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それでもキミに恋をした  作者: シェリンカ
第六章 描きたいもの

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3 キミの笑顔

 病室の窓から見える景色は、ニヶ月前よりも色を濃くしていた。

 青々と繁った木々の葉も、吸いこまれそうに青い空も、長時間見つめていると、目に痛いほどに。

 

「あれっ? ……ここからの景色はもう描き飽きたって言ってなかったっけ?」


 昼食を運んできてくれた看護師さんを、俺は窓際に置いたパイプ椅子に座ったままふり返る。


「そうですよ。でも、まぁいいんだ……」

「ふーん……」

 

 うしろからこっそりと近づいた看護師さんが、俺が胸に抱えているスケッチブックをのぞきこんでくる気配を察して、描きかけのページをパタンと閉じる。


「ダメ。これは誰にも見せないの」

「えーっ? 前は見せてくれてたじゃなーい」


 まだ看護学校を出て三年目だというその看護師さんは、口を尖らして、子供みたいな顔をする。

 俺はクスリと笑った。


「でもこれはダメなんです」 

「ふーん……」


 やりかけだった昼食のセッティングを再開した看護師さんは、それをやり終えると、首を傾げながら俺の病室から出ていく。

 

 その背中を見送ってから、俺は描きかけのページをもう一度開いた。

 ――初めて二人で行ったあの海で、俺をふり返って笑う真実さんの姿がそこにはあった。

 



 安静にしている以外にはすることもなく、食事と睡眠と検査をくり返す毎日は、俺にたくさんの考える時間を与えてくれる。

 ベッドの上よりもすっかり定位置になりつつある窓際の椅子で、陽だまりの中、何枚も何枚も真実さんの笑顔ばかりを書き連ねていたら、 胸に痛いくらいに実感せずにはいられなかった。


(俺たちがあの夜出会ったのは、本当に偶然だったんだな……)


 それぐらい、俺の毎日は今、真実さんとは離れてしまっている。

 そもそも外界とも全く隔絶されてしまっているわけだから、当たり前といえば当たり前なんだが、俺が会いに行かなければ、たったそれだけで終わってしまう関係なんだということを、改めて思い知らされた。

 

 それはあまりにも寂しかった。

 もし俺がこのままこの部屋から出られなかったら、それだけでもう二度と会うこともできない人。

 

(そっか……そしたらもう、二度と会えないわけか……)


 自分を追いこむような考えは、今は体にあまりよくないとわかっているんだが、考えずにはいられなかった。

 

 だからといって、今さら真実さんに俺の素性を明かしたりとか、連絡先を教えたりということは、やっぱり考えられない。


(だって……結局はそれって、しばらくの間だけなんだもんなあ……)

 

 たとえば俺がいなくなった後で、履歴に残った俺の電話番号を見る時、真実さんはどんな気持ちになるんだろう。

 俺が入院していたこの病院の前を通る時には――。

 

(悲しんでなんかほしくない。だから『もしも』の前には、俺は絶対に真実さんの前から姿を消しておく……)


 最初から決めていたその決意は、今だって揺らいではいない。

 

(なるべく笑っていてほしい……だから俺のことなんかすぐに忘れて、未来だけを見て生きてほしい……)


 その思いは確かに本物なのに、想像しただけで頭を抱えてしまう自分がいる。


(あーあ……でも他の男と一緒にいる真実さんの姿なんて、たとえ空の上からだって、俺、絶対に見てられないや……)


 

 空は高かった。

 どれだけ思っていたって、あんな遠くからじゃ、すぐ近くにいる奴にはきっとかないっこない。

 

 それは当たり前なのに。

 それでいいと思ってたのに。

 今さらどうしようもなく悲しくなるほどに、――地上と空の上は遠かった。



 

「本当にそれだけでいいの? なんならキャンバス運んできたっていいのよ?」


 足繁く俺のところに通ってくれるひとみちゃんは、俺が一冊のスケッチブックと鉛筆だけで、当面の間は画材は要らないと告げると、かなり怪しむような顔をした。

 

「まさか……病院抜け出して、どこかに通ってるんじゃないでしょうね?」


 思いもかけなかった疑いに、俺は彼女がわざわざ途中で買ってきてくれたジュースを思わず吹き出すところだった。

 

「そんっ……そんなことしないよ!」

「どうだか……」


 ぷいっと背中を向けるひとみちゃんの姿に、俺はため息をつく。

 

 もともと小さい頃から俺に喧嘩ばかり売ってくる相手ではあるが、それにも増して最近のひとみちゃんは容赦がない。

 

(なんか怒らせるようなことしたかな……?)


