なんか思ってたのと違うのは王子のせいだと気付けない
異世界です。
オリジナルな設定や緩い世界観で書いていますので辻褄が合わないことや疑問に思うようなこともあるかと思います。ご了承下さい。
リーブル国において貴族の子供や奨学生として期待される庶民などが通う学校がある。
王立学園マルグリット
12歳から入学し、満18歳になると卒業というシステムの学園。
よほどの理由がなければ王族、貴族の子供は登校義務が生じている。
現在この学園でもっとも身分が貴いのは最終学年に在籍しているダミアン・リーブル。
リーブル国の第一王子である。オレンジがかった赤髪は王族特有の色であり、国王である父親よりやや明るめ。瞳の色も父親と同じ琥珀色だ。
王族ではあるが爽やかに笑い、周りに分け隔てなく声をかけるのでクラスメイトに頼られるリーダーのような雰囲気になっている。
そんな彼の婚約者はフェリシア・ブレイク。
ブレイク公爵家の第二子、長女である彼女の髪色は父親似の黒髪、瞳は母親似の青。
模範的とも言える淑女で王子との仲も良好だというのは周知の事実である。
…当人の気持ちは別として。
フェリシアは卒業後のことに頭を悩ませていた。
卒業と共にダミアンは立太子し、数年を待って結婚し、国母となるべく嫁ぐ。
婚約者に決まったのは入学前だったことから今さら王妃教育が嫌などとは言わないけれど。
ため息を飲み込みつつ侍女を連れて学園内にあるサロンへと向かう。
今日は先日あったテストの結果が貼り出されている日なのでサロンへ向かう道は心なしか人通りが少ない。
身分の高い何人かは事前に個人結果を通知されている。フェリシアも例に漏れず自分の結果はもう知っているのだ。
上品に見える最大限の速さでサロンに向かう背中に声がかけられる。
公爵家令嬢であり王子の婚約者である彼女に気軽に背後から声をかけられるのは学園内には一人しかいない。
数秒考えるように立ち止まった後、ゆっくりと振り返り腰を折った。
「ご機嫌麗しゅうございます、ダミアン殿下」
「堅くならなくていい、公式の場じゃないんだ。今からサロンへ?」
にこやかに話すダミアンはもちろん一人ではない。
従者兼護衛として後ろに子爵家のギディオンが控えている。余り話した事はないがダミアンに付いているので見る頻度は高い。余り表情が変わらない堅実そうな青年だなという印象だった。
笑みを作りつつ何気なく見ていたらダミアンで見えなくなった。
「フェリシア?どうした、行かないのか?」
「・・いえ、行きますわ。ダミアン様はどちらに?」
「特に決めていたわけじゃないんだ。良かったらサロンまでエスコートする栄誉を頂いてもいいかな?」
「喜んで」
にこやかに笑いエスコートされている姿を見れば皆が理想的だと思う婚約者同士の姿である。
後ろに控えている従者と侍女は少し引きずった笑みではあるが。
「フェリシア、今回も見には行かなくていいのか?」
「いいんです。友人たちは後で来るでしょうし、私自身いつもと変わりなかったですから」
ダミアンは友人たちと一緒にいないフェリシアを気遣って言った事はフェリシアにもわかる。
しかし行ったとして何も有意義な事などないとフェリシアはわかっていた。
ただ苦い気持ちが一層強くなるばかりだと。
わかっていながら毎回変わらないであろうダミアンにも問いかける。
「ダミアン様は今回も一位でしたの?」
「ああ、まぁ立場が立場だしな。でもフェリシアは偉いな、また女性の中じゃ一位じゃないか」
やはりフェリシアの結果はダミアンにはもう届いているようだ。
フェリシアは学年中二位、一位はダミアンなのでたしかに女性の中では一位である。
