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「人間恐怖症」  作者: 白石幸人
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何も怖くない奴の方がどうかしてる件

はいはい、タイムリープものとか何番煎じですかって感じの作品。

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恐怖症とは何だろうか。

 有名なものからいえば、高所恐怖症、先端恐怖症、閉所恐怖症に始まり、果ては文字恐怖症、森林恐怖症、姑恐怖症まで、この世の中には、とうてい他人には理解しがたい、ありとあらゆる恐怖症というものが存在している。それらは、生来的なものであったり、後天的に何かしらの経験を基にして得られるものであったりする。

 恐怖症を持っている人は心を病んだ疾患者として、時には異常者として扱われる。けれども、僕から言わせてもらえば、何も恐怖症を持っていない、恐怖にすら気づいていない人間のほうが、明らかに異常だ。

例えば、電車がホームに進入してきているにも関わらず、その横すれすれを歩いていく人間。言い換えれば、38トンの鉄の塊が時速60~70キロメートルで通り抜ける、その横1メートルを何の恐怖も感じず、さも当たり前かのように歩いていく人間。

 例えば、エスカレーターをドタドタと駆け上がっていく人間。言い換えるならば、例え60キログラムの肉の塊が挟まろうとも、止まることを知らない、止まることなんてない高速で回転する歯車の上に載った、たった5センチ程度の鉄板をありったけの力で踏みつける人間。

 例えば、地上30階建ての高層ビルで人生の大半を過ごす人間。言い換えるなら、一度地震が起きれば、100メートルの高さから地上まで無抵抗に滑空することを余儀なくする場所を疑うことなく、むしろそこから見える風景を美しいだなんていって、好んで人生の大半をそこで過ごす人間。

 これらの人間が、異常でないはずがない。自分の命を刈り取っていく、まさに「死」と接触しつつも、何も感じない人間が、異常でないはずがない。

 たしかに、電車やエスカレーターをいちいち怖がっていては、もはや現代社会の中では生きていくことはできない。むしろ、現代社会は上手く、その「死」への恐怖を隠すことによって、成り立っているといっても良いだろう。そして、人間側もまた、その社会へ適応するため、万が一、隠された「死」の存在に気づいてしまったとしても、すぐにその存在を忘れることができるようにできている。

 けれども、そんな「死」の存在を忘れてはいない人だっている。社会の中に潜む、その「死」の存在に気づき、そして、その存在を忘れることができない人間が、恐怖症と呼ばれる精神疾患を患うのであろう。

なぜこんなことを言い出したかというと、かくいう僕も、その恐怖症を患っている一人だからである。うっかりと日常の中に潜む、「死」の存在に気づいてしまい、行動を制限されてしまっている。そして、その恐怖の源は、僕が生命活動を続け、最低限文化的な生活を続ける限り、付きまとって離れないものである。

つまるところ、僕は「人間恐怖症」である。


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