第三百三十六話『話し合って、探りあって、すり合わせあって』
「……そんなわけで、私に話が回ってきたと」
「そんな感じです。突然のことですみません……」
ここに至るまであらかたの経緯を説明し終えた後、俺は正面に座る女性に向かって頭を下げる。ネリンの母親……いや、街一番の宿を切り盛りする女将であるカルケさんは、頬を掻きながら照れ笑いを浮かべていた。
『思い立ったら即行動、よ!』と動き出したネリンが即座に宿へと向かい、二人で話す機会を取り付けて帰ってきた。この間およそ五十分、目にもとまらぬ早業だった。もっとも、対面するところまでその日中にとはさすがにいかなかったが。
そんなわけで、俺は今カルケさんと一対一で対面している。ジーランさんには申し訳ないが、今日の仕事はとりあえず置いておくことにしよう。ちゃんと先方の了承を取り付けたわけだしな。
「そうは言っても、教えられることはそう多くないけれどね……。経営術と交渉術って言うのが切っても切れない関係にあるのは事実だけど、それだけじゃない部分ってのも多く関係するし」
「そうですよね……いや、この場を取り付けてもらった俺が言うのもなんですけど」
この件で一番混乱しているのはまず間違いなくカルケさんだ。だからこそせめて一つでも多くの物を持って帰ろうという意識が俺の中にはあったが、(そもそも活かせるような知識が得られるのか……?)という疑問も根強く俺の中に残っていた。
「いやね、交渉ってのは与えられた時間でどれだけ信頼を得られるかっていう勝負なのよ。勝算があれば多少なり話を誇張してもいいと思うし、エピソードに脚色したっていいと私は思っているわ。……もちろん、それがばれた時、ただのホラで終わったときのリスクは途轍もないものになるけどね?」
そりゃもう針の筵よ、とカルケさんはまるで世間話をするかのような感じで語って見せる。今の話ってかなり核心をついている気がするんだが、そんなノリで言っていい事なのか……?
「……つまり、どれだけ自分たちと組むことのメリットを効果的に、信用できるように伝えられるかの勝負ってことですか?」
「端的に言えばね。私も若いころは頑張ったわよ、この土地を譲ってもらうのだって簡単じゃなかったんだから」
「……そういえば、移転したって話ですもんね。その交渉もカルケさんが?」
「もちろん。私以上に交渉がうまい人もいなかったし、この土地を持っていた人たち一人一人のところに菓子折り片手に向かったっけ……」
懐かしむように言ってのけるカルケさんだが、それがどれだけの労力を要することか俺はこの二日間で痛いほどに実感している。まして自分の事業のための交渉をあちこちと行うなんて、胃に穴が開いたっておかしくないような所業だった。
「……大変な場面をくぐってきてるんですね」
「そうでもないわよ、ただ運が良かっただけ。……まあ、いろんな手練手管は使ったけどね?」
「……念のため、どんなことをしたか聞いても?」
生々しい話ならお断りしたいところだが、それくらい突っ込んでいかなければ得られるものも少ないだろう。もしいかがわしい話だったらすぐに記憶を消去することを心に決めて、俺はカルケさんの返答を待った。
「そうねえ……『宿屋が出来たらその中にあなたの店を併設する』とか、『宿屋の売り上げの数パーセントを継続的にあなたに渡す』とか。いろいろと手段は違ったけど、あの手この手でどうにか納得してもらったっけ」
「ああ、よかった……。そういう交渉術は大事ですもんね」
「そうよ。『相手は何を求めているか』ってのをちゃんと理解しなくちゃ、交渉ってのはダメになっちゃうの。そこにある店が大事なのか、その店があることで発生する売り上げが大事なのか。そこをはき違えないように、慎重に考えていた記憶があるわねえ」
「相手が、何を求めているか……」
そういえば、今までの俺たちは相手側に寄り添うだけの余裕がなかった気がする。中々契約が出来なくて焦っていたのもあったが、俺たちが求める条件に無意識下で交渉相手を押し込んでしまっていたのかもしれない。そんな交渉を続けていれば、一つも契約してくれないのは納得の話だった。
移動屋台が決定したのだって、店主と俺たちとの要求が合致する点を慎重に探せたからだもんな。あの時はできていたはずの思いやりが、もしかしたら普段は持てていなかったのかもしれない。
「……交渉は、対話ですもんね」
「そうよ?対話を重ねていく中で、相手が何を欲しがってるかを探るの。それが分かったら、自分たちがそれを手渡せるかを考える。……その釣り合いが綺麗に取れてたら、めでたく交渉成立って感じね」
そう聞くと、今までどうしようもなかった交渉ということがずいぶんと単純になったように感じる。それはそれで難しい問題ではあるのだろうが、今まであった閉塞感はどこかへ消えうせていた。
「……ありがとうございます。俺はまだ、大事なことに気づけてませんでした」
「若いんだもの、それくらいしょうがないわよ。……交渉、頑張ってね」
「……はい」
カルケさんの厚意に深々と頭を下げて、俺は席を立とうとする。カルケさんの教えをどう生かそうかと思索を巡らせている俺の袖を、カルケさんの手が力強くつかんだ。
「……真面目な話をするだけってのもつまらないじゃない。……ここは一つ、お茶話でもしていかない?」
それに気づいて振り返ると、カルケさんが目を輝かせてこちらを見つめている。……その望みが最初からそっちの話題の方にあったのだろうというのは、交渉ド素人な俺からしてもあっけなく見抜くことができた。
次回、カルケとヒロトはどんな会話を繰り広げるのか!突破口が見えてきた途中ではありますが、ふたりの会話にもう少しお付き合いいただけると幸いです!もし気に入っていただけたらブックマーク登録、高評価などぜひしていってください!ツイッターのフォローも是非お願いします!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!