第四百七十三話『正義を振るうタイミング』
「さすがは王都。良くも悪くも、いろんな人が集まるのね」
その光景を見つめて、ネリンは心底忌々しそうにそう吐き捨てる。直情的なネリンが一番わかりやすく態度には出ていたが、その光景が不愉快なのは俺たち皆にとって共通の事だった。
「どうする? 止めろと言われれば、今すぐにでも飛び出すことはできるが」
「……いえ、まだ事を大きくするには早いかと。見るからに悪人なのは間違いありませんが、もし仮にそんな意図などなかったと主張されれば私たちにとって途轍もない不利益につながりかねません。取り押さえるならば、相手が何かしらの行動を起こしてからでないと」
うずうずと身を震わせるミズネを、クレンさんが腕を横に伸ばして制止する。気持ちに正直になるなら今すぐにでも飛び出してあの少女の前に立ちはだかってやりたいところだったが、ナンパ未遂と言ってもいいその状態では悪者にされるのは俺たちの方だろう。そもそも俺たちはお客様、明らかに地元民であろう奴らと違って争う下地なんかできちゃいないのだ。
「だからって、このまま見守る事しかできないっていうの⁉ 今にも事が起こりそうだってのに、どうして!」
「まだ何も起こっていないからです。……今私たちがあの人らの歩みを阻むなら、難癖をつけられてしかるべきなのは私たちですから」
いかにも納得がいっていない様子のネリンにも、クレンさんの姿勢は変わらない。それだけ見れば非情にも思えるかもしれないが、それが本心からのものではないのはわなわなと震える手を見れば明らかだった。
クレンさんがこの姿勢を貫くのは、どこまでも俺たちのためだ。試験を受ける受けないの段階に立つ前に、感情的になった俺たちがそのステップを踏み外すことが無いように。……俺たちを守るために、クレンさんは今俺たちを止める壁となっているのだろう。
「……それに、何もするなと言っているわけではありません。人助けをするにしてもそのタイミングは今ではないと、ただそれだけの話です」
「あの二人が女の子に手を出した瞬間、ボクたちの行動は正当性を得られるからね。だからネリン、そこまで耐えるんだ」
務めて冷静に伝えられたクレンさんのメッセージを、アリシアが形を変えてネリンへと伝える。二重の制止をもって初めて、ネリンの激情は少しばかり落ち着いてくれたようだった。
「……アイツらが怪しい動きを見せたら、その瞬間突っ込むからね」
「ええ、それに関しては止めはしません。私たちは今そのタイミングを待っているんですからね」
ネリンの宣言に、クレンさんは大きく頷く。どこまでもまっすぐなその姿勢を、クレンさんはどこか喜んでもいるような気がした。
「……まあ、何も起こらないことが一番ではあるだろうがな。私たちが介入している時点で、彼女に何か被害が及びうる可能性は発生してしまうわけだし」
「……ええ、それが理想ではありますね。……ですが、そういう予感は往々にして当たらないのが悲しいところでございまして」
そう呟いて、クレンさんは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。その視線の先では、二人の男たちが何やら少女に向けて話しかけていた。
「クレン、あれは……」
「まだ駄目です、会話の内容が分かりません!」
有事だと見て飛び出そうとするネリンを、クレンさんが必死に抑え込む。この距離じゃ何を話しているかもわからないし、極論あの三人が知り合い同士って可能性もまだあり得てしまうのだ。
「くうう、あたしの耳が良ければもっと自信をもって踏み込めるのに……‼」
「正しい行いをするにはそれを振るうタイミングも重要です、ネリン様。……貴方のそれは美徳ですが、それを正しく受け止めてくれる人ばかりがこの世に暮らしているわけではないのですから」
ネリンの感情に流されることなく、クレンさんは諭すようにそう語り掛ける。それはクレンさんだからこそかけられる、ひどく的を射た言葉のように思えた。
「でも……‼」
「……ですが、その正義を曲げろという訳ではありません。ただ一番力を振るえるタイミングで解き放てばいいのです。貴女の中にある正義は、正しく使えれば凄まじい可能性を秘めているんですから」
そう言って、クレンさんはすっと三人の方を指さす。その方を見やれば、男二人が左右から少女の両腕を掴んでいるところだった。……明らかに、朗らかな光景じゃない。
「みんな、行くわよ――‼」
それを見て、ネリンは弾かれたように少女に向かって駆け出していく。その背中に一歩遅れるようにして、俺たちも少女を保護しようと全力で石畳を蹴り飛ばして――
「……小娘だからと言って、侮らないで頂けますか?」
――俺たちが少女の下にたどり着くより早く、男たちの体が宙を舞った。
……正直な話、何が起こったかはよく分からない。少女が抵抗するかのように体をひねった次の瞬間、少女よりはるかに恰幅のいい男たちが左右に吹き飛ばされたのだ。
「……ねえ、大丈夫⁉」
その現象の意味を理解できないまま、俺たちは少女の下へと駆け寄っていく。一番にたどり着いたネリンからの質問に、少女はすまし顔で息をついた。
「ご心配なさらずとも大丈夫です。バルトライ家の人間として、この程度の人間などにてこずるような教育は受けておりませんので」
……なんというか、高慢な子だ。ませているという言い換え方もできるが、それにしたって少し堂に入りすぎているような気もするし――
「……今、バルトライ家とおっしゃりましたか?」
俺が首をひねっているその後ろで、クレンさんが面食らったような声を上げる。まるでその名前を聞き覚えがあるかのようなその問いに、少女は大きく頷くと――
「……ええ。私はロア・バルトライ。冒険者たちを統べる一族、バルトライ家の一人娘です」
――堂々と、そう名乗って見せた。
ロア・バルトライはここからどのように五人と絡んでいくことになるのか! ここからが王都編の本番になりますので、是非是非楽しんでいただければ嬉しい限りです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!