婚約者と言えども他の男子生徒を超えるほどの教養は強制されてはいないが、フェリシアは学年二位を譲った事は入学してから一度もない。
エスコートされて着いたサロンの入口でダミアンとは別れる。個別に用意されている防音性のある部屋に入り、フェリシアは淑女らしからぬ歩幅でソファまで駆け寄り身を沈めた。
後ろに控えていた侍女のメアリーは苦笑しつつ、主人のためにお茶を用意する。
「お嬢様、いつもの事とは言えはしたないですよ。さぁ、お茶を飲んで落ち着かれてはいかがですか?」
「メアリー、私はもういつもの事を繰り返したくないのよ!」
感情の高ぶりを発散する様にクッションを叩いていたフェリシアは手を止めてクッションを抱きしめた。
ぎゅーっと抱きしめたふかふかのクッションが可哀想である。
フェリシアが8歳の時にメアリーはフェリシア付きの侍女になった。
メアリーが出会った時にはフェリシアはなぜかダミアンへの対抗心を燃やしていて、それ以来何かと勝ち負けを気にして、事ある毎に敗北している。
結婚自体を特別嫌がってるとは思えないが、本人曰く「辞退出来たらしている」とのことだ。
「お嬢様、前回よりも点数が上がられたとか。日々の努力が実りましたね。おめでとうございます」
「ありがとう。でも次期王太子として公務もこなしてるのにどうしてダミアンの方が上なのかしら?!納得行かない。悔しい!悔しいあの嫌味王子!」
「…お嬢様、口が過ぎますよ。嫌味など言われてませんでしたでしょう?」
「『また女性の中じゃ一位じゃないか』、これが嫌味と言わずなんと言うのよ?!」
「…素直に褒められたと受け取った方がよろしいかと」
フェリシアはメアリーの入れた甘いミルクティーを飲みつつも「その上からの態度が気にくわない」だの「あの作った似非爽やかな笑顔に寒気を感じる」だの呟いているが、メアリーはそんな主人をほんの少し憐れみを含ませた目で見守っている。
もうじきフェリシアの侍女になって十年になる。
フェリシアはメアリーにとって可愛らしくも淑女らしさもある自慢の主人である。
そんな主人に自らの胸の内を全てさらけ出せないことに、仕方がないことだと思いつつも未だに諦められずにいた。
フェリシアとダミアンの出会いは6歳である。
不特定多数の同じ年頃の貴族の子息息女らが回数を分けて王宮に呼ばれ、ダミアンと交友を育んだ。
表向きはダミアンの交友関係を広げるためとあったが、事実は将来のダミアンの支えになるであろう側近候補の見繕いや婚約者候補の見合いも兼ねていた。
ダミアンも少年らしい少年であり、同じ貴族の少年らと剣で模擬戦の真似事や周りに悪戯をすることもあった。
今よりも感情が顔に出ていただけマシだったとはフェリシアの発言だが、すぐに可愛いとは間違っても思わないと言っていたのは数回目の集まりを思い出したからかもしれない。
それまでフェリシアとダミアンは仲が良いとはいかずとも友人であった。
ダミアンは遊戯盤を出し皆と戦い笑っていて、フェリシアにも声がかかった。
幸いにもその遊びをフェリシアは得意としていて、嬉々として承諾した際に周りの子らには驚かれた。
貴族の息女で遊び方を知っていることもそうだが、嬉しそうに受け入れる娘は少数だったからだ。
その少数に高位貴族であるフェリシアが入るとは誘った側も考えていなかったので少々驚きつつ、喜んで迎え入れた。
今のところダミアンが一番強いらしい。
せっかくフェリシアが相手をしてくれるとの事だったので、ダミアンは花を持たせようと違和感のないように負けて見せた。
しかしそれがフェリシアの気に触ったらしい。
フェリシアは勝負の後に「もう一度お相手願いませんか、殿下」と少々苛立ちを含ませて言った。
