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第5時限目 合宿のお時間

「テスト合宿しよう!」

「……えっと、はい?」

 放課後、突然岩崎さんが宣言して、私と正木さんは顔を見合わせてから、お互い目を瞬かせた。片淵さんは頭を手の上で組んでにははと笑っているだけ。つまり、いつものアレです。

 いつもの、とか言いつつまだ1ヶ月も経っていないのだけど、既に1年間くらい居るような気分。それだけ凝縮された生活を送っているんだなあ、なんて思う。

「テストもうすぐじゃん?」

「ああ……そういえばそうでしたね」

「そう言えばって結構余裕だね、小山さん」

「いえ、そういうわけでは……」

 単純に吸血鬼の一件で完全に意識からすっぽり抜けてしまっただけで、余裕があるわけではない。

 いや、前にも言った通り、前の学校でやった範囲が大半だから基本は見直しだけで良いから、比較すれば確かに余裕が無いわけではないのだけど、ここのところ遊び疲れたり、吸血鬼問題を解決? したりで帰ってきたらご飯食べて寝る、みたいな生活が最近多くなっている。お陰で昔みたいに帰ってきたら宿題予習復習、なんて生活をしていないから、少しだけ心配。

 さて、それはそれとして、精神的に瀕死状態の岩崎さんは、

「私は全然分からなくてヤバイんだよ……」

 などと言いつつ私の机に突っ伏して死んだ魚の目をしている。

「そんなになんですか」

「そんなになんです」

 即答した岩崎さんがぎりり、と拳を握って宣言する。

「だから、小山さんの部屋で、というか寮で合宿やろうよ!」

「寮で、ですか」

「ほら、寮長さん? だっけ? あの人も寮生減ったから部屋使っていいって言ってたじゃん」

 使っていいと言っていたのは娯楽室とかじゃなかったかな? 寮の他の部屋とかも借りて良いのかはちょっと覚えていないけれど、確かに借りられる本当に合宿みたいなことは出来そう。

「でも、寮を借りるなら、借りる部屋のベッドとかも綺麗にしなければならないと思うし、寮長さんも大変なんじゃないかな……」

 正木さんが少しバツの悪そうな顔で言うと、

「んじゃあほら、借りる部屋をそれぞれで片付けるので貸してください、って話だったらどーだろ?」

 即座に片淵さんが提案する。

「確かに、それなら寮長さんの負担も掛からないですね」

「まあ、ゴールデンウィークだから、寮長さんも自由に使っていいよって言うかもしれないけどねー」

「……えっ!?」

 何気ない片淵さんの言葉に大仰に驚く岩崎さん。

「どうしたの? 真帆」

「ゴールデンウィーク……そういえばそうだった」

「え? むしろ、真帆もゴールデンウィークを覚えていたから合宿なんて言ってたのかなと思ったのに」

「いや、単純に土日でパジャマパーティー的なことしながら勉強会しよう! って意味だったんだけど、そういやそっか」

 あはは、と岩崎さんが笑う。

 ……実は私もゴールデンウィークを完全に忘れてた側の人間だったりする。そういえば、1学期の中間テストってGW明けだったっけ。テストのことと同時にすぽっと綺麗に跡形もなく抜けていたなあ。

「んじゃあ、ゴールデンウィークの最後の方にテスト勉強合宿かねー?」

 片淵さんの声に頷いた岩崎さんは、

「うん。でも! その前にどっか遊びに行こうよ。折角の休みなんだしさ。あ、小山さんは実家に帰るの? 遠いんだっけ?」

「あ、ええと、そうですね……実家は近いですが……」

 言いながら考える私の脳裏には確かに実家に帰るという選択肢もあった。もちろん、現状の話をするために。

 ……ただ、やっぱりまだ踏ん切りがつかない。逆に旅行に行くから帰れない、とか何かしら理由を付けて帰らないというのもありかなと思ったり。

 かと言って、現状を説明するのを先延ばしにしたところで今更結果が変わるわけでもないし、今度は転校直後に入試とかいう話にもなりかねない。だから早く決めないといけない。

 ……いけないのは分かっているけれど、私の口から出たのはこんな言葉だった。

「夏まで帰らないつもりなので、ゴールデンウィークは大丈夫ですよ」

 そう、夏にしよう。夏は大胆になれる季節って言うし。私が大胆になれるかどうかは分からないけれど、夏の暑さに任せて言ってしまえるかもしれない。言えたら良いなあ。言えるかなあ……。

「とりあえず何処に――」

「おっしゃー、皆揃ってるかー? 席につけー」

「うわ、咲野先生もう来た。んじゃ次の休み時間にね!」

 HRを告げるいつもの咲野先生の声に、岩崎さんと片淵さんが慌てて机に戻っていく。

「んじゃあ、出席取るよー」

 生徒の名字を呼んでいくのを聞いていると、

「そういえば、小山さん」

 横から正木さんが小声で私の名前を呼んだので、意識をそちらに移す。

「何でしょう?」

「そういえば、えっと、あの地下室の女の子からは誘われなくなったんですか?」

「地下室? ……ああ、そう、ですね」

 確かに吸血鬼の一件が終わってから、みゃーちゃんから呼ばれることはさっぱり無くなった。

 園村さんに襲われたあの日、一旦園村さんたちと手芸部へ立ち寄った後、全てが済んだからさて帰ろうと時間を確認するためにスマホを見たら、知らない携帯番号から大量に不在電話が有ったのに気づいた。

 誰だろうと掛け直したら半泣きのみゃーちゃんの声がして、ああそうだ、みゃーちゃんと電話中に倒れたんだっけと思い出し、慌てて地下室まで宥めに行った。私、みゃーちゃんに電話番号は教えていなかったはずだけれど、みゃーちゃんのことだからあの地図のアプリを入れたときとかに私の電話番号を確認していたのかもしれない。

 それはともかくとして、あの日を境にみゃーちゃんから声が掛かることは無くなった。

 未だ、地下室の部屋には私1人で勝手に入ることは出来ないし、桜乃さんにも吸血鬼の話は伏せつつ、みゃーちゃんのことについて話をしたけれど「彼女は彼女の世界があるから、ボクが行っても何も話してくれないだろうね」とお手上げ状態で言われた。

 まだあれから2週間位しか経っていないのだけれど、全く音沙汰無いとちょっと不安になる。

「もしかするとゴールデンウィークにあの子に呼ばれてたりしないかなって少し心配になって。真帆はいつもあんな感じなので、小山さんが無理してこちらを優先してくれるんじゃないかなって」

「ああ、そういうことでしたか。いえ、大丈夫ですよ」

 私の言葉に正木さんが笑って「良かった」と答えたところで、

「宇羽ちゃん……おっけー、居るね。大隅ー? 大隅は?」

 と、順調にクラスメイトの名前を読み上げていた咲野先生の声が止まった。

「居ないですよ」

「てことは中居も?」

「居ないでーす」

 クラスメイトの誰かが答える。

 ……ごめんなさい、まだ名前覚えてない子でした。

「あいつら、2人とも出席数足りるんかな……後、他に居ないのは?」

「渡部さんが居ません」

 即座に答えたのは太田さん。

「渡部? またどっかで電池切れ?」

「分かりません」

「んー……仕方がないなあ」

 腕を組んで、咲野先生が唸ってから、1人で頷いた。

「よし太田ちゃんクラス委員長だし、ちょっと大隅と中居探してきて。後……小山さん、渡部さん探してきて」

「分かりました」

「…………ん? え? はい?」

 即答で頷いた太田さんと比べ、私は疑問符で返した。

「小山さん、渡部さん、探す、連れてくる、オッケー?」

 何故カタコト?

「え、ええ、まあ構わないですが……あの、何故?」

 まだあまり学校に慣れていない上、そんなに渡部さんと仲が良いわけでもないし、学級委員長的な立ち位置でもないただの転入生に何故? と思うところはあったけれど、次の言葉で状況が良く分かった。1点の疑問を除いて。

「いやね、小山さんに頼むのも悪いとは思うんだけど、美夜子はアタシにも懐いてないからねえ。唯一懐いてるのは公香か小山さんくらいだし」

「公香……?」

「坂本先生の下の名前ですよ」

「ああ、ありがとうございます」

 横からこっそり教えてくれる正木さんに謝辞を告げる。ああ、やっぱり咲野先生もそう思ってるんだなあ。

「渡部さんは美夜子が作ったって話だし、多分探し方も知ってるだろうから。だから……お願い」

 最後のお願い、はいつもの軽い調子ではなく、真面目にそう言われてしまったから、私も素直に頷くしか出来なかった。

 なるほど、みゃーちゃんを探せば、きっと渡部さんを探すことも出来る、という理論かな。

「あ、あの! 私も行きます! まだ小山さん、学校のこと良く知らないと思いますから」

 気を利かせてくれた正木さんが手を挙げて言うけれど、

「んー、駄目」

 少し考えてから咲野先生が答えた。

「行かせてあげたいのは山々なんだけど、小山さん1人じゃないと美夜子が会ってくれなくなっちゃうだろうしねえ」

「ああ、確かに……あれ?」

 だったら1番適任なのは、私が行ったときには良く居る桜乃さんの方が適任なんじゃ?

 そう思って、私は視線をそのまま右の方に移すと、机に突っ伏して私の方を一切見ない桜乃さん。ええとこれは……拒絶されてる?

「ただし、2人共探すのは校舎内だけでいいから。部室棟とかまでしっかり探すと1限どころか2限まで掛かりそうだし。1限はアタシの授業だから、1限中に帰ってきたらちゃんと授業出たことにするよ。あ、もちろん分からないところがあれば個別に授業もするし」

 なるほど、自分の授業中なら色々と何とかなる、ということね。

「正直、大隅さんと中居さんは放っておいても良いのでは?」

 ギラリ、と眼鏡を光らせてクラス委員らしからぬ言葉を発する太田さん。おおう、手厳しい。

「んにゃー、流石にちょっとそれはね。手を焼く子だから放っておこうってのはアタシの性には合わないんだよね。あ、別に太田ちゃんが渡部さん見つけたらそれはそれでもいいし、小山さんが大隅と中居見つけたらふん捕まえて連れてきても良いよ」

「いえ、あの……た、大変申し訳ないんですが、その大隅さんと中居さんが良く分からなくて……」

 未だ、クラスメイトは半分くらい顔と名前が一致しない。いや、3分の2くらいかも……?

 私が言うと、

「ああ、大丈夫大丈夫。どっちもうちの学校で唯一……いや唯二ゆいにの茶髪ギャルだから」

「茶髪……? あ、ああ、あの2人……」

 あの2人、名前知らなかったんだった。大隅さんと中居さんって言うんだ。

「まあ、分かんなかったらいいよ。というか小山さんは渡部さんを探してくれればいいし」

「大丈夫です。大隅さんと中居さんも分かりましたので、見つけたらふん捕まえます」

「おお、頼もしいね。んじゃあ太田ちゃんと小山さん、よろしくね」

 私は頷いて、足早に教室に出た。

「張り切ってるじゃない」

 少し遅れて出てきた太田さんに私は素直に今の気持ちを言葉で返した。

「いえ、単純にあの状態で教室に居たくなかっただけです」

 早足だった理由は早く探しに行こうという気持ちの表れではなく、さっきからずっと好奇の目に晒されているのに耐えきれなかったというだけ。

「……まあ、小山さんも転校して大して経ってないのに色々と大変だから仕方がないわね」

 意外と、と言ってはいけないけれど、太田さんが溜息と共に私を気遣うような言葉を発した。

「咲野さんもいい加減なのに変なところ気を回すし、だからと言って自分でそう簡単に動けるわけでもないから声を掛けやすい人間に掛けるしでホント迷惑よね」

「まあ、咲野先生のキャラはもう大体分かってますから」

「あら頼もしい。じゃあ、工藤さんに続いて、咲野先生も頼もうかな」

「謹んで遠慮します」

 私が仰々しく言うと、少しだけ微笑みを作った太田さん。太田さんが笑ったの、初めて見たかも。

「さて、問題児2人と石像みたいになってると思われる渡部さんを探しに行きましょうか。私は屋上から探すから、小山さんは1階……よりも先に外、校舎周りを見回って頂戴」

「校舎の外?」

「……正直なところ、渡部さんは多分校舎内で電池切れしてるだけだろうから校舎内上から下まで探せば簡単に見つかるかもしれないけれど、あの問題児2人は校舎の陰に生えたキノコみたいにこっそり隠れていたりするから、中々見つからなくて。ちょっと手伝って頂戴」

「ああ、なるほど。分かりました」

 綸子に絡んでいたのを見つけたときも、確かに校舎外だった。まあ、あれは既に授業終わっていたけれど、もしかすると生息地はあの辺りなのかな?

 ちなみに、だったら太田さんが外を先に探した方が良いんじゃないかな、なんてことは言わない。多分、工藤さんのときみたいに押し切られるのは分かっているから、無駄な押し問答はしても時間が勿体無いしね。

「あ、こちらで渡部さんが見つかったら連絡するわ」

「あの、でも私、太田さんの番号知らないんですが」

「…………そういえば私も小山さんの電話番号知らないっけ」

 互いに苦笑して、私たちは電話番号を交換してから別れた。

 太田さんが言う通り、1階に降りてから靴を履き替えようとすると、

「あれ?」

 見覚えのある黒猫が背後を傍を通り抜ける。私がしゃがみこんで手を伸ばすと、黒猫ちゃんは私の指の匂いを嗅いでから昇降口を抜けて外に出ていった。あれ、前は足元スリスリするくらい仲良しさんだったのに。あのときはたまたま機嫌が良かったのかな?

 変化といえば前に見たときよりちょっと太ったかもしれない。去っていく足取りをを見る限り、歩き方が少しぽてぽてしたというか、今までの細身からしっかり体型へと変わったかなという印象がある。

 みゃーちゃん、落ち込んでいた感じだったから、逆にあの子を甘やかしすぎて食べさせすぎてるのかも。今くらいならまだ良いけれど、もっと太るようであればちょっと気をつけてあげないと。

「……あ」

 何気なく黒猫のノワールちゃんを見送ってしまったけれど、良く考えればあの黒猫ちゃんが居ればみゃーちゃんの部屋に入れるかもしれない。そうすれば渡部さんを探すことも出来る、はず。今のみゃーちゃんが会ってくれるかという疑問はさておき。

「ちょっと待って!」

 猫にそんなこと言ったところで待ってくれることは無いのだけど、口走ってしまうのは猫飼いのさがかな。慌てて外履きに履き替えて飛び出し、黒猫ちゃんの後を追うと――

「なんだこの猫、迷子か?」

 ……あれ、聞き覚えのある声。

「黒猫ちゃんじゃーん。でも、黒猫って目の前通られると死ぬんじゃなかったっけ」

「マジかよ、今通られたあたしたちヤベーじゃん」

「短い人生だったね、星っち……南無」

「いや、晴海お前もだろ!」

 何だかやけに盛り上がっている女の子たちがいるから、別に見ているのは家政婦だけではないのですよ、とでもいう感じで校舎の陰から覗き込む。私の視線の先には茶髪の女子生徒2人。待ち人来きたる。いや来たのではなくこっちから見つけに行ったんだけれど。

「げっ」

「うえっ」

 去っていく黒猫ちゃんを視線で追っていた2人は視線を戻したときに校舎の陰に居た私と視線があって、明らかに嫌そうな顔と声を表した。

「あら。授業もう始まってるけれど、チャイム聞こえなかった?」

 白々しく私が言うと、

「聞こえてるっての!」

 後ろ髪をまとめている方の茶髪の女の子が苛立たしげに言う。あ、どっちがどっちなんだろう。こっちが大隅さん? 中居さん?