 考えてみれば浮かんでくる答えは一つしかない。

 

「ひとみちゃん……」


 呼びかけると、ふり向きもしないまま、「なによ」と返事される。

 

 どうにも取りつくしまもないほどの怒りを感じずにはいられないが、昔からずっとそうしてきたように、そんなことはまるで気にしていないような口調で、俺は話を続けた。

 

「今度退院したら、俺、高校にもちゃんと行くから……」

 

 ビクリと、俺に背中を向けたままのひとみちゃんの肩が震えた。

 

「絵を描きに」

「海里!!」

 

 鬼のような形相でふり返ったひとみちゃんを見て、俺はたまらず笑いだした。

 

「ほんとだって。秋にある文化祭までには、仕上げたい絵が何枚かあるから……」

「そうじゃなくって……! そうじゃないでしょう!」

「ハハハッ。でもそれが俺にとっては、最優先事項だから……だからいいんだ。きっといくら勉強したって兄貴みたいにはなれないし……」

 

 兄貴には申し訳ないが、ここは引き合いに出させてもらう。

 大学の医学部に現役合格して、外科医への道を一目散に走っている兄を持つと、出来の悪い弟はいろいろと便利だ。

 ――もっともそう思っているのは俺だけで、世間一般的には真逆の感想なのかもしれないけど。

 

「そんなこと、わかんないじゃない! 海里だって成績はいいんだから、ちゃんと勉強すれば陸兄みたいにだって……」

 

「なれないよ」

 

「…………!」

 

 自分ばかりではなく、その言葉がひとみちゃんの心にだって痛く食いこむことはわかっているのに、俺は短く言い放つ。

 

(ああ、俺ってほんとに意地悪だ……ゴメンひとみちゃん……)


 わかっているのに――。

 

「なれない」


 真正面からひとみちゃんの目を見つめて、念を押すかのようにもう一度くり返す。

 

 いつだって強気なひとみちゃんが、呆けてしまったように俺の顔を凝視した。

「そんなこと……ない……もの……!」

 

 強い光を放つ瞳が不安に揺れ始め、震える唇はやっとの思いで切れ切れの言葉を搾りだす。

 その瞬間、――俺はヤバイと思った。

 

(しまった! きっと泣かす!)

 

 でもひとみちゃんはそんな俺の予想を見事に裏切って、いつにも増して大きな声で俺を怒鳴ると、バタバタと足音を響かせて、病室を駆けだしていった。


「……だってそんなこと、やってみなくちゃわからないでしょう! やる前から逃げてるんじゃないわよ! バカ海里!」

 

 涙が浮かんできたのは俺のほうだった。


(そうか……逃げてんのか……俺……)

 

 こぶしをギュッと握りしめる。

 痛くなるほどに奥歯を噛みしめて俯いたら、伸ばしっぱなしの前髪が、頬のあたりまで落ちてくる。

 だからたとえ今誰かがこの病室に入ってきたとしても、俺の情けない顔を見られる心配はないだろう。

 

(現実を受け入れて、未来を悲観しないように生きていく……なんてかっこいいこと言ってるけど……ようは俺が何もかもを諦めてるってことなのか……!)

 

 高校を卒業することも。

 未来に夢を持つことも。

 もっと長く生きることも。

 いつか兄貴を越えるという目標も。

 ――ずっと真実さんと一緒にいることも。

 

 諦める。できるはずないんだって、最初から割り切る。

 そのほうが自分も周りの人たちも傷つけずにすむと思ってたのに――。

 

(ひとみちゃんは……悔しいんだ……!)


 俺がはなっからいろんなことを諦めてしまっていることが。

 望みを持つことと一緒に、努力することまで放棄してしまっているのが。

 

(……俺だって悔しいよ!)


 頬を伝って落ちた涙が、固く噛みしめた唇にまで流れてきた。

 

(できるんなら……一生懸命に努力したらそれがかなうんなら……俺だってがんばりたいよ! どんなことだってやってみたいよ! だけど……!)

 

 ぐいっと腕で頬を拭った。

 泣いたのなんて本当に何年ぶりかも覚えていないほどひさしぶりりだったから、余計にそれを誰にも見られるわけにはいかなかった。

 

(叶う望みがないってわかってるのに、どうやって夢を見たらいいんだ? 俺には無理だってわかってるのに、どうやってそれを望んだらいいんだよ……?)


