第一章
「まあ、やっぱり僕は勝ち組だな。負ける人間の気持ちがわからない。」
平日の真昼間なのにもかかわらずレースと黒のカーテンで日光が遮られた薄暗い部屋の中で画面越しに何かブツブツとつぶやいている少年がいた。
ここで彼の紹介をしておこう。彼の名は速見 疾風17歳の男子高校生。
紹介の中に『普通の』という言葉がないことは決して忘れているわけではないことをここに明記しておく。
というか平日の真昼間に男子高校生が薄暗い部屋にいて、一人であんなアレなことを言っていることを考慮すると彼が一体どうゆう人物なのかは想像に難くないだろう。
皆さんのご察しの通り、彼は引きこもりである。
さて、そろそろ彼の言葉の真意を呑み込めない皆様のためにここでネタばらし。
「大体世界屈指のコンピューターだか何だか知らないが僕にチェスで勝てるわけないだろ。」
彼は無類のゲーマーで今やゲーム界を賑わしている通称【韋駄天】である。
彼の二つ名はもちろん彼自身が名付けた訳ではなく、彼のプレイスタイルを見た人間、もしくは体感した人間から名付けられたことに帰結する。
圧倒的な速さ。
ボードゲームでは1秒にも満たない自分の手番。
また、FPSでは殲滅する速度。
その他にもRPGやパズルゲームではクリアタイム、ネットゲームではイベントの完走、あとついでにチャット機能を使用した時のレスポンスまで速い。
もちろん速いだけではなく、その結果や内容も圧倒的である。
かくして、速見 疾風は齢15歳にしてゲーム界隈において【韋駄天】と畏怖される存在となった。
ぐぅぅぅぅぅぅう...
「腹が減ったな。」
自らの空腹を自らの音で察知させられた疾風は、CHECK MATE と書かれたモニターの電源だけを落とし、近くのコンビニに向かうための準備を進めた。
ここは速見家の二階の一室、疾風の部屋である。
部屋には多種多様なの電子機器が乱雑に置かれており、それでいて疾風がいつも使用しているメインのパソコンが置かれている机の上はきっちりと片付けられているというアンバランスな雰囲気を醸し出している。
本棚にはライトノベルや漫画から図鑑やパズルなどといったものなどの、これまた多種多様な本が規則正しく並べられていた。
床の電子機器を踏まないように足元に気を付けながらタンスから暗めのジーンズと白いTシャツを選び、部屋の入り口付近にあるクローゼットから黒のジャケットを取り部屋を出た。
もう冬か、寒いな
暦の上ではディッセンb・・・・失礼、現在は12月初旬。
疾風の住んでいる地域は全国的にみると比較的暖かく、寒さの影響を受けにくい環境にあるが、それでもやはり師走。本格的に冷え込んだ寒さの前で人々は厚着をして寒さに震えつつただ春を待つのみであった。
温室育ちでより一層寒暖に弱い疾風は日本の四季に対しての不満を感じつつ、午後からは何のゲームをしようかなというようなとりとめもないことを考えていた。
家からコンビニまでの距離はさほど遠くもないが、信号が青に変わるのを待ち、いくつかの交差点を渡っているうちに疾風の手は冷たくかじかんでいた。
目的地であるコンビニが見えてきて、もう少しで温かい屋内に入れるという期待に胸を膨らませていると、店の前に見覚えのある服装をしてたむろしている男女のうちの一人と目が合った。
「あれ?引きこもり君じゃん。」
彼らは疾風の同級生である。
女は元の顔が想像つかない程濃ゆいメイク、スカートの裾は当然のように膝上で下手したら下着が見えるんじゃないかというくらいのミニスカ。
男は明るめの色に染め、ハードワックスで固めたような髪をして、これまた下着が見えそうなほど下げたズボン。
所謂パリピ(笑)である。
「・・・・・。」
「あれ?無視?」
こんな輩と絡んでもいい経験がないのを熟知している疾風は無視を決め込み、さっさと店内に入ろうとした。
が、
「おい、無視してんじゃねーよ。」
パリピ(笑)の中の一人の男が疾風の前に立ちふさがった。
「・・・・はぁ。」
一気に憂鬱になり、ひどくめんどくさそうにしている疾風の態度に、一同から決して良くない視線を浴びせられた。
冬の寒さよりもずっと冷え込んだ空気があたりに広がり、妙な緊張感と静寂を生む。
それでも疾風はそんなことを少しも気にすることなく声をかけてきた男子生徒のほうを向き堂々と目を合わせた。
「なんか用?」
「いやいやお前なんかに用なんてあるわけないじゃん。」
「そうそう。ただ学校に来ない引きこもり君が珍しくて声かけただけだっての。」
一斉に彼らが盛大な嘲笑を浴びせてきた。
はぁ・・・くだらね・・・・寒い・・・
どこまでいっても本当にどうしようもない人間はいる。
他人を見下すことでしか優越感を覚えれない人間、自分の非を認められず孤立していく人間、言っても言ってもわからない人間など様々に。
いろいろな負の感情が湧きあがり、疾風の中で渦巻いていた。
思ったことを素直に言っても面倒事が増える一方だと知っている疾風は、それでも彼らに侮蔑の目を向けた。
「あ、そう、じゃ。」
「待てよ。」
「だから何だよ。」