 とにかく早速ミッションの内1つをコンプリートしてラッキーと思いつつ、私の尋ね人の方ではなかったことに少しだけ残念さを感じていた。うーん、渡部さんはどこに居るんだろう。

「何、クラス委員長気取りー? ちょーウケるんですけどー」

「あら、今度は貴女が壁とキスしたい?」

 指を鳴らしながら近づくと、縦ロールちゃんの方が後ろ髪をまとめている方の子と手を取り合って、

「ぼ、暴力反対!」

 なんて言うから、私は少しだけ笑ってしまった。

 さて。

 ポケットの携帯を見ると、後授業終了まで1時間弱ある。高校になってから90分授業になってしまったから正直長過ぎるとも思う。

「な、なんだよ。センコーにチクるんだったらさっさとしろよ! あたしたちは帰らないからな!」

 どうやら後ろ髪をまとめている方の子は、私がポケットの携帯を見たことで本部の咲野先生へ彼女たちの所在を報告でもするつもりなのかと思っているみたい。本当は私自身、すぐにそうしようと思ったのだけど、んー。

「……後50分かあ」

「は? 何が50分なんだよ」

「教室に戻るまでの時間の余裕、かな。ここから教室まで戻るのに2、3分は掛かるだろうし」

「……??」

 茶髪ちゃん2人共、互いに顔を見合わせて疑問符エンジェルを頭上に飛ばしながら目を瞬かせていた。

「授業が終わる時間前に教室戻れば良いって先生が言ってたから」

「だからどうしたんだよ」

「私もちょっとサボろうかなって」

「…………?」

 再度、茶髪ちゃんたちの頭の上に居る疑問符エンジェルはアメーバみたいに分裂して増殖していく。

「い、いや、さっさと帰って、アタシたちを見つけたけど、帰らないって言ってた、って報告すればいいじゃん」

「私もたまにはサボりたいなーって」

「……はあ?」

「あ、そうだ。ところで、どっちが大隅さんで、どっちが中居さん?」

「そこからかよ!」

 ドリルちゃんじゃない方の子から綺麗に漫才みたいなツッコミが入って、私は思わず声を出して笑ってしまった。

「あ、私の方から自己紹介した方が良いでしょうか?」

 私が言うと即座に髪をドリらない方の茶髪少女が答える。

「知ってるよ。最近転校してきた小山準だろ」

「そんなの知ってるじゃん?」

 髪をドリってる方の子も即答するので、

「あら意外。知らないと言われるかと思ってました」

 と素直に驚いた。何か転校生が来た、とかいうくらいしか覚えていないと思っていたし、私自身あまり名前と顔がまだ一致していない人が多いのだけど。

「前のアレがあった後に、転校生のコト調べたんじゃん?」

「晴海、そういうの言わんでいいから」

「覚えてろよ!」と捨て台詞を吐きながら、きっちり誰だったか調べているというのはある意味律儀だと思う。

「それで、どちらがお名前的にどちらなんでしょうか?」

「……大隅星歌おおすみほしかだ」

 後ろ髪を髪留めで留めている方の子が大隅さんと言うらしい、ということは。

「アタシが中居晴海なかいはるみちゃんじゃん?」

「よろしくじゃん?」

「真似せんでいいから」

 私が真似すると、大隅さんがきっちりツッコミを入れてくれる。凄く律儀。

「……でも、二見台みたいな進学校からこんなとこ転校してくるようなお硬い学生さんが何でこんなところでサボろうって言うんだよ」

「二見台みたいな進学校だったからかなと思います」

「んあ?」

 ちょっと間の抜けた大隅さんの声に、私は言葉を選びながら言う。

「まあ、あまりに皆頭が良く、進学校過ぎたからと言いますか」

「あー、勉強ばっかだと疲れるよねー」

「晴海! お前簡単に馴染み過ぎだろ!」

 私の隣にいつの間にか陣取ってうんうん頷いているボケ担当の中居さんとツッコミ担当の大隅さんはそれぞれ完全に分業できているみたい。要所要所で大隅さんが突っ込んでいるのを見て、私は常に漫才を見ているような感覚を覚えて笑いを堪えられない。

「っつーか、あたしと会ったときにはあんなに好戦的だったのに、今回は一緒にサボろうとか何考えてんだよ」

「いや、あのときはうちの妹からカツアゲしようとしたから腹が立っただけで、普段の私はそんなに好戦的ではないですよ」

「あー、つまりシスコンなんじゃん?」

「シスコンではないじゃん!?」

「だから晴海の真似するなって。アホが伝染うつるから」

「うわ、酷いし!」

「そうだし。別に変じゃないし」

「ああもうめんどくせえ!」

 私は中居さんと顔を見合わせて笑い、それに腹を立てる大隅さんを見て笑い、何だか妙に楽しくなった。

「アタシ、小山ちゃんと仲良くなれるかもー」

「よろしくお願いします」

「ったく……」

 腹を立てているようで、それでも少し楽しそうな大隅さんに、

「それで、何してたんですか? ここで」

 と尋ねる私。

「別に何も。ただ、授業に出たくないってだけ」

「まー、アタシたちバカだから全然授業受けても分からないしー」

「たちって言うな、たちって」

「えー? 星っちもいっつも補習組じゃん?」

「……仕方がないだろ。どうせ勉強しても点数取れねえし」

 しゃがみこんで呟く大隅さん。

「うーん……点数が取れる勉強ならするんですか?」

「しない」

「しないじゃん?」

 2人が即答したので、私は頷いた。ですよね。

 私だって、中学の頃は趣味を持っていなかったし、やることが他になかったから勉強をしていただけで、もっと別の趣味を持っていたら勉強に打ち込むことも無かったと思う。

「でも、かといってずっとこのままじゃ駄目だってのは分かってるじゃん?」

「まあな」

「てか小山さん、二見台なら頭良いんじゃん? 家庭教師とかやってくれたら――」

 言い掛けた中居さんを制止する大隅さん。

「やめとけ。どうせ頭が良いやつは頭の悪いやつの分からないことが、何故分からないのかすら分からないだろうしな」

 大隅さんの言葉に、私は少し悩んでから言ってみる。

「んー、やってみます? 家庭教師」

「いや、だから――」

「こやまんが補習にならないくらいにしてくれたらあげぽよー」

「ぽ、ぽよー?」

「や、なんか使ってる人が居てちょーカワイかったから、たまに使ってるぽよー」

「なるほど。じゃあ家庭教師やってみるぽよー」

「だから!」

「ちなみに既に死語らしいぽよー」

「えっ」

 中居さんのノリに合わせて言ってみたら、まさかの中居さんからの暴露に私は素に戻る。

「まあ、でもアタシも知り合いにちょっとそういうの使う人が言うくらいで、あんまし良く分かんないし、カワイければ何でもいいっしょ」

「……そうですね。それで、大隅さんは家庭教師は要らないんですか?」

「要らない」

 頑なに態度を硬めたままの大隅さんに、

「と言いつつ、やる星っちなのでした」

 と相変わらず茶化す中居さん。

「やらねえ!」

「まあ、嫌なら嫌で良いですが、でも本当にそれで良いんですか?」

「……」

 大隅さんの沈黙。何か思うところはあるのかもしれないなあと思いながら、もうひと押し必要かなとも思う。

「大丈夫です。あまりにもアホだったら、私も諦めます」

「アホって言うな!」

「アハハ」

 中居さんが笑って、私も笑って、大隅さんも少しだけ笑ったところで、

「……小山さん、何やってるんですか……!」

 地獄の底から響くような声がして、私と大隅さん、中居さんは壊れかけの手押し車みたいにガタガタと震えながら振り返ると、鬼の形相をした太田さんが腕を組んで冷たい視線を全力投球していた。

「……探してたのってこやまんだけじゃなかったぽよ……?」

「じゃなかったです、はい」

 脳内から緊急脱出していた情報が今更戻ってくる。ホント、今更だけれど。

「渡部さんが見つかったから連絡したのに全然電話に出ないし、妙だと思ったら……!」

「す、すみません」

 まだ携帯は見ていないけれど、おそらく着信履歴に太田さんの名前がずらっと並んでいるんだろうなあ、と冷や汗をかきながら思う私に、溜息を吐いた太田さんが私に言う。

「まあ、でもどうせその落ちこぼれ2人が貴女を困らせて引き下がったのでしょう。授業だって出る気はないとか言ったでしょう? だから放って置いて帰りましょう」

 じろっ、と眼鏡の奥から大隅、中居両名の顔を睥睨してから、昇降口に向かう太田さん。見られた2人を私も見ると、大隅さんはふん、と明後日の方を向いているし、中居さんは手をひらひらさせて「さっさと行っていいよー」というポーズをしている。

 ……確かに、最初はちょっとアレな2人だと思ったし、最初こそ関わりたくないなあなんて思ったけれど、案外話をしてみると嫌な子ではなく、色々考えてるからこそじゃぶじゃぶと両足ごと人生の深みにハマってる系女子なんだなって思うから、駄目な人間だって勝手に決めつけるのって良くないと思う。まあ、実際授業に出る気無いっては言っていたけれど、どうにかしたいとも思っていたみたいだし。

「いえ、むしろ私から話を長引かせてました」

「何を言っているの?」

「というよりも、授業中に戻ってくれば出席したことにしてくれるから、それまでサボっちゃおうと」

「…………貴女、何を言っているか分かっているの?」

 静かに揺らめく炎が如く、太田さんの怒りボルテージが上がっていくのが分かる。無視を決め込もうとしていた大隅さんが私の言葉に何かを言おうか戸惑っている顔と、ちょっとおろおろし始めた中居さんが視界の端に映っていた。

 でも、私も止まらない。

「ええ、もちろん。たまにはサボるのも良いかなと思いますし」

「ふざけているのっ!?」

 ブチッ、と血管が切れるような音が聞こえたような気がした。

「ふざけてはいません。事実を言ったまでです」

「貴女ね……!」

「お、おい、小山。そこまで煽る必要は――」

「――そう。小山さんはそういう人だったってことね」

 大隅さんの言葉に被せ気味で、太田さんが私に鋭い視線を送りながら言い放つ。

「はい」

 冷静に、沈着に、私が悪びれもせず言葉を押し出すから、逆に太田さんも吹っ切れたみたい。

「だったら好きにしなさい。私は教室に帰ります」

 捨て台詞のように太田さんが言って、足音を静かに立たせながら去っていくのと同時に、大隅さんと中居さんが近づいてくる。

 ……ふう、疲れた。

 太田さんのあの眼は背筋が凍るかと思った。

「おい、小山。良かったのかよ」

「こやまん、あれはちょーやばたんなんですけど!」

 ギャル2人が血相を変えて、私に詰め寄る。

 やばたん、っていうのは多分ヤバイの上位互換か何かだよね、きっと。

「まあ、そうですね」

「そうですね、で済む話かよ!」

 私の胸ぐらをつかんで、大隅さんが私をめつける。

「完全にあおってんじゃねえか。そんなに太田と仲良くなかったのかよ」

「いえ、どちらかというと今日まではやや仲の良い方だったかと思っています」

「だったら何で煽った」

「んー……太田さんが大隅さんと中居さんをこき下ろしてばかりだったことに腹が立ったから、ですかね」

「……は?」

 大隅さんの口から飛び出した疑問符付きの言葉が私の額に当たった、気がする。

「最初、大隅さん、中居さんと一緒にサボろうなんて話をし始めたのは、妹の件があった上に太田さんも2人を酷くけなすから、ああよっぽど人間的に難ありなんだろうなあって思って、逆に興味が湧いてしまったからです」

「おいぃ!?」

「まあ、最後まで話を聞いてください。後、中居さんの言い方を真似たりしたのは、ギャルみたいなタイプはどうお近づきになれば良いのか分からなかったので、とりあえず輪の中に入るために言葉からかなーと思って」

「あはは、そういうことかー」

 中居さんが笑顔で答える。

「まあ、とにかく今日話をした限り、そんなに悪い人たちじゃないのに、何で太田さんがあそこまで酷いこと言うのかなと思っていたら、何か言い過ぎてました」

「お前……本当にそれだけかよ」

「はい、そうです」

 そう。たったそれだけ。

「……はあ、お前こそアホだろ」

「はは、そう思います」

 私の両肩に手を置く大隅さん。私も正直なところ、あそこまで煽る必要はなかったと思うけれど、もう今更だし笑っておこう。あっはっは。

 多分、太田さんだって今まで何度もこの2人を連れて帰ろうとして、それでも2人がかたくなに戻ることを拒んでいたりした苦労があったのかもと思うと、本当に今更ながら太田さんに悪いことをしたなあと思うけれど、うん、本当に今更だから悩んでも仕方がない。

 髪の毛ドリドリの中居さんもお腹を抱えて笑い出す。

「でもさ、こやまんのキャラ、マジじわるわー。もえっちょブチ切れさせるとか初見はつみだわー。マジ神ぽよー」

「神ですか」

「神神、マジ神」

「……ホントに良かったのかよ、あれで」

 大隅さんはまだ気にしてくれているみたいだったから、私は素直に答える。

「良いんです。まあ、これ以上太田さんを怒らせすぎないように、そろそろ一緒に教室へ帰ってくれる更に嬉しいんですが」

「……はあ、やれやれ。分かったよ」

「よっし、帰るぽよー」

「ええ、そうするぽよー」

 ライトノベルの主人公みたいに苦笑いしながら答える大隅さんと、けらけらまだ笑っている中居さんと共に私は教室に向かった。

「お? もう帰ってきた。案外早かったじゃん」

 私が教室の扉を開けると、授業中だった咲野先生がすぐに声を掛けてきたので、それと同時にクラスメイトたちの視線もこちらに向く。ああ、何かデジャヴ。

 ……1人だけこちらを向かない眼鏡の娘も居るけれど。

 私に続いて、大隅さんと中居さんが教室に入ると、

「おお? 2人も戻ってきたんだ。珍しいこともあったもんだねえ」

 なんて咲野先生が茶化す。

「なんだよ。授業に出させたいんじゃなかったのかよ」

 反骨心むき出しの大隅さんが噛み付くけれど、そこは大人の女性の余裕からか、咲野先生は腕を組みながら意に介さない様子で答えた。

「んー、別に無理して授業に出てほしい訳ではないんだよね、って先生のアタシがそんなこと言ってちゃいけないんだけどさ。まあ、出席率ってのが学校にはあるから出なきゃいけないのはいけないけど、それよりも本当に分からないところがあれば分からないって言って欲しいんだよねえ、ホントホント」

 咲野先生の言葉に即答する中居さん。

「はーい、全部分からないぽよー」

「はっはっは、そうかー。じゃあ、中居は居残りで補習ってことで」

「んぎゃぴー!? い、いや、こやまんが家庭教師してくれるから、アタシは遠慮しとくしー……」

 冷や汗をかきながら言った中居さんの言葉に眼を1度丸くし、それからニヤリとしたうちのクラス担任。

「ほほー? 小山さんが大隅と中居の家庭教師するんだ? じゃあ、2人のことは任せた、小山さん」

「え? あ、 は、はい……? いや、授業はちゃんと……あの……」

 空に浮かんだシャボン玉を捕まえるようなふわふわとした手つきと共に私が言い返そうとしたけれど、家庭教師をするという言葉で更に集まってきた周囲の好奇の視線に私は耐えきれなくなり、俯いて黙った。

 ……私、今更だけれど大変な約束をしてしまったんじゃ?

 正木さんたちとも勉強合宿の予定を入れていたのに、この2人の勉強も見ないといけないというのはちょっとマズイんじゃなかろうか。

 いや、マズイというのは別に自分の勉強への影響のことではない。どちらかというと他人に教えることで理解が深まるとも言うし、むしろ好都合かもしれないし。

 問題は日程と自分の身の方。

 多分、大隅さんと中居さんは休日まで勉強するつもりは無いだろうし、勉強を真面目にやる気は無いって言っていたからテスト前の1夜漬けとかになるんじゃないかと思う。正直、高校生の範囲で1夜漬けって結構厳しい気はするけれど、補習を免れるレベルまで得点が取れればオッケー、というのであればそれでもどうにかなるんじゃないかなとは思う。

 だからGW中の日程は合宿しようって言っていた正木さんチームの方だけ気にしておけば良いと思うけれど、テスト直前になると正木さんたちも最後の追い込みを一緒、って話になるはず。そうすると、大隅さんたちのタイミングと同時になったり、昼は正木さんたち、夜は大隅さんたち、と1日中勉強漬けということもありうる。

 中学の頃の予習復習をきっちりやっていた時期でも、流石に1日中勉強していることは無かったから、もし本当に1日ずっと勉強づくしだとちょっと体調への影響が正直心配かも。

 本当は正木さんたちと大隅さんたち、合同で勉強会とか合宿とかしてしまえば良いのだけれど、園村さんや工藤さんにクラスの不和があると聞いていたし、まだ1ヶ月に満たないこの学校生活の端々からでも何となく感じ取れた。

 それでも、ただ単純に皆と仲良くしたいと思うのは間違っているのかな。

 ……あ、そんなこと言っているくせに太田さんに冷たく当たったじゃん、とか言う過去を掘り起こすのはなしで! いつかは太田さんとも仲良くなりたいとは思うよ。出来るかどうかは……分からないけれど。

「まあ、とにかく席にちゃっちゃと座った座った。授業の続きしてるから、ちゃんと聞いときなー」

「は、はい」

「……」

「あーい」

 三者三様の反応でそれぞれ席に座ると、うずうず感を抑えきれない表情で正木さんが小声の疑問文を私に投げかけてきた。

「あ、あの、どうでした? あの2人……」

「ええと、まあ、説得したら案外簡単に戻ってきてくれたというか……」

「そうなんですか。いつも先生とか太田さんが手を焼いていたあの2人とあっさり仲良くなってしまうなんて、流石です小山さん」

「いえ、それほどでも……」

 というより、単純にあまりに大らか過ぎる咲野先生やあまりに厳しすぎる太田さんと大隅さんたちの反りが合わないだけのような。

「それで……ちょっと気になったんですが、あの2人の家庭教師をするとか?」

「ああ、その話ですか。まあ、成り行きというかなんというか……」

「成り行き、ですか」

「あ、正木さんたちと時間はちゃんと別に取ってやるので、合宿はちゃんと出られますよ」

 慌てて私が言うと、首を振る正木さん。

「いえ、それは構わないのですが、小山さんが無理していないかなとちょっと心配になってしまって」

「ああ、ありがとうございます。大丈夫です、こう見えてもタフですから」

 言いながら腕を捲くって見せると、正木さんが上品にはにかんだ。これで少し安心してくれたかな。

 ……とはいえ、女の子がするポーズじゃなかったような。

 授業が終わって休み時間。そういえば、と思って咲野先生が教室を出たところで声を掛ける。

「咲野先生」

「ん? どったの?」

 足を止めて振り返った咲野先生は疑問符を浮かべる。

「えっと、渡部さんってどうなったんですか?」

「ん? あれ、見つけたって話、太田ちゃんから聞いてない?」

「あ、いえ。見つかったとは聞いてはいます」

 さっき授業中にこっそり携帯見たら、確かに登録したばかりの太田さんの電話番号がずらりと並んでいた。おそらく太田さんが言っていた渡部さんが見つかったという連絡のためだと思う。授業中だからってサイレントモードにしたのが失敗だったなあ。

「どちらかというと、その後どうしたのかなって」

「あー、公香が保健室に居たから公香に言って、美夜子に取りに来てもらうように言ったらしいよ」

「ああ、なるほど」

 そっか。全部自分で解決しようとせずに、坂本先生にお願いする手もあるんだなあ。

「ってか、アタシはまさか小山さんがあの大隅と中居を無血開城で連れてくるとは思ってなかったよ」

「ああ……えっとあれは色々あって……」

「んにゃー、良いよ言わなくても。何となく太田ちゃん帰ってきたときの態度からして、一悶着あったんだろうなーってのは分かってるし」

「う……」

 凄くいい加減な性格しているのに、変なところ鋭いなあと思う。

「太田ちゃん、真雪ちゃんと同じで真面目過ぎるからねえ。何か真面目そうだから小山さんも同じなのかなーって思ってたけど、適度にゆるくやってくれたからあの2人もついてきたんかなーなんて。ま、とにかく良かった良かった」

「どう、でしょうね」

 ある意味、太田さんとの仲をイケニエに、大隅さんと中居さんとの仲を改善したところがあるから、良かったと素直に喜んで良いのかは分からない。

「あはは、まあ太田ちゃんは肩肘張りすぎだし、あのままじゃ近い内に限界が来ちゃうだろうから、どうにか止めてあげたいんだけど、中々頭ごなしに言っても聞いてくれないかんねー。だから、そういうところは小山さんが助けてあげてくれると嬉しいかなーなんて、転校してきたばかりなのに小山さんに頼ってばっかりだなあ、アタシ」

