第三十五話『迷いの森の本領』
「……っしゃ、パターン見えたぁ‼」
――迷いの森の攻略開始から、大体四十分くらいが経過しただろうか。図鑑にまた一つバツ印を付けた俺は、空を見上げて喜びの声を上げた。もっとも、視界に入るのはうっそうと生い茂る木々ばかりだったが。
「おお、やっとか!……最後の一つを絞り込むまでに、ずいぶんと時間がかかったんだな」
「やるじゃない!ズカンとやら、本当に万能なのね……」
快哉を上げる俺に、二人も声を弾ませながら集まってきた。すっかりたくさんのメモが書き込まれた図鑑を二人に見せながら、俺は堂々と胸を張る。
「これ、本当に自然に作られたものか疑いたくなるくらいにいやらしくてですね。パターンが大体三つのグループに分かれてて、大まかな絞り込みは簡単だけどこれ!って一個にパターンを特定するのが難しいようにできてるんです。……それで、おまけに」
ぐるっと丸で囲んだ三つのパターンを指さして、俺は表情を曇らせる。俺が言いたかったことに、先に気づいたのはミズネさんだった。
「中盤までは瓜二つなのに、最深部へ向かおうとすると地形が全く違う……?」
「そうなんです。大まかな知識しか持ってないと、予想外の地形に初見殺しされかねない。……てか、この森は完全にそれを狙ってるとしか思えなくて」
飛んで火にいる夏の虫、という表現がある。大雑把な知識しか持たずにこの森に挑んだ冒険者たちは、まさしく迷いの森にとってはそう表現するのがふさわしい相手だろう。
詳細な知識を持っていて本当によかったと俺がほっと胸をなでおろしていると、ネリンが怪訝な声を上げた。
「ヒロトの言い方で気が付いたんだけど、ここって毎年そこそこの犠牲者を出してるわけじゃない?だからこそ危険視されて、迷いの森に関するクエストはなかなかでないようになってるわけだし」
「……ああ、そうだな。エルフの中にも、毎年行方不明になる者が後を絶たない。……地図があるころは、それも抑制されていたのだが……」
ネリンの確認に、ミズネさんは神妙な顔をして頷く。図鑑を確認してみれば、確かに『毎年この森の犠牲者は一定数いる』という記述が確認できた。
「でしょ?……じゃあ、この森にはもっとなくちゃおかしいものがあるじゃない」
「もっとなくちゃ、おかしいもの……?」
ネリンの発言の意図が読めず、俺はオウム返しすることしかできない。隣を見れば、ミズネさんにも察しがついていないような様子だった。そんな俺たちの様子を見て、ネリンは一本指を立てると……
「じゃあ、単刀直入に行くわよ。…………ここに来るまで、冒険者の遺品とか遺骨とか、一回でも見た?」
「………………あ」
その言葉は、一瞬では理解を伴って俺の中に落ちてこなかった。だが、すぐに頭が理解した。理解して、しまった。
「……気が付いたみたいね。…………綺麗すぎるのよ、ここ」
あたしもヒロトのヒントが無きゃ気づけなかったけどね、とネリンは肩を竦める。その様子を見て、驚きの声を上げたのはミズネさんだった。
「……そういえば、迷いの森で行方不明になった者は、種族を問わず一人も発見されたことがないと聞く。……それは、まさか……」
「おおかた、この森が『食べてる』んでしょうね。罠みたいだっていうヒロトの感想は、あながち間違いでもなかったってわけ」
ため息をつきながら、ネリンはそう締めくくる。それは、知りたくなかった事実と表現するのが一番正しかった。中途半端な知識を持った冒険者を誘いこみ、森の養分とする――この世界、弱肉強食が過ぎないか?
「……考えるだけでゾッとする話だな。……一刻も早く最深部に向かおうぜ」
幸い、ここからは一本道だ。目標の薬草が自生しているところまで十分とかからないだろう。俺がそう提案すると、二人も真剣な表情で頷いた。
知識が無ければ迷うこと必至の道を、俺たちは即断して進んでいく。力押しでは解決できない場面を切り開けるのは、図鑑持ちだけの特権にも思えた。戦闘面においては武力チートに劣るが、生存という目的だけなら図鑑だって強力な武器だということがよくわかる。『知は力なり』という言葉をここまで深く実感した日はないと、そう断言できるくらいだ。図鑑のことを侮っていたあの神様、今頃は驚いてくれているだろうな……。
そんなことを考えているうちに、俺たちは行き止まりにたどり着いた。……つまり、ここが最深部だ。
「……魔力が濃いな……長居すると酔ってしまいそうだ」
エルフだからなのか、最深部の異様さにミズネさんが顔をしかめる。俺たちにはミズネさんほどの敏感さはないからいまいちよくわからなかったが、過ぎた魔力濃度はエルフにとってどうやら毒になりうるようだった。
「……薬草は……あれだな。何か仕掛けられているとまずい、二人は出口のそばで待っていてくれ」
少しふらつきながらも、ミズネさんは俺たちを気遣ってそう言ってくれる。ミズネさんに無理をさせたくはなかったが、もしもの事態があったときに俺たちが何もできないのもまた事実だった。
「これが、秘伝の薬草……これがあれば、妹は」
ポツンと自生する薬草に手をかけて、ミズネさんは呟く。それは、この森と同じように淡い青色の輝きを放っていた。まるでこの森の核の様だと、俺はぼんやりそんな感想を抱く。
「待っていろ。私が今、お前を……‼」
腕に力を込めて、ミズネさんが一息にそれを引き抜く。……周囲から魔物が来る様子はない。どうやら、俺たちが思う不測の事態はなかったようだ。そう思って、俺が安堵の息をつこうとすると――
「……魔力が、膨れ上がっている……⁉」
そのミズネさんのつぶやきと同時に、俺の視界が白く染まった。
「……っ、何が……」
「……皆、動くな‼」
事態を把握しようとした俺を、ミズネさんの鋭い声が制止する。その声に従うままにじっとしていると、やがて視界が開けてきた。どれくらいの時間見えなくなっていたかを知るすべはないが、どうも俺たちがどこかに飛ばされたというわけではないらしい。ぐるりと見まわしても変わりない景色が、その事実を教えてくれた。
「皆、無事か⁉」
ミズネさんが、おぼつかない足取りでこちらに駆け寄ってくる。俺たち二人にけががない事を確かめると、ミズネさんはふっと大きく息をついた。
「良かった……唐突に魔力量が膨れ上がってな、それにあてられて私はこのザマだ。……すまない」
「いや、俺たちが無事でいられたのはミズネさんの指示のおかげですし。ここに来るのだって、ミズネさんの力は不可欠だったんですから、謝らないでください」
「そうよ。働きすぎなくらいなんだから、もっと胸を張っていいのよ?」
頭を下げるミズネさんに、俺たちは口々にフォローの言葉をかける。ミズネさんは顔を上げると、弱弱しくだがしっかりとうなずいてくれた。
「……ああ、ありがとう。……さあ、行こうか。ここに長居すると、本当に歩けなくなってしまいそうだ」
「そうですね。帰りは元来た道をたどるだけですし。そのためのメモだって、ちゃんと用意して――」
俺は図鑑を掲げて見せながら、帰り道の先頭を歩く。安全に帰れると、そう信じてやまない俺は誇らしげに笑おうとして――
「…………………ここ、どこだ?」
――目の前に広がる『見たことのない景色』に、困惑の声を上げた。
次回から迷いの森攻略後半戦です!予想外の事態に見舞われた三人がどうなるのか、更新を楽しみにお待ちください!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!