第五百六十一話『理不尽でワガママな期待』
――もう、言っていることが分からない。俺が無意識に切り出したたわいのない問いであるはずなのに、それはなぜだか肯定されて。間違いを恐れてボロボロになった俺に対して、あまつさえ期待を向けているだなんて言って。……クレンさんはもともと分からない人だったけど、今の一言でさらに分からなくなってしまった。
「……俺にどうしてほしいんですか、あなたは」
そんな思いが口調からもこぼれだし、少しだけ棘のある言葉がクレンさんを突き刺す。ここに来てクレンさんが口当たりのいいだけの励ましでフォローを試みているなら、それは糾弾しなければならないと思った。
中途半端な同情ならいらない。一度突き放したのだから、そんな俺に期待するだけの余地を、理由を、条件を、バックボーンを、素養を、とにかく何でもいいから提示してくれ。それに納得が出来れば、俺だってクレンさんの言葉を少しは信じられるようになるんだから――
「……お嬢が一人で冒険者になるべく奮闘してきたのを、私は影ながら見つめていました。立場と忙しさが邪魔して、力になれなかったことが歯がゆくて仕方がなかった」
「……へ?」
そんな俺の願いをよそに、クレンさんはどこか遠い目をして俺の知らない過去の話を始める。俺がまだこの世界にいない頃の話を、している。……それが今どういう関わり方をしてくるのか、俺には皆目見当もつかなかった。
「……からかってるんですか? もしそれが全く関係のない話なら、今すぐ――」
「まあまあ、話は聞くものですよ。……それが今の『正解』だと、私は思うのですがね?」
話を本筋に戻せ、と言う俺の要求は、表に出ないままでクレンさんに封殺される。『正解』という言葉を持ち出されては、俺も二の句が継げなかった。
鍛冶屋街の片隅、王都の中の小さな空間の空気は、今クレンさんが完全にコントロールしている。クレンさんの話を遮らずに聞く以上の選択肢が俺にはないのだと、今ようやく気付かされた。
「……私の記憶の中のお嬢は、いつだって険しい顔をしていました。足りない何かを追い求めて、何かになろうと必死になって。……ちょうど、今のヒロトさんのようだったかもしれませんね」
「……今の俺、みたいに」
そう聞いて思い浮かぶのは、ネリンが頑なに語ることを拒む二か月前の話だ。……いや、今となってはもう四か月前の話くらいにはなるのか。アイツ曰く『あたしが一番ダメだった時期』らしいそれを、やはりクレンさんも知っているようだった。
「……そこについての詳しい話は聞かないって、アイツと約束したんですけど」
「ええ、具体的な話をするつもりは私にもありません。……私がしたいのは、それを脱した時の話です。驚きましたよ、今まで思い詰めた表情を崩さず冗談を聞いてもにこりともしなかったお嬢が、仲間と並んで楽しそうにしてるんですから」
「……あ」
そこまで聞いて、俺はクレンさんが何を語ろうとしているかを察した。クレンさんが思い返しているのは、俺たちが初めて二人でクレンさんと対面した時。……冒険者の素養のありかを、教えてもらった時だ。
「その要因は明らかでした。その隣にいた少年……つまりあなたが、お嬢が吹っ切れるために必要な存在だった。ヒロトさんがそこに居てくれたから、お嬢は変わるための一歩を踏み出せたんですよ」
「……俺が、いたから」
詭弁のような気がする。ネリンは強いし、俺がいなくたっていつかトンネルを抜け出す日は来ていただろう。俺がしたことと言ったら、それを少し早めたことくらいで。
「……それで終わったかと思ったら、今度はエルフの仲間を連れて私の下に訪れた。それでもなお飽き足らず、お嬢は旧友との腐れ縁を正しい形で修復して見せた。……全て、あなたが隣に立ってから起こったことです」
「……っ、そんなの、偶然の巡り合わせでしかありません――」
「ええ、そうですね。……しかし、たとえ偶然でもあの時お嬢の隣にいたのはあなたです。……ヒロトさんが、お嬢を取り巻く変化を導いてきたのです」
俺の反論は、認められたうえではねのけられる。たとえ偶然でもそれは俺が起こしたことなのだと、クレンさんは俺にまなざしを向けてきている。……そこにあるのは、期待の念だ。
「あなたは何かを変えられる人だ。ふさぎ込んでいた一人の少女とともに歩み、変えて見せた人だ。……それを間近で見ているからこそ、私は貴方に期待せざるを得ないのですよ」
「……一体、何に」
変えたのは俺の意図じゃない。様々な要因が絡み合って、その中心に知らない間に居たのが俺だ。勝手に縫われた織物の制作者を名乗って売りに出せるほど、俺の面の皮は厚くないんだ。……なのに、どうしてその眼をやめてくれないんだ。
「ワガママであることも、ヒロトさんにとって理不尽なかん場であることも分かっています。……しかし、私はヒロトさんに期待している。お嬢を変えて見せたあなたなら、あなた自身のことも変えていけるのではないのかと――その力は既に己の手の中にあるのではないか、と」
――そう思うから、私はそれを引き出したくてたまらないのですよ。
――戸惑う俺に対して提示された期待の理由は、やっぱりよく分からなかった。
外から見たヒロトの姿って、実は立派に主人公してるんですよね。それを自覚していないのは自分だけで、ヒロトは今でもうずくまってばかりなのですが。……そろそろ、上を向く時が来たっていいのかもしれません。ということで、次回もどうぞお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!