「いえ、私で出来ることなら」

 頬をポリポリ掻きながら、咲野先生が呟く。

「んー、そうだなあ。小山さんが困ったときには何でも言うこと聞いてあげようかなー、なんてね」

 きゃぴっ☆ とでも擬音が付きそうな動きで言ってから、咲野先生がまた真面目モードに戻る。

「まあ、知ってるというかもう分かってるかもしんないけど、うちのクラスってアクの濃い子ばっかりなんだよね。で、その中でも大隅と中居はうちのクラスの中でも飛び抜けて変わり種だから、学校側からも締め付けが強くなりつつあったんだよ。でも、小山さんのお陰で少しは学校生活楽しんでくれそうだから、ホントに困ったら何でも言って良いからね」

「……分かりました」

 ふざけた調子の咲野先生と真面目調子の咲野先生。どっちも本当の咲野先生なんだろうと思うし、こういうキャラクターだからこそ、うちのクラス担任なのかなと思う。

「あ、教室とか職員室で話しにくいこととかあれば、たまには寮長室とかでも良いよ」

「え? 寮長室ですか?」

「そそ。週に1、2回くらいアタシとか公香とか遊びに行ってるからそのときに言ってもらってもいいしさ。アタシだけじゃなくて、綾里とか公香も相談乗ってくれると思うし」

「ああ、なるほど。……本当に仲が良いんですね」

 登校初日も坂本先生は寮長室に居たみたいだし。

「んまあ、アタシ含めて3人共独身貴族だからねえ。とか言いながら、独身じゃない真雪ちゃんもたまに来てるけど」

「理事長も?」

 う、理事長が居るタイミングでは行きたくないなあ。

 いや、悪い人ではないし、寮長さんとか咲野先生みたいな面倒なタイプでもないのだけれど、どうしても緊張してしまうから。

「真雪ちゃん、怒ると怖いけど昔から根はいい子だからね。ってかいつも怖いだけだったらアタシ転校してるし」

「理事長怖いから転校します、なんて先生居るんですかね……?」

「確かに居ないかもねー」

 あっはっは、と大笑いしながら咲野先生が言う。

「まあ、居ても別の理由付けて無理やりこじつけて転校するでしょ、多分多分。……っとまずい、職員室戻らなきゃ。んじゃ小山さん、授業頑張って」

「あ、はい。ありがとうございました」

「ばいばー」

 咲野先生が手を振りながらスロープを下りていくと同時に、お手洗いの方から歩いてくる女子生徒の姿。そういえば授業中は流石に白衣を着てないんだなあ、なんてことを改めて思いつつ、私は彼女の名前を呼ぶ。

「桜乃さん」

「ああ、小山さん。……その、今朝は済まなかった」

「あ、やっぱり分かっててやってたんですね」

 みゃーちゃんを探しに行って欲しい、と言っていたときに突っ伏していたのは単純に眠かったからなのかとも思ったけれど、この反応からして私と目を合わせないためにやっていたんだと分かった。

「ああ」

「まあ、確かに咲野先生も桜乃さんがみゃーちゃんの部屋に行っていることは知らなかったかもしれませんが……」

「いや、咲野先生は知っているよ」

「え?」

「私が彼女、美夜子の部屋に出入りしているのは咲野先生も知っている。キミが来る前は彼女にどうしても何か連絡がある場合は私が呼ばれていたからね」

「だったら――」

 私の言葉を制するように手をかざす桜乃さん。

「言ったろう? 先生が”懐いている”と。ボクと彼女はただの仕事仲間というか、研究や情報を共有するだけの間柄で、それ以上でもそれ以下でも無いんだ。だから、美夜子の機嫌が悪い場合は何があっても一切話をしてくれなかったし、向こうから私を呼び寄せるようなことはよっぽどのことがなければなかった。でも、キミは渡部さんを通じて呼び出すようなことがある。それは絶対的な、ボクとキミの違いなんだ。……少し悔しいけどね」

 少し悔やむような、はにかむような、何とも言えない表情で言った桜乃さんは、

「でも、何となく分かる。彼女がキミを頼るのも……ああ、いや、この話はやめよう、忘れてくれ。ああ、授業がもう始まる。教室に戻ろうか」

 と慌てて話を打ち切って、そそくさと教室に戻っていった。

 おそらく、桜乃さんは勘違いしている。私がみゃーちゃんが私を呼んでいるのは単純に私が男だという秘密を知っているから、それをネタに呼んでいるだけ。事情を知らない他人には仲良く見えるかもしれないけれど、ただそれだけのこと。

 誰に言うでもなく、そう思いながら私も教室に戻った。

 そこはかとなく雲がお腹の中に溜まったような、すっきりとしない気分のままで授業が終わって放課後。

「小山さーん、部屋に行ってもいーい?」

 毎日の焼き直しみたいな流れで、岩崎さんが鞄を抱えながら小走りで近づいてきた。

「ええ、構わないですが……」

「あ、もちろん勉強のためだよ?」

「本当ですか?」

「ほ、ホントだって! あー、それでさ、小山さ、」

「おい、小山ー。どっか遊びに行こうぜ」

「遊びに行くじゃーん?」

 突然後ろから、声と共に全身を預けるようにして誰かがもたれ掛かってきた。

「えっ、あっ」

 声の主を見上げると、茶髪ギャルその1その2たる大隅さん、中居さんが左右からもたれ掛かっていた。2人からは香水かと思われる匂いと共に若干の化粧臭さも感じた。

「ちょっと、大隅!」

「なんだよ」

 岩崎さんと大隅さんの視線同士がラグビー選手みたいに真っ向勝負で火花を散らす。

「小山さんはあたしたちと今から勉強なの」

「へー? 奇遇だな、こっちも今から勉強だ」

「遊びに行こうとか言ってたじゃん!」

「社会勉強だよ、社会勉強」

 大隅さんの言葉に苦笑いする私。あれかな、屁理屈が多いタイプなのかな、大隅さんって。

「っつーかさ。いつも小山って岩崎たちと居てばっかりで、他のクラスの奴らと全然絡まないし、岩崎たちが振り回してばっかりだから小山が可哀想だろ」

 私の椅子を半分無理やり奪うようにして座る大隅さんは、ギャルの基本事項だと勝手に私が思っているだけかもしれないけれど、制服をアクロバティックに着崩しているせいかあっちこっちから素肌だの下着だのが覗いていて、私は強引さと共に目のやり場にも困ってしまっている。正木さんほどではないけれど、粗野な物言いの割にはそこそこに女性的な体格だと思うので、ドキドキしないこともない。

 中居さんも中居さんで、どちらかと言うと控えめバディだけれど、際どいなあで済む大隅さんとは違い、常にアウトというか、ワカメちゃんスタイルとまでは言わないけれどこの格好で登校しているの!? って思うくらいに制服着崩しマスターなので、顔以外にはあまり視線を向けられない。

 ま、まあそれで挙動不審になってしまってはいけないのだけど、もうちょっと服装には気を遣って欲しいな! 私のために!

 でも、正直なところ前の学校と比べて、女子校で男性の目が無いからなのか、服装の乱れというか着崩しは多い気がする。

 スカートの短さは正木さんみたいに真面目な子を除いて膝上が当たり前だし、机に足を乗せてたり椅子に立て膝していたりするから大隅さんに限らず見えてしまうし、クロスタイは外しているかゆるーく首からネックレスみたいに垂らしている子も一定数居る。

 ……あ、お隣に座っている大隅さんはもちろんのこと満点でした。

「そっ、そんなことは……で、でも今日はとにかく小山さんと勉強するんだから!」

「ふぅーん?」

 大隅さんはジロリというかギロリ、と岩崎さんを睨んで、

「まー今日はいいや。んじゃ小山、明日は空けとけよー。あーあ、今日だったら勉強する気あったのになー、残念だなー」

「さげぽよー。んじゃほしっち遊びいこー」

「おうー」

 茶髪2人娘が鞄を持って教室を出ていったのを見送ってから、私の手をワニの口みたいにガッチリ掴んだ岩崎さんは、

「行くよ!」

 と声を張り上げて言うから「お、おおう……」とたじろぎながらも私は頷いた。

 教室を出る際に振り返ってみると、また教室からの視線がビビビと太陽光を虫眼鏡で集めたみたいに集中していた。ああ、何だろう、転校してからそんなに時間経ってないはずなのにクラスメイトからの視線を集めることが多いなあ。

 手首が痛いくらいに掴んだまま私を引っ張っていく岩崎さんと私たちの後を慌てて付いてくる正木さん、少し離れていてのんびりと歩いているけれども見失わない程度にはちゃんと付いてきている片淵さんという構図で私たち4人は昇降口まで到着。流石に靴を履き替える為に手は離してくれたので一呼吸。

「あ、あの」

 外履きに履き替えながら私が切り出す。

「あの2人のことはあまり気にしなくて良いですよ」

 勉強する気だったというのも本気ではないと思う。なんたって得点取れるような勉強方法でも勉強したくないって即答する2人だから。

「分かってる」

 分かっているとは言いながらも、ぶっきらぼうというか突慳貪つっけんどんというか、とにかくツンツンモードの岩崎さんが今度は足早に校舎を出ていくから、残された私たちは親猫の後を追う子猫みたいにぞろりぞろり付いていく。

 寮に着くまでは無言、私の部屋に入ってからも無言。ただし、部屋ではテオとベッドの上で猫じゃらしを使って遊び始めていて、少し笑顔も見える。とはいえ「あれ、勉強するんじゃなかったっけ?」なんてことを言い出したら言わずもがなかな。

 まあ、とりあえず慌てて勉強する必要も無いかなと思い、飲み物とかの準備をしようかなと腰を上げて、

「あ……そういえば、勉強用の机が無いなあ」

 と真っ先に大きな問題にぶち当たった。

 ここのところ、大隅さんが言っていた通り、全員一緒に居ない日は土日くらいで、平日は昼食含め、常に4人行動をしていると言っても過言ではなかった。

 もちろん嫌ではないのだけれど、他のクラスメイトとはやや疎遠のままだなあというところだけは少しだけ気になっている。

 その岩崎さんたちなのだけれど、前に宣言していた通り色々なものを私の部屋に持ち込んで、占領とまでは言わないけれど、若干の侵食はされていた。トランプとか人生ゲームみたいな遊び道具とか抱きまくら的な感じで持ってこられた結構大きな枝豆のぬいぐるみとか。

 まあ、とにかく小物は増えたけれど、肝心な勉強用のローテーブルは私も持っていなかったし、持ってくる人も流石に居なかった。私用の勉強机があっても、皆で勉強する机がなければ何にしても勉強会は出来ない。まさか皆で寝そべって勉強するわけにもいかないし。

「そういやそうだねー。この建屋のどっかに余ってたりしないのかなー? あ、それか食堂とか」

 片淵さんの言葉に私はあうあうと言葉を濁す。

「食堂……うーんと、それはやめた方が……」

「あー、やっぱ食事するところで文字とか書くのってヤバイんかな」

 最近は私の布団の上をテオと共に占拠するのが多かったのだけれど、岩崎さんが乗ってしまったので、仕方なくベッドにもたれ掛かっていた片淵さんが立て膝しながら言う。

 あの、スカートだから立て膝すると見えてしまうのだけど……と言いたいところだけれど、まあここには女の子しか居ないことになっているので無防備でも仕方がない。

「いえ、そうではなくて、あそこで勉強しているとおそらく太田さんが来るかと……」

「あー、そっか。そっち系のヤバイってことね、にゃーるほど」

 片淵さんが納得して白い歯を見せた。

「ちょっと寮長さんに聞いてみます。確か物置があったはずですし、合宿の話も丁度良い機会なので」

「あ、わ、私も行きますっ」

 正木さんが、立ち上がった私の後すぐをとことこ歩いてきたので、2人で食堂に向かう。前、これくらいの時間に益田さんは夕食の準備中だったし、いい匂いがするからもしかしてと思って食堂に来てみたけれど、食堂に姿は見えず。そうすると、夕食の準備が出来たから寮長室に戻ったのかな?

「えっと……あるかな」

 トイレの隣にある物置の扉を開けようとしたけれど、無情にもガチャリという鍵の抵抗により扉は開かなかった。ここの鍵を持っているとしたら、やっぱり益田さんかな。

 まあ、もし開いていて机が有ったとしても借りていいか尋ねなきゃいけないだろうし、何にしても益田さんを探すのは必要かな。

「寮長室に行ってみましょうか」

「あの、寮長室とは……?」

 靴箱から靴を取り出した私の言葉に正木さんが首を傾げる。ああ、そういえば正木さんは知らないのだっけ。

「えっと、この寮の寮長さんが住んでいる建屋があるらしくて、そこが寮長室だそうです。今の扉の場所が物置だったと思うのですが、鍵が掛かっていて開かなかったので、寮長さんだったら鍵を持っているかなと」

「そんなところがあるんですね」

「はい。と言っても、存在を教えてもらっただけで、実は私もまだ行ったことがないんですが」

 正木さんが靴を履くのを待ってから、2人で寮長室があると思われる道を進む。

「……あの、真帆のことは、多分戻ったらもう大丈夫だと思います」

 毎度のことながら、女同士という体であるので、女同士だとどんな話題を振れば良いのかなと脳内で整理しながら悩んでいる私の隣から、先手を打って正木さんが話題を提供してくれた。

「そうですかね……そうだと良いのですが」

「大丈夫です、片淵さんが居ますし」

「片淵さんが?」

 確かに片淵さんも部屋に残っているけれど、何故片淵さんが残っているから大丈夫、という結論に繋がるのかが私には分からないです、はい。

「こういうとき、片淵さんは凄く頼りになるんです」

「そうなんですか?」

 言ってから疑問形で返したのは酷い言い草だったという気もしたけれど、でも何かあっても「そうなんだー」とか「良くあるよねー」とかで済ませてしまいそうなノリの子なのかなと思っていた。むしろ、相談相手というのはそれくらいの感じの方が良いのかもしれないけれど。

「私と真帆がケンカしたときとかも、片淵さんが仲を取り持ってくれて仲直り出来ることも結構あったんですよ」

「岩崎さんとケンカすることもあるんですか?」

 私の言葉に少し照れたような顔で答える正木さん。

「はい、あります。たまにですが、言い合いになってしまうこととか」

「ちょっと意外です」

 何となく言い合いをしている想像が出来ないけれど、多分言い合いとは言いながら、掴み合いに発展しそうな言い合いではなくて単純に「もう知らない、ぷん!」みたいなそういうレベルなんじゃないかなと勝手に想像して納得してしまった。

「そうですか? 私だってたまにはちゃんと真帆に言い返しちゃうんですから、ふふ」

 いたずらっぽく笑っていう正木さんは、そのまま話を続ける。

「中学くらいでは私の方が先に謝ることが多かったんですが、高校になってからは私が謝ろうと思ったときにはいつの間にか真帆の機嫌が直っていて、むしろ先に謝られることが多いなあって思って、何故なのか真帆に尋ねたら、片淵さんが色々相談乗ってくれたんだって言ってました」

「片淵さんがですか……」

 うーむ、やっぱり悪いけれどあまり想像が出来ない。

「ってあれ? 高校からは、っていうことは片淵さんとの付き合いは高校からですか?」

「あ、はい、そうです。言ってなかった……かもしれないですね」

 微笑を浮かべた正木さんは、更に饒舌に続ける。

「……よく考えると、片淵さん自身がケンカしているところって見たことないです。太田さんはちょっと苦手みたいですが、あまり人を嫌う人でもないようですし、色んな人と仲良くやっている感じです」

「何だか、聞けば聞くほど聖人君子のような……」

「あはは、そうですね」

 私の言葉に笑った正木さんは、少しだけ笑顔から真顔側に表情を寄せてから言葉を続けた。

「ただ、何というか、少しだけ距離を感じるというか……仲は良いのに2人で遊びに行くとかいうことはしたことがないんです」

「え? そうなんですか? じゃあ、岩崎さんと2人で遊びには?」

「何度もあります」

「うーん」

「片淵さんと遊びに行きたくない訳ではないのですが、お互い何となく遠慮してしまっているというか」

 でも、確かに何となく正木さんと片淵さん2人で遊びに行くとして、何をしているのか想像はつかない気はする。

「片淵さんのお家にも行ったことがないです。結構門限が厳しいのと、電車で何駅か先だということみたいで、早めに帰らなきゃいけないとは聞いていますが、何処にあるのかも実は知らなくて」

「中々にミステリアスというか何というか……ですね」

「そうですね」

 しかし、片淵さんとの関係がそんな形になっているとは知らなかった。正木さんが、岩崎さんは下の名前で呼んでいるのに、片淵さんは名字で呼んでいるから少し違和感はあったのだけど、なるほどと納得。

「とにかく、片淵さんが居るのできっと戻ったら真帆も機嫌直してくれていると思います」

「そう期待しましょう」

 正木さんがそこまで言うなら大丈夫でしょう、きっと。

 正木さんとの会話に意識を集中していたら、いつの間にか小さな建屋の前に着いていた。特に寮長室的な主張は見られないけれど、表札部分にやや特徴的な字で『益田』と書いてあるから、おそらくここが寮長室なんだと思う。

 ノックしようかと扉に近づくと、すぐ隣に呼び鈴が見えたので鳴らしてみると、

「はーい、どなたですか?」

 聞き覚えのある声。まあ、そりゃあ益田さんの声だから聞き間違え……あれ? 益田さんはもう少しクールボイスというか、テノール寄りのアルトと言うべきな声だけれど、今聞こえてきたのは明らかにハイトーン。この声って……。

 しばらくどちゃどちゃ音がしていたと思ったら、扉が開いて中から眼鏡を掛けた女性がひょっこり顔を出す。

「あの……」

「あら? 小山さん、とえっと……この前倒れていた正木さん? でしたっけ?」

「はい。坂本先生、こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 扉を開けて迎えてくれたのは坂本先生だった。確かに先生たちは仲が良いとは聞いていたけれど、早速遭遇するとは思っていなかった。

「どうしたの?」

「えっと、益田さんはどちらに……? というかここは寮長室で合っていますか?」

「ああ、綾里なら今シャワー入っていますよ。良ければ部屋の中で待ちますか?」

「えっと……」

 私と正木さんは顔を見合わせてから同時に頷いた。テーブルの件を聞きたいし、今ここで帰っても勉強会を本当に皆で寝転がってやることになってしまうし……まあ、そのときはそのときでアリかもしれないけれど。

 部屋の中は、こう言っては何だけれど存外綺麗に片付いていて、大きめのテレビとか、3人掛けくらいのソファが2つとか、結構大きめな台所とか、到底1人暮らしでは有り余る設備があるのに、それを置いても尚余裕がある建屋だったのでちょっと驚いた。寮の部屋の2倍以上かも?