「?何故俺ともう一度?」
「殿下、手を抜いていらっしゃったでしょう?わたくし正々堂々と戦って負けるのでしたら不満や否やなどはありません。なので、もう一度、お願いします」
ダミアンは少し困ったように頭をかきつつ、少し遠慮気味に言った。
「あー、うん。すまなかった。でも、その、君と俺とで本気を出したら、絶対君は面白くないよ?」
その発言に幼く負けず嫌いのフェリシアは苛立った。
絶対、君は面白く ない
絶対的に自分が勝つことを想定していることも、本気でそう思ってフェリシアに同情してそう言っていることも、この遊びがフェリシアの得意なものであった事も全てフェリシアの癪に触った。
フェリシアが初めて友人を睨んだ瞬間でもある。
「それでも構いません!もう一度、お願いします。今度はわたくしも全力でいきますので」
フェリシアの発言に少々呆気に取られつつ、ダミアンはニヤリと笑って「じゃあ始めよう」と言って盤上を整えた。
結果を言えば、ダミアンの勝ちである。
周りで見ていた子らは息を飲んで見守っていた勝負であり、かなりの接戦であった。
ダミアンは勝った後に周りの友人らと手を上げて叩き合って健闘を讃えられている。
フェリシアは負けた悔しさで顔を真っ赤にしつつ、涙目でダミアンを睨みつけた。
気づいたダミアンはフェリシアの顔を見ると可笑しそうに笑い、周りに窘められつつフェリシアに向き合った。
「フェリシア嬢、君がそんなに負けず嫌いだとは知らなかった。
君さえ良ければまた勝負しよう。この遊戯盤でも、違う事でもいい。
時間さえ許せば俺も受けて立つよ。また、全力で」
その発言と肩を優しく叩かれフェリシアは自分がどんな表情をしていたか気づき、
自分のことを激励してくれたのだろうダミアンを見直していた。
ダミアンはフェリシアの近くで囁いた。
「君の悔しがる顔は面白いから、ぜひまた見せに来て」
硬直したフェリシアを置いて、周りのギャラリーだった人たちを違う遊びにダミアンが連れ出して行った。
良い奴かなと思ってたのに!
フェリシアはそれから同じ遊戯盤や勉学や競技など、様々なことをダミアンに挑戦したがいずれも惜しいところまで行きつつも敗れ、気づけば婚約者になってしまっていた。
どうしてこうなったのかしら。
テストから数週間が経ち、フェリシアは今日も個別のサロンでミルクティーを飲みながら考える。
気づけば婚約者になっていた。
結婚後も負け続けるのも嫌だし、勝負に縛られた目で見ていて夫婦として良いのだろうか。
だからと言ってこの年齢で昔のように色々な事を殿下に挑む訳にもいかない。
いっそ何も知らない相手の方が夫婦として上手くやっていけるのでは?
黙々と考え続けるフェリシアに、メアリーから控えめに声がかかった。
「お嬢様。…申し上げにくいのですが、一つご報告が」
思考を中断して姿勢を整える。
社交界を生きる女性に情報は必要不可欠なものだ。
噂だって馬鹿にはできない。フェリシアは常時何かあれば報告するようにと、メアリーを含めた周りに指示をしていた。
「何かしら?」
「はい。あの、お嬢様のお耳に入れるべきか、正直迷っております」
メアリーは俯きつつ主人の顔を伺った。フェリシアは優しく微笑んで言った。
「それが必要だとメアリーが思ったのなら教えてちょうだい。あとは私が判断するから」
促されて、息を吐きつつ、メアリーは声を出した。
「…ダミアン殿下のお噂を今日、伺いました。まだ、噂自体広がってはいないようですが、時間の問題かと」
フェリシアは眉を顰めた。
ダミアンの、噂?メアリーが報告を渋るような、よろしくないような?
