第四百五十話『リザルト』
「皆、今のうちに馬車へ‼」
何かが急激に凍り付くような音の直後、今まで聞いてきた中で一番鋭く勇ましいミズネの声が平原に響き渡る。その声を聴いた俺の体は、考えるまでもなく行動を起こしていた。
「……さすが、俺らの師匠だよ!」
ふらふらとこちらに寄ってきた魔物にとどめを刺しながら、俺は馬車の後部へと飛び込む。転がり込むようにして態勢を整えていると、遠くから駆け寄って来るミズネとアリシアの姿が見えた。
「二人とも、無事か⁉」
「ああ、おかげさまでね。途中少し危うい部分はあったが、ヒロトの指揮のおかげで助かった」
「宣言通り、討ち漏らしは全部取ってくれてたしね。百二十点満点よ」
特段大きなけがをしていないことに俺がほっと胸をなでおろすと、二人からサムズアップが返って来る。どうやら、俺は二人の――ひいてはこの戦場のため、しっかり自分の仕事を果たせていたようだ。
「作戦は成功っすね。やっぱり大物狩りは専門家に任せるに限るっすよ」
馬車前方の扉が開き、風を纏ったムルジさんが俺たちに続いて馬車に戻って来る。その飄々とした口調はいつも通りだが、その防具のあちこちは魔物の返り血で染まっていた。
魔術で戦うネリンやアリシアと違って、ムルジさんがメインで使うのはあくまで武装だもんな……。その刃が今何匹の魔物を切り裂いてきたかは分からないが、ムルジさんの戦場もまた紙一重だったことはその姿を見れば一目瞭然というものだろう。
馬車の外に意識をやれば、狼の唸り声と何かをひっかくような音が今も響き続けている。ミズネとヴァルさんが潜り抜けた戦場が一度もミスの許されない代物だということを、今まで見てきたすべての事実が肯定していた。
「……皆さん、ご無事ですか!」
「待たせてすまねえな、とりあえず皆生きててくれて何よりだぜ!」
ムルジさんが返ってきたのを皮切りに、クレンさんとヴァルさんも馬車へと飛び込んでくる。まるでその様子を確認していたかのように、最後にミズネが勢いよく馬車の中へと滑り込んだ。
「……皆、大丈夫だな。……御者さん、馬を!」
「ええ、今ならいけます! ……全速力で、進めえ‼」
ミズネの合図を受け、御者さんが鞭を打つ音が響く。唐突な指示に応えて急発進した馬車はその反動で激しく振動し、それに足を取られたミズネの体が俺の方に倒れ掛かってきた。
「う、おっ――」
「……っと、危ない!」
そのまま行けば床に突っ込むところだったその体を抱き留め、何とか転ばないようにバランスを取る。転倒によるケガを防げたのは一安心だったが、触れ合った肌からはただならぬ状況が伝わってきていた。接触とかそういうのじゃなくて、もっと緊急的な――ともすれば、健康にかかわりかねない問題だ。
「……お前、体熱すぎだろ……‼」
体温には個人差があるとはいえど、今のミズネのそれは火照っているなんてレベルを優に超えている。感覚的には、熱を出した子供の額に触れているような感じだった。
「よく見れば顔も赤いし、どうみても風邪じゃない! 誰か、間に合わせでもいいから治療薬を――」
「いや……大丈夫だ。ちょっとした、魔力酔いのようなものだからな」
慌てふためくネリンを手のひらで制して、ミズネは力なく笑って見せる。ミズネの言うことを信じるなら俺たちにできることは何もなくなってしまうのが歯がゆかったが、ミズネの証言以上に信じられるものもないというのもまた本心だ。表情も苦しんでいるというよりは、安堵しているような印象の方が近いように見えるからな。
「……狼を閉じ込めたのは、ミズネが?」
「ああ。……お前たちが誇りに思える師匠であれるよう、力を尽くしたよ。間違いなく、私は『ぞーん』というものに入っていたのだと思う」
「『ぞーん』って、ヒロトがゲームとかでよく言ってるあれかい?」
「そう、アレだ。私も正直信じられなかったが、狼を閉じ込めた時の私はその次元にまで到達していたとしか思えなくてな」
アリシアの問いかけに、ミズネはこくりと小さく頷く。確かに、ゾーンというのは集中のあまり自分が普段無意識にかけているブレーキを外してしまうこともあるとかないとか言われているくらいだ。狼の行動を制限するくらいの大魔術をゾーンに入って使用したならば、今ミズネがこうなっているのは納得できる話に思えた。
「ということは、今ミズネがこうなってるのは魔力切れの症状みたいなもんってことか。お前が魔力の限界まで絞り出さなきゃいけない相手ってどんだけだよ……」
「だが、それくらいしなければ勝てない相手だったのは事実だ。限界を無視して、アイツとはようやく同じ領域に立てるかどうかといったところだろう」
「ああ、それに関しては傍観者だった俺も保証するぜ。あの時のそいつは明らかに何か別の次元に居た――俺が横やりを入れてやろうという気も失せるくらいに、な」
どこか疲れたようなため息をつきながら、ヴァルさんはそう証言を付け足す。その足は小刻みに震えていて、まるで何かを怖がっているかのようだった。何にか、って聞かれると俺も首をかしげるしかないが、あの戦いがヴァルさんの中に何かを残したことだけは確からしい。
「……まあ、そんなところだ。私は、お前たちの期待した戦果を残せただろうか?」
「当然だろ。……だって、ほら」
力なく問いかけるミズネの体を引きずるようにしながら、俺は馬車の後部までゆっくりと移動する。そこから見える景色を見れば、ミズネの功績の大きさは一目瞭然だったからだ。
「お前の創ってくれた檻があったから、この馬車はあの戦場を脱出できた。ここが最後の難関らしいし、もうそろそろ王都にも付けるだろ」
「もうあと一時間もしないうちには門につくだろうね。……ミズネの魔術が無ければ、危うくボクたちは全滅するところだったわけだ」
「そうよミズネ。あんたは自分にできる限界以上のことをしてくれたの。だからもっと、胸を張りなさい」
俺に続くようにして、ネリンとアリシアからも称賛の声が飛ぶ。他の面々も明言はしないが、その視線や頷きがミズネの功績を雄弁に語ってくれていた。
「そうか。……この年になっても、まだまだ成長できるものなのだな」
「そりゃそうだろ。お前より年上なアイツが出来て、お前にできない筋合いはねえって」
この場じゃ明言はできなくても、そう伝えれば言いたいことは十分に伝わるだろう。ミズネは賢いし、俺たちの中で誰よりも経験を積んで来てるんだからな。そんなミズネより年上なヤツ、この世界にそうそういるはずもない。
そんな俺の期待に応えてくれたのか、ミズネはふっと笑みを浮かべる。そして、俺の肩により体重を預けると――
「それなら――まだまだ、進み続けなければな」
「そうしてくれなきゃ困るぞ。……まあ今は、思う存分寝てほしいけどさ」
前向きな宣言をするなり穏やかな寝息を立て始めたミズネに、俺は小声でそう付け加える。王都への道のりの最終難関は、誰一人として大けがをすることなくその幕を引いたのだった。
ということで、王都への道のりを阻む最大の戦いが決着いたしました! この戦いを乗り越え、一路王都に向かう彼らに何が待ち受けているのか、是非ご期待いただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!