 ……というか、更に奥にも2つほど扉が見える。この部屋にはベッドが見当たらないから、ベッドルームとかかもしれない。尚の事、1人じゃ使い切れないかな。

「自由にソファに座ってね。あ、私の部屋ではないけれど」

 微笑を残して台所に入っていく坂本先生を見送りながら、私と正木さんは新居に移された猫みたいに辺りを警戒するようにして部屋に入る。 正確には警戒しているのではなくて、何やら見たことのない調度品的なものとか絵とかが飾ってあって、物珍しくキョロキョロしているだけなのだけれど。

「結構、広いですね」

 正木さんの囁きに私は頷いて答えた。

「そうですね……思っていた以上でした」

 余りに広かった部屋に戸惑いを隠しきれない私たちは、坂本先生が戻ってくるまで遠足前の小学生みたいな状態で、

「はい、どうぞ。ドリップ式のコーヒーしか無かったけれど良かった? ……あら?」

 思わず坂本先生が目を丸くするくらいだったみたい。

「あ、ありがとうございます」

 私たちは少しだけ汗をかきながら、坂本先生が出してくれたコーヒーと砂糖、ミルクをわたわたと受け取る。普段はあまりコーヒーを飲まないけれど、とりあえず砂糖とミルクを入れれば飲めるかな、きっと。

「それで、今日はどうしたの?」

「寮の物置にローテーブルとか置いていないかなと思いまして……」

「ローテーブル? 何に使うの?」

「クラスメイトと勉強会をしようかなと思ったんですが、机が無くて……」

「ああ、なるほど、そういうことでしたか」

 ポン、と手を打って坂本先生がずれた眼鏡を戻す。

「良いですね、勉強会。もう、この歳になると勉強会というとただの講習会などしかないので、羨ましいです」

「勉強会が羨ましい、ですか」

 首を傾げる正木さんに、慌てて首を振る坂本先生。

「ああ、別に私も勉強が好きな訳ではなかったので、勉強自体が羨ましいというわけではなくて。……私も綾里たちが居るから救われている方ですが、この歳になると中々皆で集まることも出来なくなったり、そもそも全く違う仕事をしていたりするので、同世代で悩みを分かち合うのって難しいんですよ」

「そういうものなんですか」

「ええ。だから、そうやって勉強会みたいに集まる機会があるのって羨ましいなあって。……あ、すみません、脱線してしまいましたね。この部屋には余っているテーブルは無かったと思います。寮の方は綾里に聞かないと」

 坂本先生の言葉のタイミングを見計らったかのように、ガラッと音がして髪を乾かしながら、益田さんが浴室と思われる扉から現れた。

「公香、そろそろシャンプーが無くなりかけているから……おや、お客様か」

 益田さんの登場シーンは、髪を拭いているバスタオルで上半身の隠すべき部分を的確に隠しているという状況だった。下半身は大事なところをガードしてはいるものの、そのガードしているモノ自体が本来見えていてはいけないもの。つまり、毎日お決まりの工藤さんの姿よりももう1段階くらい困った状況で、自分でも感心するくらいに素晴らしい速度で視線を手元のコーヒーカップに落とした。

 え、そこまで解説出来ている時点で、しっかり見ているって?

 ごもっとも。

 今回は、というか今回も、だけれど同じ女性同士という嘘前提があるお陰で皆無防備になってしまっているから、私も普通という表情を顔に貼り付けつつ、なるべく見ないように見ないようにと振る舞うのが非常に難しい。

 ……って益田さんは私が男と知っているんだから、少しくらい胸とか下半身とか隠して……いや、隠したらバレてしまうから、駄目なのかもしれないけれど、ああもうやっぱり益田さんは想像通り普段からルーズなんですね! と勝手に心の中で非難する。

 仁王立ちとまでは言わないけれど、一切隠す様子も恥ずかしがる様子も見せない益田さんは、そのままの格好で台所に入り、麦茶を入れたコップを持って、そのままの格好で私と正木さんの斜向い、坂本先生が座っている隣に座った。そのままの格好で。あ、胸だけは肩に掛けたバスタオルで隠れたからセーフ、ってそういう話ではなくて。

 いや、いくらなんでももうちょっと恥じらいを、ね!?

「それで、小山さんたちはどうしたんだ?」

 無防備なままの姿で益田さんが疑問を口にする。

「ああ、ローテーブルが無いかって」

「ローテーブル?」

「部屋で勉強会するらしいから、部屋に机が欲しいってことみたい」

「ああ、なるほど、そういうことか」

 益田さんが坂本先生の言葉に頷くのだけど、益田さんの格好のせいで私はハラハラして会話に集中出来ない。

「ローテーブルなら、少し古くても構わなければ寮の倉庫に有ったはずだな。倉庫の鍵なら私が持っているから行こうか」

「あ、えと、お借りしてもいいんですか?」

 邪な意識をしないために益田さんの目だけを見て言う。

「ああ、構わない。どうせ倉庫の肥やしになっているだけだからな」

「……それはそうとして綾里。やっぱり生徒たちの前でその格好はどうかと思うなあ。私たち2人だけなら別に構わないけれど」

 そう! 坂本先生、それです!

「うーむ? そうか。まあ、この場が女だけだからこそ出来る格好だ――」

 笑いながら流すように正木さん、私の順で顔を見て、私と視線がぶつかった瞬間に一瞬固まった益田さんは、

「――あ、あー、そ、そうだな。うむ、女だけだからと言って、た、確かにいくらなんでも開放的過ぎたな。寮、そう寮まで戻らなければならないし、ちょ、ちょっと着替えてくるから待っておいてくれ」

 明らかにどもりながら、正木さんに勝るとも劣らない2つの自己主張の塊を隠していたタオルを押さえつつ奥の部屋にそそくさと入っていく益田さん。

 ……これ、理事長さんと同じで、完全に益田さんも私が男だって忘れてましたね、分かります。

「全く、綾里も普段は何でも出来てきっちりしているのに、変なところで大らかだから困るんですよ」

 部屋に逃げ込むように入っていった益田さんを見送った坂本先生が苦笑いで言う。

「そうなんですか?」

「ええ。料理も得意だし、部屋もこまめに掃除もするし、仕事でもよく気が付く方なんですよ」

「……ほ、本当ですか?」

 出会いのシーンや今の格好を見ている限りでは、一切そんな気配は無いのだけど。

「ええ、本当に。だからこそ、たまに大らか過ぎて不思議なんですけどね」

 もちろん、確かに寮の料理は何を食べても美味しいと思うし、寮の廊下や食堂も常に綺麗になっているとは思う。

 ……でも、あの益田さんが? 実は双子の姉妹か何かで、お姉さんの方は出来るとかいう設定だった方がよっぽど頷けるんだけどなあ。

「どちらかというと、所謂何でも突き詰めないと気が済まないタイプというか、やり始めたらキッチリしないと満足しないタイプだから、張り切りすぎて失敗することもあるみたいだけれど」

「益田さんという方って凄い方なんですね」

 隣で聞いていた正木さんが感心した表情で頷いた。

「そうですね。基本的に何をやらせても出来ますし、運動神経もかなり良いので学生のときには頻繁に部活の助っ人に行っていたようです。今もママさんバレーの練習に付き合ったり、大学の友達とバドミントンをしたりと、かなり運動しているみたいですよ」

「ああ、何か運動を始めたければ言ってもらえば、教えてくれる人を紹介するぞ」

 着替え終わった益田さんが現れた。

「……さて、行こうか」

 一瞬私と視線を合わせ、すぐに視線を扉の方に泳がせた益田さんが引き出しから鍵を取り出して、部屋を出ていったので私たちも坂本先生に挨拶して付いていく。

 寮長室を出てしばらく歩き、正木さんより数歩先を私と益田さんが歩いていると、

「すまなかった」

 正木さんに聞こえないようにこっそりと言葉を零す益田さん。

「大丈夫です」

「いや、本当に済まなかった……」

 益田さんが早歩きで更に距離を取ったから、それ以上何も言えなかったけれど、さっきの言葉と目を伏せて罪悪感ありありの表情からして、おそらく益田さんは見られたことについて私を責めるどころか、逆に見せてしまって申し訳ないと思っているみたい。

 ……いえ、むしろ私の方がドキドキしてすみません、というべきだった。何だかんだ言いながら、何度か視線は向いてしまったし。何処とは言わないけれど。

 寮に戻ると、きっちり靴を揃えて脱いだ益田さんがトイレの横の扉を開けた。部屋の中の明かりが点くと、埃っぽくて薄暗かった倉庫の中が徐々に見えてくる。

「おそらくこっちの方に、こほこほ……ああ、あった」

 昔の寮生が使っていたのかもしれないと思われる箪笥など家具類や大きな暗幕など、何に使っていたか分からないもの含めて雑多品が押し込められている倉庫の中から、益田さんが木製の少しゴツいローテーブルの隣に立って手を載せる。

「これだが……少し重いから1人で運ぶのは厳しいだろう。私が手伝おう」

「あ、私も手伝います」

「ああ、助かる。えっと……?」

「正木紀子です。小山さんと同じクラスです」

 頭を下げた正木さんに、益田さんは笑顔で応える。

「正木さんか。そういえば自己紹介もしていなかったな。私は寮長の益田綾里だ、よろしく」

「宜しくお願いします」

「普段はさっきの寮長室か寮の中に居るから、今後も遊びに来てくれて構わない。今度はもう少しきちんとした格好で迎え入れることにしよう」

「ふふふ。はい、分かりました」

 正木さんの笑い声を聞きながら、ローテーブルを持ち上げるため、テーブルの角に手を掛けたところで、私は今の益田さんの言葉で思い出したことを尋ねる。

「そういえば……」

「どうした?」

「この寮って空いている部屋を使って、合宿とかしても構わないですか?」

「ふむ? 合宿?」

 一度屈んだ益田さんが腰を伸ばしてから疑問符を打つ。

「はい。今日の勉強会の延長と言いますか。遅くまで勉強した後に寮の部屋が空いているのなら、合宿みたいにそのまま泊まっていくとか出来ないかなと思って……」

「あ、あの、寮の部屋の片付けとかはしますので」

 益田さんの顔色を見ながら正木さんが言うと、

「ううむ、そうだな。今までそういう例は聞いたことはない。理事長に確認を取らないと私の一存では決めかねるが……おそらく構わないだろう」

 と頷いて答えた。

「本当ですか? ありがとうございます」

「理事長には明日までに確認しておく。返答は小山さんを通じてでも構わないか?」

「はい。お願いします」

「よし、ではこの机を部屋に運ぼうか」

「はい」

 益田さんと私でテーブルを部屋に運び出し、洗面所の前に差し掛かったところで、

「少し机が埃っぽいから、1度雑巾拭いた方が良いな」

 と益田さんが洗面所から新しい雑巾を持ってきて、机を拭いてくれたお陰で結構ピカピカになった机を、3人で再度抱えて運ぶ。

「おかえりー」

 扉が開けっ放しに鳴っていた部屋に戻ると、残っていた岩崎さんが笑顔で答える。ん、本当だ。機嫌は良くなったのか、さっきまでの落ち込んだ感じは払拭されていた。これも片淵さん効果のお陰かな?

 その岩崎さんは片淵さんと2人、私のベッドの上をダブルねそべりで占拠し、テオとじゃれあっていた。いや、猫じゃらしを面倒くさそうにちょいちょいと手を出しているテオを見ると、どっちが遊んでもらっているのかな、という話はさておき。

「置く場所は中央で良いだろうか?」

 益田さんの言葉に私は頷いて、机を部屋の中央に置く。結構見た目以上に重かったから、益田さんが手伝ってくれて助かった。

「さて、じゃあ私は寮長室に戻るよ」

「ありがとうございました」

「さっきの件は明日の朝くらいには連絡出来ると思う。早ければ、今日中に話を付けておくが」

「はい、お願いします」

 部屋を出ていく益田さんに頭を下げて、

「さあ、じゃあ勉強会しましょうか」

 と振り向きざまに言うと、

「うえーい……」

 速攻で嫌そうな顔をする岩崎さん。片淵さんは嫌そうとまでは言わずとも、あー始まっちゃうかー、みたいな諦観混じりの苦笑い。正木さんは既に鞄を開いて勉強準備フェイズに移行中。

 私も教科書とノートを鞄から取り出して勉強を始めると、渋々ながら岩崎さんと片淵さんがベッドからずりずりと下りてくる。

 そして、各々教科書とかノートを開いていくのだけど。

「公式覚えられないー」

 頭を抱えた岩崎さんが項垂うなだれて、机にぐでんと伸びて言葉を続ける。

「うう……数字なんか生活に算数だけあれば良いじゃん!」

「だよねー」

 岩崎さんと同じように、片淵さんもとろけてスライム上になりそうなくらいに机に突っ伏していた。まだ、始まって十分くらいなんですが。

「せめて30分くらいは頑張りましょう」

「30分……キツイ……」

 岩崎さんが恨めしそうに時計を見上げ溜息を吐いてから、私のノートに視線を落としてから、声を上げる。

「……って、それって明日の宿題? 見せて見せて」

「自分で解かないと身につかないですよ」

 私の答えを写そうとする岩崎さんに私はジト目で返す。

「えー、いいじゃん。どうせやっても分からないから、身につかない」

 ビッ、と親指立てて答える岩崎さん。駄目だこの。合宿が今から不安になってきた。

「とゆーか、小山さんとかどうやって勉強してるの?」

 器用にシャーペンを手の上で回しながら、片淵さんが私に聞く。

「基本はひたすら反復です。特に中間とか期末みたいな範囲が決まってる場合は教科書とノートを読み返すことが多いですね」

「それだけで!?」

「いえ、流石に読み返すだけじゃないです。毎日帰ってきたら、ノートを先生の板書だと思って、それを見ながら授業を思い出しつつ、別のノートに板書し直したりします。そうすると、授業中に言っていた解き方のヒントを思い出したり、授業の前半と後半で話をしていた内容が繋がったりしますね」

「はーい、先生。あたし、授業聞いてないから何も思い出せません!」

 岩崎さんが茶目っ気を増量して言う。

「……まず、ちゃんと授業を聞くところからですね。というか、基本的にはこの学校の授業は進むスピードが遅いとは思いますが、非常に分かりやすく説明してくれていると思いますよ」

 前の学校では予習復習はやってて当たり前だったし、宿題の量ももっと多かった。授業の進むスピードも多分1.5倍くらいだった気がするし、板書を必死で取るのが精一杯で、帰ってからまとめ直さないととてもじゃないけれど覚えきれなかった。

 それに対して、この西条学園は良くあるテレビ番組のCM明けみたく最初の5分くらいは前回の復習を皆で行ってから、その日の授業を始める先生が多い。もちろん、授業中に質問などが出たら時間を掛けて説明してくれるし、先生によっては小テストを繰り返し行って覚えられるようにしてくれているから、ちゃんと授業出ていれば身には付くんじゃないかなと思う。

「でも、高校になってから覚える内容多すぎじゃない?」

「だよねー」

「まあ、それは分からないでも無いですが……ほら、正木さんはちゃんと頑張ってますよ」

 と言いながら黙って黙々とやっている正木さんの方を向くと、うつらうつらと船を漕いでいる少女の姿。静かだったのは寝てたからですか!