ダミアンは歳を重ねる毎に隙が無くなっていった。
表情にしろ、成績にしろ、次期王太子として文句のつけようがない程に。
全く考えつかず、フェリシアは尋ねた。
「その噂、とは何かしら?」
ゴクリとメアリーが唾を飲み込んで答えた。
「…お嬢様以外に、意中の相手がいらっしゃると」
フェリシアは驚きのあまり言葉が出なかった。
噂とはこうだ。
ダミアン殿下が最近親しげに話すクラスメイトの一人、マリー・ハイドに大層ご執心である。
放課後に人目を忍んで個人のサロンに招いている。
マリー個人は最近になってリングのついたネックレスを身につけていることから、殿下がマリーを迎える決意を示したのではないか?
どれも目撃証言を繋げた予想でしかない。
証言の信憑性すら怪しいところだが、火のないところにここまで具体的な話が上がるだろうか?
フェリシアはなんとか落ち着こうと紅茶を口に含みつつ目を閉じた。
ティーカップをソーサーに置きながら情報を整理する。
マリーはハイド伯爵家の養女で、学力を買って分家筋から引き取ったとされている。
その実ハイド伯爵家のご落胤ではないか、というかほぼ確実にそうだろうと言うのが社交界での総意。
ハイド伯爵が平民の女性に恋をした話は当時格好の話題であったし、すでに既婚者である伯爵と旦那を亡くした平民の未亡人というのはマダムたちの甘い甘いゴシップだった。
意外なのは引き取られた後にハイド伯爵の奥方様とマリーの関係が良好であったことか。
奥方様とマリーの間についても、何が真実で何が虚実なのか判断し難い噂ばかりだが、マリーが誑かしたというのは嘘だと分かる。
ここ数年しかクラスメイトとしてしか付き合いがないが、フェリシアから見て彼女は腹芸などといった物は不得手なのだろう。
貴族の子女であればクラスメイトと言えど中々本音で話せる者は少ない。
そんな中時折聞こえる笑い声や笑顔から、彼女は本当に嬉しい時と楽しい時の表情が自然で素敵だ。
中には声を上げて笑うことを淑女らしくないだとか、これだから卑しい血はなどと言う者もいる。
確かに淑女らしさで言えば及第点ではあるけれど、笑い声を上げた自分の失態に気付き顔を赤らめ、友人に謝る姿を見れば癒されるし許容して見守るクラスメイトが大半である。彼女は勤勉家であるし、あと数年も経てば立派な淑女になるだろう。
対して、ダミアン。
フェリシアはダミアンとマリーの関係について思考したが、上手くまとまらない。
彼ほどの者が、噂がたてられて対策を取らないだろうか?
むしろ、噂こそが、布石であるとすれば。
「なんのメリットも、浮かばない…」
ガックリと項垂れるフェリシアにメアリーは優しく背中をさすりながら励ました。
「お嬢様、人は時に感情で動いてしまうものですから。…今日だけで結論を出さずとも、後で気付くこともございます」
労わるメアリーの言葉に頷く。とりあえず情報を集めて検討するしかないだろう。
その為にも帰宅しなければ。
そう思い帰宅の準備を指示しようとしたフェリシアが動く前に、ドアがノックされる。
メアリーがドア越しに二、三言葉を交わしてフェリシアを伺う。
「お嬢様、ダミアン殿下からの言伝があると、ギディオン様がいらっしゃっておりますが、いかがなさいますか?」
「…大変申し訳ないのだけど、気分が優れないから代わりに聞いておいてくれる?」
「かしこまりました」
メアリーは頷くとドアから出て行った。
ため息をつきつつフェリシアは自分の心の中が乱れていることに困惑していた。
ダミアンの意図はわからないが、噂が本当ならば自分にとって願ったりかなったりではなかったのか。
この気持ちは何だろうと考えている間にメアリーが戻ってきた。
「お嬢様、言伝を承ってまいりました。」
「どうぞ」
「…最愛なる婚約者殿。気落ちしていたようなのでこれを見て少しでも気分がいち早く晴れるように願う」
そしておずおずと差し出された物を見てフェリシアは声を上げた。
「最愛なる婚約者に参考書を贈るってどういうことなのよ!
