僕のバカは薬をつけなきゃ治らない~ADHDという生涯~
これは、僕がアタホタヌキになるまでの実話です。
結構重い話になりますので、それでも良ければこのままお読みください。
子供の頃、僕は仮面ライダーに憧れていた。
そして、3DCGのデザイナーにも憧れた。
さらにプログラマーにも憧れた。
それが小学生の頃の僕です。
多趣味だけど、飽きっぽく。手は出すけれどその道を究めず……そういう子供でした。
いつしか僕のそういう心は、いじめを生んでいました。
当時はどうして僕が虐められるのか疑問でした。ですが、今にして思えば僕のそういうテキトーなところや、忘れっぽさ、頭の悪さが虐めの原因だったのだと思います。
僕はいつもバカにされていました。
悔しくないわけではありませんでした。ただ、頑張っても力が身につかなかっただけです。
僕は、当時他の子どもより会話が遅いと母親を悩ませていたそうです。
僕はそれには気付いていませんでしたが、今現在会話の節々に「ん~」とつけなければうまく会話がまとめられない現状を見る限り、それが原因だったんでしょう。
僕はADHDという障害を持っていたのです。
厳密にいえば、ADHDの疑いがある。現状ではそう言うしかありません。
理由はADHDとはチェックリストなどで簡易的に判別して、疑いがある場合は投薬治療。それで治ったらADHDでしたということになるからだそうです。
それ以外にも、もう少し大きい病院に行って詳しい検査をすればADHDであることが確定するらしいですが、僕にはそんなお金はありません。
ですが、投薬治療の効果があったのかどうかはわかりませんが、自分の異常性に気付き初め自分の中のADHDと言う悪魔が実在すると思うほかなくなってきたのです。
話は、少し前に戻ります。
僕はある専門学校を卒業し、電気屋さんで働き始めました。
ですが、いくつもの失敗を重ねてすっかり自信をなくしていました。
それもそのはずです。今までは学生だったから許されていた自分のうっかりが、社会人になって許されなくなってきたからです。当時の事はもう何年も前なのであまり覚えていませんが、何度も同じミスをして怒られていたことだけは覚えています。
当時、僕がADHDであることがわかっていれば、もしかしたら別のやり方もあったかもしれません。
ですが、僕にとっても他のメンバーにとっても「うっかり」や「勘違い」としか認識していませんでした。
それからも、ミスは続き移動を繰り返しました。
しかし僕自身が頑張っている事自体は見ている人も多く、お客様にも頑張りが伝わったのか数名ですが仲良くなった方もいらっしゃいました。そして僕が元々プログラマ志望で情報系の専門学校にいた事を見て、本部で働くことを提案されました。
当然僕に断る理由もありません。僕は喜んで本部で働くことを決めました。
ですが、本部といっても給料が上がるわけではありません。
意外と思う方もいるかもしれませんが、本部の下っ端というのはむしろ現場より給料をもらっていない事があるのです。
僕のいた会社がたまたま、そういうところだったという可能性もありますが、少なくともグループ会社の人も同じ状態だったようですので、そういう会社も多いのではないでしょうか?(そのグループ会社のほうが元々の給料高いでうらやましかったですが…)
話が横道にそれましたが、続けますね。
当然気合いが入ったからと言ってミスがなくなるわけではありません。その程度でなくなるなら、そもそも障害とはいいません。
自分のあまりの不出来さに嘆き、それでも頑張ってましたがストレスはたまり続け、当時ひどかった脂肪肝の治療ができないレベルまで金銭的に追い込まれ、僕は転職を決意しました。
ここでツッコんだ方がいらっしゃったらそれで正解です。そう本当に金銭的に追い込まれた人はそもそも食べる物や飲むものも制限するから「脂肪肝」になりにくいんですね。
なぜそうなったのか。これは過食症の可能性もありますが、それより何よりADHDの人は我慢ができません。我慢をするのが通常の人よりとても苦なのです。
このころの僕はむしろ「他の人はどうしてここまで精神的に苦しい事に耐えられるのだろうか」と思っていたくらいです。
どのくらい苦しいのかって?眠れないくらいです。タバコを吸う人が吸わないと落ち着かないってありますよね?あのレベルよりはもっと辛いと思います。
口に食べ物が入っていないのが辛すぎて当時はたまに手を噛んでました。……おなかがすいていないのにです。
麻薬中毒と同じですね、ここまでくると(笑)
そんな状態で転職してもうまくいくわけもありませんね。引っ越して、単身別の県に移ってまで頑張ろうとした僕はあっという間に研修期間で事実上の解雇。僕としては「特に大きなミスをしたわけでもないのにどうしてこうなったんだ。納得できない」と言う気持ちでした。実際にはたぶんミスを繰り返していたのが原因でしょうね。
そして、三度目の転職。今度はもう後もなく追い詰められ職業訓練を受けてから就職。ですが、もちろんミスはなくなりません。当然ですね、根本的な原因がわかってないのになくなるわけがありません。
そして、そのミスが起因となってパワハラを受け、精神的に病みはじめたところで退社。四度目の転職はもう正社員を希望するのも怖くなりアルバイトとなりました。
ですが、アルバイトでも無理といわんばかりにミスが続きます。今このアルバイト……まぁ要するにフリーターと言う状態に当たるわけなのですが、ここに一人の社員がいました。
この人が原因で自分の異常性に気付きました。ここではプライバシーのため今思いついた上条さんという名前を付けておきましょう。(とある小説からとってきたんだろうとか言うな。手元にたまたまあったんだから仕方ないのだよ)
さて、この上条さんですが、とても厳しい人です。ミスをしたら徹底的にそのミスの原因を洗い出すまでは許さず、結構きつい言葉も浴びせてきます。
ですが、僕はなんとなくこの人の気持ちが伝わっていました。ただ怒ってるわけじゃない。ミスをしても立ち上がるために徹底的に付き合ってくれてるんだという事がわかりました。
それでもミスはなくなりません。僕はどんどん追い込まれ、自暴自棄になっていきます。
ここまで厳しいが優しい人に恵まれ、ここまで金銭面以外の環境が良くなった。借金も親が肩代わりして、もうこれこれ以上ないほど恵まれているのにどうして解決しないのか?