「…………はっ。わ、私寝てました?」

「……はい」

「で、小山さん。誰が頑張ってるって?」

 ニヤリ、と岩崎さんが私に笑みを見せる。前言撤回。正木さんも同じタイプでしたか。いや、授業中には寝ているのを見たことがないから、単純に宿題まで集中力が続かないタイプなのかも。

 私たちのやりとりを見ながら、片淵さんがとろけ状態のままで答える。

「まあ、何はともあれ、とりあえず宿題だけでもやるかー。アタシは後1時間くらいしか無いし」

「1時間? ……あー、ホントだ。もうそんな時間かぁ」

「本当、そうですね」

 片淵さんの言葉に、正木さんと岩崎さんが反応して部屋の時間を見る。

「てか、合宿は大丈夫?」

「あー、うん。一応今のところはねー」

「なら良いんだけどさ」

「あの1時間、というのは?」

 正木さん、岩崎さんと片淵さんが話を進めていくので、取り残された私は悪いと思いながらも話に割り込むと、片淵さんが頬杖を突きながら言った。

「あー、うちって門限早くてねー。日にも依るんだけど、今日は特に早く帰んないといけない日だから」

「そうなんですか」

 確かに塾があるとか、習い事があるからって結構門限が早い子とか居た覚えは確かにある。

「そうなんです。っつーわけで、宿題頑張ろー」

 片淵さんの声で正木さんと岩崎さんも勉強に戻ったから、私も宿題を進めてはいたけれど、どちらかというと今度予定している合宿のことで頭がいっぱいだった。

 ううむ、飽きっぽい岩崎さんにのんびり片淵さん、宿題中たまにうつらうつらする正木さん。これは中々手強いことになりそうだなあ、なんて思ったりして。

 益田さんに合宿話を相談したその日の夜、私がそろそろ寝ようか、本でも読もうか少し悩み、やっぱり少し本を読もうと椅子に座ったタイミングで益田さんが私の部屋を訪ねてきた。

 何だろうと思ったら、

「理事長に確認を取ったら、宿泊については問題ないそうだ。ただし、1回100円の宿泊料が掛かるから、それは覚悟しておいてくれ、とのことだったよ」

 という話だった。実際はもう少し情報があったけれど、何にしても益田さん、もの凄く行動早い。もう話をしてくれたんだ。

 というわけで、翌日の学校の1限休み時間に正木さんたちに早速報告する。

「寮で1泊100円? やっす!」

 前の席の子が何処かに行ったのを良いことに、勝手に席に座っていた岩崎さんが目を丸くした。

「でもなんで100円なんだろうねー?」

 首を傾げた片淵さんの言葉。うん、私も同じことを思って、昨日益田さんに聞いているからお教えしましょう。

「寮生は寮費を払っているから、不公平が無いように寮費の日割り程度は取るべきだろうとかいう話のようですよ」

「寮費ってそんなに安いんだねえ、知らなかったなー」

「いえ、実際の寮費の方は光熱費や水道代が共用分でプラスされるのでもうちょっと高いみたいですが、宿泊費で商売をするわけでもないので分かりやすく100円にしたんだとか」

 何にしても格安過ぎる気はするけれど。

「100円くらいなら2泊3日合宿とかでも全然余裕じゃん。帰るの遅くなったときに泊まらせてもらうとかもアリだよね」

「もう、真帆の家はそんなに遠くないでしょう?」

 正木さんのたしなめるような言葉に岩崎さんが口を尖らせる。

「いーじゃん、別にー。たまにはあたしだって1人でゆっくりしたい日だってあるんだし。お母さん、進路がどうだとか、勉強しろだとかうるさいし。あーあ、あたしも寮暮らししたかったなー」

 頭の上で手を組んで、岩崎さんが愚痴る。

「まあ、でも寮で合宿出来そうだし、良かったねー」

 片淵さんの言葉に、思いもよらない方向から声が飛んできた。

「へー、寮で合宿とか出来んだな」

 突然の声に、私たちいつもの4人はほぼ同時に声の主の方を向く。視線の先には茶髪の2人が良いこと聞いちゃった! 的な顔で立っていた。あっ……これは。

「そっかー、寮って寮生以外でも泊まれるんだー。知らなかったぽよー」

 中居さんがいつも通りゆるーいノリで言う。

「聞かれたくないヤツに聞かれたなー……」

 岩崎さんが小声で言うと、デビルイヤー持ちだったらしい大隅さんがまた私の椅子を半分占拠してくっつきながら言う。

「何だよー、小山教えてくれよー。寮ってそんな簡単に泊まって良いのかよ」

「えっと、理事長の許可は貰っているみたいですよ」

 誤魔化そうとしたところで誤魔化しきれないだろうから、私は素直に答える。って大隅さんくっつき過ぎ!

「へー、良いじゃん。あたしも家帰りたくないときとかに中居の部屋に泊まったりしてたけど、中居の部屋汚えんだよなあ」

「酷いじゃん! そんなこと言いながら、家出したとか言って割りと頻繁にうちに来てたのにー」

「まあな」

 見た目通りとか言ったら怒るだろうけれど、家出とかしたことあるんだなあ、なんてことを思いつつ正木さん、岩崎さん、片淵さんの表情をこっそり見ると、濃度は個人個人で違うけれど、ああ面倒くさいなと言いたげな表情は共通していた。

「んじゃあ、今日早速泊まりに行くか」

「え? 今日ですか?」

 肩まで組んできた大隅さんの言葉に、流石に私も驚いて声を上げる。

「何だよ、駄目なのかよ」

「駄目では無いと思いますが……昨日の今日なので、寮長さんに確認しないと」

「ふぅん? んじゃ、放課後その寮長さんとやらに会いに行くか」

「そうするじゃん」

「で、小山の部屋に上がり込もう」

「そうするじゃん!」

「で、夜まで遊ぼうぜ」

「そうするじゃん!!」

「あの、えっと……ははは」

 勝手に話を進める大隅さんとそうするじゃん言うだけの機械人形みたいになった中居さんに対して、私は苦笑いで返すだけだった。

「んじゃー、放課後な」

「こやまん、待ってるぽよー」

 言いたい放題言って去っていった2人を呆れ顔で見送りながら、私は正木さんたちに向き直る。

「……ちょっと悪いタイミングでしたね」

 私が溜息と共に言葉を吐き出すと、

「嫌だったら嫌と言っても良いと思います……よ」

 気の優しい正木さんが言うのだから、やっぱり傍目にもちょっと……というのはあったみたい。

「そうだよ。小山さんはもっと主張していいよ。あたしたちも小山さんが何も言わないからついつい好き勝手言っちゃってたし、あたしたちのこと含めてちゃんと嫌なら嫌って言っていいよ」

「いえ、嫌ではないんですが……」

 正木さんたちとの付き合いは言うまでもなく、あの2人だって自分から絡むようにしたのだから、自業自得と言うと言い方が良くないと思うけれど、特別嫌ではない。まあ、ちょっとスキンシップ過多な部分とか絡み方の面倒臭さはあるけれど。

「んまー、どうしても困ったら準にゃんの相談に乗るよー……ってチャイムだ。とりあえず、寮の合宿については聞いてくれてありがとねー」

「いえいえ」

 チャイムが鳴ったから、岩崎さんと片淵さんが慌てて席に戻る。放課後は……まあ、何とかなるかなあ。

 はてさて、その日の放課後。

「んじゃ、ホント何かあったらすぐに言いなよ?」

 正木さんたちは別途遊びに行くとのことで、私は教室で手を振って3人の背を見送る。

 ……何だかんだでやっぱり大隅さんの話を気にしていたんだなあ。気にしなくてもいいのに、って思っていたらくだんのギャルが現れる。

「よし、小山行くぞ」

「こやまん行くよー」

 ギャル2人でめでたく絡まれたので、私は鞄を持って、

「そうしましょう」

 と立ち上がった。

 教室を出るとき、ちらりと流し目でクラスの中を見ると、明らかに正木さんたちと一緒に行動しているときとは異質の視線がちらほらこちらに向いていて、私と視線があった何人かがバツが悪そうに視線をすすすっと逸らした。やっぱりこの2人、クラスの中でもちょっと異質なのかな。そしてそんな2人と付き合っているのを物珍しく見ているのかもしれない。

「んで、その寮長ってのは何処に居るんだ?」

 昇降口で靴に履き替えながら、大隅さんが尋ねる。

「寮長室に多分居ると思いますが……あれ?」

 やはりこの2人と一緒に居ると、クラスメイトのみならず、他のクラスからも一部ちらりちらりと視線を送られる。うう、自分で踏み抜いた地雷とはいえ、やっぱりこの2人に関わったのは失敗したかなと思いながら、靴箱前が混雑していたから視線を辺りに巡らせて待っていると、理事長室の方から益田さんが出て来るのが見えた。

 ……何故に?

「どうしたの、こやまん」

「その、今から探しに行こうとした寮長さんが何故かすぐそこに居ました」

「マジで? 今捕まえとかなきゃヤバくない?」

 中居さんの言葉に頷く私。

「ちょっと声掛けてきます」

 小走りに益田さんに近づいて声を掛ける。

「益田さん」

「ん? ……ああ、小山さんか。どうした?」

 私の声に視線を向けた益田さんが目をぱちくりさせた。

「えっと、昨日の今日で申し訳ないのですが、もう今日寮に泊まりたいという人が2人ほど居まして……」

「ああ、そうか。丁度今、理事長ともその話をしていてな。昨日来ていたあの子か?」

「いえ、別の子です。話をしていたら、他の子に聞かれてしまいまして……」

「なるほど。別に構わないのだが、あまり話が広まりすぎて、本来の寮生に迷惑が掛かってもいけないな。今後は気をつけてもらいたい」

「はい、申し訳ないです」

 特にあの眼鏡を掛けた厳しいクラスメイトの顔を思い浮かべると、尚の事不安。とにかく私との接触を避けるようにしているようだけれど、様子を見ている限り、最近は他のクラスメイトにも出会った頃以上にトゲトゲしく当たるようになっているし、やっぱりあの日の私のせいかなあ、と深く反省。

「とにかく、一度部屋に戻ってパソコンで宿泊届けを印刷しないといけない」

「宿泊届け?」

 私の疑問符付きの文にうむ、と答える益田さん。

「そうだ。理事長とさっき話して、宿泊自体は構わないが、やはり学校としては誰がいつ泊まったか、という管理は必要だろうということで、簡単ではあるが書類を準備するようにした。寮長室で印刷出来るから、付いてきてほしいんだが……」

「大丈夫ですよ。昇降口に2人とも居ますので連れて行きます」

「そうか。私も昇降口に靴を置いているから、行こうか」

 益田さんに伴われるような形で昇降口に戻ると、

「あんたが寮長さん?」

「ちょー怖そうなんですけどー」

 予想通りというか、大人相手でもブレない2人の反応を意に介さず、

「ああ、寮長の益田だ。キミたちか? 寮に泊まりたいというのは」

 といつも通りの感じで尋ねる益田さん。

「そうでーす」

 中居さんの底抜けにまったりなボイスに、

「それじゃあ付いてきてくれ」

 と底抜けの笑顔で笑い掛けてから、益田さんが来賓者用スリッパから靴に履き替えて歩き出す。

 私だけまだ靴を履き替えていなかったから、慌てて履き替えて私たち3人は益田さんの後を追う。

「本当に、あの人が寮長さんってやつか?」

 益田さんの後を歩きながら、大隅さんが隣を歩いていた私に小声で再確認してくる。

「はい、そうですよ」

「ふぅん?」

 何故か不思議モードの大隅さんに、私の方が疑問符を打つ。

「どうかしましたか?」

「いや、あたしたち見て、何も言わなかったなと」

「ああ、まあそうですね。なんですか、何か言ってほしかったんですか」

 いたずらっぽく私が言うと、

「別にそういうわけじゃねえよ!」

 ふてくされたように答えて、中居さんの隣に並ぶ大隅さん。何だかんだ言いながら、自分の外見を気にしてはいるんだなあ。全然気にしないタイプだと思っていたけれど。

 終始無言の益田さんと私たち3人。何だろう、この居心地の悪さ。結局寮長室までは昇降口のやりとり以降、誰も一言も発しなかった。

「入ってくれ」

 そう言って、寮長室に入っていく益田さんに続いて私たちは寮長室へ。連日寮長室に居るなあ、私。

 でも、連日居たのはどうやら私だけではなかったみたい。

「あら? 小山さんと……えっと、大隅さんと中居さんね」

 何やら専門書を読んでいたらしい坂本先生が、本を机に置いて言う。

 ……何故に? パート2。

「良く知ってるな、あたしの名前」

 髪をいじりながら、大隅さんが呟く。

「体調が悪いって良く保健室に来るから覚えてしまいましたよ、2人共」

「ふん……」

「今日は大丈夫? 簡単に問診なら出来るけれど」

「要らねえよ。分かってんだろ」

「さあ、どうでしょう。私はカウンセリングとか専門ではないけれど、必要ならしますよ?」

 大隅さんの不服そうな声を意に介さず、微笑みを崩さない坂本先生。

 ああ、なるほど。一瞬本当に体が弱いのかと思ったけれど、良くある保健室サボリですね。

「坂本せんせーがこんなところに居るとは思わなかったしー」

 中居さんは相変わらず能天気な声で言う。

「実家まで遠いから、お仕事終わって特に何もなければ、ここで休憩させてもらったり、翌日が早い場合は泊まらせてもらったりもしていますよ」

「へー、お泊り会みたいでバイブス上がるー」

「……そうね」

 何故か坂本先生は刹那困ったような笑いを浮かべ、またいつものたおやかな笑いに戻ったのを私は見逃さなかった。何だろう、今の。中居さんの言葉が意味不明だったからかな。私も未だに意味分からない言葉が出てきたりするけれど。

 台所からオレンジジュースを3人分持ってきてくれた益田さんがテーブルにジュースを置きながら、

「ああ、すまない。空いているソファに座っておいてくれ。今、申請書を印刷する」

 と言って、部屋のパソコンを操作するとプリンターから紙が2枚出てきた。

「この用紙に名前、住所、電話番号、年齢、生年月日、泊まる期間を書いてくれ」

「えー、ちょーマジメンディーなんすけど?」

「いちいちこんなの書かなきゃいけないのかよ」

 即座に不満でぶーぶー言う2人にくすくすと笑う坂本先生。

「あらあら、お母さんにバレるのが怖いのかな? それともお父さん?」

「んなわけねーだろ!」

 怒りをぶつけるかのように、紙に必要事項を書き殴った大隅さんの文字はやけに斜めっていて読みづらく、中居さんの文字は物凄く丸文字で可愛らしいけれど読みづらかった。

「星っち、とりあえず期間は明日まででおけ?」

「良いんじゃね?」

「りょー」

 生徒2人の書き終わった書類を受け取った益田さんは、寮長らしく何やら印鑑を書かれた資料に押す。初めて益田さんの寮長らしい姿を見た気がする。

 そんな益田さんはギャル2人に、私が持っているものと同じ部屋の鍵を渡す。

「部屋は2階の202、203号室だ。小山さんの部屋の隣とその隣だから直ぐに分かるだろう」

「小山の部屋の横か」

「まあ、部屋が何処でもこやまんの部屋でオールだけどね」

「しないからね!」

 この2人だと、割りと真面目にオールナイトやりかねない気がする。イメージだけだけど。

 ……ちなみにオールってオールナイトの意味だよね? 合ってるよね?

「はっはっは。オールナイトしても良いが、ちゃんと家に電話はしておいてくれ。捜索願いでも出されたら困るからな」

 無責任! 先生なら止めてください、って益田さんは先生じゃなかった。

「というか、勉強しないとテストヤバイんでしょう?」

 私の言葉に、はんっ、と鼻を鳴らす大隅さん。

「まだ時間あるから大丈夫だろ」

「そう言って、ギリギリまでやらないんだろうし、今日から勉強するからね!」

 私は大隅さんの首根っこを掴んでずりずりと引き摺って寮長室を出ようとする。

「ちょ、おまっ、小山! わ、分かったから! 首苦しいんだよ!」

「おー、こやまんも星っちの扱い方分かってきたじゃん?」

「扱い方言うな!」

 何だろう。この雰囲気、ちょっとだけ岩崎さんと片淵さんに近しい感じがある。だから、この2人と一緒に居てもそんなに嫌な気分じゃないのかな。

 それと、桜乃さんのときにも思ったけれど、時には強引に行くのも大事だって分かった。きっと、大隅さんもお尻叩いてくれる人が居たら伸びる……んじゃないかな。

 襟元を正した大隅さんとそれを見てケラケラ笑っている中居さんを連れて寮へ戻ると、

「あ……」

 最悪なタイミング。

 扉を開けた目の前に私服に着替えた太田さんが靴を履いていた。

「…………何の用? 後ろの2人は」

「えっと……」

「寮長さんとやらに言って、今日はここに泊まらせてもらうようにした。今日は金曜日だから明日休みだしな」

 私、太田さん、大隅さん、中居さんの視線が交錯して、言葉を発したのは太田さんだった。

「……そう。騒がなければいいわ」

 興味ないと言いたげな視線を横に大きく投げ捨てた太田さんはそう発言して、私たちを背にして歩き出した。

「……そうかよ」

「テンションバリ下がるー」

 頭の上で腕を組む大隅さんとべーっ、と小学生みたいな行動の中居さん。

 ……太田さん。

「んじゃま、さっさと部屋行こうぜ」

「こやまん、はよ!」

「あ、うん。そうだね」

 急かす大隅さんと中居さんの言葉に頷いて、私は靴を脱いだ。

 先に階段を上りかけていた大隅さんを追って、階段を上ろうとしたら、何故かさっきまで急かしていた中居さんが電池切れの渡部さんみたく静止していた。

「どうしました?」

「こやまん、ヤバい」

「え?」

 酷く真剣な目で私を見るので、何かマズイものでも見つけたのかと思ったけれど、返ってきた答えで私は漫才のボケみたいにすっ転びそうになった。

「……めっちゃトイレ行きたい」

「…………え、あ、ああ、そういうことですか」

「ガッコ出る前には行きたかったのに、今まで忘れてた」

「なんでそんなの忘れるんだよ」

 呆れ声の大隅さんに、ぷんすこしながら中居さんが言い返す。

「だって、こやまんが寮長が居るとか言ってどっか行っちゃったのに、アタシトイレ行くからーってその場離れられないじゃん!」

「お前ならやると思うけどな」

 大隅さんの容赦ない言葉に、申し訳ないけれど私も「そうだよね」って心の中で首を縦に振ってしまった。

「こやまん戻ってきたらすぐに学校出ちゃうし、皆フッ軽でたったか歩くしで、追いつくのに集中してたら忘れてたぽよ。とりま、トイレ何処?」

「右手突き当り右です」

「おっけー。ちょい行ってくる」

 ピッ、と手を上げて中居さんがトイレに小走りで向かう。

 ああ、なんというか、その、全く言葉とか気にしないんだなあ。お花摘みはさておき、せめてお手洗いとか。

「全くあいつは……先に部屋に行っとくか」

「中居さん、放っておいていいんですか?」

「あいつだし、良いだろ」

 大隅さん、結構中居さんの扱いが酷い。まあ、信頼関係が出来ているからなのかもしれないけれど。

「後、喋るならタメ口にしろよな」

「え?」

「敬語とか気持ち悪いから、さっさとタメ語にしろよ」

 そう言って、さっさと階段を上がり始める大隅さん。

「……あ、ああ、えっと、うん、そうだね、そうする」

 突然仲間に入った私を、彼女は彼女なりに迎え入れ方について悩んでいるのかもしれない。

「助けてこやまーん!」

 私も階段を上ろうと1段踏み出したタイミングで、トイレの方から大声で、地元密着型ご当地ヒーローを呼ぶみたいな声がした。呼ばれたのは私だけど。

 階段を駆け下り、トイレのドアを開けると、個室の扉が3つあるのだけれど、その中でヘルプの声が聞こえる扉の前に立つ。

「どうしました?」

「オー、カミガナイデース」

「何故片言!」

「なんか、トイレットペーパーを10周くらい巻いたら無くなった」

「10周!?」

 当たり前のように言った中居さんの言葉に私は思わず声が裏返った。

「え? それくらい普通じゃん?」

「私は使っても半分以下ですが……いや、人それぞれかも、ってそれはさておき、トイレットペーパーですか」

「そうそう。その辺に無い? 個室内にはなさ

「えっと……ああ、ありますね」

 洗面台の下を開けると、トイレットペーパーが入っているのが見つかった。

「マジで? 頂戴ー」

「ええ、どう……ちょ、ちょっと!」

「ん?」

 私が屈んで洗面台の下からトイレットペーパーを取り出した辺りで個室の扉が開き、洋式に座っていた中居さんが手を伸ばしているのが見えて、私は慌てて視線を逸らす。

「ちょ、ちょっと、扉閉めてください」

「えー? 扉閉めてたらトイレットペーパー受け取れなくね?」

「いや、扉の上に隙間あるから、そこから渡せばいいじゃないですか」

「あー、そっか。まあ、でも別に女同士だし、見られたって困らないじゃん? どうせ、お風呂も一緒に入るんだし」

「そりゃそうで……え?」

「ん? そりゃ、寮で泊まるならお風呂も入るじゃん?」

「え、あ、えっと、いや……そ、そうですね……」

 すっかり忘れていた。

 転校当初、理事長に釘を差された通り、普段は時間をずらしてお風呂に入っている。お陰で浴槽とか着替えのタイミングで女の子と遭遇することは無かった。ただし、お風呂の外で太田さんに「入る時間が遅すぎる」と注意されたことはあったけれど。