あの腹黒王太子!!自分が上だと思って!!」
香り付きのカードを添えてと言うのがまたフェリシアの気に触る。
この香りがフェリシアの気に入りの物でないなら破ってしまいたいほどだと言うのに。
ダミアンという男は本気で嫌がる事はしないが、フェリシアを怒らせたいらしい。
噂が事実なら好都合。熨斗をつけてマリーに引き渡そうと言う決意を固め、フェリシアは帰宅した。
噂を耳にしてから一ヶ月が経つが、フェリシアにはダミアンの噂の確固たる証拠や証言を得られずにいる。
未だにダミアンは紳士的で婚約者に対して理想的とも言える態度のまま。
むしろこの一ヶ月はいつにも増して言葉や行動が甘い気がする。
ただただフェリシアを可愛がる様には少しむず痒いものがあり、今更ながら恥ずかしいのでいつも通りにして欲しいと言えば、和かにかわされて終わる。
マリーはと言えば、少し注意して眼を配れば、落ち着かないと言うか、不安そうな表情をしている時がある。
友人達も気にかけてはいるようだが、見ている限り友好関係は以前のままのようだ。
あれから集めた噂だけを集約すれば、
ダミアンは結婚を近々するのではというような行動が多いこと。
王家御用達の宝石店でオーダーメイドで秘密裏に指輪を頼んでいるらしいだとか、
王宮内のダミアンの私室や隣室が整えられ出しているだとか。
フェリシアはそれらの行動がマリーの為に思えて仕方がない。
旧来の仲であるフェリシアに言いづらい事であるから、周りから整えているのだろうか。
自分が後回しにされ、ダミアンの事でこんなにも悩んでいると言うのに。
落ち込みそうな気持ちよりも沸々とした怒りの方が上回るのはフェリシアの気が強いからなのかはさて置き。
いずれは来るだろうと思っていた「大事なの話がある。内密に相談したい」という旨のお誘いがきた。
フェリシアは待ちに待たされたせいもあり、ダミアンに貸しをつけてやるという姿勢だ。
メアリーはそんな主人に「お嬢様、お相手は殿下ですからね。落ち着いてくださいませ」と呪文のように言い聞かせていた。だがフェリシアは冷静であるつもりでいた。長年の付き合いであるからこそ、婚約を穏やかに終わらせてあげるのだ。二人が結ばれるため、周りに受け入れられる為にはフェリシアの協力は必要不可欠。ダミアンがフェリシアに頭を下げて頼むのなら快く助けてあげようと思っている。
呼び出された場所は学園の校外にある王家御用達の菓子屋。
メアリーと入れば見慣れた店主に恭しく挨拶され、フェリシアでさえ入ったことのないような奥の部屋へと案内された。
中を見れば円形のテーブルを中心に三人の姿。
ダミアンとマリーが席についており、従者のギディオンは二人を見守るように数歩後ろに立っていた。
「御機嫌よう殿下、ギディオン様、マリー様」
「やあフェリシア。わざわざ申し訳ない。まぁ席についてくれ」
「メアリーは退室させた方がよろしいですか?」
「いや、フェリシアが信用している者ならば問題ないよ」
メアリーは扉近くに控えた。
フェリシアが席につきながら見た限りダミアンはいつも通りのようだ。
マリーに関しては場所が落ち着かないのか、これからする話が不安なのか緊張しているようで目は泳いでいるしソワソワと落ち着きがない。
ダミアンがギディオンに何か耳打ちし、ギディオンがマリーに小さな声で何か伝えているようだ。直接声をかければよいのではないかとフェリシアは思ったが、口を出すのは憚られた。
マリーはギディオンから何か聞くとコクコクと頷き、落ち着きを取り戻したようだった。
ダミアンはマリーが落ち着いたのを確認し、フェリシアにいつになく真剣な顔で切り出した。
「フェリシア、相談があるんだ」
「…なんでしょう?」
「これは、私達の将来に関わる問題になる。内密にして欲しい」
