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「…早くファルムを出せ!この軟弱者が!!」

元気のないルネを支え、俺とランダンとで砦の外へ出る。彼女は自信なさげな様子だが、この状況を気に病む必要はないと思う。戦闘を任せている間も、戦況はルトワ軍の優位に進んでいた。


俺たちが砦内部に入る前もちらっと見たが、ベラ含む術士たちは砦上部のエドラ術士を無力化し、彼らの魔撃から兵士を守っていた。敵の少なくなった今は、治癒に集中している。導師の土人形はまだそこにあった。



やがて鬨の声が砦頂上から響いた。振り仰げば、天にはためくエドラの黒い旗が倒されていた。将軍レジオスら率いる兵士は無事、砦を奪還したのだ。エドラ軍も急に本隊がこちらを襲撃したのに対応できず、転移の門あれど急いで味方軍を呼ぶのは困難だったか。


「雷将殿!!」


事情を察した術士クロワが、ランダンの姿を見てすっ飛んできた。彼と離れたら死ぬと言わんばかりの不安顔だ。間違いなく将たちがいなかったのを一番心配していたのは彼だったろう。


「こ無事でなによりです!強敵と対応していると聞きましたが不安で不安で……そういえば、術士長様はどちらへ向かわれたのですか?お姿が見えないのですが…」

「まあ、ちょっとな。木陰で涼んでるんだろ、じきに来る。それより兵をまとめさせろ、もう戦闘は終いだ。全員を回復させてここへ駐屯する者を選定する。本物の導師が来るまで守らせるんだ」


「げ、やっぱりわかるのかランダン。俺たちが導師の名を騙ったって」


クロワはがくがくと首を縦に振って心細さを表す。彼はベラから報告を受け、味方に導師が偽物だとバレないように気を配っていたという。

だが、ランダンは一目で本物の導師でないと見抜いた。知り合いの目は誤魔化せない。


「当たり前だ。あの導師っぽいのはなんだ?土か?あのばばあがおとなしく突っ立ってるわけがない。あれは……ルネ以上のお転婆だった。術士のくせに」



いくら待っても俺たちが来ないので、ベラのほうから近寄ってきた。彼女は俺たちに気づいてから、飛んだり跳ねたりして存在を示していたが、自分から行ったほうが早いと判断したらしい。


「上層も突破したようね!それで、私たちはどうするんだっけ?」

「砦の司令官も討った。あとはこちらを拠点にエドラ防衛線を張る。転移の門を調べる必要があるが、じきにミラ軍も兵を出すはずだ。私たちはいったん王都に戻り、軍備を整え決戦の準備をする」

「王都へ戻れるんだな!セリカとアルナに無事な姿を見せてやらないと。なぁ、ランダンもいっしょに来て俺の戦果を語ってくれよ……ランダン?」


仲間との会話で、ルネは凛と気を引き締めて今後の動きを話す。俺は妹たちに会えると喜んだが、ランダンは浮かない顔をしていた。


「…どうした、ランダン。顔色悪いぞ」




「違うんだ、ファルム」



彼は白金の髪を振って、現状を否定する。

戦いには勝利し、俺たちはこれから王都へ凱旋するのに、老いた英雄の瞳には恐れと憂いがあるようだった。



「このままで終わるわけがない………これで、納得するわけがない」




態度の真意を問い詰める前に、ベラの悲鳴が耳に飛び込んだ。

彼女が怯えて指をさすのは……砦の頂上。


空間の揺らめきは誰の目にも明らかだった。目を凝らさないと見えなかった転移の門は、暗緑の光を放ち、砦の左上部を包み込む。


「なんだ!?なんだ…あの、光……」

「……発動してる!転移の門が繋がったんだわ!!向こうから…敵が来る」


砦はすでにルトワが落とした。これからミラ軍と共同で守護する予定だった。しかし、転移の門が開いた今、この場はエドラと繋がった。

暗い緑の光は輪となって展開し、円の内側は一片の混じりもない漆黒に塗りつぶされた。


俺はあの暗黒から、動くものを見た。湧いて蠢く彼らは、黒き鎧のエドラ兵たち。

門の向こうにどれ程の兵が控えているのか、予想もつかない。門が発現し続ける限り、尖兵は絶えないだろう。




そして……あの頂上には、レジオスがいる。



急いで助けに向かわなければ。それとも、ここで支援の魔撃を放つほうがいいか?

