第五百三十一話『ウサギと亀か、ウサギとウサギか』
「……その引きを聞いたら、何があったかは大体察せるってものだな……」
滔々とそこまで語って見せたロアに対して、俺は小さくため息を一つ。……俺が想像していたよりも、ロアとゼラが純粋に友人でいられた時間は短いようだった。
「はい、大体ヒロトさんの想像通りかと思いますよ。鉄魔法を展開し、そこそこ経験を積んだ冒険者でも足をすくわれかねない規模の魔物の群れを切るわ刺すわの大暴れ。あの温厚なゼラさんはどこに行ってしまったのかと、幼心ながらに恐怖したものですから」
その時の光景を思い出したのか、ロアは少しだけ表情を曇らせる。あの時見たような凄絶な戦い方を、ゼラが三年前からしてるんだとしたら――ああダメだ、想像するだけで少し怖い。
「ゼラの奴、戦闘の時だけスイッチが入ったみたいに獰猛になってるもんな……まるでいつものうっ憤を晴らしてるみたいだ……なんて、それは流石に言いすぎかもしれないけどさ」
ハンドルを握ると性格が変わる人だっているわけだし、何がスイッチになるかなんてその人にしか分からないことだからな。たまたまそれがゼラの場合は戦いだっただけってなら、まあ納得はできる話だし。
「そうですね、別に私もそこに天才を見出したわけじゃありませんから。……むしろ、天才との壁を感じたのはその後の話です」
「……その、後?」
戦いの光景じゃなく、その後のやり取りでということだろうか。ゼラの戦い方は、それだけで才能を証明するには十分すぎるような気もするのだが――
「一人で討伐対象を殲滅して、ゼラさんがゆっくりと私たちの下に帰還した時――あの人はなんて言ったと思いますか?」
俺が少し首をひねっていると、逆にロアの方から質問が飛んでくる。それに解答を出すべく、俺は頭の中でゼラの今までの行動を思い返した。
「……『かっこよかったか』……とか?」
しかし、そんな中で出てきたのはひどく抽象的な答えだ。当然の如くロアの首が横に振られ、俺の解答は不正解だったことが判明する。新しい答えを考えようと俺が首をひねっていると、ロアがゆっくりと口を開いた。
「まあ、これは当てられなくても仕方のない話だと思います。私も衝撃を受けましたし、天才ってものとの距離を明確に感じた瞬間ですから。……知っていますか? 天才は、自分が為したことを天才的な行為だと思わないんです。私たちが普通に歩いたり走ったりするような感覚で、天才は自身にしか行けない領域へと飛び込むんです。その領域から帰って来て、当時のゼラさんが言うことには――」
そこで言葉を切り、ロアは何とも言い難い表情を浮かべる。笑っているような、それでいてどこか悲しそうな、怖がってもいるかのような。今まで感じて来たであろういろんな感情が、そこにないまぜになっているような気がした。
「……『お腹空いた』ですよ。あれほどの芸当を誇りもせず、ただの日常の一部としてしか扱っていない。私たちが死に物狂いで努力し続けてもたどり着けるか分からない領域に踏み込んでいても、当人はそれに気づきもしない。……それこそが天才なのだと知って、私は恐怖しました。天才とはなんて遠い存在なのだ、近づいて行こうと思う方が間違いなんじゃないか……とね」
その時の感情を追体験しているかのように、ロアは体を小刻みに震わせている。その感覚が幼さ故の課題解釈なんかじゃないことは、その姿を見れば明らかだった。
「……天才は、はじめっから高いところにいるもんな。いくら追いつこうとしても、俺たちが天才の領域にたどり着いたころにはもっと遠いところまで駆け上がっちゃってるわけでさ」
天井を見上げながら、俺は思わずそう呟く。……ぼんやりと、日本にいた時に読んだ漫画のことを思い出した。
天才に追いつく凡人とか秀才の話ってのは、現代日本にないでもなかった。俺も数少ない友人から進められてそういうのを読んだことはあるし、それに熱いものを感じないわけじゃない。……だけどきっと、それを根拠に今のロアを励ますことなんてできない。
アレの本質は『ウサギと亀』か『ウサギとウサギ』なのだ。天才に秀才が追いつけるのだとしたら、それはきっと天才が怠け者のウサギだった場合だけだ。たゆまぬ努力を続ける天才に肩を並べる秀才がいるのだとしたら、それはきっと初めから秀才じゃないだけだろう。
天才はスタート地点もそこからの推進力も違う。努力すれば天才にだって手が届くというのは分からない話でもないが、それはきっとあのウサギのように天才が怠けていた場合の問題でしかない。……そんでもって、ゼラは怠けないウサギなのだ。
ウサギが一切の手を抜かずに競走した場合、亀に勝ち目なんかあるはずがない。水中戦に持ち込めば亀の有利にはなるにせよ、今聞きたいのはそんな話ではないわけで。
「……真っ向勝負で挑もうとしても、すぐにその背中が見えなくなるのがオチだからな……」
「その通りですよ。やけに近くに思えたその背中は、一度戦闘を目にして、そしてその後の言葉を聞いた瞬間に遠く見えなくなっていきました。……もう、どっちに行けばゼラの背中があるかすらも分かりません」
俺の言葉にしみじみと頷いて、ロアはそうこぼす。その言葉はとても悲痛なもので、幼いころのロアの嘆きをそのまま形にしているかのようだった。
「……だから私は、ゼラのことを羨むことしかできないのです。あなたのような才能が欲しかった、私もそっち側になりたかった……ってね。まあ、そんなことを言っていても現状は何も変わらないわけですが」
だからこそこうして研鑽を積んでいるわけですしね――と。
苦笑しながらそうまとめるロアの姿は、年下だとは思えないくらいに大人び過ぎているような気がした。
努力次第じゃ天才にも勝てるなんて話はよく聞きますが、凡人と同じ量の練習を天才が積み重ねていたらそんなもんどうしようもないじゃん、って問題はいつまでも付きまとう話だと思います。その問題に対しても二人はきっとそれぞれの答えを出してくれると思いますので、引き続きヒロトたちのことを温かく見守っていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!