「内容にもよりますが、できる範囲でとだけ申し上げます」
「こんな形になってしまい申し訳ないとも思っている。フェリシア、君にはなるべく不便をかけないようにすると約束しよう」
「はい」
「学園内に流れているマリー嬢の噂は、聴いているかい?」
「まぁ、概ねではありますが。…噂については真実であると思ってよろしいですか?」
「なるべく秘匿してはいるんだが。…間違いはほぼないな」
「そう、ですか」
「そのことでフェリシア、事前に君に言わなければいけないことがある。ただ、…君に女性として不名誉な噂は上がるだろう提案なんだ。とても、その、君を思えば言うべきことではないんだが…」
ダミアンらしからぬ遠回しな言い方にも、初めて目の当たりにするマリーを心配そうに伺う態度もフェリシアの胸の内を掻き乱す。フェリシアは落ち着いていたはずの苛立ちが再燃してきていた。
「殿下、はっきりと言ってください」
ダミアンはフェリシアを見て驚くような表情をする。フェリシアが何も考えずにこの場にいるとでも思っているのだろうか?
「…まさか、フェリシア、君はもうわかっているのか?」
フェリシアの情報収集力を甘く見ていたのだという発言だが、ダミアンを出し抜けているのならば何も言うつもりはなかった。
「君は、そういうのは不得手かと…」
小さく漏らしたその発言を幸か不幸か拾ってしまったフェリシアは我慢が出来ず、穏やかに微笑んでいるように意識しながら口を開いた。
「私、仮にも次期王太子妃ですので。遠慮なくおっしゃってください。
お二人が結ばれる為に、協力して欲しいと」
フェリシアの発言にマリーは目を見開いていた。フェリシアから言われるとは思っていなかったらしい。
フェリシアは安心させるつもりでマリーに頷き、続けた。
「マリー様、ご安心ください。私は協力いたします。
お二人が想いあっているならば、私は身を…
「フェリシア、本当に協力してくれるのか?」
「…ダミアン様、今そう申し上げております。」
「君は自分が何を言っているのかわかっているのか?不服はないと?」
ダミアンの表情は笑顔だが作られた笑顔だ。フェリシアはダミアンがこの顔の時は気持ちが読めず気持ち悪いと前々から言いつつ、度々出ているこの顔は何か押し隠しているのではないかと推測している。
そのダミアンが、念を押して確認しているのは本当にわかっているかどうか。
フェリシアはダミアンに対し強気に笑って見せた。
「ダミアン様、協力、して欲しいのでしょう?円滑に進める為に、私をお呼びになったのではありませんか?私、否やはございません。協力いたします」
言い切ったフェリシアの発言に対する面々の態度は様々である。
ダミアンは喜びを隠しきれないのか口角が上がり、マリーは赤くなりながら胸の前で手を組んでいるところから嬉しさが伝わる。
ギディオンはどこか安心したような表情ながら、フェリシアを見る視線には少々哀れみが混ざっているようだ。
メアリーに至ってはフェリシアが発言を始めた時点で目が死んでいた。主人にかけた呪文が続かなかったことが悔やまれた。
マリーは席を立ちフェリシアに駆け寄るとその手を取り膝をつきながら見上げた。
「フェリシア様、わたし、わたくし、なんと言ったらいいか…!」
「…いいのよ、気になさらないで」
ふっと察したように笑いかければ、マリーは眦に涙を浮かべた。
「フェリシア様のお察しのさることながら、寛大なるお心遣いに感謝いたします」
そっとマリーの肩に手が置かれ、マリーは立ち上がり寄り添った。
フェリシアは見上げて笑顔のまま固まったがマリーは気づいていない。
「私からも、お礼を言わせてください。ありがとうございます。フェリシア様」
そう言ってマリーを抱き寄せたギディオンを見て、フェリシアは冷や汗が出てきたのを自覚する。
