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第五百十九話『そうできた理由』

「……これ、はじき返してくださいね!」


 リリースの瞬間に俺へと指令を飛ばしながら、ムルジさんは思い切り右腕を振り抜く。後ろから見ても分かるくらいに勢いのあるボールだというのは理解していたが、いざ正面に立つとそのあまりの剛球っぷりにビビるしかなかった。これ、初見ならプロでも空振りする人いるんじゃねえか……?


 そんな考えが脳裏をよぎったが、野球のそれよりボールは柔らかく、俺が使うのは自分の手足だ。少なくとも、バットよりは自分の体を動かす方がいくらか慣れている。


「それなら、やってやるしかねえよな――!」


 迫ってくるボールを睨みつけて、俺は右腕を構える。そして、ボールの中心を打ち抜こうとしてみぎうでを加速させる。させたの、だが。


「へぶあっ⁉」


 その腕がボールに衝突するより早く、俺の顔面にボールが直撃する。小さく柔らかいボールだから大二はないものの、完全に反応が遅れた形だ。完璧にシミュレーションが出来たのは脳内だけで、どうも体はその思考についてきてくれなかったらしい。


「いいっすよ、そんな形も大事っす! ……じゃ、次は躱してください!」


 しかし、はじき返すというのは顔面を用いた形でもセーフらしい。少しよろめいた俺にかまう様子もなく構えるムルジさんの姿を見て、俺の背筋がわずかに震えた。


 ムルジさんはどこまでも本気だ。手を抜くつもりもなく、ただ俺たちを鍛え上げようとしている。前を行く人たちに追いつかんとする俺たちの背中を、一切の遠慮なしに押している。


 こっちの気が抜ければ、その押す力に負けて俺たちは転んでしまうだろう。……そんなことは、したくなかった。


 ムルジさんの手からボールが離れて、糸を引くような軌道で俺の方へと向かっていく。それが恐ろしい速度を秘めているのは間違いないが、顔面に喰らおうが特に痛みはない事ももう知っている。それならば、顔面直撃覚悟で思い切りやってやろうじゃないか。


「せっかくの機会なんだし……な!」


 ボールから視線を外さないようにしつつ、俺は一目散に屈みこむ。俺の反射神経に期待することはまだできないから、この方法が――『ヤマ勘を張る事』が俺にとっての最善手だ。


 と言っても、何の根拠もなく屈みこんだわけじゃない。さっき投げられたボールが顔面に向かって飛んできた物であるなら、多少のブレはあっても足元を狙ってくることはないはずだ。なら、頭部だけでも守れるような姿勢さえとってやればいい。


 そう思って身を低くした次の瞬間、俺の頭上で風を切る音が聞こえる。……恐る恐る立ち上がると、ボールが道場の壁に衝突する軽い音が背後から響いた。どうやら俺のヤマ勘は大当たりだったようだ。


「……ナイス回避っす、ヒロトさん。……して、どうしてとっさにかがみこんだので?」


「……えと、軌道が一投前のと似てる気がしたから――ってのは、理由になりますかね?」


 指示を完遂して見せた俺に拍手を贈りながら、ムルジさんがそう問いかけてくる。それに対して俺は軽く首をかしげながら、さっき俺の中を一瞬で駆け抜けた推論で応えた。質問に質問で返すのは相応しくない気もするが、今更そんなことを咎められるような場でもないだろう。


 その答えを聞いて、ムルジさんは少し考え込むようなしぐさを取る。俺自身あまり褒められた反応の仕方ではないと思っているし、何かしらの叱責があっても仕方ないとさえ思っていた。


「経験則からとっさに推測した、って事っすね。……ええ、もちろん立派な理由ですとも」


  しかし、俺の予想と反してムルジさんは俺に向けての拍手を再開する。その目付きはにこやかで、皮肉交じりのようなニュアンスは一切感じられなかった。


「……やった本人が言うんですけど、そんなやり方でもいいんですか?」


「経験則ってのは戦場において信じられるものの一つっすからね。それをとっさに使って体の動き初めを早くできたなら御の字っす。……というか、戦場ではどんな形であれ指示を完遂できることが一番偉いっすから。『なんでできたのか』って質問に、ちゃんと根拠を持って返してくれるなら文句はないんすよね」


 俺の質問に、ムルジさんはそう苦笑しながら答える。そこにはムルジさん本人の経験もあるのか、やけに実感がこもっているように聞こえた。


「自分の中で確かに考えて、瞬時にそれを決断した。それだけで、成果としてはあまりに十分すぎるんすよ。……だから、ここからも継続してくださいね!」


 俺への賞賛を惜しみなく送りながら、ムルジさんはかごの中にあるボールを握り直す。なんだかんだ濃い中身ではあったが、投げられたのはたった三球。ここで満足するのは、きっとムルジさんが望むことでもないだろう。


「……はい、どんどん来てください!」


「おっ、いい姿勢っすね。……思わず、力が入ってしまいそうだ!」


 軽く腰を落として、ボールを迎える構えを取り直す。それを見てムルジさんは楽しそうに笑い、次なる課題となるボールを投げんと大きく振りかぶるのだった。

ここで一度ムルジの特訓は一区切り、舞台は新しいところへ移っていきます! 様々な動向が交錯する王都編、ここからも楽しんでいただければ幸いです!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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