 でも、今日はどちらかというと合宿というかお泊まり会というか、そんな雰囲気になってきているから、お風呂にも一緒に当然入るという流れは分からないでもなく、そんなこと出来ない! とは言えない気がする。

 ……いや、何としてでも言わないといけないけれど。

「まー、とにかくトイレットペーパー」

「あ、は、はい」

 ぎくしゃくしながら、私は視線を中居さんに向けないようにしながらトイレットペーパーを差し出す。

「こやまん、何。女同士なのに見るのずいの?」

「いや、その、こういうところで見るのは、何となく悪いかなって」

「別に見られたからって困るわけでもないし。ってか銭湯とか入れなくね? 何、こやまん銭湯とか入ったことないの?」

「い、いえ、ありますが」

「んじゃあ、いいじゃん」

 言いたいことは分かるのだけど、そこは性別の壁という歴史上国境や地域を分断された壁よりも高く長い壁がありまして。

「とにかく、早く2階に上がってきてください、先に上がってます」

 私はそう言い逃げして、トイレから出たところで一呼吸。

「はあ……」

 あ、危なかった。色々と。

「何かあったのか?」

 2階に上がると、大隅さんが開けた部屋の扉に手を掛けたまま疑問を投げてきたので、私はキャッチして投げ返す。

「いえ、中居さんがトイレットペーパーを受け取る際にパンツを脱いだまま扉開けたので、ちょっと流石に驚きまして……いや、驚いただけ」

 無意識に敬語が出てところで大隅さんの表情が急に険しくなったのに気づき、慌てて言い直した私。

「ああ、そういうことな。まあ、あいつ普段からトイレに入っても鍵掛け忘れること多くて、あたしがトイレの扉開けたら中に居たとか良くあるから、あまり気にすんなよ」

「……そういうものかな」

「うちの親父なんか扉全開でトイレ入るからな」

「嘘?」

「何でそんな嘘吐かなきゃいけないんだっての。あたしも何度も扉閉めろっつってんだけど、ああいう癖ってのは中々治らねーんだよなあ」

 その映像を思い出したのか、溜息と共に頭を振る大隅さん。

「そういう人も居るんだね」

「ま、それから比べりゃ可愛いもんだろ」

「……とは言っても比較対象が悪い」

「それについては同感だが」

 言って、私と大隅さんはほぼ同時にほんのりと笑った。

「あ、部屋分かった?」

「ああ。番号は掲示されてたからな。しっかし、何も無いんだなこの部屋」

 私の隣、202号室の中を覗いた大隅さんがやれやれ、と言いたげな表情をする。

「寮だからね」

「せめて部屋ごとにテレビとか置いとけっての。見たい番組とかどうすんだよ」

「食堂に大きなテレビがあるから、それを見るとか」

「他のやつが見てたら見れねーし、そもそも録画とか出来ねーだろ、それじゃ」

「あー……私、あまりテレビ見ないからなあ」

 私の言葉に大げさな表情で答える大隅さん。

「マジかよ! テレビ見ないとかありえねえ」

「そう?」

「何の話ー?」

 トイレから出てき中居さんが首を傾げる。

「部屋が殺風景すぎるって話だよ」

「マジで? ……うわ、ありえんてぃー。テレビ無いじゃん!」

 部屋の中を覗いた中居さんの反応に、うんうんと頷く大隅さん。

「だよなあ。ほれ小山、お前だけじゃね? テレビ無くても生きていけるって」

「え? こやまんテレビ見ないの? オニやばくね?」

「いや、見ないわけじゃないけど……」

 ぴくり、と反応する中居さん。何に反応したのかというと、

「お、こやまんがタメ語になった」

 ということについてだったみたい。

「あたしが調教したからな」

 ふふん、と鼻を鳴らす大隅さんに私がツッコむ。

「調教じゃないから!」

「んじゃあ後はあだ名で呼ぶようにするだけかー。それか下の名前」

「えっと……中居さんの下の名前なんだっけ」

「えっ、酷くない?」

「太田さんに怒られて完全に全部吹き飛んじゃったから」

「あー、わかるー」

「いちいち合いの手入れんな、晴海」

「ああ、そうそう。晴海ちゃんだったっけ」

「そうです、晴海ちゃんです。そして、星っちは星っちで」

 キリッと晴海ちゃんが言うので、私は頷く。

「んじゃ星っちで」

「その小学生っぽい感じのあだ名はどうにかならんのか」

「なりませぬ!」

「何で答えが戦国武将っぽいんだよ」

「何となくー。で、そういやご飯とかどーする? ビニコンいく?」

 ポケットからスマホを取り出して視線を向けた中居さんが尋ねる。

「ビニコン……えっと、コンビニのこと?」

「そーそー、ビニコンビニコン……ってこやまんはご飯あるんだっけ」

「ええ、寮生なので」

「そういや、こうやって泊まったときって寮で飯は出るのか?」

「そういやどうなんだろう。前に岩崎さんがここに寄った際には益田さん……さっきの寮長さんがご飯余ることが多いから食べていって良いって言ってたけど。もう1度寮長室まで行く?」

「今からまた寮長室とかまで行くのとかマジめんでぃーなので、ご飯は後にして、先にお風呂入ろーよ」

「だな。んじゃ小山、タオル貸してくれ」

「え? あ、お風呂? 今から?」

「何をするにもまずスッキリしてからだろ。風呂でゆっくりしてから後のこと考えようぜ」

「風呂ぽよー」

 それぞれの部屋に入っていく2人の背中を無言のまま見送り、私は割りと真面目に焦り始める。

 ……お風呂、本当に3人で入るの? それは大丈夫だろうか? いや、だいじょばない。

 現代風反語を使うくらいにはヤバイ状況だけれど、だからといって絶対に嫌だと拒絶する訳にもいかず、何か良い言い訳はないかと考えながら私も自分の部屋の扉を開けると、待っていましたとばかりにテオが飛び出してくる。

「ああ、ただいまテオ」

 私の言葉に反応するように、なーぉと答えるテオは服や鞄に爪を引っ掛けて、器用に私の背中を駆け上がり、定位置の頭の上に伸びて猫帽子になった。これされるのは良いのだけど、服に爪で穴が空いたりすることがあるから、制服ではしてほしくないなあ。

「こやまーん……ありゃ?」

 部屋を覗き込んできた髪の毛がドリルの方のギャルが、鞄を定位置にしまっていた私の頭を見て、言葉を切った。

「猫ちゃんじゃね?」

「猫ちゃんだよ」

「この前、学校に黒猫ちゃん居たけど友達?」

「全然。この子は実家の猫で、いつの間にか学校に忍び込んでたんだけど、何だかんだでこっちで飼ってるの」

「ほーん? 名前は?」

「テオ。テオドールって名前だけど長いから」

「テオかー。あ、テオも風呂入る系?」

「いや、入らない系」

「入らない系かあ。せっかくだから一緒に風呂ぽよしたかったのに」

 新しい動詞が誕生していた。

「とりま、タオルと一緒に着替えも貸してちょ」

「……へ?」

 思わぬ言葉に、私も思わぬ声が出てしまう。

「ほら、良く考えたら着替え持ってきてなかったし、今から家まで帰るのもちょめどだからさー」

「ちょめど……?」

「ちょー面倒ってことー」

 新語がどんどん出来ていって、私ついていけないのですけれど!

「ああ、え、いや、でも……」

 確かに今日、寮に泊まれるという話を聞いて、その足で寮に来た2人だから確かに着替えまで準備してるとは思えないけれど、普通そういうのって友達に借りるものなのかな? せめて下着とかはコンビニで買ってくるとかしない?

「おーい、小山。寮ってシャンプーとかリンスの備え付けってあるのか?」

 脳内の疑問文を処理し切る前に大隅さんも現れ、私の頭に視線を向けて、

「――ん? なんだ小山、頭の上に何か灰色っぽいの……もしかして猫か?」

 と疑問に首を傾げた。

「あ、うん」

「頭に乗る猫とか聞いたことないな、珍しい……ってのはまあ良いとして、風呂の準備しようにも服もシャンプーとかも何もねーから小山貸してくれ」

「え? 大隅さんも?」

「別に良いだろ? ホテルみたいに浴衣でも置いてりゃ、浴衣1枚でも別に構わねーんだけど」

「いや、それはダメでしょ!?」

 大隅さんの大胆発言に私が口角泡を飛ばすように言うと、

「は? 別に浴衣1枚で十分だろ、寝るだけなら。まあ、まだちと寒いが、真夏とかならパンツ1枚とかで寝るのはフツーだろ?」

 意に介さない表情であっけらかんという大隅さん。

「いやいや、普通じゃないと思うよ!?」

「そうだよ星っち」

 中居さんの援護射撃が――

「こやまんとかアタシは胸ちっさいから良いけど、ちゃんと夜用のブラ付けとかないと星っちのサイズだったら寝てるときになんたらかんたらがダメになって胸垂れるじゃん」

 ――そういう問題!?

 後、岩崎さんもそうだったけれど、胸のサイズで仲間分けってされるのは普通なの?

「なんたらかんたらって何だよ」

「忘れたー。とにかく、胸の形が崩れるからちゃんとブラしないとヤバイって」

「はー、そうかよ。んじゃあ、ブラも貸してくれ小山」

 というか、もう全てを借りることが既定路線になっているんだけれども……ああもう、いいや、いいです、お好きにどうぞ!

「良いですよ」

「どこに入ってんだ?」

 部屋の中に入って、箪笥の引き出しを次々に勝手に開けていく大隅さん。

「箪笥の上から2番目、小さい引き出しにブラとパンツが入ってます」

 自由人の大隅さんへ投げかけた私の言葉に、中居さんがうーん、と唸る。

「こやまんもパンツ派か」

「え?」

 パンツ派って何? ちょっと卑猥な響き。

「ショーツって言わないんだ」

「あ、ええ?」

 箪笥を調べていた大隅さんが振り返って、

「やっぱ、そうだよなあ。ショーツとか気取って言わねえよ」

 と頷く。

「いや、気取ってないし。パンツって言ったらフツーはズボンの方を指すっしょ?」

「いや、ズボンはズボンだろ?」

「えー、マジでー?」

「つか、ショーツって言う方が珍しいっての」

「いやいや! 星っちのお姉ちゃんもショーツ派だったよ?」

「うちの姉貴は変人だからな」

 ギャル2人はファッショントークしながら、中居さんも並んで、私の箪笥から下着やシャツを取り出し、試着し始める。

 ……って、ここで試着するの!?

 当然の如く下着まで脱ぎ始める2人に私は視線を逸らし、でも変なところに視線を泳がせるのも変だと思ったから、頭上のテオへごく自然に向ける。

「うーん? 何かサイズが色々あるんだけど、これ全部こやまんの?」

「あ、はい」

 頭の上のテオと遊ぶフリをして、視線を2人に向けないようにしながら答える私。

「んー……やっぱサイズ合わねーな」

「まー、こやまんのサイズじゃ合わなくて当然じゃん? アタシは割りとぴったりだけど」

 多分、私が本当の女の子だったら結構傷つく言葉がさっきからポンポンと飛び交っている気がする。気兼ねない感じで喋っているから、悪意は無いんだと思うんだけど、人によっては剣山で心をさすられるような痛みがあると思う。

「つーかサイズバラバラ過ぎて、合うのがあるか良く分かんねーし、とりあえずパンツとシャツだけ借りるか」

「あ、アタシこれ良いかも。ほれほれ、星っちどーよ」

「ん? まあ良いんじゃねーの? ……よし、んじゃ風呂行くかー。小山―、シャンプーとかは何処にあるんだ?」

 大隅さんの声に、私はやはり視線を合わせずに答える。

「お風呂場のロッカーに置きっぱなしだよ」

「後、クレンジングもよろー」

「え? クレンジング?」

 ……ってなんだっけ。

「いや、小山は化粧してねーし、持ってねーだろ」

「えー? こやまんノーメイク?」

「あ、はい……そういうものではないんで……そういうものではないの?」

 未だにまだ敬語になり掛けたのを訂正しつつ、話の流れからクレンジングとは化粧落としのことだろうと思い当たったけれど、化粧なんかしたことはないのでもちろん持っている訳がない。

「小山、洗顔はあるだろ?」

「うん、洗顔なら」

「んならそれで落ちるのを期待するしかねーな」

「さげぽよー……」

「んじゃ、行くか」

 大隅さんが寮長室で私がやったみたいに、私を引っ張っていこうとする。ああ、一緒に入らないという選択肢をそもそも端っから潰されてしまった! と思うのはさておき。

「え? あ、ちょ、ちょっと待って! ま、まだ私着替え持ってないから」

「ん? ああ、まだだったのか。じゃあさっさと選べ、すぐ選べ、即選べ」

「急かさないでってば」

「ってかこやまん。風呂何処ー?」

「トイレの向かいにあるよ!」

 何でこんなにテンション高いの、この2人。

 ……まあ、この場合一緒に入浴することに拒否権は無いよね。理事長さんには他の子と入ることがないように釘を刺されていたけれど、こうなったら仕方がない。後で素直に怒られよう。そして、後で男とバレたときのために辞世の句をしたためておこう。合掌。

 テオをベッドの上に置いて「お留守番ね」と言うと、言葉が分かったみたいにその場で丸くなって寝始めたので、私は頭を撫でてから着替えとタオルを持って、先に部屋を出た2人を先導しつつお風呂場に。

「おー、銭湯みたいだなココ」

「いーじゃん!」

 お風呂の扉を開けると、すぐに部屋の中を見て回る2人。私はそんな2人を尻目にいつも使っている鍵付きロッカーからシャンプーとリンス、ボディソープ、洗顔を取り出す。

「よっしゃ、入るぞー」

「おー」

 テンション高い2人だけど、服を乱雑に脱いではロッカーに投げ込む大隅さんと対照的に、きっちり畳んで置いていく中居さんが少し意外だった。

 あ、いや、別にそんなにじっと着替えを見ていた訳ではないけれどね!

 もたもたと私が着替えて、最後に浴室に入ると、

「こやまん遅いっしょ」

 大隅さんも中居さんも既に湯船でくつろぎモードだった。大隅さんなんか頭にタオル乗せてるし。

 私は先に体を洗ってしまいたいタイプだということから、頭を洗って体を洗い始めたところで、

「お客さーん。お体洗いましょうかー」

 という声が掛かる。

「へっ?」

 振り返ると、いたずらっぽく手をワキワキさせた中居さんが立っていた。もちろん何も隠していない状態で。

「ちょっ……」

「まーまー、任せるぽよー」

 言って、私が体を洗っていたタオルを奪って背中を洗い始める。ああう。

「何やってんだ2人で」

「いやー、こやまんと親睦を深めようと」

「なんだそりゃ」

 呆れ声の大隅さんの言葉に酷く同意。なんだそりゃ!

「ってか準って結構身長デカいよね」

「まあ、良く言われるよ」

「モテたでしょ、前の学校」

「いえ、全然」

「マジで? 何で?」

 私の顔を覗き込んでくる中居さん。ちょ、ちょっと近い近い!