明らかに馬鹿にした態度をとっている彼らと話しても良いことなんて何一つないことを自覚しつつ返事を返す。
「うっわー、態度わるー、だからあんたはボッチなんだよ。」
「なるほど、じゃあお前は頭が悪いからビッチだな。」
あまりに勝手で釈然としない女子生徒の言葉に反射的に言い返してしまった。
ましてやこちらも勝手なことを言ったのだから、当然女の激昂を買うことになる。
「はぁ?マジキモ。」
「はははっ、由美キレんなって!」
あまりに無益な時間を使っている。早くメシ買って帰ろう。
そう考え、踵を返して歩を進めようとした疾風の背中に大きな圧力が襲い掛かり、前のめりに倒れてしまった。
「あ~、ごめん~、足が勝手に~」
「おっ、なにこれ・・」
男子生徒が倒れた拍子にジャケットの裾から落ちたものを拾い上げる。
「手鏡?おい引きこもり、なんでお前がこんなもん持ってんの?」
「女装の趣味でもあんじゃねーの?気持ちわり~。」
「・・・それに触るな。」
「は?」
気が付くと疾風の白くて細い指は掌の上で硬く固まり、全体重を乗せた右ストレートが男子生徒の左頬に突き刺さっていた。
思い出したくない情景、言葉、匂い、そして感情が疾風の頭に閃光のように広がっていく。
一瞬でそういった情報を処理した疾風の脳や心はオーバーヒートを起こしたように熱くなり、自分の激情に気づくより早くに手を出してしまっていた。
慣れないことをした拳が悲鳴を上げている。しかし知ったことか。そんな痛みなど大した痛みではない。疾風の心はもはや比較にもならないほど痛み、おぞましい悲鳴を上げていた。
固まっていた時がゆっくりと溶けていく。
それからのことを疾風はもう覚えていない。
「本当に本当に申し訳ありませんでした。」
「次からは気を付けてくださいね。」
日が傾き、日光が地平線によって完全にかき消されたこの時間帯の外の寒さは昼間よりも一層厳しくなっていた。
とはいってもまだ時刻は7時前。冬は本当に日が暮れるのが早い。
白い吐息が乾いた口元から追い出され、行き場に戸惑うように暗闇の空間を揺蕩っては消えている。
何度か繰り返しているうちに口元の痛みに気が付いた。
「疾風!あなたも謝りなさい!」
「・・・すいませんでした。」
どうやら俺はあの後同級生にボコボコにされ、どういう経緯かは知らないが警察に保護されたみたいだ。
・・・コンビニの店員さん本当にすいませんでした。
そんで隣で必死に警察官に謝っているのは僕の母である速見 静。
二歳のころから一人で俺を育ててくれている大恩人。
父は俺が物心つく前に他界しており、それ以来祖父母の力を借りつつも14年間俺の面倒を見てくれている。
僕が腐って学校に行かなくなっても何一つ文句を言わず、自らは朝早くから始発に乗って職場に向かい、夕方まで働いている。
警察官に一通り挨拶を済ませ、帰路についている途中母はも僕もほとんど無言だったが、母は少し気になることを言っていた。
『親切なお嬢さんが警察の人に連絡してくれたそうよ。』
『あと、優ちゃんのことになると熱くなる癖はどうにかしなさい。』
家につき、まず入浴し。夕食を取り終えてから部屋に戻った疾風は母の言葉や昼間の自分の行動を思い出していた。
「あっ、そういえば!」
疾風はクローゼットを少々乱暴に開け、中にある黒いジャケットのポケットを探った。
「よかった・・・。」
すぐにお目当ての手鏡を発見し、傷が入っていないかを確認してみたところ、どうやらそれらしいものがなかったことに安堵した。
その手鏡を持ちつつ椅子の上に座り、過去に思いを馳せる。
もうあの日から2年経った。
疾風の幼馴染であり、一番の理解者であった温水 優が2年前の11月に死んだ。
悔やんでも悔やみきれない。かといって割り切ることすらできていない。
おそらく人生最大のトラウマを植え付けられた疾風は今なお彼女の背中を追いかけ続けている。
それから10分ほど経ち、疾風は負の感情から逃げるようにパソコンのモニターに視線を移した。
「あれ?メールが来てる。」
見覚えのないメールアドレスからのメールを躊躇なく開いてみた。
『こんにちは、韋駄天さん。
この度新作のRPGができましたのであなたにプレイして頂きたくご連絡しました。
もし、プレイしていただけるのであれば下記のURLをクリックしてください。
PS.いきなり何だこいつって突っ込みは無しの方向で!』
「いきなり何だよこいつ・・・。」
てゆうか僕の個人情報どうなってんの?馬鹿なの?死ぬの?
下のほうを見てみると、メールに記されていた通りURLが張り付けられてあった。
「日本のサーバーではないようだな。もしかしてウイルスの類か?」
2分ほどの硬直ののち疾風は決断した。
ゲーマーがゲームの機会を逃してどうする。そもそもウイルスの類は僕のパソコンには通用しない。
URLをクリックしてみると暗い画面が映し出され、まもなく白い文字が浮き出てきた。
『ぼうけんのじゅんびはよろしいですか?』
「決まってるだろ。」
疾風は迷わず『はい』を選んだ。
そして部屋から疾風は消えた。