「…ギディオン…さま?」
情報整理がつかないままダミアンを見れば、待っていましたと言わんばかりに立ち上がりフェリシアに近づき、ギディオンのようにフェリシアの肩を抱く。
フェリシアは座ったままされるがままにしかできなかった。
「さすがは我が麗しの婚約者だろう?考えは私と同じのようだ。改めて、今後について話しておこうか」
状況について行けないフェリシアをよそに、場の空気は和やかなものになり各々が席に着く。
マリーは元の席にギディオンにエスコートされ、ギディオンはその隣に。
ダミアンはフェリシアの片手を握りテーブルに乗せたまま、フェリシアの隣の椅子を引き座ってしまった。
「まずはギディオン、マリー嬢、君達の気持ちに偽りはないね?」
「はい、私はマリーを愛しています」
「私もギディオン様を想う気持ちに間違いはありません」
ダミアンの従者であり、将来的に側近候補であるギディオンと、伯爵家のご落胤と噂されるマリー。
二人の表情を見ながら客観的に考える。
ダミアンの噂では、マリーを個人のサロンに招いていたとあった。
あれはギディオンとマリーがダミアンに相談するためだった?
ギディオンは子爵家の長男。彼の両親は伝統を重んじる貴族と言った印象である。
彼の元にご落胤と噂のマリーが嫁げるかと言えば、難しいだろう。
ギディオンは次期子爵家当主、加えて次期王太子の側近候補だ。階級的に上だとは言え、曰く付きの女性を娶るメリットはあまりに少ない。彼の両親が血統にそこまでこだわっているかはわからないが、貴族らしい野心はあるらしく、今は彼に見合う相手を探していたような気もする。
そんな二人が、円滑に結ばれる為には?
フェリシアの疑問は口に出さずともダミアンから説明される。
「では、事前に二人に話していたように、フェリシアとマリーには親しくなってもらい、マリーを私の側室に迎えた後にギディオンに下げ渡すという計画で構わないかな?」
衝撃的な計画にフェリシアは動揺したがギディオンとマリーは事前に聞いていたからか抵抗なく受け入れている。
この国では王族が結婚して二年以上子を授からなければ側室を娶ることができる。
その後正室が御子を授かるなど理由があれば側室を臣下に下げ渡すことも不可能ではない。
側室の選定には正室や王族の意見も反映されることから、フェリシアとマリーが今から親しくしておけば怪しまれることなく推薦もできるだろう。
王族からの下げ渡しとなれば臣下にとっては誉れだろう。今後も重要されることは間違いない。
フェリシアが嫁いで二年、御子を授からないことは不可能ではないし、不名誉な事は言われるに違いない。
想定外の展開に混乱しながらも状況を整理する。この方法が可能かどうか、そんなことよりも。
「ダミアン様、あの、私が嫁ぐのは卒業後数年を置いてからになります。そこから更に二年、いえ三年以上はかかるお話になりますが…」
フェリシアの計算で言えばこれから少なくとも五年以上をかける計画になる。
ダミアンはフェリシアの手を握ったまま爽やかに笑って見せた。
「ギディオンの家に関しては私が立太子し、落ち着くまでは職務に集中するように言って婚期を延ばさせる。
しかしそれだけでは無理があるだろうから、婚期を少しでも早めようと思う」
ダミアンはどこから出したのか、王家御用達の宝石店のリングケースから凝った意匠のフェリシア好みの宝石がついたリングを取り出す。フェリシアの薬指ぴったりに作られたそれを呆然と見つめるフェリシアの指に嵌めた。
「フェリシア、こんな形になってしまったが、良い機会だと思う。俺の気持ちは前から変わってはいない。これからも決して変わらない。フェリシアが良ければ、卒業と共に俺と結婚して欲しい」
この想定外だらけの状況での想定外のプロポーズ。