「な、何ででしょうね」

「いや、むしろ身長高いと男から嫌われるんじゃねーの?」

 湯船の縁に頭を預けて、大隅さんが呟くように言う。

「あーね。自分よりも身長高い女は嫌だとか、確かにありそー」

「それもあるのかもしれないけど、私の場合はそれ以前の問題で……」

「どういうこと?」

 私の言葉に背中を洗う手を止めずに尋ねる中居さん。聞かれたからには答えるべきだとは思うから、私は素直に喋る。

「うちの学校はとびきり勉強に力を入れていた進学校だったのもあって、特に2年生も後半くらいから部活とかも辞めて、勉強に絞る人が凄く多かったんだよ」

「2年の後半!? マジかよ、むしろそこからが部活の本番じゃねーの?」

 天地がひっくり返るような声を出した大隅さん。やっぱり、そう思うんだ。

「普通はそうだと思うんだけどね。うちの学校、表面上はクラスごとに優劣を付けるのはいけない、平等なクラス分けをしている、とか言っていたけど、実際は勉強の出来る子ばかりのクラスとそうでもないクラス分けがされていて、それぞれのクラスで授業内容が顕著に違ったんだよ」

「ケンチョって何?」

「誰が見ても分かるくらいに差がある、ってこと」

「ふーん? あー、じゃあうちはダメクラスかー」

「ダメクラスとは言わないけど、変わった子は多いよね」

「おいおい、ひでー言い様だな。つか、うちのクラスっつったらお前も入るだろ」

「そうだよ。私自身も変わってると思うし」

 私の言葉にうんうんと頷く中居さん。……ちょっと納得いかないけれど、話を続けることにした。

「とにかく、出来るクラス……つまり上位クラスに入ったら、大学の何処でも行けるくらい先生が授業に力を入れてくれるんだよ」

「……つまり、小山は下位クラスに飛ばされて、嫌になって転校してきたってことか」

 私の隣に腰を下ろして、体を洗い始めた大隅さんの言葉に、私は「半分正解、半分間違い」と少しだけ笑みを混ぜて答えた。

「前の学校では、基本的にテストはいつも1番だったから」

「マジかよ!」

「マジヤバじゃん、こやまん!」

「へ? あわわ……」

 左右からの迫るような声に思わずその2人の方を向き、当然隠すものも隠さずに上半身を乗り出して迫っていたので、たわわな方と控えめな方の両方を目の前にして、お風呂のせいではないくらいに上気してしまった。お、おおう……。

「ま、まあ、勉強が趣味みたいなところがあったからね」

「うげー」

「うへー。もうその時点で変人決定だし、こやまん」

 同時に嫌そうな声を出す大隅中居コンビ。これ、岩崎さんと片淵さんのときも同じ反応だった気がする。

 とりあえず、私はまたシャワーや鏡の方を向いて、背後から体を洗ってもらいながら、再度言葉を転がした。

「でも、いつも1番っていうのは色々あってね……」

「……なるほどな」

「あー、察した」

 大隅さんも中居さんが心情を言葉に出す。それ以上言う必要は無かったかもしれないけれど、私自身何処かで思ったことをぶちまけたいと思っていたから、堰を切ったように言葉が出続ける。

「クラスメイトも最初は羨望の言葉だけだったのが、徐々にテストの内容を知っていたんだろうとか、カンニングしているとか、先生に媚び売ってるんだとかいう言葉になってきてね。根も葉もない噂っていうのは、最初こそ言っている側の方に非難が集中するんだけど、嘘も100回言えば真実となる、なんて言葉があるみたいに毎回私が1位を取っていたら疑う人も増えてきて。だから、答え分かっててもわざと間違えるようにしたり……」

「……」

 お風呂に沈黙が流れて、私は慌てて両手を左右に振りながら弁解する。

「あ、ごめん。あまりそんな話とか聞きたくないよね」

「いや、良い。続けろ」

 聞いてくれるから少し甘えすぎたかなと思ったけれど、鏡の方を向いたままの大隅さんが発した有無も言わさない口調に、私は素直に言葉を続けることにした。今なら正木さんが話しやすいから話してしまう、って言っていたのが分かる気がする。

「そんなことをすると、今度は当然手を抜いていることがバレてしまうわけ。そしたら、生徒に限らず先生までもが、あいつは俺を馬鹿にしているだとか、私の授業も真面目に受けていないだとか、そんなことを言うようになって」

 昔を少し思い出し、一瞬言葉に詰まってから、再度言葉を繋げる。

「それで、3年に上がるときこんな対応を続けるなら下位クラスに落とすぞ、って学年主任に言われて……まあ前の学校に嫌気が差しちゃって、転校したって話。上位下位なんて分けてないとか言ってたのにね……って変な話してごめん」

「こやまんも大変だったんだねえ、よしよし」

 中居さんがシャンプーしながら私の頭を子供みたいに撫でてくるから、少しくすぐったくて身悶えする。

 対照的に、大隅さんは大きな溜息と共に言葉を吐き出した。

「んなことウジウジ悩むなら、せめて全員殴ってから転校すりゃ良かっただろ」

「いや、それはちょっと……というか、初対面のイメージ引き摺って、私を感情に任せてとりあえずムカついたら殴るキャラだと思ってない?」

「そーだそーだ。こやまんはただシスコンなだけで、別に野蛮じゃないんだぞ」

「シスコンでもないからね!?」

「シスコンどうこうはさておき、そんなの教師も含めてぶん殴っていいだろ、それ。っと、シャンプーとか借りるぞ」

「あ、うん。……まあ、担任の先生だけはちょっとドジだけど、前の学校の中でもまともな方、というかかなり優しい女の人だったから、私のこと理解してくれてたんだよ。転校のことも理解してくれて、この学校も前の先生が幾つか選択肢としてある中の転校先として勧めてくれたところだったんだよね」

 ……まさか勧めてくれた先が女子校だとは流石に予想していなかったけれど。まあ、砂糖と塩を間違えるとか、コケて書類をひっくり返すようなレベルの典型的なドジキャラだったから、もうちょっと自分自身でチェックしておくべきだったかなとは思う。

「とにかく、そんなのだから前の学校には良い思い出もなくて。だから転校した先では全部真面目にやるのはやめようと思ったんだけど、じゃあ真面目じゃないようになるにはどうすればいいのかな、とかなんて思ってたところだったんだよ」

「不真面目のお手本がここに! きゃるーん♪」

 私の横から目の前の鏡を覗くようにして、ピースする中居さんと、

「なるほどな。不真面目代表と関わってみれば、もしかすると何か分かるかもっつーことで関わろうとしたわけか」

 と少し不満そうな横顔が見える大隅さん。

「言い方は酷いけれど、結果としてはそういうこと」

「……は、そうかよ」

 頭からザバン、とお湯を被った大隅さんが口をへの字にする。

「んで、何か分かったのかよ」

「まだ全然。会ったばっかりだし」

「だよねー。んじゃ、今日はオールでギャルトークじゃん!」

「せめてガールズトークと……後、オールは無理!」

「えー、いいじゃん。今日金曜だし、明日何も無いし。何、こやまん明日デートとか?」

「い、いやそういうことではなく、勉強を……」

「つーか、学校があったとしても、宿題があったとしても、不真面目を勉強したいならサボらなきゃ駄目だろ」

 ふふん、と鼻を鳴らし、流し目で私を見る大隅さん。ああ、まあそう言われてみれば。いや、納得しちゃ駄目なんだけれど。

「ま、小山は太田ほど融通の聞かないヤツじゃねーが、元がクソ真面目なせいで、まだふざけるのも中途半端なんだよな」

「……そうなのかな」

「まだ小山を全面的に信用したわけじゃねーけど、サボリたくなったらいいとこ教えてやるから言えよ」

 親指を立ててニヤリと笑って、大隅さんはまたお風呂に入る。

「……よし、こやまん。次は前洗うからこっち向くじゃん?」

「うん……えっ? 背中だけじゃないの?」

「ん? 折角だから全身洗うぽよー」

「え、ええっと……」

 今はもちろん、みゃーちゃん命名の女の子変身セットを装着中だから、ぱっと見ではバレないかもとは思う。

 ただ、この変身セットはみゃーちゃんが言っていた通り、お風呂にしばらく入るか温かいシャワーをずっと当てていると剥がれてきてしまう。逆にシャワーの温度を下げれば、どうやら剥がれるまでの時間を稼げるようだということはお風呂に入りながら色々試して分かっていたから、今回は全身を少しぬるいシャワーを浴びて、お風呂入ってもすぐに上がって着替えればどうにかなるかな、と思っていたのだけど。

「ほらほらこやまん」

「え、ああ、うん……」

 強く拒絶するのはバレる原因かな、って思ったから私は素直に後ろを向く。ええい、どうにでもなーれ。

 お風呂だから当たり前だけれど、何も隠していない中居さんが視線の中へフレームインとフレームアウトを繰り返す。

「いやー、こやまんってホント体でかいし、疲れるわー」

「そ、それなら自分でやるから!」

「いやいやー、だいじょぶだいじょぶ。終わったら洗ってもらうしー」

「さっさとしろよー。あたしはもう上がってるからな」

 洗ったからだろうけれど、下ろした髪がしっとりと濡れていつもより大人っぽくなっていた大隅さんは軽く笑いながら浴室を出ていった。ああ、カラスの行水タイプなんだね。

「星っち、相変わらず早すぎるっしょ! ……んじゃあ仕方がない。オニダッシュで終わらせようそうしよう」

 そう言って、宣言通り私の前面を雑に洗って、

「はい、終了」

 と中居さんが宣言。

 ……本当に雑! ほとんど上半身しか洗ってないし!

「んじゃー、次はアタシの番じゃん?」

「そうだね」

 スポンジを受け取って、ボディソープをスポンジに追加しようとしたところで、中居さんが「あ」と声を上げる。

「こやまんって普段先に体洗う方?」

「あ、えっと、頭が先かな」

「あちゃー、んじゃ順番ミスったね。先に体洗っちゃったし」

「いや、別に構わないよ。こだわってるわけじゃないし」

「アタシも頭が先派だし、先にシャンプーよろ。その間にメイク落とすわー」

「うん」

 シャンプーで髪を洗っている間に、中居さんが洗顔料で顔を洗い、鏡を見たところで、今度は私が思わず「あ」と声を上げてしまった。

「な、中居さん眉毛……」

 洗顔後の中居さんの顔からは見事に眉毛が無くなっていた。

「ん? ああ、そだよ? え、こやまん気づいてなかった系?」

「え、あ、うん」

「別に珍しくなくね? ってまあうちのクラスはあまり化粧っ気無いのばっかりだからアレだけど、フツーじゃん?」

「ふ、フツーなのかな」

 う、うーん……私には分からない世界。

 シャンプーを流してあげて、今度こそスポンジにボディソープを追加したところで、

「……うーんとさ、こやまん。思ったんだけどさ」

 中居さんの疑問文が飛んでくる。

「ん、何?」

「……こやまんってさ、本当に女の子?」

「………………え?」

 今年最長記録を更新したか、しそうな勢いの沈黙だった。

「こやまんの持ってるブラの種類おかしかったし」

「な、何が?」

 中居さんの言葉に私は少し色めいた。

「フツーさ、同じ子がA60とC70ブラ持ってるとか無いって。A60の方はこやまんの昔使ってたのかと思ったら、かなり買いたてっぽかったし、そもそもこやまんアタシと同じでCとか無いし。見栄張ったん?」

「え、ええっと……?」

「もしA70とC60ならアンダーから寄せて……いや、流石に寄せてあげてもA70からC60も無理っぽ」

「あ、あの……」

「ていうかそもそもブラのサイズとかも全然分かってなくない?」

「うっ……」

 いや、確か転校してきたばかりのときに益田さんと理事長さんから、男だとバレないようにブラのサイズの話とか教えてくれた覚えはあるのだけど、情報を披露する場所もタイミングも無かったから、全然気づかなかった。

 それに、同じようにブラを勝手に物色していた岩崎さんが何も言っていなかったから、これが普通だと思っていたのだけれど。

「クレンジングって言ってもぽかーんとしてたし、ショーツのこと、パンツって言う派だし」

 畳み掛けるように中居さんが言葉を玉入れするみたいに投げ込んでくるのだけど、私はその玉を受け入れるほどの余裕が無くて目を白黒させるしかない。

 ……でもパンツ派は大隅さんも居るよ! と心の中で唯一反論出来た。声に出してないからしてないのと一緒だけど。

「あ、あの……えっと……」

「それと最後。女子の裸見てキョドりすぎ」

「うっ……」

 トドメとばかりに言う中居さんは振り返って、私を少し上目遣いに見る。

「もし、まだ女だって言い張るならアタシの胸、触ってみなよ」

「え?」

 中居さんの爆弾発言。というか、男だと疑っている相手に胸を触れなどと言うのはどういう意図からだろう。ただ単純にすけべ心があって、むしろ触りたいぐらいの男だったら触るだけじゃ済まないかもしれないのに。

「ほら、どうなん? あ、目は逸らすのは無しだかんね」

 ぐっと胸を私の目の前に差し出してくる中居さんの体から私がまた視線を逸らそうとしたら、中居さんが両手で私の顔を自分の裸体に向けた。

 大きいと形容するほどではないけれど、確実に女の子している体つきで、それはもう思春期の男子生徒には刺激が強いどころの騒ぎではないから、ずっと見ないように気をつけていたけれど……。

「どうする?」

「…………無理です」

 頷いて、

「素直でよろしい。ご褒美」

 と言いながら中居さんは私の腕を掴んで、自分の胸に押し当てた。

「わひゃっ!」

「何だー小山、うるさいぞ」

 むにゅっとした感覚に思わず変な声が出てしまったところでお風呂の扉がガラガラッと開き、大隅さんのジト目顔が覗く。う、大隅さんもまだそこに居たんだ。ということは……。

「星っちはどう思う?」

「ん? 何がだ?」

「さっきの話」

「今のってなんだ? 風呂ん中で話してる内容とか聞こえてねえよ。何の話してたんだ?」

 大隅さんがそのままジト目で私たちを見てくる。

「えっと、その……」

「こやまんが女の子なのに、女同士で裸見られるの恥ずかしいっていうのはどうか、って話ー」

「まあ、小山は変人だからな」

 酷い言い草だったけれど、私は直前のことがあったから何も言えずに押し黙った。

 ……というか中居さん、私のこと女って?

「とにかく、あたしは部屋に先に戻ってるからな。早く来いよ」

 大隅さんは大した話じゃないと思ったからか、それ以上追求をせずに扉を閉めた。その様子を鏡越しに確認した中居さんは、

「ほら、こやまん。手が止まってるじゃん。さっさと体洗ってちょー」

 と何事もなかったかのように言う。

「え、あ、はい……」

 僅かな逡巡の後、私は中居さんの背中をスポンジでこする。

「……それで、なんでこやまんは女子校入ったわけ? 女の子の裸見たかったからとか?」

 スポンジを上下に往復させるだけの機械になり掛けていた私に、再び声を掛けてくる中居さんの言葉。

「ち、違っ! ……違います」

 大声を出しそうになって、というか一瞬だけ出してしまって、声のトーンを再調整してから私は話を続けた。

「これは深い事情が……いえ、言うほど深くはないです。単純な手続きミスですから……。さっき話した通り、前の学校の先生がこの学校を勧めてくれたんですが、女子校だと知らずに転入試験を受けたら合格してしまって、そのまま入学許可されてしまった、という流れです」

「手続き以前に、フツー男子って女子校って入れないんじゃん?」

「……のはずなんですが、写真とか性別とか全て男でちゃんと書いていたにも関わらず、顔立ちのせいか書類ミスだと勘違いされてしまって……」

「あー、確かにさっき言ったみたいなおかしいとこなければ、アタシもこやまんは女の子だって思ってたし」

「……やっぱりそうなんですか」

 喜ぶべきか、悲しむべきかの時期は既に通り越したつもりだけれど、当たり前のように言われるとやっぱりちょっとだけ凹む。

「てか、こやまん。また言葉戻ってる」

「あ、えっと……」

 正直なところ、この状況でまだ気軽に話すほど、私は肝が据わっている訳ではなかったから、言葉を戻していたのだけれど。

「つーかアタシ、別にこやまんに学校出て行けとか言うつもりないよ? バラす気も」

「え?」

「何? こやまん、学校辞めたいの? 性転換までしたのに?」

「してませ……してな、してない、から」

 距離感を掴み損ねながら、同時に性転換なんて言葉に動揺しながら、私はぐちゃぐちゃの言葉を口から押し出す。

「だって、ついてないじゃん。切って治療したんじゃないの? それ」

 それ、と言ったタイミングで振り返って私の股間を指す。

「これはとある人から、見た目ではバレないように貰ったシリコンのパッドを使ってるだけ」

 ……そうだ。今、この女の子変身セットを付けていたのにも関わらず、男だってバレた。本当に中居さん、恐るべし。

「マジで!? そんなのあるん?」

 興味津々といった感じで作り物の股間を撫でてくるので、思わず私は飛び退った。

「ちょ、ちょっと!」

「ちょっとくらい触ったっていーじゃん。触らせてくれなかったら男だってクラスでバラしちゃおっかなー。アタシの胸触ったしー」

「……う」

 そう言われると弱いのだけど、あっはっはと笑い飛ばしながら中居さんは再度鏡の方を向く。

「まあ、ジョーダンだけどさ。で、こやまんは学校辞めたいわけ?」

 中居さんの声は責めるでもなく、怒るでもなく、雛が餌をねだるように私の答えを待っているようだった。

「前の学校を辞めた手前、また転校するのは、と思うのもあるけど……やっぱり男を隠して生活するのって難しいし、バレたときが怖くて」

 今回特にそれを痛感した。やっぱり分かる人には分かってしまうんだということを。

 クラスメイトで私が男だと知っているのはまだ園村さん、工藤さん、中居さんくらいで今のところは誰も私が男だったということについて責められたことはないけれども、今後もそうとは限らない。むしろ、本来は責められて然るべきだと私自身思うし。

「男バレするのが怖いってこと? だったらバレないように女の子の勉強すればいいじゃん? こやまん、勉強得意っしょ」

「簡単に言うけど、それが出来なかったからバレてる訳で」

「今までは勉強が足りなかっただけじゃん。これからはアタシが教えたげるよ。あ、でもアタシもフツーじゃないかもしんないけど。でも、基本的なことくらいは教えられるし」

「本当?」

「何、疑ってるワケー?」

「いや、そういう訳じゃ……」

「あはは、冗談だって。ま、勉強教えてくれる代わりに、ってことで良くね?」

「……うん、そうだね」

 中居さんの厚意を受け取ると共に、私は素直に首を縦に振った。

「そういや、こやまんが男だって知ってる人、他に居る?」

「えっと、理事長とか」

「え、マジで? 手続きミスったこと、理事長が知ってるってこと?」

「うん。だから初日に理事長室に呼ばれた」

「ってことは学校公認じゃん? だったら、こやまんだけが悪いわけじゃないし、もっと女子高生活楽しんで良いんじゃね?」

「そ、そうかな……そうなのかも」

「そーそー。ま、女の子の勉強はさておき、女の裸に慣れるのはマジ重要、オニ重要。つか、こやまんなら知識だけだったらすぐに覚えられるかもだけど、見たり触ったりが駄目過ぎ。まずアタシで慣れようか。ほら、アタシの前もちゃんと洗って」

「え……え?」

「ほら、胸ちゃんと洗って」

 中居さんは後ろに伸ばした腕で、私の両腕をガッチリ掴んだかと思うと、そのまま自分の胸に当てた。

「あ、あうう……」

「あうう、じゃないから。アタシのでそんなにビビってたらもっとでかい星っちとか正木とか園村とかの触ったら死ぬんじゃね?」

「し、死にはしないけど、すぐには無理!」

「ないわー、マジないわー」

 中居さんがじっとり感溢れる目で私を見る。

「だ、だって」

「だってじゃないんですけどー。やっぱ、こやまんの女の子恐怖症を克服するために1日1タッチ、いや朝昼晩で3タッチさせるしかないかもー」

「い、いや、そこまでは……別に恐怖症なわけでもなくて」

 というかそこまでされたら恥ずかしくて死んじゃう! ま、まあ、死ぬは流石に大げさだけれど、いくらなんでも荒療治過ぎると思うよ!