問いかけようと口を開けど舌は動かず、視界に暗幕が降りてきた。これは、この感覚は覚えがある……けれど、まさか……こんなときに……!!

俺の全身を支配するのは恐怖だった。激しい動揺が魂の奥底から轟音として響いてくる。


俺の身体のもう一つの魂は、これから転移の門を越えて来る相手に怯えている。あの不死者は、かつて激しい苦痛と灼熱を"彼"に与えた。だからと言って……



いっしょに戦うと言ったじゃないか!!もう逃げない、自分の意思で戦場ここに立つと誓っていたのに……!



それはもう溺れるような感覚だった。彼の感情が波となって俺を飲み込む、逃れることはできない。仲間の呼び掛けに答える前に、将から策を尋ねる前に……



俺の意識は闇に沈んだ。








「え!?ちょっと……ファルム!!」

「ファルムっ!おい!!どこに行く!?」


転移の門が開いたのを見て、ファルムは走り出した。その顔を恐怖に染め、向かう先は砦の反対側。兵や術士を突き飛ばして……"彼"は逃げる。


とっさのことでベラは動けなかったが、ルネは肩の負傷も気にせず追った。




「ああ。そうか、"道化師"よ」


遠くなる栗色の髪の少年と孫娘の姿を目に焼き付け、ランダンはクロワの静止の声を振り切って、砦へ向かい駆けた。



「それが、お前の選択か」



老英雄が目指すは転移の門。

倒せど尽きぬ黒き兵と、赤髪の将軍が戦う死地。



昨夜、不死者と火を囲み、言葉を交わしたあの時から……ランダンの心は決まっていた。






ルネは持ち前の速さを遺憾なく駆使し、ファルムに迫った。こんなことはあってはならない。新たな敵が湧き続けるのに、逃げることなんて許されない。

今こそ彼の力が必要だった。砦に取り残された兵を助けるために、ルネの父親を救うために……恐怖にかられて走る彼に、ルネは簡単に追いつき、左手で腕を掴む。



「ファルム!なぜだ、どこへ行く!?まだ父上があの場にいる!!」



「嫌だ…あいつが来る……転移術は彼の得意分野だった!間違いない……不死者"黒騎士"!…今から来るつもりだ!!」


腕を掴まれただけであっけなく止まり、地に崩れる。今までの鍛錬の日々が今の魂には反映されていない。

そして、この怯えよう…ルネは話には聞いていた。ファルムが実年齢より多くの魔力を持つ理由は、肉体を共有する不死者が、敵の"黒騎士"に完膚無きまでに敗北したから……まだ"彼"はその記憶を克服できていない。


「……お前、"道化師"か!?頼む、父上を助けてくれ!まだ砦にいるんだ、頂上に取り残されている!!」


「無理だ!君はあの不死者の残忍さを知らない!肉体を失うことがどんな苦痛か、身を切られて焼かれ……治癒も反撃も間に合わない、あの絶望を知らない!それが、どんな恐ろしいことか…!」


不死者"道化師"……戦いを好まない臆病な彼は、宿敵の出現に恐れをなし、ファルムの身体を乗っ取って逃走を図った。肉体を消失したという記憶は、道化師の魂に強烈な心傷トラウマをもたらし、仲間と誓った戦いを放棄させた。


彼の怯えは、ルネにとって許し難いことであった。ファルムがどんな目的を持って剣を振るったか、魔法を撃ったか……彼女はよく知っていた。理由を失った今のルネは、仲間と…ファルムと、これからを過ごすために戦っていた。その思いだけが、彼女を支えていたというのに……道化師の態度はルネだけでなく、ファルムの決意に泥を塗る行為に等しい。


痛めた肩も気にせず、ルネは泣き喚く道化師の顔を張る。あまり力も込められなかったが、奈落に堕ちても傷一つつかなかった端正な顔に赤みが差した。



「最も死から遠い存在のくせに何を言ってる!お前が受けた苦しみなど知ったことか!それでもお前はまだ生きてるじゃないか!!生きているなら何度だって立ち向かえるというのに……早くファルムを出せ!この軟弱者が!!」





