヒロト様があそこで救援に入ったこともまた冒険者としては危険な事だったんですよ? 後だ詩にはなってしまいますが、お嬢からその話を聞いたときは肝が冷えましたとも」
遠い目をしながらそう言うと、クレンさんはすっと自分の胸をなでおろす。ネリンから話を聞いていた時もそんな仕草をしていたんだろうなと、なんとなく想像がついた。
……確かに、あの時は迷い無くリリスを助けなきゃって思ってたな……。あの世界に来てからまだ間もなかったから、それが冒険者にとっていい事か悪い事かなんてわからなかったけど、何は無くてもそうしなくちゃいけないと思って。……困っている誰かを見捨てることなんて有っちゃいけないと、あの時俺は確かに思っていたはずで。
「……ヒロト様の中にも、絶対に譲れない正しさと言うのはあるはずです。……だから、それと向き合って目をそらさないようにしていればいい。あの時お嬢を助けに入ったあなたの行動は、間違いなく大正解だったのですから」
「……自分の正解から、目をそらさない」
――思い返してみれば、俺は最近自問ばかりしていたような気がする。そこに答えは無くて、ただ悩みだけがあって。……ちょっと思考が進んでも、『本当にそうか?』なんて疑問がわくばかりで。……答えを出すとか出さないとかより前に、俺は自分の考えを疑ってははじき出してばかりだった。
「……今のヒロト様が、何を行動原理とするのか。どんな信念を『正解』として、あなたはこの先それを見つめていくのか。……改めて決めるチャンスは、今しかありませんよ」
――変わるための好機は、変わらなければならないと気付いたときにしか来ないんですから。
そんな言葉を最後に、クレンさんはただ俺の事をじいっと見つめるだけに徹してくる。まるでそれは、俺が改めて答えを出すのをゆっくりと待ってくれているかのようで――
「……俺は、アイツらに負けたくない。アイツらに負けないくらい堂々としてて、隣に立っても恥ずかしくない人間になりたい。……多分俺の願いなんてそれくらいなんです」
――気が付けば、俺はそんな言葉をこぼしていた。
ヒロトがこれから決める自分なりの正しさがどんなものか、次回以降よりはっきりとわかって来ると思われます。長い問答にも出口が見えてきましたので、是非見守っていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!