「ま、からかうのはさておき」

「ちょっと!」

「あっはっは、いいじゃん。男だって秘密にしといてあげるんだから、ちょっとくらいからかったって」

「からかいすぎて、他の人にバレたら困るんだけど」

「大丈夫だって。そんときはバレた子の秘密も握ってしまえば良いんじゃね?」

 中々に悪趣味なことを当たり前のように言う中居さん。

「って早く上がんないと星っち待ってるし。時間やばたんだわー」

「あ、そうだった」

「んじゃ、恥ずかしがらずにさっさと体洗ってちょ」

「う、うん」

 その後はとりあえず、顔は背けずに頑張った、と思う。手の感触は寝るまで忘れられない気がするけれど。

「おっせーぞ、2人共」

 大隅さんはそんなことを言いながら、テオと猫じゃらしで遊んでいた。意外と動物とか好きなのかな。

「いやあ、こやまんとイチャコラしてたら時間忘れてた」

「なんだそりゃ。実は小山も頭同レベルなのか?」

「それはいくらなんでも酷いと思う」

「って言うこやまんが1番酷くね? ガチしょんぼり沈殿丸なんですけどー」

 また新しい言葉が出たけれど、あまり気にしないことにしよう。何に対しても過敏反応は駄目だって分かったし。とりあえずしょんぼりしているっぽい感じは伝わったし。

「んで、飯どーするよ」

 私の箪笥に入っていたと思われる英字Tシャツにパン……ショーツ? 1枚の大隅さんが胡座をかいて言う。

「やっぱビニる?」

「ビニール?」

「ビニコン行く? って」

「ああ、コンビニに、ね。いや、多分食堂使って良いんじゃないかな。一応、食堂行ってみよう。何処かに書き置きとかあるかも」

「あいよ」

「りょ」

 言いながら部屋を出ようとして私が振り返ると、ショーツとTシャツのみで部屋を出ようとした大隅さんが目に留まった。

「……ってスカートかズボンくらいはせめて履いてよ、大隅さん」

「別に良いだろ、女しか居ないんだし」

「そういう問題ではなくて、外には……あ、ほら、太田さんが来たらまた何か言われるし、せめてその格好は部屋の中だけにして」

 こういうとき体よく使われている太田さんだけれど、本当に伝家の宝刀と言ってもいいくらいに皆が居住まいを正す。もちろん、大隅さんも。

「……ちっ、しゃーねえな」

 不満そうだった大隅さんがスウェットのズボンを履いたのを確認してから、3人で食堂まで下りていくと、

「ああ、小山さんか。丁度良かった」

 丁度益田さんが息を切らせて寮に入ってきた。

「どうしたんですか?」

「いや、夕飯について話をしてなかったと思ってね。食事は2人の分も準備しているから、食べてもらってくれて構わない。小山さんもそろそろ食堂の使い方は覚えただろう?」

「ええ、分かりました。丁度その話をしていたところだったので」

「そうか、それなら良かった。……それと、小山さんには私の携帯番号を教えておこう。いざというときにいちいち寮長室まで来なくても、電話で済ませられるようにしておいた方が良いだろう」

「ああ、ありがとうございます」

 電話番号をバーコード読み取りで交換し、

「じゃあ、また何かあれば連絡してくれ」

 と言い残して、益田さんは再び寮を出ていった。私は寮の扉が閉まるのを確認し、

「……ということで、食堂で済ませよう」

 と言うと、茶髪2人組も即座に答えた。

「おう」

「おっけー、お腹減ったー」

 私もよく食べる方だとは思っていたけれど、大隅さんも中々に良く食べるようで、クリームシチューを2杯お替わりするくらいだった。

 中居さんも「普段は夕飯そんなに食べないんだけどー」と言いつつもお替わりしていたから、よっぽど益田さんの料理が気に入った様子だった。

 食事が終わって私の部屋にすぐ集合。

 それでは勉強を……する気など2人には全く無いようで、入ってきてすぐにベッドの上で寝転がっていたテオと遊び始めた。

 でもまあ、今日は良いかな。

 確かに勉強するのだけが学生の本分じゃないと思う。彼女たちに考えが染まってきた……とも言えるけれど、同時に私自身が前の学校で汚染されていた勉強脳が和らいだ、と言うと流石に言い過ぎかもしれないけれど、でも勉強勉強って考えすぎるのも良くなかったんじゃないかって今なら思う。

「んでさー、こやまんはどうするの?」

「ん?」

「ゴールデンウィークー」

 ビッグ枝豆クッションを抱きながら、最近買ってきたもふもふカーペットの上でゴロゴロしている中居さんが尋ねる。

「あー、えっと正木さんたちと遊びに行く予定。まだ何も決まってないけど」

「なんだ、勉強じゃないのか?」

 意地悪顔の大隅さんはベッドの上でテオの頭を撫でている。撫でられているテオも基本的に尻尾の動きがゆっくりとしているからあまり嫌がってはいない様子。

「もちろん勉強もするよ。今日みたいな感じで寮に泊まって合宿しようって話だし」

「ああ、あたしたちが聞いたのはその話だったのか」

 ようやく合点がいった、との表情をした大隅さんの言葉に頷く私。

「そう。まあ、多分あの3人でも今日みたいな感じで、あまり勉強にはならないような気がする」

「だろうな」

 そして、お風呂が更に鬼門な気がする。

 笑いながら再度ベッドを占領した大隅さんは、部屋に戻ってきて早々にショーツとTシャツのみの姿に戻っていた。この子はそんなに見せたいの? それとも女同士でこういうのって結構普通なの? せめてこういうときはパジャマパーティーじゃないの?

「アタシはまだ何も決めてなーい」

「うちは……姉貴がどっか旅行行くとか言ってたが、あたしも何もねーな」

 中居さんの言葉に続けて、大隅さんが私の枕を抱きしめながらスマホをいじる。

「よし、じゃあアタシたちは3人で温泉旅行にでも行くっきゃないね」

 ばちこーん、と私にウインクしてくる中居さんのニヤけた表情から、何を意図しているかはよく分かる。露出狂じゃないんだから、そうやってすぐに裸になろうとするのはやめてくれないかな!?

 ……いや、中居さん、実はそういう趣味? 大隅さんも同じで、見せたい派とか。

「ま、別に――」

 大隅さんの言葉を遮るように私の携帯が鳴る。液晶画面に表示された電話の相手は正木さん。何かあったのかな?

「誰だ?」

「正木さん」

「心配性だなー。多分、こやまんが虐められてないかの確認電話じゃない?」

 匍匐前進ほふくぜんしんでベッドに近づいて、テオにちょっかいを掛け始めた中居さんがそう答えたから、私は思わず、

「あー」

 と納得の声が出てしまった。

「あーって何だよ、あーって」

 言いながら、大隅さん自身も苦笑する。

「あーはあーだよね、こやまん」

「うん、まあ、まず当たりだと思うよ」

 思わず苦笑した大隅さんと中居さんに向かって笑いを残しつつ、私は部屋の外で通話ボタンを押す。

「はい、小山です」

『あ、夜遅くにすみません。正木です』

「どうしました?」

『えっと……大丈夫ですか?』

「大丈夫、というのは」

 もう何となく答えは想像出来るのだけど、一応尋ねてみる。

『大隅さんと中居さんに、何か困ったことされたりとかないですか?』

 やっぱり。

「大丈夫ですよ。あの2人はそんなに悪い人じゃないですし」

『でも……あの2人、今まで学校でカツアゲしてたとか他のクラスの子に掴みかかったりしたとか、凄く悪い噂が立ってましたし、クラスでも授業サボってばかりでしたし』

「ああ、授業は……そうですね。今も勉強せずにサボってテオと遊んでます」

『そうなん……あっ』

 正木さんの驚嘆の声がフェードアウトしたと思ったら、

『小山さーん。ホントに大丈夫?』

 心配の濃度を濃くした岩崎さんの声がした。

「はい、大丈夫ですが……あれ、こんな時間に?」

『今日は紀子の家に泊まってるの。明日休みだし』

「なるほど」

『都紀子も呼んだんだけど、何か都合悪いから駄目だってさー』

「門限早いって言ってましたしね」

『うん。ていうか、寮での合宿ももしかすると駄目になるかもしれないって』

「え? もしかしてご両親が駄目って言ってるとか……?」

『どうだろうね。都紀子、自分のこと話さないからなー。ま、ギリギリまで行けるように説得はするらしいけど、また詳細は今度話すって言ってた』

「……合宿出来るといいですね」

『だねえ。あ、とりあえず紀子に戻すね』

「はい」

 ガチャガチャ音がしてから、また正木さんの柔らかいソプラノが聞こえてきた。

『あ、正木です。……えっと、とにかくあまり無理はしないでくださいね。あ、後あまり夜更かししちゃ駄目ですよ』

「そうですね、そうします」

『何かあれば電話してください』

「ええ、分かりました」

『おやすみなさい』

「おやすみなさい」

 電話を切って、私が部屋に戻ると、

「あたしたちに虐められてないかって電話だったか? ……おっと」

 と帰ってきた私に向かって、胡座をかいた大隅さんがテオの手を掴み、ピッと立てて尋ねると、テオは流石に嫌がったようで、足早に私の足元まで走ってきた。

「うん」

「やっぱねー。アタシたちがこやまん虐めるわけないじゃん」

 虐められてはないけれど、さっきお風呂で散々色々されたよ。いや、した方なんだけどされた方というか。

「ま、アタシたち色んな人に目ぇ付けられてる系だし、今更だよねー。でさ、そんなのはさておき……」

 むふふ、と笑いながら中居さんが言葉を続ける。

「せっかく合宿なんだからコイバナとかしないと意味ないじゃん? ってことでー、こやまんは彼氏居ないっての分かったけど、好きな男性のタイプはー?」

 分かってて言っているから質が悪いと思うけれど、残念ながら私は男の子より女の子の方が好きなので『彼氏』を『彼女』に置き換えて答える。

「え、ええっと……優しい人、かな」

「模範解答過ぎじゃね? おもしろくなーい。んじゃ次、星っち」

「あたしよりも強い男だな」

 白い歯を見せながら大隅さんが言う。

「あー、星っちは守られたい系女子だっけね。じゃあ、こやまんが、もし、男だったら良かったんだろうなー」

 え、守られたい系? 大隅さんが? と思ったけれど、言わない。

 それと、言いながらちらちらこっち見るのヤメテ!

「いや、初対面の人間を壁にゴリゴリ押し付けるようなヤツはちょっと……」

「それはうちの妹をカツアゲしようとしたから自業自得でしょ」

「まー、こやまんシスコンだからなー」

「シスコンも違う!」

「言っとくけど、あれはカツアゲじゃねーぞ」

「じゃあ何だったの?」

 私が物言いたげに粘度MAXな目で大隅さんを見ると、

「お金を永遠に借りておくだけだ」

 なんてどこぞの国民的アニメのガキ大将みたいなことをキリッ、とした顔で答える。

「結局同じじゃん!」

「ま、そうとも言う」

「そうとしか言わない!」

「つっても、マジで金足りねーんだよな。バイトは前してたら叱られたし」

「あ、バイトしてたんだ」

「おう、やってたぞ。ちょっと遠いところのコンビニ店員な」

「っていうかバイトってOKなの?」

「特に問題は無いらしいぞ。うちは特に禁止されてないしな」

「じゃあ続ければ良かったのに」

 私の言葉に、いやあと言葉を濁しながら頭を掻く大隅さん。

「いや、店長と髪色がどうとか、言葉遣いがどうとかで言い合いになってやめちまった」

「あー」

 あー、再び。

「何があーだっての」

「てか、ビニコンみたいな人前に立つのは、星っちに合わんっしょ」

「どういう意味だよ」

 中居さんのほっぺたを掴んで、大隅さんがにらみつける。

「あいたたー」

 正直なところ、コンビニでは髪色とか言葉遣いとか、結構うーん? って人でも続いているから、多分それだけじゃないんだろうなあなんて思ったりもするけれど、それ以上は追及しないことにした。

「あはは……でも、他にバイトって無いのかな?」

「つっても、高校生バイトを雇ってくれるのとかコンビニ以外だとほとんど無いだろ」

「あー、まあそうかー。それ以外でも飲食店とか、人前に立つの多いもんなー」

「お小遣いとか貰ってないの?」

「この歳で学年×千円とかだからな。漫画とかちょっと買ったらすぐに無くなっちまう」

 またベッドの上にふらりと戻ってきたテオを撫で付けながら大隅さんがぼやく。

「化粧品代も馬鹿にならないんだよねー」

 中居さんの言葉で、ああなるほどと合点がいった。

「そういえば化粧品とか持ってるんだったね」

「オカンの借りてたりもするよねー」

「ああ、まあじゃないと足りないしな」

「お母さん、許してくれるんだ」

「いや、勝手に」

「……それは駄目じゃない?」

「そういうもんだろ、親なんて」

「そうかな」

 私は自分の親を思い出してみる。

「……そういえば、うちの両親はあまり家に居ないことが多かったから、物を借りるとか無かったなあ。あ、でもお父さんとお母さんが持ってる本を夜遅くまで読んだりしてたっけ」

「根っからの勉強人間だったんだな、小山って」

「まあ、小さい頃は隣に住んでいたおばちゃんが娘さんと一緒に私も面倒見てくれてたから、そんなに困らなかったけどね」

 大隅さんに苦笑いされたので、私も苦笑いで返す。

「こやまんの友達? どんなコだったん?」

「うーん、ちょっと運動は苦手だったけど、凄く素直で良い子だった、と思う」

「思うって」

「私自身、あまりその子のこと覚えて無くて。あ、別に記憶喪失とかじゃなくて、思い出したくないとかじゃなくて、単純に顔とか忘れちゃって。あ、猫が大好きでうちで飼っていた猫……この子のお父さん猫に良くなつかれてたってのは覚えてる。代わりに、私もその子の家で飼っていたこの子のお母さん猫に良くなつかれてたけど」

「こやまん、そんなちっちゃいときから猫飼ってたん?」

「うん。この子でもう3代目」

「すげーな。うちは親が両方アレルギーだから飼えないんだよ」

「でも好きなんだね」

「別に好きって訳じゃねーけど……」

 視線を逸しながらも、テオを撫でる手を止めない。

「ずっとテオちゃんから離れないよねー」

「それは小山の部屋に遊ぶものが少なすぎて、こうやって猫撫でるくらいしかやることないからだっての」

「あー、それはそうかもー。テレビ無いし」

「じゃあ、1階に下りてテレビでも見に行く?」

「いや、止めとく。太田に会ったら嫌だしな」

「ああ……なるほど」

 ホント、よっぽど怖がられているというか、忌避されているというか、太田さんはクラス全体に怖いと知れ渡っているんだなあ。

「ふあぁぁ……さて、寝るか」

「え、いや早くない?」

 目を擦っている大隅さんの言葉に目を丸くする中居さん。

「いや、昨日見たドラマが面白くて、友達とずっと話し込んでたら1時超えてて、流石にねみぃんだよ」

「あー、あのコムケン出てたヤツ?」

「そうそう。あれ面白かったよなあ」

「分かるー」

「こ、コムケン?」

「コムケン、ちょー有名な俳優さんじゃん!」

「つか、小山って頭良いのにホントそういうの知らないよな。やっぱ、もうちっと勉強以外にも頭使わないとダメだわ」

「うん……」

 私自身も2人の話についていけなくてちょっと悲しい。

「まあ、実はアタシもあれ見ててちょっちねむぽよだしぃー……あ、そうだ」

「何だ?」

 大隅さんの言葉にニヤリ、と不敵……というよりは良いイタズラを思いついたという表情の中居さん。あ、これは。

「こやまんって女なのに裸見られるの恥ずかしいって言ってたっしょ」

「ああ。まあ、でも水泳のときでも端っこで着替えるヤツ居るだろ。宇羽とか」

「まゆゆんは普段から人との関わりを持たない系女子だから仕方ないじゃん? でも、こやまんは割りとアクティブなのに裸の付き合いが駄目なんだよねー。というか裸に限らずスキンシップ全体が駄目っぽ。抱きつくとか」

「女同士で抱きついてビビるとか小学生男子かよ」

 中居さんの言葉に大隅さんがケラケラ笑う。うう……結構酷い。

「というわけで、こやまんには女の子に慣れる必要があると思うじゃん?」

「で、どうするんだ?」

「ベッドで3人、密着して寝る」

「いや、無理だろ。このベッドに3人とか寝れるわけねーだろ」

「やってみないと分かんないし! ほら、かもーん」

 一番壁際に寝転がって手招きする中居さん。ああ、また変なことを思いついて……もう。

「んじゃ次はあたし――」

「いや、星っち違う違う。こやまんサンドしないと意味ない」

「ああ、そういうことか。んじゃ小山寝てみろよ」

 大隅さんに促されて私はしどろもどろになる。

「え、ええっ!?」

「ほらほら、こやまん。さっさと寝た寝た」

「ううう……」

 私は渋々と中居さんに背を向けてベッドに横になると、

「そこじゃ星っち入れないじゃん」

 と言いつつ私を羽交い締めにして、自分の方に引き寄せる中居さん。ちょ、ちょっと!

「……案外寝られそうだな」

 私と何故か向い合せで大隅さんが寝転がる。背中向けるんじゃないの!?

「んじゃ寝るか……っと電気消すぞー」

 電気を消した大隅さんは落ちないように私に近づき、耳元で囁くような位置で、

「んじゃおやすみ」

 という声を転がしてくる。暗くて顔は見えないけれど、見えなくてよかった。多分、頭を軽く押されただけでキスしてしまうくらいの距離にきっと大隅さんの顔があったはずだろうから。

「おやすみぽよー」

「お、おやすみー……」

 サンドイッチのパン役の2人は何事もないように睡眠に入ろうとしているけれど、挟まれている具役の私は正直言って眠れるような状況じゃないですよ、コレ!

 結局、私が眠った……いや、意識が飛んだのはほんのりと窓から明け方の光が入り掛けた時間で、私の合宿という名の生殺し生活は終了した。

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