精神が壊れ初め、いつの間にか僕は公園のベンチで、どうやってこれから死のうかと言う事ばかり考えていました。
電車で魅かれるのが一瞬でいいかな?
首吊るのがオーソドックスかな?
包丁で刺すのはないな。急所うまくつける自信ないし。
ああ、そういえば頃合の川が近くにあったな。今から行ってみるかな?
ここまで追い詰められた僕を助けてくれたのは、僕が一番好きな作品のキャラクターでした。
どんな絶望にあってもあきらめない。何度も繰り返す姿を思い出し、僕自身の生命をつなぎとめる代わりに「ここまで辛く、苦しいのにそれでも戦えと言うのか」と言う絶望を植え付けました。
ですが、僕はもう一度その背中に憧れてしまいました。
僕は意を決して、ADHDの検査を受けました。
結果は重度のADHD。
前文にも書きましたが、あくまでチェックリストでの回答ですので、あくまで「重度のADHDの可能性あり」になるのですが、この結果を見たとき僕はこう思いました。
「僕のバカは薬をつけなきゃ治らない」
誰もそんな事言ってない。誰もそんな事思ってない。誰もそんな苦しみ理解してない。
だけどどうしようもなく、自分だけはそう思い知ったのです。
投薬治療を開始し、僕はどんどん自分の異常性に気付かされはじめました。
まず最初に、今は本屋さんでバイトしているのですが本を一冊棚にさそうとします。
作者のあいうえお順に並んでいて、タイトルと巻数を見てささないといけません。
僕は作者の名前とタイトルと巻数を確認しました。巻数は書かれていませんでしたので、それが一巻目と思いました。ですが、それは二巻目でした。
僕はデカデカと背表紙に書いてある巻数に気付きもしなかった。
次にホッチキスで止められた書類を見ていました。
まずはページをめくり何枚あるかを確認。二枚あると思いました。
そして、何度もページをめくり作業を勧めます。
ですが、実は三枚目がありました。僕は何度もページをめくったにも関わらず二枚あると思い込んだため三枚目に気付きませんでした。
上の出来事があった日は背筋が凍る思いで帰路につくと、さらに忘れた仕事があることがわかりました。
他にも同じようなことがありますが、最低でも一日一回は事の大小に限らずこういった、一見注意不足で済まされるミスが発生しています。しかもそれはドミノのように連続して起きることもあります。
なお、それは集中していないから起きているのではありません。頭ではこの上なく集中しており、反省もして、真剣に事に当たっていて……それでも起きるのです。
これが過集中と言う症状です。
そりゃ、背表紙見て巻数にも気付かないんだから今までの仕事でミスばっかりしててもおかしくありませんね。そりゃ無理だわ。同時に自分の無力を嘆き、死にたい思いを何度もしました。
それでも立ち上がらせてくれたのはフィクション作品の人間たちの言葉でした。
ある意味呪いのように力を与え、ある意味楔のように僕を現世へとつなぎ留め、ある意味拘束するように抱擁してくる。
僕が、そんな空想の世界に希望を抱いていたのはいつ頃だろうか?
僕が僕だけの世界を作り、空想の世界を作り上げ、その世界に逃げていたのはどのくらいまでやってただろうか?
そう、僕は決して、フィクション作品の人たちに恨みの感情を持っていたわけじゃない。僕が抱いていたのは嫉妬だ。
どうしてそこまで勇気を与えられるのか?
どうしてそこまで生きる力を与えてくれるのか?
どうしてそこまで僕の心にあきらめるなと伝えられるのか?
作り物の作品たちが与えた勇気は最後に僕の空想の世界にもう一度引っ張り上げてくれた。そして最後の勇気を与えてくれたのは、僕が作った作品のキャラクターだった。
当時はまだ作品と呼べるレベルですらなく、いま改めてみても「これはひどい」の一言。そんな作品たちのテーマは「生きることの大切さ」だった。
それを、僕のキャラクター達は最後に教えてくれた。
僕は復帰一作目に作ったキャラクターはペルセポネです。
ドジで間抜けでアホで鈍感で、頑張ってもちっとも実らない。しかも重大なところで大きなミスをする。自分が信じられず、くよくよして情けない。
だけど、その本当の力はうちに秘めている。そのモデルは未来の僕です。
将来彼女のようにどんなに自分の能力が劣っていても、決してあきらめることなく進む。そして、いずれその力を皆の癒しにしたい。
そんな願いからペルセポネは生まれました。
ペルセポネはもちろんですが、タクミやスピカ、アサリアや哲也が誰かの心に響いたらいいなと思って僕はまたキーボードに指を置いています。
今日、本当につらいことがありました。ひとしきり泣いて、こんな僕の障害をさらけ出すことで同じような苦しみを持つ人に頑張ってほしいなんて考える僕は本当に物書きバカなんでしょうね。
だけど今は、僕の物語の主人公やヒロインたちが、誰かの希望になることを一片も疑っていません。
少なくとも一人、そのキャラクターに助けられた人物がここにいるのだから……。