 悔し紛れにこぶしを握りしめたけれど、それをどこかにぶつけるなんてことはやっぱりできなかった。

 

 だらんと腕を下ろした時に、病室の入り口のほうから声がした。


「海里ー起きてるかー?」


 珍しく兄貴が、実習の合間を縫って、見舞いに来てくれたのだった。

 

「階段の踊り場にひとみがいたんだけど……どうした? 喧嘩でもしたか?」


 本人はのんびりとした雰囲気なのに、兄貴の言うことはいつも的を得ているというか、鋭いというか。

 図星をさされると、俺はもう笑うしかない。

 

「喧嘩……じゃないけど、怒らせちゃったんだよ……」

「そっか」

 

 きっと俺の目が真っ赤に泣き濡れていることだって、とっくにお見とおしだろうに、兄気は余計なことは言わない。

 その代わり、重要なことに関しては単刀直入だ。

 

「ちゃんと謝っとけ。な? ひとみはいつだって、お前のために動いてくれてんだから……」

「うん……」

 

 口先だけで謝るのは簡単だ。

 でも本当の意味で、彼女の期待に添うことができるのだろうかと思うと、言葉は自然と鈍る。

 

 兄貴は窓際の椅子に座り続ける俺の所までやってくると、横に立って窓から外を眺めた。

 そちらに顔は向けないまま、俺は尋ねる。

 

「ねえ……俺っていろんなことから逃げてんのかな……?」


 あとから考えてみたら、ずいぶんとストレートな問いかけだったと思う。

 でもそんなことにも頭が回らないくらい、実はその時の俺は追い詰められていたのかもしれない。

 ――自分でも気がつかないうちに。

 

「ひとみちゃんがそう言ったのか?」

「うん……まあ……」

「そうか……」

 

 兄貴は俺のほうを向こうとはしなかった。

 面と向かうと照れ臭い思いもあるので、その判断は正直ありがたい。

 

 隣にいながら反対の方向を向いて、いつになく弱音を吐く弟に、兄貴はどこまでも優しかった。


「海里はいつも先回りしていろんなことを考え過ぎだからな……それが功を奏す時だってあるし、慎重過ぎるって批判される時だってあるさ……」

 

 兄貴が語る俺には、『病気だから』というハンデは存在しない。

 あくまでも、ただの一人の『一生海里』という人間として見て、評価してくれる。

 その見方からして、俺とは全然違うということがよくわかった。

 

(そっか……覚悟はしてても、それを言い訳にしたらいけない……そういうことなんだ……!)


 俺は俯いていた顔を跳ね上げた。

 

「じゃあさ……たまには俺だって……無理だってわかってることに向かってみてもいいのかな……?」

 

 ゆっくりと兄貴が俺のほうに向き直る気配がした。

 座る俺の頭上に、強い視線が注がれる。

 聞こえてきた兄貴の返事は、まるでひとみちゃんがさっき叫んでいた言葉とそっくり同じだった。

 

「無理かどうかなんてやってみなきゃわからない。それは俺だって、お前だって一緒だよ」

「そっか。わかった」


 まるで神様からでも許しをもらったかのように、俺はホッと息を吐いて、ギュッと両目を瞑る。

 

(だったら俺は諦めない。絶対もう一回真実さんの隣に戻る。彼女を守る役目を他の誰かに譲ったりなんかしない……少しでも長く一緒にいられるように、これからだってずっとずっと努力する……!)

 

 閉じた目をもう一度開いた瞬間、目線の遥か向こうにひとみちゃんが現われた。

 いつものような凛とした強さを取り戻した瞳で、真っ直ぐに俺を見ている。

 

 負けない意志をこめて、俺もひとみちゃんを見返した。

 

「ひとみちゃん……やっぱり退院したら、俺、高校に行くよ。絵も描くし。俺の一番行きたいところにも毎日行く。それでちゃんと病院にも定期的に検診に来て……って……あれ? これじゃやっぱり毎日学校行くのは……ムリか?」

 

 ボッと遠目に見てもわかるくらいにひとみちゃんは頬を赤くして怒った。


「だから! それはそれでいっぺんに欲張りすぎなのよ! 加減ってものを知らないわけ? ……バカ海里!」

 

 ひとみちゃんの不器用な優しさがいっぱいこもった、いつも通りの罵声が嬉しくて、俺は兄貴と一緒にお腹を抱えて大笑いした。


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