第三十二話『行きはよいよい……?』
――唐突に始まった、迷いの森への冒険。図鑑の知識を存分に生かしてやろうと、俺はひそかに息巻いていたのだが……
「……ヒロト、右からくるぞ!」
「右って……ほわあああああっ⁉」
迷いの森への道中。……俺はミズネさんの指示を聞いて、情けない声を上げながら必死に飛び退っていた。
ふと右を見れば、スズメくらいの大きさの鳥が猛スピードで突進してきている。ミズネさんのおかげでどうにか躱すことができたが、そうでなければ今頃無傷ではいられなかっただろう。まあ、サイズ的に死ぬことはなかっただろうが……
「……って、なんだあのクチバシ」
小鳥と、そう表現するのがふさわしい。手に乗せることもできそうなサイズのかわいらしい襲撃者は、その見た目にあまりにもふさわしくない鋭いくちばしを持っていた。
くちばしというより、最早カジキマグロの頭にくっついてるあれを想像する方がイメージとして近いかもしれない。もし、あれがあのスピードで俺にぶつかっていたら……いや、これは考えないようにしよう。
「……ネリン、今度は左だ‼」
「えっ、ちょっ、はやっ……いや、こいつ何者なのよ――⁉」
そんなことを考えている間にも、魔物の襲撃はまだまだ続いていた。どうやら次はネリンがロックオンされたらしく、ミズネさんの指示で体をそらすようにして突進を回避していた。しかし、必死な俺たちとは対照的に鳥はスムーズに旋回し、もう一度標的をロックオンして――
「……させるか!」
突進しようとしたその瞬間、ミズネさんが放った氷魔法が鳥の頭部を直撃した。手のひらに収まる程度のサイズの一撃だったが、そのスピードも相まって鳥は地面へと墜落する。死んだという訳でもなく、ただ失神しているだけの様だった。
「ふう……二人とも、大丈夫か?」
落ち着き払った声で、ミズネさんは俺たちの方を振り返る。……それを見て、俺たち二人はへなへなとへたり込んだ。
「「助かったあ……」」
さっきまでは緊張もあって立てていたが、いざそれが解けると膝が笑って力が入らない。……正直に言えば、ものすごく怖かった。そりゃ冒険者は防具にこだわるわけだよ……あんなの刺さったらと思うと、俺なら怖くてまともに冒険できる気がしない。俺たちは防具を買うことで安心も買ってたってことなんだな……
立てないのはネリンも同じなようで、「あれ?」と言わんばかりに首をひねっている。そんな俺たちにミズネさんは苦笑すると、俺たちへ歩み寄って手を伸ばした。
「……ほら、立てるか?」
「ええ、なんとか……ほんと、ミズネさん様様ですよ」
「そうね…………あんなのがいるとか聞いてないわよ」
「ここの冒険者はマルデロ平原で修業を積むというからな。ここの魔物に疎いのは仕方のない話だろう」
差し出された手を掴み、どうにか俺たちは立ち上がることに成功する。まだ少し膝が笑っているが、それでも大分収まってきている方だった。
「そうね……パパもマルデロ平原にしか連れてってくれなかったし。ここの平原のことなんて、看板でちらっと触れられてることぐらいの知識しかなかったわ」
まさかそれがこんなことになるなんてね、とネリンは深々とため息をついた。その様子を見るに、どうもネリンの方が気持ちの切り替えは早いらしい。……なんだか少し負けた気がする。
「まあ、初心者向けにするには危険性の高い土地だからな。くれぐれも私がいないときに行こうとは思うなよ?」
「もちろんですよ……こんなとこ、ミズネさんがいなきゃ怖くて行けないですって」
「同感ね。……パパはこんなとこでも戦ってたんだなあと思うと、急にあたしの目標が遠くなったみたいできついものがあるわよ……」
そう言ってどこか遠い眼になったネリンの頭に、ミズネさんの白い手がポンと置かれた。
「はは、駆け出しの冒険者なんてみんなそうさ。失敗と成功を繰り返して、少しずつやれることを増やしていけばいい」