期待に満ちた瞳で見守るマリーやギディオンなどフェリシアにとっては些細なことで。
昔から事あるごとに勝負を挑むフェリシアに、真剣に対応してくれたその顔で愛を囁かれてしまえば。
混乱しながらもやはりダミアンは自分を裏切る人ではなかった安心感にフェリシアは落ちてしまった。
「…はい、宜しくお願いいたします」
ダミアンに抱きしめられながら、やっぱり敵わないなぁなんて考えながら。
愛されてる実感に思わず抱きしめ返すフェリシアであった。
ダミアンに予定よりも早く結婚を申し込まれたフェリシアは卒業までにしなければならないことが増え、日々を追われている。
そんな彼女を気遣いつつ愛でているダミアンは、執務室でギディオンと二人きりでお茶を楽しんでいた。
「殿下、ご忠告申し上げます」
「なんだい、突然」
お茶を飲みながら読んでいた報告書をテーブルに置き、ダミアンは後ろに立つギディオンを振り返る。
ギディオンは「感謝はしていますが」と苦い顔で言った。
「今回の件、後ほどフェリシア様には怒られると思いますよ」
「そうだな。それは承知の上だ。怒っている彼女も可愛いんだから大丈夫じゃないか」
ギディオンの忠告などどこ吹く風で笑うダミアンはむしろ機嫌がいい。
今回の件が上手くいき、目的であったフェリシアとの婚期を速めることに成功した。
フェリシアは気づいていなかったが、フェリシアに行き渡った偏った噂はダミアンによるものだ。
ダミアンは幼少期にフェリシアに挑まれ、フェリシアに堕ちた。
好きになった自覚も早く、気づいてからはフェリシアを自分のものにすべく奔走している。
フェリシアの家にいる使用人の何人かはダミアンの密偵であるし、フェリシアに執着されたいが為に勝負を負けないよう異常な努力をしている。
ギディオンとマリーが想い合っている事は事実だが、側室に迎えずとも二人を結ばせる方法は他にもあるのだ。
現にダミアンはマリーを側室にする気など最初からないし、フェリシアとの子は早く出来ても構わないとさえ思っている。
最近の貴族の間では、次期立太子妃との交流でマリーの株は急上昇中である。
結婚後にダミアンとフェリシアで口添えすれば、晴れて二人は結ばれるだろう。
全てはフェリシアとの婚期を速めたいダミアンの計画のままに。
マリーを側室に娶る以外の選択肢があった事にフェリシアは後々気づくだろうが、後の祭りだ。
怒られる事になろうがフェリシアを自分のものにできるのならば、やむを得ないだろう。
何より、ダミアンは自分を睨むあの瞳に堕ちたのだから嫌なことなど何もないが。
今まで反応が得たいが為に少々意地悪をし過ぎてしまった自覚はあるので、これからは存分に甘やかして離れないようにするつもりである。
ギディオンは上機嫌なダミアンを背後から見て小さくため息をつく。
長い付き合いでダミアンのフェリシアへの愛情は嫌という程わかっている。
自分たちが結ばれる為に、少々囚われるのが早まってしまったフェリシアや、今回の裏を知らずに自分を信用して任せてくれたマリーへの申し訳無さがなくもない。
ダミアンは報告書を読み終わったのか火を着けて始末した。
「メアリーもフェリシアについてもうすぐ十年か。今ではすっかりフェリシア至上主義で、困ったものだな」
まったく困っていなさそうな口ぶりにギディオンは再び忠言をさしたくなったが、言うだけ無駄だと思い胸に留めた。
メアリーはフェリシアの為にダミアンが孤児院から引き取り、教育した後に送りこまれた筈だったが。
ここ数年は主人を気遣っているのか報告書自体が以前ほど厚くない。
フェリシアはダミアンの愛の重さに気づいていないようだが、その方が幸せなんだろう。
どうかお幸せにと祈ることしか出来ないが、不器用な主達をしっかりお守りしようとギディオンは改めて心に誓った。