第五百五十三話『大問が一つ』
「誰のために、か」
ロアからの言葉が、ムルジさんが語ってくれたことが、ヴァルさんに聞かせてもらった過去が。……そして、仲間達からの言葉が俺の中で延々とリフレインし続ける。それが意味のある思考に繋がってくれればいいのだけれど、突然天啓が降りて来てどうにかなる問題かと言われたらそんなことはないのがこの問題の厄介なところだった。
ギルドでかけられた心無い一言がきっかけでここまで極まることになるとは、自分でも呆れるくらいの心の弱さだ。……だけど、その弱さは間違いなく俺の中にずっとあったものだった。この世界に来てからも、向き合う機会を何度となくスルーしてきただけで。
結局のところ、俺は自分に自信がないのだ。どれだけ積み上げても、俺の周囲にいる人間の方がよっぽどキラキラして見える。俺にないものを持ってる皆が眩しくて、直視するのをためらってしまう。……俺よりも凄い奴らが、俺の周りにはごまんといるんだからな。
「……どうすっかな、これから……」
ロアと初めて対面した噴水広場の隅に立って、俺は蚊の鳴くような声で呟く。ざあざあと水を吹き上げ続ける噴水の周りには、いろんな服装をした人たちが集っていた。
シンボルとしても分かりやすいし、この噴水は待ち合わせ場所としても最適だろうからな。そうなることを最初から期待されていたかは分からないけど、その役割は噴水以外に肩代わりするのが難しい事だ。……誰にも代われない役割がある事が、今の俺には羨ましかった。
「……そりゃ、俺にだってそういうことはあるんだろうけどさ」
図鑑をふとアイテムボックスから取り出して、俺はふと呟く。日本にあるオーソドックスな図鑑に似せてデザインされた表紙が、日光を受けててかてかと反射していた。
迷いの森の探索に、バロメルでのダンジョン探検。キャンバリーの屋敷を探索するときも、そういえば図鑑は活躍していたっけ。確かにそれは俺がいたからこそ成功したことで、俺以外の誰にも迷いの森やダンジョンの謎を解くことはできなかっただろう。……だけど、それは図鑑の功績なんじゃないのか。俺の功績じゃ、ないんじゃないのか。
「……ああくそ、良くない思考だな」
この思考が行きつくゴールをなんとなく察せてしまって、俺は首を振ることでいったん考えをリセットする。たとえそれが真理だったんだとしても、今それに気づいてしまうのは絶対にいけない気がした。
だが、一度思いついてしまったことというのは簡単に消えてくれないものだ。普段なら次に何を話したかったかも忘れてしまうことだってあるのに、どうして今に限ってこんなにも記憶力がいいのだろう。
――数少ない友達が進めてくれた物語の主人公は、疑問に思わなかったのだろうか。強大な力を手にした自分を頼ってくれる人たちは、一体どちらを求めているのか……と。
玉の輿なんて言葉が日本にはあったが、あれだっていい例だ。もっと昔をたどれば、政略結婚だって同じようなことが言えるだろう。アレは、その人が持つ付加価値に他の人がよりついてきていたことの最たる例なんじゃないのか。
必要とされているのは俺自身なのか、それとも俺の持つ図鑑なのか。そんなことを考えちゃいけないのは分かっているのだけれど、じりじりと思考は前に進んでいく。何度首を振っても、リセットされることなく脳みそは答えに向けて思考を回す。
「く、う」
だんだんとめまいがしてきて、俺は軽くよろめく。支えが無ければ立っていられなさそうで、俺は近くの建物の柱にもたれかかった。ちょうどひさしで日光が遮られているのもあって、少しばかり涼しいのが救いだった。
だが、脳みそを直接締め付けられているかのような頭痛と、視界すらもグルグルと揺れるほどのめまいは簡単にいなくなってくれない。いなくなってほしいのに、俺の脳内を一つの疑問が支配して離れてくれない。
――花谷大翔。お前から図鑑を取ったら、その後にはいったい何が残るんだ?
ずっと自問し続けられているそれが、きっと俺にとって一番大きな壁なのだ。この問いに答えが出せる時というのは俺の中で何かが変わった時だし、これに対して納得できる答えが出ない限り俺はずっとここで立ち止まらざるを得ないのだろう。
一刻も早く答えを返してやりたいけど、中途半端な答えじゃ何も生んではくれない。そんなジレンマが俺を襲って、俺の足を鈍らせている。どうにかしてやりたいんだけど、どうすることもできなくて――
「……おや、しばらく見ないうちにずいぶんとやつれてしまわれましたか?」
「……え?」
突然かけられた声に、俺は思わず間の抜けた声を上げる。めまいをこらえながらゆっくりと顔を上げると、そこには見慣れた、だけどしばらく見ていなかった気がする人がいて――
「……ヒロトさん一人でこんなところにいるとは、よほど大きな問題が起こったものだと見えます。……私でよければ、知恵をお貸ししましょうか?」
「……クレンさん……⁉」
上品な笑みを浮かべて俺の方に手を伸ばすクレンさんに、俺は思わず驚きの声を上げざるを得なかった。
しばらく顔を出していなかったクレンですが、物語の裏で何をしていたのか! ここから先で明らかになって来ると思いますので、楽しみにしていただければ幸いです! ヒロトももうこれ以上どん底にいることはない……はずだ!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!