そう言うミズネさんの口調はまるで諭しているようで、その姿は理想の教師そのものだ。やはり年長者なんだなあと、見た目だけだと忘れかける事実を俺は深く思い直した。俺たちの約五倍くらいは生きてきてるわけだもんな……そりゃ落ち着きも生まれるわけだ。
「……じゃあ、ミズネさんもあたしみたいに駆け出しだった時があるの?」
俺がしみじみそんなことを思っていると、ネリンが興味ありげにミズネさんを見上げてそう質問する。その質問にミズネさんは「もちろん」とうなずくと、
「私も駆け出しのころはよく母上に助けられたものだ。私の戦闘術は、ほとんどが母上からの受け売りでな。……今でも、模擬戦をしたら負けてしまうだろう。そういう意味では、私もまだまだ駆け出しかもしれないな」
苦笑するミズネさんに、俺たちはただただ感嘆するしかない。ネリンに関してはミズネさんを見上げた姿勢のまま固まってるし。
そんなミズネさんに勝つ母親の腕前はもう想像すらできないが、ミズネさんがすごい人なのは確かだよな。わざわざ見知らぬ街に剣を発注しに来るあたり、行動力もものすごいし……。
俺がそんなことを思っている間にも、ミズネさんはちゃっちゃと戦闘後の処理をしている。気絶した鳥型の魔物を岩陰に置いてくると、ミズネさんは俺たちの方を向き直った。
「さあ、そろそろ出発しよう。早くしないと森の中で日が暮れてしまうからな」
それは避けたいだろう?と片目を瞑るミズネさんに、俺たちは頷きを返した。あんな小型の鳥ですら俺たちの命を奪いに来るんだ、迷いの森の中で日が暮れるだなんて考えたくもない。魔物の類は夜の方が活発化するものも多いって図鑑にあったしな。
その後もいくつかの魔物の襲撃があったものの、ミズネさんはそれらすべてをものともせずに捌いていった。途中から慣れてきたのかネリンも戦闘に参加する場面があったが、俺はというと毎回腰が抜けないようにしているので必死だった。それでも一二回へたり込んでしまった場面もあったが、それでも毎回じゃなかっただけ褒めてほしいくらいだ。
主だったトラブルが起こることもなく、俺たちの道中は進んでいく。そして、歩くこと一時間くらいが経っただろうか。歩きなれている俺でも、少し足が痛くなってきたところで――
「……着いたぞ。これが迷いの森だ」
ミズネさんが足を止め、大きな木が密集している森を指さした。
「……これが……」
「ああ。これまでにも多くの冒険者を迷わせてきた、危険な地だ」
ぱっと見はただの森だが、図鑑によればそれすらもこの森が持つ魔力由来のカムフラージュらしい。その見た目に惑わされた冒険者の中には帰ってこなかった者もいると、図鑑には太字で書かれている。自分たちもそうなるんじゃないかと、一瞬背筋に寒気が走るが――
「……だが、今回は違う。……頼りにしているぞ、ヒロト」
ミズネさんの声に、その不安感が拭い去られる。ふと見れば、ネリンも俺の方に期待するような視線を向けてきていた。……そうだよな。……これは、俺にしかできない役割だ。
大きく深呼吸して、もう一度迷いの森に視線を向ける。そしてミズネさんの方を向き直ると、俺は大きく頷いて見せた。
「道案内は任せてください。……必ず、妹さんを助けましょう」
「……ああ、よろしく頼む!」
大きく頷くと、ミズネさんは迷いの森へ足を踏み入れていく。あまり離れすぎないように、俺たちも足早にその背中を追った。
――さあ、ここからが図鑑の本領発揮だ!
次回から迷いの森の本格攻略が始まります!三人の冒険が果たしてどう展開されていくのか、どうぞお楽しみに!
……といっても、そんなバチバチに激戦!って感じにはならないのでご安心を。あくまでのんびりスローライフですし、あの三人のことですから和やかな道中になるでしょう。……そこでどんな会話が繰り広げられるかは、僕自身全容を掴み切れてはいないのですが。
ーーでは、また明日の午後六時にお会いしましょう!