ルネは叫んだ。それは、強くも脆い彼女の……魂からの思いだった。



「私たちの人生はこの一度しかないんだぞ!!」










「将軍!これは、一体?…っ!があああっ」

「おい!!……くそっ!」


レジオスたちは囲まれていた。制圧を完了したと思った矢先、エドラの転移の門が階下への道を塞ぐように発現し、黒き兵士が暗黒の闇から現れた。砦を奪われてなるものかと、エドラ兵が死力を尽くし、戦いを挑む。


赤毛の将軍は兵を鼓舞し奮闘するも、視界の端に蠢く敵兵に限りはない。エドラの転移術は休みなく兵を送り出し、いくら倒しても尽きることはない。あの門の向こうにはどれほどの兵がいるか……そして、それ全員を斬れるのか……レジオスにも、薄ら寒い未来の光景が見えた。


「いたぞ!あの赤髪、ルトワの将軍レジオスだ!!」

「殺せ!!囲んで攻めろ、重装兵!前へ!!」


部下の精鋭も耐えきれず、次々に倒れていく。彼らを屠った輩は、真っ先に鮮やかな緋色を求めて剣を打ち鳴らす。どの戦場でも目立つ彼は味方の強力な支えにも、敵の格好の標的にもなった。



「下郎どもが……俺は貴様らの天上への手土産になる気はない!!」



自分の存在が失われることの恐怖を感じながらも、レジオスの剣は一層鋭利に敵を切り裂いていく。いや、これは現実逃避だ。目の前の敵をいかにして倒すか、相手の急所は何処か、間合いは十分か……それらに集中していれば、哀しみに心を奪われずに済む。


自身は危機的状況にあれど、レジオスの脳裏に敗北の文字はなかった。

階下にはまだ偉大な"雷将"ラムダディーンがいる。そして、切り札の少年ファルム。ルネも、ロスタも彼の庇護の下で無事に帰還できるだろう。王都のリリムも安泰だ。ギルエリが………大変不本気極まりないが、奴なら言われずとも彼女を生涯守りきるだろう。



俺がここで死んでも、家族は守られる。



それがたとえ事実であっても、レジオスの心は言いようのない悲嘆で満ちていた。





次々と湧いて出る兵に、体力は削られていく。攻撃も、すべてを受け止めきれなくなってきた。最早、味方兵は残らず倒れ、足の踏み場もない。砦頂上はかなりの高所、押し出されれば命はない。


また一人相手を切り捨てるも、倒れるのも待たずに重装備の兵が突撃をかましてくる。狭い戦場だ、味方のエドラ兵にも振り回した大斧の被害が出る。レジオスは斧の流線を見極め、転がりながら脇腹を凪ぐ。しかし、疲労に満ちた腕では肉まで届かない。敵兵は彼の接近を好機と受け取り、そのまま重量のある体をぶち当てた。


「……ぐっ」


衝撃にレジオスは体勢を崩し、敵はその隙を歓喜をもって受け入れた。

大斧は振り下ろされる。今度はただ一人、将軍だけを狙っていた。緋色は切り裂かれ……戦場に散った。




斬られたのは外套の端、赤髪の一部……レジオスは攻撃を紙一重で躱し、迫る敵の鎧の隙間に剣先を突き立てた。


「……"燃え、尽きろ!"」


重装備の鎧の中に、レジオスは渾身の炎を発現した。


彼は魔法はあまり得意ではなかったが、剣が触れた先に火を出す程度ならできた。この場はそれだけでも効果はあった。内部から身体を燻された兵士は苦痛のあまり暴れ出し、味方であるはずのエドラ兵を多数巻き込んで倒れた。



砦上部の戦場にて、レジオスの働きは敵ですら賞賛する奮戦ぶりだった。だが、限界は近づいていた。どんなに剣を振るっても敵は尽きない。足がふらつく、疲労が彼の身体を支配し、今や剣を振る気力さえも……




「いつまで突っ立ってんだレジオス!動け!!」



「…っ、はい!!」




それはもう反射だった。



血反吐を吐きながらも、鍛錬に明け暮れた日々。大勢の訓練兵と共にレジオスをどやしつけた声が、彼の身体を動かした。頭上に煌めいた切先を避け、すれ違いざまに敵兵の頚を抉ったあと、我に返ったレジオスが振り向く。




義父の姿がそこにあった。

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